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DISERD  作者: 桜木 凪音
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第一部:禍月の舞 前夜*「第1記 はじまり」

ブログDISERDにて連載している作品です。

第一部:禍月の舞は「前夜」「中夜」「後夜」にわかれています。

第○記と書かれているものはDISERDのトータル話数です。

※ 第二部以降も数字は連続していきます。


アズウェル&ラキィ

挿絵(By みてみん)

 土砂降りの雨の中、少年は当てもなく疾走していた。

 時折水溜りを踏みつけるが、跳ね返る泥水などまるで気にも止めず、ただ走り続ける。

 服や髪が張り付いた肌から、雨滴が体温を奪っていく。

 それでも、抑えきれない痛みと哀しみを抱いた少年は、身体から湧き上がる熱に顔を歪めた。

 目頭が、喉が、胸が、焼けるように熱い。

 眼前に崖が広がっていることを見とめて、足を止める。下は底が見えない渓谷だ。

 切り立つ岩壁を切り裂くように、豪水が渓谷へと落ちている。周りの木々を打つ雨音は、その豪快な滝の音に掻き消されていた。

 血が滲むほど唇を噛みしめて、ずぶ濡れの顔を天へ向ける。

「どうして……!」

 何故だ。わからない。

 そんなことは、知らない。そんなことは、覚えていない。

 淡い微笑みを浮かべる老人に、そう叫んだ己を思い起こし、(うつむ)いて嗚咽を漏らす。

 なんて自分勝手なのだろうか。

「わかんねぇよ、じっちゃん……」

 老人は、微笑を浮かべたまま息を引き取った。

 彼は幸せだったのだろうか。

「わかんねぇ、おれには、わかんないよ」

 言葉を絞り出す唇を、水が濡らしていく。それは雨滴なのか、それとも別の雫なのか。

 ごめんなさい。謝るから、だから、置いて逝かないで。

 己の声だけが耳に反響し、寂しさが胸の奥から全身へと染み渡っていく。

 どんなに叫び続けても、無情な天は、ただ雨を降らせるだけだ。

 例え、それが天からの(いた)みだとしても。

「雨なんて……大っ嫌いだ……っ!」

 肩を震わせて、振り仰いだ空を睨みつける。

 憤怒と、哀愁と、後悔を。

 荒れ狂う感情を()い交ぜにした慟哭が、天高く木霊した。



      ◇   ◇   ◇



 此処は、ディザード大陸東南に位置する麓町(ふもとまち)、エンプロイ。時は、夕刻。

 人がごった返す街道を、脇目も振らずに駆け抜けていく青年がいる。

 雲に隠れようとしている斜陽が、青年のさらさらとした金髪を茜色に染めていた。

 透き通った蒼色の瞳が見据えるのは、命を繋ぐ重要な(ブツ)が用意されている店だ。

 〝Flytelia(フライテリア)〟と書かれた赤い旗が風に(なび)いている。

 その真横をすり抜け、開けっ放しの入り口を(また)いだ。

「スチリディーさん!」

「何だと!? 三日もかかるのか!?」

「へ……?」

 店主に投げたはずの呼びかけは、客人の怒号によって掻き消された。

 一体どういうことだ。

 それを問いたいのは山々であるが、同じ問いかけを青年とは別の意図で、客人が店主に問い詰めている。

 真円のレンズをはめ込んだ老眼鏡のつるをいじりながら、店主スチリディーは困ったように首を傾げた。

「三日経たないと、専属フレイテジアが来ないのだよ」

「それはつまり、貴公では直せないということか?」

「それだけ派手に壊れているとねぇ、アズウェル君がおらんと」

「おれならここにいるけど」

 自分の名前を上げられ、青年はつい口を挟んでしまった。

 ボロボロに壊れた浮遊二輪車、フレイトを見て、心中で何も見なかったことにすればよかったと後悔したが、既に時遅し。嬉々とした表情を浮かべて、店主が青年を振り返った。

「おお! これはいいところに、アズウェル君! グットタイミングじゃよ」

「おれ、今日仕事日じゃねぇんだけど……」

「ほっほっほ。アズウェル君が今日顔を出したということは、これがお目当てじゃろう?」

 スチリディーは背後の棚から、整然と並んでいる引き出しの内の一つを選び、鍵を開ける。

 そこから取り出された〝命を繋ぐ重要な物〟という名の封筒に入った週給を見て、アズウェルはやられたとばかりに顔を(しか)めた。

「スチリディーさん、最初っからおれに連休くれるつもりなんてなかっただろ……」

「ほっほっほ。そんなことはないよ、アズウェル君。休んでも構わないが、給料は週末にならないと入らないから、連休明けに渡すよと言っただけじゃよ」

 ご機嫌の店主と、がくりと両肩を(すく)める乱入者を、暫く無言で眺めていた客人の女が、痺れを切らして口を割った。

「すまないが、私は急いでいるのだが。貴様は誰だ」

「え、おれ? おれは……っと、お……?」

 あからさまに不信感を()き出しにした女の声に振り向いて、アズウェルは目を(しばたた)かせた。

 漆黒の長髪を一つに結わえている女は、腰に(つるぎ)を携えている。シンプルだが上品さを帯びている創りからして、恐らく刀という代物だろう。

 それだけでも彼女が何者なのかという謎には十分過ぎる証拠だが、アズウェルは刀ではなく上着に縫いつけられた燕の紋章に目がいっていた。

「この刺繍……見たことあるぞ、おまえ、スワロウ族?」

「だったらどうしたというんだ。私は、貴様が何者か尋ねたのだが」

「え……あ、わっりぃ! スワロウ族なんて、じっちゃんが死んでから見てなかったもんだから、つい……おれはアズウェル・クランスティ。ここに稼ぎに来ている者で、一応店員」

