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DISERD  作者: 桜木 凪音
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Extra Chapter*「陽炎 -epilogue-」

 水がせせらぎ、七色のきらめきを放つ。小石と小石の合間に煌めくそれは宝石のようだった。

 水は、どこから流れてくるのだろうか。

 どこまでも澄み切った道は、始まりも終わりも見えない。ただ私の前を、静かに流れている。

 ふと、懐かしい気配に顧みると、そこには会えるはずもない人がいた。

「か、母さま……?」

 夢か、幻か。

 どちらでも構わない。

 会えたことがただ嬉しくて、無意識に駆け出す。

「母さま!」

 遠い昔に失ってしまった温もり。

 長い黒髪をなびかせる母さまは、そっと両手を差し出す。

 その手に乗っている一振りは。

「これ……は……」

 蓮を象ったつばに漆黒の鞘。

 ずっとずっと昔に、母さまが使っていた刀。

 顔を上げ、視線を刀から母さまに移す。

 微笑みを顔に浮かべ、母さまはゆっくりと頷いた。


――いってらっしゃい、ミズナ



      ◇   ◇   ◇



 誰だろう。

 誰かが呼んでいる。


「……ん、……ちゃん、まちちゃん!」

「ヤ、ヨイさん……? そ、れ……に……」

「気がついたッスか、お松さん」

「カツナリさん!」

 かばりと起こした身体に、痛みが走る。

 僅かに顔を歪めると、ヤヨイさんが首を傾けて覗き込んできた。

「無理しちゃダメなの。まちちゃんあのままだったら、真っ黒になってたの」

 どうやらここは山頂の平地のようだ。

 漆黒の灰と化した小屋を、目を細めて見やる。

「ヤヨイさんが、あの小屋から……」

 語尾が掠れた問いに答えたのは、カツナリさんだった。

「違うッスよ。俺らが来た時には、お松さん小屋から出てたッスから。だいたい先輩は俺に助けられて……あだっ!」

「ヤヨイたちと似たような格好してて、髪も真っ黒な人が、まちちゃん助けてくれたの」

 ヤヨイさんはカツナリさんの頭を華麗に蹴り飛ばし、例の如く座布団にする。

「俺が焔舞で雪を溶かしたから、先輩、助かったんスよ」

 低く唸るカツナリさんを黙殺し、ヤヨイさんは身振り手振りを交えて、私を助けた人物について語っていた。

「見たこと無い人だったの。格好だけはほんとにヤヨイたちに似てたんだけど……。あ、目だけ緑だったの。深い緑だったの」

「俺ら、隠密じゃねぇッスよ。先輩が知らねぇヤツはいねぇッスから」

 抵抗を諦めたのか、カツナリさんもヤヨイさんの話に付け加える。 

「その方はどこに……」

「もう行っちゃったの。何もしゃべらなかったの」

「俺らの仲間ってことはわかったんスけど、誰だかはさっぱり」

「そう、ですか……」

 肩をすくめる二人の様子を見ると、本当に知らない人のようだ。

 一体、誰が助けてくれたのだろうか。

 烏が出て行った後、業火の中で力尽きて……

 意識が途切れる寸前のことを思い出し、慌てて二人の顔を見る。

「そ、それよりも。お二人ともどうしてここに? カツナリさんは今までどこに……」

 ごく自然に出た問いを投げかけたのだが、カツナリさんは決まりの悪そうに眉間にしわを寄せた。

「俺はヒオリを介して先遣隊との連絡を取ってたわけッス。出発前夜にもヒオリから呼び出されて、例の遺跡に行ったんスけど……」

「はげぴょん閉じこめられたの」

 さも馬鹿にしたように、ヤヨイさんがカツナリさんの頭をぺしぺしと叩く。

「ちょっと油断したんスよ。まさかヒオリが黒幕だとは思わなかったッスから」

「それで、どうやってここまで来たんですか?」

「遺跡に生き埋めにされたんスけど、遺跡の石全部斬って、出たときには夜だったわけッス。それから先輩たちの後を急いで追ったんスが、峡谷の道が崩れてるわ、雪で行き止まりになってるわで」

