後夜*「第29記 Encore」
『ほほ~。これぁ、オカミィ、面白い術をお持ちのようで』
スカロウは顎を撫でながら、肩の傷が完治したディオウと、治療を施した張本人であるユウを交互に見つめた。
「アズウェルを返せ!!」
『そりゃぁ、無理な注文ですぜ。フォアロ族の生き残りと聖獣の足止め。これがオイラたちの任務なんで』
肩を竦めるスカロウには、余裕というオーラが充満していた。
唸りつつも、それ以上動けないディオウは地団駄踏む。
「おい、治療師、いい加減放せ!」
「だめです。ラキィさんがいいと仰るまでだめです」
治療ついでに麻酔もどきを打ったユウは、至って真剣な面持ちで聖獣に言い返した。
当然ディオウの怒りの矛先はラキィに移るわけだが、口では敵うはずもない。
焦りばかりが募る中で、苛立たしげに歯軋りをする。
何故、何もできない。
何故、アズウェルだけは視ることができない。
役立たずの千里眼を己で呪い、三つの瞼を強く閉じる。
――聖獣などという肩書きはいらない。そんなものは捨ててやる。だから、おれに、おれに王を守る力をくれ……!
突如断片的に甦った記憶に、ディオウは眉根を寄せた。
「今のは……何だ?」
◇ ◇ ◇
何故もっと早くに気付かなかったのだろうか。
古代文字を宙に描きながら、アズウェルは内心で嘆息していた。
「妖精の扉!」
金色の文字で織り成された扉から、眩い閃光が放たれる。
「な、なんだよ、これ……?」
「朱雀っ!」
扉から出てきた小鳥は、アズウェルの頭に腰を下ろす。夕日のような炎が、驚愕する少年の頬を照らした。
少年は戸惑いの眼差しをアズウェルに向ける。
気のせいだろうか。先程まで感じていた痛覚が和らいでいた。
「お、おまえ、燃えないのか?」
「あぁ、呼び出したおれは燃えねぇよ。おまえは燃えるかも……?」
「げ……」
後退る少年を見て、アズウェルが首を傾げる。
「おまえどっかで見たような……」
「おれ、おまえなんか見たことねぇよ」
「う~ん。何か似たようなやつを見たことある気がすんだけど」
「他人の空似ってヤツじゃね?」
半眼で見上げてくる少年は、七歳くらいだろうか。
ボロボロの着物を身に纏い、体中の至る所に切り傷があった。
「うーん、わっかんねぇや。それよりおまえさ……そんなにどこで怪我したんだよ?」
「知るか。それがわかれば苦労しねぇよ!」
「へ? おまえ、覚えてねぇの? いくら何でもその脇腹の傷くらい……」
指摘されて初めて気付いたように、少年は自分の脇腹を見つめた。
何かに貫かれたような痛々しい傷には、黒く変色した血がこびりついている。
ずきん、と痛みが走る。
だが、痛んだのは脇腹ではなく、胸の辺りだった。まるで、心が軋んだように。
数秒の沈黙が、数時間と錯覚するほど長く感じた。
それに耐えきれず、重々しく少年が声を搾り出す。
「……覚えて……ない」
「そっかぁ。じゃあ、おまえも出口なんて知らねぇよなぁ」
いやはや参った、と言わんばかりにアズウェルは頭を掻いた。
小鳥がキュルっとさえずりながら、両翼を羽ばたかせる。
「知らねぇな。別に出口なんていらねぇよ……」
出口が在ったとして、帰る場所など在るのだろうか。
「なきゃ困るだろ」
押し黙った少年の手を取って、アズウェルは歩き出した。
「おい、何すんだ、放せよ!」
振り解こうとする少年を、アズウェルは自分の目線まで持ち上げる。
「おまえさぁ……ずっとこんなところにいるつもりかよ?」
「おれは、帰るところなんてない!」
そもそも自分が何者なのかすらわからないのだから。
その反撃がアズウェルの勘に障ったらしく、抑揚の乏しい声が返ってきた。
「帰るところがない……? 何で髑髏ん中にいるんだか知らねぇけど、おまえワツキのガキだろ? 親だって友達だっているはずだろ、それをおまえ――」
「知らねぇよ! 何も覚えてないんだ! 放せ、ばか!!」
少年はじたばたと手足を動かし、アズウェルの手から逃れようと試みる。
