表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/7

四音(しおん)と僕

〔4〕


 僕は、一人、教室の机に腰掛けていた。窓の外には、野球部が、暑い日差しに負けることなく、ノック練をしている。

 明日から、GWである。

みんな、来年は受験だからと、家族と田舎に帰ったり、二泊三日の旅行をするようだ。

 僕も、川田に沖縄へ泳ぎに行こうと誘われたが、断った。彼は残念そうに、拗ねてみせて、いつも通り心配してくれたが、今の自分にはそれさえも重荷だった。川田は不満げに、「土産は五円チョコだからな」と言って、他の友達と先に帰ってしまった。

 ノックのボールが飛ぶ先を追うと、

遠くで、大きな鯉のぼりが口を開けて風にそよいでいるのが見える。

 うちには、鯉のぼりをあげて喜ぶ子供はいない・・・。その子は、病院にいるのだから。

 別に自分が不幸とは思わない。だけど、幸せだとも思えない。

毎日が息苦しい。誰にも、関わられたくなかった。一人で、憂鬱な気分に身を焦がすほうが楽であった。自分の周りに広がる世界を断ち切って、このままそっとさせてほしい。

 だけど、僕は一人だけ会いたい人がいる。

そう、雪乃ちゃんに・・・。

 彼女のことを考えると、

つくづく、あの日の失敗を思い出す。


 三日前、つまり細川に宣告された日、

 自宅に帰り、僕は激しい口調で、親父を問い詰めた。

 〈父さん!い、五沙羅の病状はどうなんだ?〉

 〈そんな怒鳴らなくても聞こえてる・・・変わりないだろ。今日、お前面会に行ってきたんじゃないのか?〉

 〈ああ、行ったよ。元気だったよ。でも、それは表面上だろう。父さん!隠してたんだろ、俺だけに・・・なんで言ってくれなかった!なんでだよ!〉

 僕は、震える拳を叩きつけて、言葉を続けた。

 〈母さんのときみたいに、包み隠さず全部教えてくれればいいじゃないか。え、五沙羅のことではおばあちゃんもグルになって、俺を騙そうとしたのか〉

 親父は何も言わず、僕に背を向けて、タバコをふかしている。

 〈どうなんだよ!なんで隠したんだよ!〉

 親父は、まだ、半分以上あるタバコを強引にもみけした。

 次の瞬間、大きな声が家中に響き渡る。

 〈生意気なことを言うな!〉

 僕は、顔を硬直させた。

 親父が怒ったのを見たのは、初めてだった。

 わなわなと震える声で、親父は続けた。

 〈俺だってな、つらいんだ・・・俺だって。ほんとは、義実、おまえに一番先に伝えないといけないと分かっていた。母さんのことに負けなかったおまえだから、大丈夫だとも考えた。だけど、せめてお前には、これ以上気苦労はさせたくない・・・もう二度と、辛いことは考えさせたくないんだよ・・・おまえとこうして直接話してると、言えなくなっちまうんだ・・・〉

 僕は、頭をフライパンか何かで思い切り叩かれたような気がした。

 そして、

自分がまた、雪乃ちゃんに言ってしまったような酷いことをしているのを自覚した。

 〈五沙羅の病気は、急性リンパ球性白血病だ・・・。もって、あと一年・・・一年なんだ・・・〉

 親父は言い終えると、眼鏡をはずして、こぼれる涙を拭っていた。

 僕は黙って、

 二階の自室に駆け込んだ。

 細川に、ああいう風に言われて、自分が薄々は感づいていたような気がする。ただの病気ではない・・・と。けれども、何度もその不安から逃げて、平気な振りを装っていた。僕は、哀れで、無能なピエロだったわけだ・・・。とんだお笑い草である。

 その日は、夕飯を食べず、布団に潜りこんだ。

 下に戻って、親父の姿を見たくなかったからだ。あんな弱弱しい親父の姿を。

 いつになっても寝られなかった。

 締め付けられるような心臓の痛みが、背中まで突き抜けるような感覚が襲ってきた。

 僕の目からは、涙はこぼれなかった。

 泣けない僕は異常だろうか・・・ふと、親父の泣く姿を思い出して考えた。

 

