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異世界北海道 夫を探して異世界へ来たら、夫にはもう妻がいました ~食堂酒場を開き、幸せになります~  作者: 雫石しま


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第7話 朝の市場

 昨夜は野菜炒めとブイヨンを宿屋のみんなに振る舞った。


 初めて口にする優しい味付けに、ドワーフたちはすっかり虜になった。


「もう一皿!」

「おかわりだ!」


 大きな皿を抱え、野菜炒めを何度もおかわりしている。


 妖精たちは食後もふわふわと宙を舞いながら、美味しかった料理を即興の歌にして歌い始めた。


 鈴のような歌声が宿屋いっぱいに響き渡り、誰もが笑顔になっていた。


 ギルは空になった皿を見つめ、何度も頷いている。


「爽子、明日の朝食もお願いできるかい?」


「もちろん」


 私は笑顔で頷いた。


 明日の朝は、じゃがいもを牛脂で香ばしく焼こう。


 そこへ砂糖と醤油で甘辛く味付けをする。


 肉じゃが風のお惣菜。


 濃い味付けばかり食べ慣れている異世界の人たちなら、きっと美味しいと喜んでくれるはずだ。


 そんなことを考えているだけで、自然と頬が緩んだ。


 翌朝。


 朝靄が町を白く包み始める頃、私は温かなベッドからゆっくりと起き上がった。


 夏だというのに、オホーツク領の朝晩は思った以上に冷える。


 魔法の靴を履いていても床板はひんやりとしていて、思わず肩をすくめた。


 窓の外はまだ薄暗い。


 白い霧の向こうに、朝市の灯りだけがぼんやりと揺れている。


 市場はもう始まっているらしい。


「行ってみたいな」


 他の宿泊客を起こさないよう足音を忍ばせ、静かな廊下を歩く。


 ギシギシと音を立てる階段を一段ずつ降りると、人の気配が消えた食堂はまだ薄暗く、キッチンだけに灯りがともっていた。


 香ばしい香りが鼻をくすぐる。


 コーヒーだ。


「おや、おはよう爽子。早いね」


 ギルは湯気の立つカップを片手に笑っていた。


「おはよう、ギル。目が覚めちゃって。それに市場へ行ってみたいの」


「そりゃあいい。朝市は新鮮な野菜が揃うからね。まずはコーヒーでも飲んで温まりな」


「ありがとう」


 差し出された木のカップを受け取る。


 一口飲んだ瞬間、私は危うく吹き出しそうになった。


「……あ、甘い」


 砂糖がこれでもかと入っている。


 コーヒーというより、もはや砂糖湯だ。


「ギル、これは何?」


「どんぐりのコーヒーだよ」


 ギルは私の表情に気付かず満足そうに笑っている。


「今日は少し甘めにしてみたんだ」


「そ、そうなんだ……」


 この世界の人は、本当に味が濃いものが好きらしい。


 塩も砂糖も容赦がない。


「ごちそうさま。美味しかったです」


 笑顔を崩さないまま、私は勢いよくコーヒーを飲み干した。


 胃の中まで甘さが染み渡る。


 ギルは満足そうに頷きながら、窯から石のように硬いパンを取り出していた。


 やっぱり気になる。


 あのパンにはイースト菌が入っていない。


 そもそも、この世界には酵母という考え方がないのかもしれない。


 天然酵母になりそうな果物はあるだろうか。


 酒種の代わりになるものは。


 ビールが売っていたら、ビールを酵母の代わりにしよう。


 そんなことを考えながら宿屋の扉を押した。


 蝶番がギギギと音を立て、ひんやりとした朝の空気が流れ込んでくる。


 軒先につながれた馬が、こちらを見て鼻を鳴らした。


「ぶるるる」


「おはよう」


 何気なく声を掛ける。


 すると馬は耳をぴくりと動かし、大きな口をゆっくり開いた。


「おはよう」


「……しゃべった!」


 思わず後ずさる。


 馬は不思議そうに首を傾げていた。


「人がしゃべるなら、馬もしゃべるさ」


「そ、そういうものなの?」


 異世界って奥が深い。


 私は苦笑しながら手を振った。


「行ってきます」


「気をつけてな」


 馬に見送られ、石畳の道を歩き始める。


 白樺の林を抜けると、朝露に濡れた草花が朝日にきらきらと輝いていた。


 霧の向こうに四本足の動物が見える。


「エゾシカ?」


 よく見ると違う。


 次の瞬間、その動物は大きな純白の翼を広げ、音もなく空へ舞い上がった。


「ぺ……ペガサス?」


 思わず立ち尽くす。


 北海道みたいな景色なのに、伝説の生き物までいる。


 なんだか夢を見ているみたいだった。


 少し足早に噴水広場へ向かう。


 朝市はすでに大賑わいだった。


 色とりどりの天幕が並び、採れたての野菜や果物が山のように積まれている。


 相変わらずキャベツは「ぼそぼそ」と呪文を唱え、ピーマンと人参は手に取るたび小さな悲鳴を上げた。


「ごめんね」


 思わず謝りながら籠へ入れる。


 お目当てのじゃがいもと卵だけは無口だったので、少しほっとした。


「これください」


 金貨を差し出すと、露店の主人は目を丸くした。


「金貨なんて初めて見たよ。それに、その紋章……グリズリー辺境伯のものじゃないか」


 胸が少しだけ痛む。


「あんた、領主様のお知り合いか?」


 私は少し考えてから肩をすくめた。


「知り合いというか……元妻なんです」


「えっ?」


「捨てられちゃいました」


 わざと明るく笑ってみせる。


 すると店の周りにいた人たちが一斉に「あぁ……」と気の毒そうな顔になった。


 主人はしばらく考えると、籠の奥から一羽の小さな雌鶏を抱き上げた。


「これ、持っていきな。毎日卵を産むいい子だ。元気出しな」


「えっ、いいんですか?」


「ああ。きっと役に立つ」


「ありがとうございます!」


 私は渡されたお釣りの銀貨と銅貨を麻袋に入れ、雌鶏と野菜を抱えて帰路についた。


 宿へ戻ると、ギルは雌鶏を見るなり目を細めた。


「おお、いい買い物をしたじゃないか」


 私は籠の中の雌鶏をそっと撫でる。


「これからよろしくね」


 コッ、と小さく返事をした雌鶏を見て、自然と笑みがこぼれた。


 これで私の旅の仲間が一人増えた。


 名前は――『チョボ』にしよう。


お読みいただきありがとうございます


本日の最終更新は7月29日(水)21:03です


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