前夜*「第6記 火の元を探せ!」
街道の真ん中に男が二人倒れていた。
左目を眼帯で覆った黒髪の男と、まだ幼さが残る金髪の青年。
その二人を照らすかのように、眩い炎が家々を侵食している。
青年の瞼が、微かに揺れる。
「ん……」
ぼんやりと目を開けると、紅い光が差し込んできた。
まだ夜のはずなのに、妙に明るいと彼は疑問を抱く。
頭を打ったのだろうか。
思考が朧気で、すぐに思い出すことができない。
「えーっと……おれの名前は……アズウェル。うん、それでここは……」
アズウェルはゆっくりと身体を起こすと、辺りを見渡す。
割れた窓ガラス、燃え上がる家々、道に突き刺さった剣。うつ伏せに倒れているルーティングを見て、アズウェルは漸く思い出した。
「あ、そうか。おれこいつとやり合ってって……あれ? 何でこいつ倒れてるんだ?」
順を追って、エンプロイに来てからのことを思い出す。
スチリディーを救い出すために兵士らを蹴散らし、ディオウたちを追い出してルーティングとサシで勝負をしていた。
「んで、だんだん予測してもこいつの動きについていけなくって……」
不意をつかれて頭を強打し、振り下ろされる剣に目を瞑ったのだ。
その後は――……
「……ありゃ?」
記憶を手繰り寄せても、その先が思い出せない。
困惑したアズウェルは頭を掻いた。
「どうしてその後のこと思い出せねぇんだ? う~ん……」
再度辺りを見渡す。
割れた窓ガラス、燃え上がる家々、道に突き刺さった剣、うつ伏せに倒れているルーティング。
自身の身体を見下ろしても、乱闘中に斬りつけられた左肩以外目立つ傷もない。
「おっもい出せねぇ……。おっかしいなぁ」
とりあえず確実なことは、自分は生きていて、ルーティングが倒れているという事実のみ。
溜息混じりにアズウェルが頭を抱えた時だ。
「アズウェル! 大丈夫か!?」
「ちょっと、あんた肩怪我してるじゃない!」
声の方向へ顔を向けると、ラキィを頭に乗せたディオウが向かってくるのがわかった。
ゆらりと立ち上がって、駆けつけた家族に笑ってみせる。
「ちょっとかすっただけだよ。大したこと無いって。血も止まってるみたいだし」
そう言ってはみたものの、貧血気味で目眩がしていた。
無理に作られたアズウェルの笑顔が、二人の心配を余計に煽る。
「本当に大丈夫なのか?」
ディオウが心配そうに訊く。無言で見上げてくるラキィの瞳も、微かに揺らいでいた。
二人の反応に、決まりが悪そうに頬を人差し指で掻きながら、アズウェルは話題を変えた。
「だから、大丈夫だって。それより、みんな避難させたか?」
「……あぁ。兵士も撤退させた」
無理をするなと言ったのに。
内心毒づきながら、ディオウは街の住民たちは皆無事であることを伝える。
「よかった。後はこの火だな」
一瞬ほっとした表情を浮かべると、アズウェルはすぐに表情を引き締めた。
家々を呑み込まんとする炎たちは、時折吹き抜ける風によって一層勢いを増している。
「あいつとやり合ってたときは、この辺りはまだ燃えていなかったのに……」
「もうほぼ街中に火の手が上がっているな」
「どうやって消そうかしら……」
ラキィが二人に問いかけた時、ルーティングが呻き声を上げた。
ディオウが唸り声を上げ、ラキィが警戒するように姿勢を低くする。
身構える二人と意識を取り戻したルーディングを、アズウェルはぼやっと見つめていた。
「ぐ……」
ルーティングが顔を歪めながら起き上がる。額の中央から顔を縦断するように、赤いものが流れ落ちた。
ちらりと一瞥したアズウェルは呆然としている。意識を失う直前に感じた雰囲気とはまるで別人のようだ。
「貴様、憶えていないのか」
問いかけた言葉に、アズウェルの顔が僅かに強張る。
「何の話だ」
敵意を剥き出しにした怒りの眼差しをディオウから受けても、ルーティングは表情一つ変えずにアズウェルを横目で見つめていた。
返事がないということは、肯定だろう。表情からも明らかだ。
押し黙るアズウェルにこれ以上を尋ねても、何も得られない。無駄な問答だ。
「おい、何か言ったらどうだ」
アズウェルの追求を諦めたルーティングは、苛立を募らせるディオウを視界から外して立ち上がる。
「野獣には関係の無いことだ」
「何だと、貴様……!」