 はぁ、と一つため息をついて言葉を繋げる。

「んで、その邪魔な雪を溶かしたら先輩が出てき……ぐぇっ!」

 しかし、最後まで言い切る前に、大地にひれ伏した。

 ヤヨイさんに頭を足蹴にされて。

「道は上しかなかったから、断崖を登ってきたの。ほんと、はげぴょん今回役立たずだったのっ」

「……そ、そうだったんですか。商隊の方たちは……?」

「先輩と同じ雪に埋もれてた人は無事ッスよ」

「よかった……」

 それでも、初回の雪崩に巻き込まれた人たちは。

 自分の情けなさに拳を握り締める。

 一番役立たずだったのは、私だ。

 私一人では、何もできなかった。

 そっと握り締めていた手を開くと、ひとひらの雪が舞い降りた。

「これは……」

「また、雪なの」

「もう春なのによく降るッスねぇ」

 降り注ぐこれは、任務中何度も見た、粉雪。

 手の中に降り立つと、溶け込むようにしてその姿を消す。

 大地に降りた者も、小屋に降りる者も。

 そうして舞い降りては、溶け込み……

「雪は……」

 掠れた声で呟いた言葉は、自分が思うより大きかったようだ。

 相変わらずヤヨイさんの座布団になっているカツナリさんが、目で尋ねてくる。

「何スか? 雪が?」

「雨が、神さまの涙なら……雪は何だろうな、と」

 風の中を踊りながら落ちてくる粉雪を見上げ、幼い頃の疑問を呟く。

「雪は、浄化らしいッスよ」

「じょ、浄化……?」

 まさかカツナリさんから答えが返ってくるとは思っていなかった。

 ヤヨイさんを背に乗せたまま、頬杖をつく。

 そして、どこか遠くを見つめるようにカツナリさんは笑った。

「お袋からそう聞いたって、リュウジが言ってたッス」

「兄さまが……」

「一年の終わりに、その年のまがを清めるために降る。って言ってたッスよ」

 一年の終わり。

 春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来る。

 また、新たな春を迎えるために、年の終わりには雪が降る。

「彼女も浄化されるのだろうか……」

「ひおりちゃんなら、大丈夫なの」

「ヤヨイさん……」

 私よりも遙かに長い時を、ヤヨイさんたちは過ごしてきたのだ。

 あの、彼女と。

「きっと、大丈夫……なの」

 微笑んだヤヨイさんの目尻がきらりと光る。

 無言で空を見上げるカツナリさんも、想いは同じなのだろうか。

 追悼の雪が、灰となった小屋の上にひらひらと舞い降りていた。



      ◇   ◇   ◇



 あれは三年前の春のこと。

 境内の一角にある池の畔で、私は舞いゆく花弁を眺めながら、回想にふけっていた。

 多くの課題を残したあの任務は、失敗ではなかった。

 本当に古文書を運んでいたのは、本隊でもなければ、もちろん先遣隊でもなく。

 たった一人の商人がそれを裏でこなしたのだと。

 村に戻った私は父上から聞かされたのだ。

 ただ一つだけ、謎のままだったのは。

「結局、わからず終いだったな……」

「なぁに、しけた顔しとるんや?」

 突如降ってきた苦手な声に、怒気を含んだ言葉を返す。

「貴様には関係ないことだ」

「えらぃ悩んでるみたいやなぁ? 何や何や、好きな人でもできたんか?」

「阿呆! ふざけたことを抜かすな!」

 社の前で刀は抜かない。

 一年前に茶化されたことを思い出し、刀ではなく、手刀を叩き込む。

 しかし、読まれていたのか、右手はあっさりその男に掴まれた。

「あかんて、おなごがそないに技ぁ出したら。あんさんカルシウムが足りないんとちゃう?」

 顔を覗き込むようにして、男は私に目線の高さを合わせてくる。

「たっ……戯け! 離れろ!」

「おー、おー。おっかないわぁ~」

 平手をひらりとかわし、ちょうど一年前に帰ってきた幼馴染みは、背後に佇む神木を顧みた。

 今年は、もう満開の花が咲いている。

 彼の後ろ姿を見つめながら、私は何度も深呼吸を繰り返した。

 そんなわけがない。

 あの任務で、アキラは古文書を極秘で届けていたのだから。

 私たちとは違う道を通って。

 全身が早鐘を打つ。

 うるさいほどの鼓動が耳に響いた。

 でも、あれは……

「どないしたん? 顔真っ赤やでぇ?」

「う、うるさい!!」

「あ~、ホンマ昔っから短気やなぁ」

 飄々(ひょうひょう)と笑みを浮かべる様は無邪気で。

 八年前までの幼い面影を思い出す。

「貴様には、関係、ない」

 歯切れなく呟いて、こめかみを押さえる。

 こんな阿呆が、あの場所にいるはずがないのだ。

 だいたい、ヤヨイさんたちは寡黙な人だったと言っていた。

 寡黙という言葉が、この男に当てはまるはずがない。

 それなのに、何故だろう。

 霧が晴れたような気がするのは。

 そして、何故だろう。

「……礼が、言いたかったんだ」

 誰にも言わなかったことを、口にしてしまったのは。

「礼?」

「落としかけた命を救ってくれた人に、礼が言いたかったんだ」

 でも、気付いたときにはいなくて。

「それで言えなかったから」

「礼なんか言わへんでもええんとちゃう?」

「なっ……」

「せやろ? 目ぇ覚めたときにおらんかったっちゅうことは、別に礼なんかいらんっちゅうことやんか」

 珍しく真面目な顔つきで言ったアキラは、舞いゆく花弁を一枚掴む。

「どうしても礼がしたい言うんやったら、生きとればええ」

 柔らかく微笑んだ表情は、いつものアキラじゃなくて。

 その眼差しは温かく、穏やかで。

「ただ、生きとればええんや。……あんさんも、そう思うやろ?」

 黒き髪を風に遊ばせ、アキラは神木を振り返った。

 確証は、ない。

 でも私は知っている。

 あんな表情は初めて見た、と思った。

「初めてじゃ……なかった」

「何や言うたか?」

「いや、何も」

 揺らぐ炎の中で。

 響く雫の音と共に、朧気に見えたそれは。

 穏やかな、深い緑の眼差し。

 いらないって言ったけど、それでも。

 その笑顔に、小さく呟く。


――ありがとう



Fin.



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