一方、アズウェルは目尻を吊り上げ、ますます握力を強めていった。
「ば……!? てめぇが覚えてなくたって、誰かがおまえのこと心配してるんだよ、ばか!!」
自分より二回り以上も大きい青年が、闘志剥き出しに食らいついてきた。
唖然としている少年に、アズウェルは更にたたみ掛ける。
「いいな、おれが出口見つけたらここから出るんだぞ! こんなところで野垂れ死んで堪るか、くれぇの根性なくてどうすんだよ! おれはまだ諦めねぇ。……アキラだって絶対死んでやしねぇよ」
最後の一言だけは弱々しかったが、少年に最も強く響いたものはそれだった。
「あ、アキラ……?」
誰かはわからない。だが、聞き覚えはある。
聞き返したことにより、アズウェルの感情が爆発した。
「そうだよ、死んでなんかいねぇよ! アキラは、アキラは諦めたりしねぇ! ルーティングだって……マツザワだって、諦めてないはずだ! ダークマジシャンだか何だか知らねぇけど、まだ終わりじゃねぇんだよ!!」
捲くし立てる言葉に合わせて、小鳥が巨大化していく。
「お、おい、おまえ……頭の鳥が……」
このままでは自分まで燃やされてしまうのではないだろうか。
と、少年が思った刹那。
小鳥がアズウェルの頭上から飛び立ち、全身の炎を解き放つ。
景色が闇色から黄金へと染まるにつれて、少年の意識が霞んでいく。
「あああああ、もう腹立った! こんな真っ暗にしやがって! 朱雀、ワツキごと照らし出せ――――っ!!」
朧気な意識の向こうで、アズウェルの怒声が頭に木霊していた。
◇ ◇ ◇
「サテ、終演デス」
左手でシルクハットの鍔を少し下げ、ピエールが口端を吊り上げた。
「クエン、火力を上げろ!」
『間に合わねぇよ!!』
怒号に叫び返しつつも、クエンは紅の闘志を爆発させる。
完成間近の印は、黒光りを放ちながら回転していた。
「おや、リュウジ・コネクティード。このお坊ちゃんを殺すつもりデスか?」
「兄さま、やめて!」
ミズナの悲鳴が突き刺さる。
だが、ルーティングの意志は変わらなかった。
「アキラごと……消し飛ばせ!」
「だめ――――っ!!」
ミズナの祈るような叫び声が空を切った時。
風が、止んだ。
アキラを殴り飛ばそうとしていたクエンの動きが、ぴたりと止まる。
『アキラ……?』
「ば……か……ナ……」
ピエールの瞳が驚愕の色に染まる。玄鳥によって貫かれた、自分自身の心臓を見て。
玄鳥を逆手に取り、アキラは己の心臓諸共、背後に立つ敵を串刺しにしていた。
「そんな、いや……! アキラぁ!!」
ミズナが左手で口元を覆い、泣き崩れる。
肩で息をしながら、アキラはうっすらと微笑みを浮かべた。
「せやなぁ……まだ終わりやない……なぁ……」
「意識……を……!?」
言いかけたピエールの首が、宙に刎ねられた。
『ミズナ、顔を上げてよく見ろ!』
「ぅ……な、何が……」
身体を震わせながら、クエンの言葉に従う。
目を見開くと、視界を歪めていた大粒の涙が頬を伝って零れ落ちる。
瞠目するミズナの瞳に映るものは。
ぐらりと傾いだピエールの向こうに動く、もう一つの影。
目にも留まらぬ速さで躍り出た人影は、片膝を付き、宙で弧を描く額に玄鳥を突き立てた。
「奥義、幻鳥」
微笑みを浮かべていたアキラが、残像の如く薄らいでいく。
「まだ終演やないで。アンコールがかかったさかいなぁ」
「そうデ……スか。意識を、取り戻すとは……大した……ものデスね。マタ……お会いし……まショウ……」
冷笑を浮かべたピエールの体躯が、突如として吹き飛んだ。
◇ ◇ ◇
神々しい火の鳥が、天を覆い尽くす黒雲を霧散させていく。
「上出来です、アズウェル」
くすりと笑みを零し、シルードは発動直前だった魔法陣を掻き消した。
――だから言っただろう?
耳の奥で、大天魔導師の声が響く。
「また、笑われてしまいますね」
身を翻したシルードの姿は、瞬く間に風となった。