「そんなに警戒しなくても大丈夫じゃよ。さっき話した専属フレイテジアのアズウェル君じゃ。人柄と腕は保証する」

 (いぶか)しげにアズウェルを眺めていた女は、店主の言葉を聞いて幾分表情を和らげた。

「そうか、睨みつけてすまなかった。私はマツザワ・コネクティード。マツザワと呼んでくれ。今日[こんにち]はマスターの依頼でこちらにお邪魔している」

 丁寧に一礼すると、マツザワはアズウェルに右手を差し出した。

 スワロウ族の挨拶は、握手から始まる。幼い頃も似たような経験があったアズウェルは、迷うことなく彼女の手を握った。

「よろしく!」

「あぁ、よろしく」

「ほっほっほ。自己紹介も済んだところで、アズウェル君、この封筒が欲しいなら、それをちょちょいのちょいっと直しておくれ」

 給料袋をひらつかせて、ほけほけと笑う店主に、アズウェルは額を抑えて唸った。

「ホント、相変わらずだよな、スチリディーさん。おれ今日スパナ以外工具持ってきてねぇから、ちょっと借りるぜ」

「おい、待て」

 棚からドライバーを取り出したアズウェルを、マツザワは困惑した表情で制止する。

「なんだよ、マツザワ? さっさと直して欲しいんだろ?」

「確かに、そうだ。明日の正午が引渡し時間なので、それまでには直していただかないとこちらも困る。だが……」

 今度はスチリディーの方を見て、腕を組む。

「スチリディー殿、本当に直せないのか? このフレイトは貴公が作ったと伺っているが?」

 その言葉に、スチリディーとアズウェルは顔を見合わせ、一拍後にアズウェルが盛大に吹き出した。

「ふは、スチリディーさんが、作った! マジで? それで何、初期不良で大破したのか? これ」

「い、いや……数年も前に特別に作っていただいた思い出の品だとマスターは言っていたらしいが……。一体何がそんなにおかしいのだ?」

 瞳に涙を浮かべ、両手で腹を抱えて笑っているアズウェルを、マツザワは怪訝そうに見つめている。

 対してスチリディーは、「そんな覚えはないのだがねぇ」と微笑みながら、安楽椅子に腰掛けて入れ立ての珈琲を(すす)っていた。

 アズウェルが了解さえすれば、店主は給料袋を人質に(くつろ)ぎ始める。後は時間が経てば客人を(さば)けるのだから、この仕事は辞められない。

 それが例え……

「スチリディーさん、フレイテジアじゃねぇもん。免許ねぇし、触れば壊れるぞ」

「何だって!?」

 天性のメカ音痴だったとしても、有能な助手がいるのだから、何も困らないのだ。

 フレイトを創ったり修理したり、改造したりするには、フレイテジアの免許が必要だが、スチリディーもアズウェルもそんな高額なものは持っていない。そもそも、技術なら職人並のアズウェルに比べ、スチリディーはアズウェル曰く〝ただの腹黒狸爺(たぬきじじい)〟なのだから。

 はて、と老眼鏡越しに客人を見据える店主は、不敵に口元を緩ませた。

 アズウェルから闇医者ならぬ闇職人宣言をされたマツザワは、目を見開いて呆然としている。

 スワロウ族という〝(よろず)の頼み〟を生業としている彼女らは、例外なくとても生真面目だ。加えて、依頼主であるマスターの(めい)は絶対。つまるところ、彼女は今〝マスターの命を優先して邪道に足を入れる〟か、〝正道を選びマスターを(あざむ)くか〟の二択に板挟みされている状態というわけだ。