「小僧、何故街が燃えている?」
ディオウの怒声を掻き消したその言葉に、三人は一様に目を見開いた。
「おま、何故って……」
「寝ぼけたこと言ってんじゃないわよ! あんたたちが燃やしたんでしょ!?」
「随分間抜けな戯言だな……! おれとラキィは兵士が火を放つのをこの目で見てきたぞ!」
ルーティングは訝しげに眉根を寄せ、腕を組む。
「俺たちではない。俺たちの目的はスチリディーを連行し、スワロウ族の女をおびき出すことだけだ。時間に余裕はなかった。貴様らに説明している時間すらもな。邪魔者は寝かせておけ。それが主の命令だ」
「アズウェルやスチリディーに剣を向けてた貴様の言い分なぞ、信用するに値しない。今更逃げようなどと随分都合がいいもんだな」
「ふん、単細胞の野獣の頭では理解できないだろうな」
「生意気な糞餓鬼だな。今の状況を理解できないほど貴様は低脳か」
ルーティングの剣を背に、ディオウが眼光を更に鋭くする。
傍観者を決め込んでいるアズウェルとラキィは、顔を見合わせて肩を竦めた。
「現に街を破壊し、街の民を殺そうとしていたのはクロウ族の兵士だ。言い逃れをしようったって、無駄な抵抗だぞ」
「俺が連れてきた部下は、その店の中で気絶している奴らだけだ。他に連れてきてはいない上に、そんなことを命令された覚えもない」
「あくまでシラを切る気か」
「俺は野獣と会話している覚えはない。トゥルーメンズ、街に火を放ったのはクロウ族の腕章を身につけた者たちだろう?」
「餓鬼が……! 今すぐ喉に喰らいついてやろうか」
飛びかかろうとディオウが体勢を低めた時、呆れ返ったラキィが両耳で彼の瞳を抑えた。
「ラキィ、何をする!」
「ディオウ、あんた話がややこしくなるから、いい加減黙って」
「敵の言葉を信用するつもりか!?」
「下らないことにいちいち反論してたら街が燃え尽きちゃうのよ? 喧嘩は火を消してからにしなさい!」
批難の声を上げたディオウに、ラキィはぴしゃりと言い放つ。
「おれも、そうした方がいいと思う」
「む……」
飼い主のアズウェルが賛同して、いよいよ立つ瀬のなくなったディオウは、長い尾を一振りして座り込んだ。
大人しくなったディオウに大きな溜息をついて、ラキィはルーティングを見据える。
「ルーティング、あんたが言う通り、あたしたちを追ってきた兵士はみんな腕章をつけていたわ。そこに寝てるあんたの部下や、あんたはつけてないわね。一体どういうことなの?」
「やはりそういう事か。はっきりした。少なくとも俺の主の傘下ではない」
それだけ言うと、ルーティングは店の中に入り、気絶している兵士たちを見下ろした。
幸い、スチリディーの店はまだ燃えていない。
「そういうことって、どういうことだよ?」
アズウェルの問いかけをルーティングは黙殺する。
代わりに動かない彼らの襟首を掴み上げ、軽く頬を叩いて声を張り上げた。
「起きろ!」
「っ! ……あ、ルーティング様。一体どうしたのですか?」
「奴らがこの街に火を放ったらしい」
頭を押さえながら身体を起こした兵士たちは、その一言で顔色を変える。
「本当ですか!?」
「急いで火の元を見つけなければ大変なことに……!」
「しかし我らには……」
「わかっている」
身を翻し、ルーティングはアズウェルたちの方を向く。その表情にアズウェルはぎょとした。
ルーティングは頬を引きつらせながらアズウェルに呼びかけた――否、怒鳴った。
「おい! 小僧!!」
「な、なんだよ……」
よりにもよって、アズウェルに頭を下げるなどプライドが許さない。
だが、全ては主のため。
苦虫を噛み潰したような顔でルーティングは言葉を吐き出す。
「ここは……一時、休戦だ。お前も街をこれ以上燃やしたくはないだろう」
こくんとアズウェルは頷く。
「だったら、これから俺の言うことに従え」
「へ……?」
「この火は」
「ただの火じゃない。魔術の火だな」
ルーティングが言おうとしたことを、暫く静観していたディオウが横から言う。
当然ルーティングに睨まれたが、ディオウは構わず続けた。
「術には術を使わないと消えないわけだ。だが、術者には他の術者の印、つまり魔術の根元は見えない」
「……そういうことだ。お前らが俺たちの言うことを聞けばこの街の火は消える」