 あの日以来、雪乃ちゃんには会っていない。

何度も教室を訪ねて、意地でもあの日のことを謝りたいと思ったが、彼女は学校を休んでいた。それを聞くたびに、長いため息が漏れたが、一番僕を痛めつけたのは、彼女に対するクラスメイトの反応だった。彼女は、クラスの大半の生徒から存在すらも忘れられていて、顔の利きそうな不良風の男子に尋ねると、そんな奴いたっけと返ってきた程だ。唯一救いだったのが、彼女と仲の良い女の子をやっと見つけ出して、その子から彼女が休むのは珍しいことではないと聞いたことだった。

 しかし、今回の休みは、やはり僕のせいだろう・・・思い出すたびに、ぞっとする言葉を吐いてしまった自分を嫌悪する。

 机につっぷして、目を閉じる。ひんやりとした机が気持ちいい。

 五分くらいそのままでいると、

 「里見・・・」と呼ぶ声がする。

 顔を上げると、

 四音が目の前に立っていた。

 「里見・・・帰らないの?」

 「か、帰るよ・・・四音は?」

 「あたしはもう部活終わったから、帰るよ。明日から旅行だし・・・」

 「そっか・・・」

 このまま、ここにいて、彼女に先に帰ってもらおうかとも思ったが、

 四音の痛々しいくらいの心配そうな表情を見て、

 「一緒に帰ろっか?」と誘った。

 彼女は嬉しそうに、うん、と答えた。

 二人で、それぞれの自転車を押して、

とぼとぼと通学路の裏通りを帰る。まるで散歩しているようだ。こうして、四音と帰るのも、すごく懐かしい気がする。

 彼女とは、幼稚園、高校と同じだ。ほぼ幼馴染みたいなものである。僕が小学校のとき、引っ越して、そこで一度お別れになったが、家はこの町に買ってあったので、それを人に貸して、、中学の入学前に戻ってきた。中学校は、大学まで一貫校である私立中学校に行ったので、彼女とは学校は違ったが、ご存知の通り家は隣。よく、中学校からの親友である川田を交えて、三人で遊びに行っていた。で、四音は、僕がエスカレーターで進学する高校へと合格し、川田を合わせての三人が集まったわけである。

 隣をぴったり歩く彼女の横顔を見た。

 四音は、高校に入って見違えるように変わった。

幼稚園の頃は、確か、天真爛漫とでもいうか・・・はつらつとして、元気な女の子だった。親父が言うには、幼稚園でいつも喧嘩ばっかりしている僕を止めるのは、さらに強い彼女と母親だけであったらしい。腕っ節だけでなく、口も達者で、言いたいことは何でも言ってきて、腹の内に隠すことがない。本当に、付き合いやすい女の子だ。だけど、高校に入ってからは、いきなり潜在的な落ちついた部分がはっきりと表れるようになって、中学の頃の強引さはほとんど残ってないし、女友達いる時間の方が長くなって、川田と僕とで遊ぶことは全くなくなった。

 でも、変わらないところもある。

彼女のチャームポイントである、ショートヘアーは昔と同じままだ。それから、人なつっこいくりっとした目に、少し丸っこい小さな鼻。よく動く凛とした口。

 こう見ると、近すぎて感じなかったが、彼女は女の子として魅力がある。実際、彼女が好きだという人はいるし、放課後、先輩から呼び出されたというのも川田から聞いたことがある。中学の頃では、考えられないことであった。今は、男の間では、ちょっとしたアイドルなのかもしれない。

 しかし、僕が知る限り、彼女は誰とも付き合ったことがない。やはり僕を想ってくれてのことなのだろうか・・・。川田にも、付き合ったらどうだとさんざん言われる。だけど、どんなに言われようとも、これだけはどうにもならないことで、惚れるか、惚れないかの二択しかないような気がする。どうしても、僕は女として彼女に惚れることはない・・・本当に、意志の力が及ばないところなのだ。そのことで、彼女を不憫だと考え、同情するのは、傲慢であるような気がするし、彼女の性質上、同情を一番嫌うだろう。