 これだから、真面目過ぎるのは身を滅ぼす。何事も適当が一番がモットーのスチリディーは、今回も適当に楽しむつもりだ。

「一体誰からの依頼だね? マツザワ君。わしらに話しても、それは問題なかろう?」

「えっと……あ、はい、すみません! その、私は族長を介して引き受けたので、マスターの名までは……。マスターのご希望で、引渡しまで匿名とのことで……」

 我に返ったマツザワは混乱している様子で、申し訳なさそうに頭を掻く。

「まぁ、大方そんな面倒なことしてくるのは、ルーティングだろうけど……なっと!」

 フレイトの側面カバーを外すと、アズウェルは車体の中を覗き込んだ。

 彼女の事情がどうであれ、どう転んでもスチリディーには直せないのだから、待っていても仕方がない。早くしないと夕立までに給料袋を手に入れられなくなる。

「ルーティング……?」

「そうそう、スチリディーさんの商売敵で、あいつ確かクロウ族でしょ? スチリディーさん」

「そうじゃのぅ。そんなことを言ってたような気がするねぇ。ほっほっほ、愉快な男じゃわい」

 不吉な単語を耳にしたマツザワが、顔を(かげ)らせた。

「クロウ族……!」

 嫌な予感がする。

 クロウ族は、スワロウ族とは対立した種族だ。天敵とも言っても過言ではない。

 何故、族長はこの依頼を引き受けたのだろうか。

 答えが自分の中で見つからないマツザワは、そのまま拳を握り締めて押し黙る。

 マツザワの表情の変化を横目で見て取り、アズウェルはフレイトから取り外した小さな粒を、水を張ったバケツに放り投げた。

 その粒が内部の歯車に引っかかり、エンジンが動かなくなっていたのだ。外装まで派手に大破しているところを見ると、自然に壊れたとは言えなさそうだが。

 まったく厄介な事に首を突っ込んでしまった。帰ったらどやされるだろう。

 そんなことを考えながら、背後で作業を眺めているマツザワに問う。

「マツザワは今晩泊まるところ決めたのか?」

「いや……まだ、考えてはいないが」

「んじゃ、おれんち来いよ。ちょっと話したいこともあるしさ」

「それは有り難い申し出だが……しかし、急にお邪魔しては……」

「まぁ、どやされるのはおれだけだから、気にすんなよ」

 笑顔でそう言うと、解体したフレイトを袋に詰め込んでいく。

 此処で直すのは簡単だが、そしたら夕立に間に合わない。何より、彼女に伝えるべきことがある。

 考えあぐねているマツザワを尻目に、のんびりと読書を楽しんでいる店主に手の平を突き出した。

「スチリディーさん、持って帰って直してくるから、おれの食費出して!」

「おやおや、お急ぎかい」

「もうじき夕立が降るんだ。ディオウも待たせてるし、そろそろ行かないと肉屋が閉まる」

「雨が降るのかね。それは……仕方ないかのぅ……」

 言いながら、給料袋から札束を半分抜き取る。

「うぇ!? ちょ、スチリディーさん!?」

 声を上げる愛助手を黙殺して、抜き取った札束を机の中に仕舞い込み、厚さが半分に減った封筒を差し出した。

「お疲れさん、アズウェル君」

 それはもう、とても眩しい笑顔であった。

 受け取りながら、アズウェルは大きく嘆息する。

「抜かなくてもいいじゃんか……」

「ほっほっほ。残りは、ちゃんと明日直してきたらじゃ」