「それはともかく、何であんたたちが火を消す必要があるわけ?」
ラキィが瞳を半眼にして問う。
「この火は家をただ燃やすだけじゃない。恐らく結界を成しているはずだ」
「つまりここから出られないということ?」
「そうだ。だから言うことを聞けと言っているんだ」
ルーティングはラキィに答えながら、道に刺さった剣を抜き取った。
こてんと首を傾げて、アズウェルがディオウに確認する。
「んと……おれたちに協力しろって言ってんかな?」
「いや、あいつらがおれたちの消火活動に協力するんだ」
「誰がそんなことを言った。お前らが大人しく言うことを聞けばいい話だろう」
間髪入れずに言い回しを訂正するディオウと、それにすかさず切り返すルーティングに、ラキィがいたずらな微笑を浮かべる。
「なぁんで素直に協力してくれって言えないのかしら?」
「それは男のプライドに反する」
異口同音に、返答が重なる。
「……真似をするな」
「俺の台詞だ」
互いに火花を散らして睨み合う。
「とにかく、今はそんなことをしている場合じゃねぇんだろ?」
アズウェルが口を挟むと、二人は睨み合いを中断してそれぞれの味方の方を向く。
「今は奴らの術が必要だ。利用しろ」
「今は奴らの視力が必要だ。構わず使え」
アズウェルとラキィは二人の口振りに肩を震わせながら頷く。
一方兵士たちは、背筋をぴんと伸ばしてルーティングに敬礼していた。
「了解!」
ルーティングからアズウェルたちの前に移動し、兵士たちが整列する。
「ご協力宜しくお願い致します!」
兵士のリーダーらしき人物がそう言うと、今度はアズウェルたちに敬礼する。
「宜しくお願い致します!!」
「あら、兵士は素直なのね」
ラキィが面白そうに言った。
ルーティングはその言葉には耳を貸さないで、言いたいことを言う。その声は明らかに「不本意だ」と主張していた。
「この火はただの火じゃない。それはさっきギアディスが言った通りだ。術の火は火の元を消さなければ消えることはない。逆に言えば火の元だけを消せばいい。そのために、この印を探せ」
上着の内ポケットから一枚の紙を出し、アズウェルたちに示す。
描かれていたものは、クロウ族の紋章である、鴉だ。
「これはクロウ族が魔術を使うときに必ず印すものだ。この印に水の魔術を当てればいい」
「水の魔術って……普通の水じゃダメなのか?」
アズウェルの問いにルーティングは馬鹿にしたように言う。
「さっきギアディスが言っていただろう。術には術を持ってじゃないと効果がない。水系魔法は俺を含めて兵士たち全員が会得している。これから三グループに分かれて消火活動を行うんだ」
「おれたちをバラバラにすると言うことか?」
ディオウが眉根を寄せて問う。
「その方が効率がいい」
「へぇ~。ま、いいんじゃない? 消火手伝ってくれるって言うならそうしてもらおうよ」
「そうね、この際、敵、味方って言っている場合じゃないわ」
ラキィはアズウェルに賛成する。
「……だが、力を分散させておれたちを一掃するとも考えられるぞ」
ディオウは未だ警戒している。
「俺たちはそんなアンフェアなことはしない。それにさっきも言っただろう。今ここからは誰一人出られないんだ」
「さっき街の民を避難させた時は出られたぞ」
ディオウがルーティングを睥睨する。
「それは、まだ術者がいたからだろう。今外に出ることは不可能だ」
ルーティングは冷たい眼差しをディオウに送った。
納得できないディオウは、ラキィをアズウェルに押しやると、凄まじい勢いで街道を駆けていく。
それから程なくして、顔を顰めて戻ってきた。
「……出れない。空からもダメだった」
「俺の言った通りだろう?」
ディオウはそれでもまだ警戒を解こうとしない。
低い姿勢のまま、ルーティングたちを睨みつけている。
「ギアディスがこんなに頑固だとはな。おい、全員武器を置いていけ」
「了解」
先刻抜き取った黒剣を鞘に収めて、ルーティングはディオウの前に放り投げる。
兵士たちも次々とディオウの前に武器を積んでいった。
「これで満足か?」
「ディオウ、もう充分だろ? 早く消火しないと酷くなる一方だぞ」
「わかった……」
飼い主の言葉に、ディオウは仕方なく嘆息した。
アズウェルの手元から飛び上がり、宙を旋回しながらラキィが皆に問いかけた。