 「やっと踏み切りだね。里見、疲れた?」

 「全然、帰宅部にとっては、いいうんど〜」

 「里見、もったいないよ。運動神経いいのに」

 カンカン鳴る踏み切りのサイレンの前で、止って話す僕ら。

 ちょうど半分の所まで歩いてきた。

ここは、一度締まったが最期、15分は待たないと開かない魔の踏切である。別の道で、これを避けるルートがあるのだが、四音がこっちの道がいいと言うので、そうした。

 「夏は、どこ行くの?」と僕が聞く。

 「箱根。温泉入りに行くんだ〜」

 「家族で?」

 四音は首を振って、「部活の友達と大勢で」と言って、「あ、もちろん、男はいないよ」と続けた。

 この言い方が、奥歯にものが引っかかるような口調なので、僕は口をつぐんでしまう。

 「ほら〜、なんでそこで黙る?ただ言っただけじゃん」

 「いや、いいなっと思ってさ。俺も、温泉にどっぷりつかって、ビールをきゅーとね」

 「おやじじゃん。まぁ〜、里見は昔から、おっさんぽかったけど」

 「そうか〜?・・・そう言われれば、そんな気もしなくはない。ようかんとお茶が好きだし」

 「そう、それ!ほら!中学の頃、里見の家にひっちゃん(川田のこと)と行ったら、里見一人でようかん食べながら、テレビ観てるんだもん。あのとき、ひっちゃんとからかったら、拗ねちゃってさ、ようかん持って部屋に閉じこもっちゃって」

 「そんなことあったけ〜」

 と、僕はおどけてみせた。

 お互い顔を見合わせて、笑いあう。

 しばしの沈黙の後、

 彼女は、すっと息を吸い込んで、

 静かに言った。

 「ねえ、里見、あたしに何か隠してない?」

 僕は、ドキッとして、歩く足を止めてしまう。

 「い、いや、何も。そんな顔するなよ。ほんとにない。四音、考えすぎだって・・・親父の臭い服を洗濯するのにまいってるだけ」

 彼女は、「ふ〜ん」と言って、

僕の顔を覗きこんだ。

 「じゃあ、あたしのいつもの一人よがりってやつ?」

 そうだよ、と僕は頷く。

 「だって、最近、元気ないじゃん」

 「え!?」

 「元気ないって。いっつも、下ばっか向いてさ・・・死んだような顔してるじゃん」

 僕は、この言葉に、はっと息を呑む。

 四音はそれを察してか、慌てて言った。

 「ご、ごめん。冗談だから、冗談・・・」

 僕らは、それ以上話すことはなく、

気がついたときには、家の前まで来ていた。

 「じゃあな。次会うのは、金曜日か・・・。旅行、気をつけてね」

 「うん。お土産、買ってくるから」

 微笑む彼女に、手で別れを告げて、

十五歩向こうの自宅へと帰ろうとしたが、

 「待って!里見!」と叫ぶような声で引き止められる。

  四音が、肩を震わせて言った。

 「やっぱり、里見何か隠してるんでしょ?ねえ、あたしにもちゃんと話して・・・今でなくていいから。でも・・なるべく早く・・・ねえ、お願い。そのぐらいいいでしょ・・・」

 ハンドルを握る力が強くなる。

 俺も話したい・・・全部、ぶちまけて、彼女に縋りたい・・・。

 でも、それは自分のぼろぼろに崩れ去ろうとしているプライドが許さなかった。

彼女には、もう甘えてはいけない・・・弱みを見せてはいけない・・・母を亡くしたときに、四音には本当に世話になった。だから、妹のことでは、自分ひとりで乗り越えなくてはいけない。馬鹿らしい意地だが、それが僕をつなぎ止める残された一本の命綱であった。

 あいまいに首を縦に振って、

 再び背を向ける。後ろから、四音のスタンドを荒々しく下げる音が聞こえた。

 話す・・・時がきたら・・・でも、今はあのことを口にもしたくない・・・。

 僕は、鉄のように重たいドアを開けて、

家の中へと入っていった。

 書いてしまいました。年賀状を書かなくちゃいけないのに〜。気軽に感想いただけたら嬉しいです。やっぱり読者様の感想が一番のエネルギーになりますから。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