前夜*「第16記 いざ開かれん」
日が照りつける真昼の道場で、秘密裏の修行が行われていた。
「小僧、見ていたか?」
「あぁ、ど真ん中に突き刺してたな」
食事を終えたアズウェルが、道場から出て二人の元へ歩いてきた。
「ただ突き刺すだけではだめだ。これはタイミングが鍵になる」
「予知して刺せばいいってもんじゃねぇってことか」
「そうだな。こればっかりは失敗したときのリスクが大きい。とても練習など」
「だめだろ、それじゃ」
ルーティングの言葉を遮り、アズウェルは真剣な眼差しを向ける。
「失敗を恐れてたら何もできねぇよ」
揺らぐことのない蒼い瞳。
二人の会話を静かに聞いていたショウゴが口を開いた。
「たっちゃん、エクストラ出してみぃ」
「エクストラだと? お前にか?」
怪訝そうな顔をする親友に、ショウゴは珍しく真面目に答える。
「オレっちじゃなくて、アズっちに」
「まだ中級の二重詠唱を破ったばかりだ。いきなりエクストラは危険過ぎる」
「大丈夫よぉー。いざとなったらオレっちも降ろすから」
そう言ってルーティングに片目を瞑ってみせる。
無茶をして傷でも負わせようものなら、後で主にどやされるだろう。人の気も知らないで、一体何を考えているのか。
半眼でショウゴを睥睨していたルーティングに、アズウェルが言った。
「自分のことは自分で守る。自分も守れないようじゃ、何かを守り抜くことはできない。そう思わない?」
「……もしものことがあったら、ギアディスにどう説明するんだ」
「もしもを恐れていたら闇魔術は破れないんだろ」
その言葉にルーティングは何も言えなかった。
「試してみぃ。オレっちの蒼焔が疼いてるんサァ」
落ち着いた声音でショウゴが耳打ちする。
二人を一瞥して、ルーティングは道場に置いてきた紅焔の元へ向かう。
どくん、と紅焔を持ち上げた瞬間、刀の鼓動が伝わってきた。
「こいつもか……」
刀が、ショウゴに賛同している。
足元に紅焔を置いて二人を顧みると、ルーティングは宙に印を描き始めた。
「アズっち、本番やと思ってやってみぃー。オレっちがサポートすっからサァ」
ショウゴに無言で頷き、アズウェルはルーティングの詠唱へ意識を集める。
花びらのように文字が高速で回転する印から派生した。その文字はそれぞれ帯状になり、術者を守るように球体を作る。
上位より上のエクストラ。簡単に破れるわけがない。
アズウェルは印の変化を凝視しながら、かつてのディオウとの他愛のない会話を思い起こす。
――エクストラってのはな。自然界の精霊を呼び出す術だ。唱えられる奴はそうそういないがな。呼び出すのには精霊と波長を同調させなければいけないぞ
――それおれにもできる?
――呼び出してどうするんだ
――雪が見たいんだぁ
自然との同調。
アズウェルは真っ直ぐ前を見据える。ルーティングの詠唱はまだ続いていた。
徐々に深紅の文字が金色に変わっていく。
「来るよー……!」
ショウゴの言葉はアズウェルに届いていなかった。
目を閉じたアズウェルは静かに小刀を抜く。
精霊。自然界の化身といえども意識を持っている。
アズウェルがゆっくりと瞼を上げると、金色の瞳が輝いていた。
「火か」
アズウェルの纏う空気が変わったことを、ショウゴは肌で感じていた。
「……まさか……アズっち……破るつもりは毛頭ないって感じ?」
「エクストラ・マジック」
印が完成した。球体が紅い光を放つ。
「朱雀」
ルーティングが唱えると、巨大な炎の鳥が顕現した。
ぼう、とアズウェルの持つ小刀が光を帯びる。小刀を真っ直ぐ突き出すと、文字を綴る。その文字は魔法文字でもなければ、ショウゴたちが知る一般の文字でもなかった。
「この字は……!」
ショウゴが目を瞠る。
読めない。だがしかし、見たことがある気もする。そう、例えばそれは古代書で。
