第14話 新しい朝
使い古したベッドのマットレスは思っていた以上に硬かった。
昨日は疲れ切っていたせいで気にならなかったけれど、一晩寝ただけで体中が悲鳴を上げている。
「……イタタ」
ゆっくり起き上がる。
腰がギシギシと軋み、肩まで張っている。
思わず両手を上へ伸ばして大きく伸びをした。
骨がポキポキと気持ちよく鳴る。
「これは早く買い替えなきゃ」
ベッドをぽんぽんと叩く。
長年頑張ってくれたマットレスなのだろう。
ところどころ潰れ、藁が片寄っている。
私は窓を開ける。
朝のひんやりした風が部屋へ流れ込み、椎の葉がさらさらと揺れた。
鳥のさえずりも聞こえてくる。
気持ちのいい朝だった。
身支度をしようと鏡の前へ立つ。
映った私は、フード付きのパーカーにオーバーオール姿。
日本では当たり前の格好だった。
でも、この町では明らかに浮いている。
袖口は少し擦り切れ、膝も白っぽく色褪せていた。
何度も熊ちゃんと一緒に洗濯し、着続けた服。
思い出がたくさん詰まっている。
だから捨てる気にはなれなかった。
「でも……」
鏡の中の自分を見つめる。
「そろそろ着替えも必要ね」
昨日市場で見掛けた麻のワンピースを思い出す。
襟ぐりが少し大きく開いていて、風通しが良さそうだった。
丈も膝くらいで動きやすそう。
あの青いエプロンを合わせたら、きっと可愛い。
頭の中で合わせてみる。
「うん、似合いそう」
思わず一人で頷いた。
「今日は市場に行ってみよう」
そう決めると、不思議と気持ちまで軽くなる。
私は木桶を持って外へ出た。
朝靄が町を薄く包み、椎の木の葉には朝露が光っている。
井戸へ近づき、ロープを下ろす。
ポチャン。
昨日と同じように水音が響いた。
「……ヒィぃ」
井戸の底から、小さな悲鳴も聞こえる。
「おはよう」
思わず挨拶してみる。
返事はない。
でも、少しだけ「ヒィ……」が小さく聞こえた気がした。
相変わらず臆病な精霊らしい。
冷たい水を汲み上げる。
朝の井戸水は昨日よりさらに冷たい。
手を浸けただけで指先が真っ赤になった。
「つめたっ」
両手ですくい、勢いよく顔を洗う。
「……ぷはっ!」
一気に目が覚めた。
眠気も吹き飛び、背筋までしゃんと伸びる。
頬へ触れる朝風が心地いい。
その時だった。
「コッコッ!」
店の中からチョボの声が聞こえる。
「はいはい、お待たせ」
私は笑いながら急いで戻る。
チョボは餌箱の前で体を上下させ、忙しなく足踏みしていた。
待ちきれないらしい。
「はい、どうぞ」
餌を入れると、チョボは嬉しそうに羽を少し広げ、ぴょこぴょこと踊り始めた。
その姿があまりにも可愛くて、思わず笑ってしまう。
「美味しい?」
「コッ」
短く返事が返ってくる。
本当に返事をしているみたいだ。
その様子を眺めていたら。
グゥゥゥ……。
今度は私のお腹が大きく鳴いた。
「あ……」
チョボがこちらを見る。
「ちょっとごめんね」
鳥籠の隅を見ると、生みたての卵が一つ。
白く艶やかに光っている。
そっと手に取る。
「温かい」
まだほかほかしていた。
「ありがとう、チョボ」
チョボは得意そうに胸を張る。
私は裏庭へ回り、昨日拾っておいた椎の小枝を窯へ入れた。
マッチを擦る。
シュッ。
小さな炎が小枝へ燃え移る。
パチパチ。
乾いた音が静かな朝へ響く。
火が安定したところで、少し太い枝。
さらに薪を一本入れる。
モクモクと煙が上がり、思わず咳き込んだ。
「ゴホッ……」
目尻へ涙が滲む。
「これでいいかな?」
炎は赤々と燃えている。
どうやら成功だ。
ギルが鏡みたいに磨いてくれたフライパンを火へ掛ける。
オリーブオイルを一滴。
黄金色の雫がゆっくり広がり、熱せられる。
パチパチ。
小さく踊る音が心地いい。
卵を手に取る。
「いただきます」
コン。
コンコン。
殻を割る。
ジュワッ。
白身が勢いよく広がった。
岩塩をナイフで少し削る。
ひとつまみ。
コップの水をほんの少しだけ入れ、蓋を閉じる。
待つ時間も料理のうちだ。
蓋を少し開けて様子を見る。
白身はふっくら。
黄身には薄い膜が張り始めている。
「よしよし!」
ちょうどいい。
火を止める。
白身の端は香ばしくカリッと焼け、黄身はぷるんと半熟だった。
皿へ丁寧に盛り付ける。
たった一つの目玉焼き。
でも、ちゃんと美味しそうに見える。
「今日はこれだけで我慢」
フォークで白身を少しずつ食べ進める。
黄身だけは最後まで残す。
そして一気に口へ運ぶ。
とろり。
濃厚な甘みが口いっぱいへ広がった。
「おいしい……」
自然と笑顔になる。
卵一つでも幸せになれる。
でも。
「調味料も欲しいなぁ」
窓の外を眺める。
「野菜も……お肉も……魚も欲しい」
頭の中では、次々と料理が浮かんでくる。
オムレツ。
野菜炒め。
煮物。
スープ。
この世界には冷蔵庫がない。
代わりに石で作られた保冷箱があり、一週間に一度、永久凍土を売る行商人が町を回ってくるとギルが教えてくれた。
その氷で肉や魚を保存するらしい。
「でも……」
地図を思い出す。
「こんな内陸じゃ、魚はあまり期待できないかも......でも......川魚はいるかな?」
それなら野菜を活かそう。
牛も豚もいる。
十勝なら美味しい料理はいくらでも作れる。
食べ終えた皿を洗い、布で丁寧に拭く。
麻袋へ金貨を五枚入れた。
チャリン。
思ったより重い。
「これだけあれば足りるかな」
青いエプロンを見つめる。
まずはベッドのマットレスとワンピース。
それから食材。
調味料。
もし見つかれば、屋根に塗るペンキも欲しい。
やることは山ほどある。
でも不思議と楽しかった。
私は麻袋を肩へ掛け、チョボへ声を掛ける。
「行ってくるね」
「コッ!」
元気な返事を背中で聞きながら、私は朝日に照らされる十勝の市場へ向かって歩き出した。