 飄々(ひょうひょう)(うそぶ)くスチリディーは、やはりどす黒狸爺だった。

「はいはい、わかりましたぁー」

 何を言おうが、下手したら更に手取りが減るだけなのだから、無駄な足掻きだ。

 諦めたアズウェルは、床に散乱した工具を片付け始めた。

 それを満足そうに笑みを浮かべて眺めていたスチリディーが、腕組みをしたまま考え込んでいるマツザワの肩に、ぽん、と手を置く。

 驚いて振り向いた彼女に、声をひそめて囁いた。

「行ってやっておくれ。アズウェルは今村で一人じゃからの」

「一人……? それは、どういう……」

 マツザワが問い返しに、スチリディーは微笑みを浮かべて頷く。

 任務のことですら、わからないことだらけだというのに、その笑顔がより一層マツザワの思考を混乱させた。

 何を考えているのか、全くわからない。

 ただ何となく、断るべきではないと彼女は感じたのだ。

 ちらりとアズウェルの方へ視線を向けると、アズウェルは工具箱を棚に戻していた。片付けが終了したようだ。

「よーし……って、やっべぇ、こんな時間じゃん! 急がねぇと。マツザワ、決めた?」

 重いフレイトが入った袋を軽々と担ぎ上げて、アズウェルが二人を顧みる。

「あぁ。それを持ち帰ると言うなら、すまないがお邪魔させていただくよ」

「おっし、じゃぁ、悪いけどマツザワ、肉屋まで走るぞ!」

 そう言うと、アズウェルはスチリディーに手を上げて走り出した。

「じゃぁね、スチリディーさん! おれの食費使うなよ!」

「ほっほっほ、気をつけてのぅ、アズウェル君、ディオウ君によろしくな」

「え、ちょっと、待って……アズウェル!」

 一瞬目が点になったマツザワは、慌てて彼の後を追った。

「では、明日、宜しく頼む。失礼する!」

 去り際出入口の手前で丁寧に一礼し、すぐに駈け出した彼女を見て、スチリディーはのんびりと手を振る。

 既にその先には誰もいない。

「楽しそうじゃのぅ」

 一人呟くと、店の扉を閉めた。



      ◇   ◇   ◇



 街から少し離れた林の中で、白く長い尾が不機嫌そうに一振りされる。

 真っ白な獣が、草むらに身体を隠すようにして寝そべっていた。

「……遅い」

 呟かれた低い声の持ち主は、交差させた前足の上に(あご)を乗せ、気怠(けだる)そうに半眼で街の方を眺めている。

 長い牙が生えている口元から、苛立一色に染まった溜息が漏れた。

「スコールがあるから急いでくれとおれを叩き起しておいて、一体何をやってるんだ」

 どうせまた、店主に(もてあそ)ばれているのだろうが。

 生活費を手に入れなければ飯抜きだからといって、あの腹黒狸爺に(あるじ)が頭を下げなければいけないというのは、非常に気に食わない。

 その上、すぐに戻ってこないなど、予想は付くがやはり気に食わないのだ。

「……濡れたって、おれは知らないからな」

 ぶっきらぼうに吐き捨てて、獣は再び尾をぴしりと振った。

 不貞寝してやる。

 そう心に決め込んで、金色の瞳を瞼で覆い隠す。

 西に傾いていた日差しは、完全に入道雲の中に姿を(くら)ませていた。

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