文字が形を成していく。それは小さな箱。
――キュルルル……
箱が小鳥を吸い込んだ。いや、鳥が自分の意志で入っていったようにも見えた。
アズウェルは一歩も動いていない。
「おいで、バード」
アズウェルが小箱に話しかける。
呼声に応えるように、炎の小鳥が飛び出した。
小鳥は小刀に止まると、首を傾げてアズウェルの瞳を見つめた。
「もう、いいよ」
キュル、と一声さえずって、小鳥は炎が掻き消えるように姿を消す。
ぼんやりとした静寂の中、ショウゴは呆然と尋ねた。
「……あ、アズっち今の何?」
「今のはディオウに教えてもらったヤツだよ」
にっこりと微笑むアズウェルの瞳は、澄んだ蒼に戻っていた。
「対精霊でしか使えないけど……妖精の巣箱っていうんだ」
道場では、ルーティングが瞠目したまま佇んでいる。
あの、技は。
二本の刀が共鳴した。
◇ ◇ ◇
夕刻。
族長は一人寝室で座禅を組んでいた。
窓を叩く音がする。障子を開けるとショウゴが立っていた。
「戻ったか」
族長の言葉に頷いたショウゴは、窓を開けてくれと鍵を指差す。
族長が窓の鍵を外すと、ショウゴはひらりと部屋に舞い込んだ。
「どうだ。二人の様子は」
「いー感じでしたよぉー。アズウェルって子、とんだダークホースかもねー」
よっこいせと畳に腰を下ろして、ショウゴは蒼焔を抜く。
「久々に、こいつが唸ったサァー」
昼間の出来事を思い出し、ショウゴは唇に笑みを滲ませた。
「妖精の巣箱。ぞくちょー聞いたことありませんー?」
「……ある。彼はやはり……」
「マジでその可能性が高くなりましたねー」
二人は窓の外を見つめた。淡い緋色の影が、部屋に差し込んでいる。
開戦は、明日の午前十時。
◇ ◇ ◇
草木も眠る丑三つ時。ワツキは夜の帳に包まれていた。
「ハッ。わざわざ本家が手を下すまでもねぇっつーの」
崖の上から見下ろす複数の影。
「いいのぉ~? 攻撃時刻は明日の十時だよ~ん?」
「あぁん? 俺らで殺っちまえばいいだろ」
「そうそう。由緒ある純血族とか、うざいよね」
緋色の髪の男を中心に、不気味な笑い声が空気を揺らす。
「小鳥たちよ、お前らに夜明けは来ねぇぜ!」
「誰が一番獲物狩れるか競争しなぁ~い?」
「いいね。哀れなツバメを撃ち落としてやるよ」
不敵な笑みを浮かべて三人は背後の部下を顧みる。
「い~い? あたしたちの隊が優秀ってこと見せつけるのよぉ~?」
「こんなちっぽけな村に闇魔術はもったいないぜ」
「さぁ、狩りの幕開けだよ」
眼鏡をかけた少年が、背負っている矢を一本弓に番える。
「ド派手に行っちゃいます? 緋色さん」
「あぁ、叩き起こしてやれ」
ゆっくりと弓を打ち起こし、引き分ける。
「逃げ惑え、小鳥たちよ」
矢がワツキ上空へ放たれる。その矢は炎を纏い、大爆発した。
◇ ◇ ◇
突然の地響きにマツザワは家を飛び出す。空が紅く光っていた。
「奴らか……!」
「本家ではないな。先走った者が来たのだろう」
「……父上」
族長は既に武装していた。
「族長……!」
アキラとディオウが駆けてくる。
「うむ。開戦のようだ」
「アズウェルはまだ戻らないのか!?」
ディオウに迫られた族長は、静かに神社の方へ視線を移す。
「あれも気付いたことだろう……」
◇ ◇ ◇
「な、なんだ!? 空が爆発したぞ!?」
爆発音を聞きつけて、道場の外へと躍り出る影は二つ。
「……緋色隊か。余計な真似を……」
アズウェルに聞こえないように吐き捨てて、ルーティングは小さく舌打ちした。
もう、時間はない。
「結界を張るぞ。小僧準備はいいか?」
背後からかけられた言葉に、アズウェルは力強く頷いた。
「おう……!」
◇ ◇ ◇
「綺麗な花火だねぇ……」
空を見上げていた男はすっと目を細める。
「さてと、小鳥狩りのスタートだ」
長い一日が幕を開けた。