後夜*「第31記 澄み切った空」
暗い部屋を照らす灯りは、僅か一本の蝋燭。
揺らめく灯りの向こうに、長いシルクハットが見える。
「しくじったのか」
「いえ、手は打って来マシタ。なかなかいい手駒になりマスよ」
「そうか。……しっかしてめぇは、十年前もあの紅の龍にやられたんじゃないのか?」
「いえ、今回は。紅の龍……必ずや貴方様の手中に収めてみせマスよ」
不気味な笑い声が石造りの部屋に反響した。
「期待しているぞ」
「有り難きお言葉デス。それよりも……」
玉座で寛ぐ少年の耳元で、シルクハットの男が囁く。
「……あの男が動いたか」
「紅の龍は配下にされておりマス」
「少々厄介だな」
黒いリンゴを手に取り、忌々しげに少年はそれを投げつけた。
ぐしゃりという音と共に、壁に掛けられた地図に朱色が飛び散る。
「次はここだ」
「仰せの通りに」
瞳を三日月に形に歪め、闇の傀儡師は口端を吊り上げた。
◇ ◇ ◇
大地に散乱している欠片を一つ手に取り、ルーティングは低く唸った。
「やはり、傀儡か……」
『十年前と同じだな』
クエンの言葉に、過去の凄惨な光景が呼び起こされる。
ピエールが〝本体〟で来たことは未だかつて一度もない。
奴は常に、己の形をした〝人形〟で〝遊び〟に来るのだ。
「いつか……」
この手で。
決意新たに、ルーティングは人形の肉片を握り潰した。
◇ ◇ ◇
「役立たずな傀儡師め!」
舌打ちをすると、ネビセは族長コウキを一瞥する。
「次はないと思いな!」
錫杖を地に叩きつけたネビセを、鴉たちが覆い尽し、主の姿を霧散させる。
慌ただしく飛び立っていく無数の鴉を睨みつけ、コウキは眉間に皺を刻み込んだ。
「二度と来るな……」
『コウキ』
ガンゲツが視線をコウキの後方へ送る。その視線が示す先を顧みる。
其処には、爽やかな微笑を浮かべた栗毛の少年が立っていた。
◇ ◇ ◇
漆黒の鴉が一羽飛んで来た。
『戻れ。傀儡師が破られた。撤退命令だ』
それだけ伝えると、鴉はエレクの肩を鷲掴みにする。
爪が食い込み、反論は許さないという気迫が伝わってきた。
「わかったよ。……命拾いしたね、ミスター・ヒウガ」
口惜しそうに黒薔薇の香を聴く。
すっと目を細めた時、エレクは黒き砂となり、風に巻かれて飛んでいった。
「くそっ……!」
大地を覆う黒い砂。
朽ち果てた己の右腕を、左手で握り締める。
エレクは、本気を出していない。
全く歯が立たなかった。
「ユンア……セロ……!」
そして――……
悔しさをぎりっと歯で噛み締め、ヒウガは前方を見据える。
「必ず仇は……!」
憎悪と哀傷が綯い交ぜになった彼の頬を、穏やかな風が撫でた。
◇ ◇ ◇
「そ……ソウ……」
佇む背中は、何も言わない。静か過ぎて余計に怖い。
その背中は確実に怒気を表していた。
「っ……!」
謝らなくてはならないのに、喉が塞がったように声が出なかった。
空気が、凍てついたように痛い。後悔という名の鎖が、ショウゴを締め付けた。
ふいに、ソウエンが口を開く。
『ショウゴ』
抑揚のない声音が、竹林によく通った。
全身がびくりと凍り付く。
自分は、嫌われてしまったかもしれない。
それだけのことを言った。
『眠い』
「え……」
『寝る。当分起こすな』
怒るどころか、いつも通りの態度だ。
予想外のことに、口をぱかりと開けたままショウゴは動けなくなる。
『いいか、起こしたらただで済むと思うな』
「も、もし、起こしたら……?」
『起こしたら、だと? 丸焦げにしてやる』
不機嫌度満点だが、その声は怒っていなかった。
『俺は眠いんだ。もう話しかけるな』
半眼にした瞳をショウゴに向けて、ソウエンは霞の如く姿を消した。
一人取り残された形になったショウゴは、微かに囁く。
「どうせなら怒ってくれればいいのに……」
その方がまだいい。
いつもは短気なソウエンが何故怒らないのだろうか。
『僅かでも負い目に感じるなら、二度とするな。餓鬼』
頭の中でぶっきらぼうな声が鳴った。
「やっぱり、怒ってるよね……」
『俺より、後でリュウジに怒鳴られる覚悟をしておけ。間違えても俺に泣きついてくるな』
それを最後に、ソウエンの声は途絶える。
どうやら、今度こそ眠りについたらしい。
「たっちゃんに……クエンに燃やされちゃうかもなぁ~……」
肺の中が空になるまで息を吐き出し、小さく呟いた。
「ソウ、ありがと」
◇ ◇ ◇
笑顔が集まってくる。
マツザワに肩を借りたアキラの姿を見つけて、アズウェルが歓喜の声を上げた。
「マツザワ、アキラ!!」
嬉々として駆け出したアズウェルの後を、ユウたちも追う。
「アキラ、やっぱ生きてた!!」
「あんさんのお陰やで」
「へ……?」
目をぱちくりさせて首を傾げるアズウェルに、アキラはただ微笑みを浮かべるだけだった。
その横で、ユウがマツザワの右腕を治療する。
「じきに、動かせるようになります」
「ありがとう、ユウ」
解毒を済ませると、ユウはアキラへと視線を移す。
その満身創痍な身体を見て、顔を顰めると同時に声を荒げた。
「アキラさん! 何ですか、その傷は!!」
「え、あぁ、これはなぁ……」
助けを求めるようにマツザワを見るが、先程泣きはらした彼女の瞳は赤く、睨みつけてくるだけだ。
「マツザワさんも目が赤いし、どういうことなんですか!?」
「ゆ、ユウ。アキラも大変みたいだったんだし……」
大方予想が付くアズウェルが助け船を出す。が、しかし。
「アズウェルさん、貴方もです!!」
「へ?」
「ディオウさんたちがどれほど心配したと思っているんですか!?」
アズウェルがちらりと背後を顧みると、ディオウとラキィが睨みを利かせていた。
恐らく、怒っている。
周り中に睨まれて、背中合わせになったアズウェルとアキラは、どちらともなく溜息をついた。
待つ方も大変なことは、百も承知二百も合点。
とはいえ、当事者も決して自ら危機を招いた訳でもない。
しかしそんなことを言おうものなら、また非難の嵐が降り掛かるだろう。
下手に反論できない二人が思い描いた言葉は、降参の意を示していた。
――参った、とはこういう時に使うのだ。
両者は共に右手で頭を掻きながら、天を振り仰ぐ。
「あ……晴れてる」
「ええ天気やなぁ」
二人につられて、ディオウたちも空を見上げる。
「ほんと、よく晴れているわねぇ」
ラキィがくすりと笑みを零した。
それに皆が同意する。
今まで黒雲に覆われていたのが嘘のようで。
澄み切った青空が続いていた。
第一部、禍月の舞完結です。
ここまで拙作を読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
まだまだ謎が残っていますが、第二部以降で徐々に明らかになっていきます。
気長にお付き合いいただければ幸いです。
次回からしばらく本編をお休みして、番外編を掲載致します。
読まなくても本編の続きはわかりますが、微妙な小ネタ等が入っていますので、興味がありましたら是非読んでみてください。
改めまして、禍月の舞読了、ありがとうございました。