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DISERD  作者: 桜木 凪音
43/44

Extra Chapter*「陽炎 -4-」

 立ち止まってはいけない。

 振り返ってはいけない。

 前に、進まなければ。


 何があろうと、前へ、前へ。



      ◇   ◇   ◇



 目の前は雪の壁。

 後ろも右も底の見えない谷間。

 残された道はただ一つ。

 私は、敵が逃げたと思われる唯一の道、赤褐色の断崖を見上げた。

 水華を支えにして跳躍すれば、登れないことはない。

 躊躇しているいとまはないのだ。

 頬を濡らした水滴を拭い、水華の柄を握り締める。

「逃がす、ものか……!」

 このままでは終われない。

 強く、強く、大地を蹴った。



 山頂まであと僅か、というところまで来ていたのだ。

 断崖といえども、数歩跳躍すれば平地が見えた。

 純白の絨毯に模様を描くかのように、所々青緑の草花が顔を覗かせている。

 そんな平地に一際目立つ一軒家。赤い土で塗り固められた壁には亀裂が入り、今にも崩れそうな状態だ。

「これは、確か……」

 この山を所有している者の家。

 記憶通りなら、ここは隠密の頭領が管轄しているはずだ。

 そっと扉に手を当てる。

 中から微かに音が伝わってきた。

 誰か、いるのだろうか。

 静かに扉を押し開けると、耳に残っている声がした。

「はい、ユーラ様。本隊はわたくし自身が手を下し、先程」

 一つは先刻対峙した敵の声。

 それに驚いたわけではない。

 もう一つは。

『ご苦労だったねぇ~。ヒオリ』

 忘れるはずもない。

 この声は、下弦の乱で聞いた、からすの。

「貴様が裏で糸を引いていたのか!」

 勢いよく扉を開け放し、女と会話する漆黒の鴉にきっさきを向ける。

『ヒオリ、詰めが甘いわ~。ほら、まだキヨミの娘が生きてるじゃな~い』

「ネビセ……! 貴様っ!!」

 斬り込んだ刃は鴉を裂くはずだった。

 しかし、湾曲した大刀に阻まれる。

 速さを纏った二本の衝突は、高い金属音と共に火花を生んだ。

「ユーラ様には指一本触れさせん!」

「く……! 貴様、何をしたかわかっているのか!? 我が一族を、裏切ったのだぞ!?」

「黙れ。ぬしのような浅慮な者に、ユーラ様の崇高なるお考えなど理解できぬじゃろう!」

 重い。

 弾き返される。

 二歩退き、間合いを開く。

「貴様、名をヒオリと言ったな? 貴様が護衛派遣された先遣隊はどうした!?」

「あれは囮部隊。邪魔者は消去するのみよ」

「何だと!?」

 ヒオリが懐から黒い短冊を取り出す。

 あれは本家以外の人間が扱う符術の呪具。

焔舞えんぶ!」

 瞬時にして小屋が炎に包まれた。

 だが、炎に躊躇している余裕はない。

 再び大刀が降りかかってきた。

 太刀音が響く。

「ここで主も終いじゃ」

『ヒオリ、あんたももういいわ。その小娘と一緒に死んじゃって』

「何だと? ネビセ、貴様っ……!」

「ユーラ様のお言葉、心得た」

 あり得ない。

 命令だろうと、己の命をこうも簡単に手放すというのか。

 その疑念に答えるかのように、剣戟の最中、ヒオリは無表情で呟いた。

「これで、一族の安泰が約束される」

「それはどういう意味だ?」

 突き出された凶刃を、水華の白刃で受け止める。

「答えろ!!」

「そのような鈍刀なまくらがたなを振り回している主などに、本当に我ら一族を託せるとでも思うのか?」

 言葉に、反応が鈍る。

 一瞬の隙を、ヒオリは逃さなかった。

 私のみぞおちに蹴りを入れ、大刀で水華を薙ぎ払う。

「ぐ……!」

 カシャンという音が、私の劣勢を伝えた。

「あの有能だったリュウジ様を追い出し、名すら与えられていないのに水華を手に取り、その弱さでよく今日こんにちまで生き延びたもんじゃ」

 そろそろと身体を動かし、水華に手を伸ばす。

「主が手に取れば、一族一の名刀水華も鈍刀に様変わりするのだ!」

 水華に指先が触れた時、大刀が腕を落とさんと振り下ろされた。

 間に、合わない……!