「じゃぁ、すぐ行きましょ。グループはどうやって分けるの?」
◇ ◇ ◇
「よりにもよって、おまえと一緒かよぉ~」
アズウェルとルーティングは燃え盛る酒屋の前に立っていた。
「お前がグーチョキパーで決めると言ったんだぞ」
ルーティングの連れてきた兵士は三人。そこで、三人、二人、二人に別れることになったのだ。
「いや、まさかおまえとなるなんてさぁ。さっきまで命懸けて戦ってたんだぜ? 何か違和感というか」
アズウェルは肩を竦めて、中に入ろうとする。
「おい、待て。死ぬ気か? 今術をかける」
アズウェルの腕を掴んで引き戻したルーティングが、小声で何かを呟く。
「お、怪我が治っていくぞ。それに熱くねぇ!」
「水系魔法の一つ、アクアスーツだ。火の中にそのまま入るのは自殺行為。その術がかかっていれば、火の中にいても熱くない上に、息もできる。怪我を治したのはついでだ。途中で倒れでもしたら俺が困るからな。行くぞ」
ルーティングはぶっきらぼうに言うと扉を開ける。中は炎の海だった。
「ひゃあ。ここからあの印を探すのか」
「火系魔法は火がつきやすいところで使うのが常識だ。油の側や、木で出来たものとかを探せ」
「ういうい~」
二人が足を踏み入れると、炎が警戒するように道を開けた。
アズウェルはまず台所を探す。案の定、印は台所の酒樽にあった。
「みっけたぞー」
「どこだ?」
「ここ、この酒樽のフタのど真ん中」
指差しながら答えたアズウェルを、ルーティングは自分の背後へ押しやる。
「退いてろ。大量の水を被りたくなかったらな」
ルーティングは自分の指を噛み切ると、その血で印の上に更に印を描く。
その印は鴉ではなく、星を象ったような紋様だった。
「水霊よ、我に力を与え給え。その力を以て、邪悪な炎を消し去り給え!」
樽に描いた印と同じものを、ルーティングは宙に描く。
「ウィアード・スプレイ!!」
唱えた直後、酒樽を基軸に水柱が立ち上った。
「うお! すげぇ!」
初めて見る魔術にアズウェルは感動する。そのアズウェルに炎が襲いかかる。
「うぁ!?」
炎はアズウェルの右足をを吊り上げると、勢いよく床に叩きつける。
「ってぇ! この炎おれに触れんのかよ!?」
「馬鹿者……! 小僧、そいつは生き物みたいに動く。なるべく水柱の傍にいろ!」
先刻離れろと言ったのは、一体何処の誰だ。
アズウェルは不服そうにルーティングを一瞥した。
「ところで、この火いつ消えるんだ?」
「これは術者同士の勝負だ。力が尽きた方が負ける」
徐々に炎の勢いが衰えていく。
水蒸気が上がり、アズウェルの視界を真っ白にした。
「み、見えねぇ……」
「ヴェンティレイション!」
ルーティングの詠唱直後に風が吹き抜け、視界がクリアになった。
「おぉ~! ホントおまえすっげぇなぁ。剣術だけじゃなくて魔術も使えるなんてさ」
ひゅう、とアズウェルは口笛を吹いた。
「魔法剣士なんだから当たり前だ」
照れを隠すように、アズウェルから顔を背ける。
「次、行くぞ」
「おう! 次も軽く見つけてやるぜ!」
その嬉しそうな反応に、ルーティングはこめかみを押さえて唸った。
敵だということを理解しているのだろうか。
「どうした?」
「何でもない」
きょとんと己を見つめていたアズウェルの前を、ルーティングは足早に通り過ぎる。
「ちょ、待てよ~」
目線だけ後ろに向けて、後を追ってくるアズウェルを見やる。もうその瞳に敵意はない。
「なぁ、ルーティング、おれにも魔法使えんの?」
この戦に勝機があるとすれば――……
「お前次第だろう」
「え、今なんか言った?」
一人心地で呟いた言葉は、アズウェルには届かなかった。
しかし、そもそも独り言なのだから、当然ルーティングは言い直すつもりもない。
答えないルーティングに頬を膨らませて、アズウェルは小さな炭を蹴り飛ばす。
「返事くらいしてくれたっていーじゃねーかよっ」
「……返事」
「……は……?」
「してやったぞ。何ぼさっとしてるんだ、街が燃え尽きる前に消すのだろう?」
僅かに口元を緩ませて歩いていくルーティングの横に並ぶようにして追いつくと、拳二つほど背が高い彼を怪訝そうに見上げる。
数秒後、一瞬だけ目を見開くと、アズウェルは額を抑えて嘆息したのだった。
「そういうことじゃねーっつーの……」