『貴様、仮にもこの水華になまくらなどとよく吐けたものだな』

 場にそぐわない凛とした声音が、大刀の動きを止める。

「主は……主は……!?」

『私に名を訊くとは大それたことを』

「な、何故貴女が……!」

 眼前に立つ優美な女性。

 全身を澄んだ空色の布で包み、白藍の髪をなびかせる。

 金色こんじきの角を輝かせ、透き通る耳はひれのような形状。

 間違いない。

 このお方は守り神のおさ、水龍様。

『使い手よ、自惚れるな。貴様を認めたわけではない。私は私の名を保つために舞い降りた』

「力及ばず……申し訳ないです……!」

『戯け。謝辞の言葉なんぞ聞きたくもない。無駄口を叩く暇があるのなら、早く水華を手に取るのだ』

「は、はい……!」

 力が入らない四肢を叱咤して、水華を握る。

 よろめきながらも、敵の瞳は真っ直ぐ見据えた。

「往生際の悪い女め……!」

『それは、貴様だ』

 横一線に振り切った水華は、刀とは思えないほど軽かった。

 先刻押し返された大刀を易々と弾く。

『他愛のない……』

 かぶりを一つ振ると、スイカ様は姿を消した。 

「す、スイカ様!?」

「何故だ!? 何故主がぁああああ!!」

 半狂乱になったヒオリが大刀を振り上げる。

『終わりだわ~……』

 少し物足りなそうに鴉が呟くと、ヒオリの大刀が砕け散った。

 あの一振りで、片はついていたのだ。

「く、主など、ここで死ぬのだ!!」

「待て、ヒオリ!」

「焔舞、焔舞、焔舞!!」

 瞬間、ヒオリの身体が赤い閃光で包まれる。

 爆音が轟き、小屋は深紅の炎で覆われた。

 先程より勢力を増した炎たちは、中にいる者を飲み込もうと、盛んに息巻く。

「く……出口がっ」

 爆発の衝撃で壁に叩きつけられた私は、立ち上がるのがやっとだった。

 一歩、前に足を出す。

 しかし膝は折れ、無様に頬を床に打ち付けた。

「くそ……!」

 私を見下ろすように、鴉が窓際から飛んでくる。

「貴様、ヒオリに何を吹き込んだ……!」

 ヒオリという名は聞いたことがある。

 誇り高く、一族のことを重んじる人だ、と。

『あ~? この任務を抹消してくれたら、あんたたちスワロウ族にこれ以上攻撃はしないって言ったわぁ。随分すんなり信じたわよ、あの子。お陰でかなり楽だったわ。そんな約束、こちらが守ると思っているのかしらねぇ~?』

「外道が……!!」

『ふふふ。あんたがキヨミの娘だっていうなら、生き延びてみせるんだねぇ~、小娘』

 にぃっと嗤った鴉は、窓を突き破り、炎の海から姿を消した。

 猛る業火が急激に小屋を蝕んでいく。

 ここから、出なければ。

 腕が、手が、指先が、外を求め、あてもなく彷徨う。

 生き延びなければ。生きて、帰らなければ。

 ヤヨイさんの想いを無駄にするわけにはいかない。

 ヤヨイ、さん……

 ごめんなさい、私は、私は、こんなにも無力で。

 もし水龍様が現れなかったら、負けていた。

 もっと強くならなければいけない。ここを出て、強く。

 動けと念じてみるが、身体は眠ったように動かなかった。

 四肢は鉄のように重く、休めと要求してくる。

 瞼が下がり、徐々に視界が狭まっていった。

 もう、動けない……。

 最後まであがいていた左手が、力なく床にひれ伏した。

「ここで、死ぬのかな……」

 ずっとずっと、修行してきたから、少しは追いつけたかなって思っていたのに。

 まだ私は、あの頃のミズナのまま。アキラを傷つけた、弱いミズナのままで。

 ごめん、ごめんね、アキラ。

 ごめんなさい、兄さま。

 霞む視界を見つめながら、目を細めた。

 山吹色に照らし出される水華が眩しい。

 どうして水龍様は助けてくれたのだろう。

 何度呼びかけても、あれから彼女の声は聞こえない。

 龍は、本当に気まぐれ。

 ねぇ、母さま。

 母さまはどうして――……


 水面みなもに波紋を描く雫たち。

 薄れゆく意識の中で、木霊するものは。

 雫の調べ。



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