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粉雪に恋して

掲載日:2026/06/22

【第1話】粉雪の天才と、最初の常連客

運命の出会いは試着室で起こった


 北アルプスの麓、長野県白馬村のスキーリゾートエリアに、一軒のスノーボードショップがある。


 その名は「SNOW LABOスノーラボ」。


 正面のガラス窓には今季の最新モデルがずらりと並び、店内には板から靴、グローブ、プロテクター、ウェアまであらゆるギアが揃っている。地元では「あそこのアドバイスは神レベル」と評判の専門店だ。


 今日もカウンターの奥でレジ打ちをしているのが、店員の七瀬湊ななせ みなと、二十歳。


「……」


 湊は細面で、目元にわずかなクマを持ち、白いシャツの袖を肘まで捲り上げたまま在庫リストを眺めている。見た目は寡黙だが、口を開けば雪山のことしか出てこないような青年だ。


 かつては「白馬の神童」と呼ばれた。中学生でハーフパイプ全国優勝、高校でワールドカップジュニア部門三位。だが、十八歳のとき右膝の半月板を損傷して大きな手術をし、プロへの道を断念した。


 今は父が営むこの店を手伝いながら、雪とともに生きている。


 午前十時。開店直後の静かな時間帯に、ドアが勢いよく開いた。


「すみませ〜ん!ブーツのサイズ見てほしいんですけど!」


 入ってきたのは、セミロングの栗色ヘアを無造作なポニーテールにまとめた女性だった。明るいオレンジのダウンジャケット、デニム素材のサロペット。頬が少し赤い。外の冷気を連れてきたらしい。


 湊はカウンターから顔を上げた。


「どうぞ。今シーズンから始めますか?」


「いえ、去年もやってて! でも去年借りたレンタルのブーツが硬くて足が痛くて……」


 彼女は苦笑しながらカウンターに寄ってくる。


 湊は立ち上がり、「少し座ってもらえますか」と試着コーナーのベンチを指す。屈んで彼女の靴のサイズを確認し、いくつかのブーツを持ってきた。


「足幅はどちらかというと広め? 甲は高い?」


「えっと……甲は普通くらいだと思います。幅は……わかんない」


「じゃあ直接測りましょう」


 湊は膝をついてフットゲージを当てる。彼女は少しくすぐったそうにしている。


「二十三・五、甲はやや低め。このタイプが合うと思います」


 湊が選んだのはフレックスがやや柔らかめのエントリーモデルだった。彼女が履いてみると――


「あ、これ全然違う! 全然痛くない!」


 ぱあっと笑顔が咲く。湊は小さく頷いた。


「去年のやつは多分一サイズ大きかったんだと思います。ブーツは緩いほうが痛くなりやすいので」


「へえ〜、逆なんだ! 詳しいですね、名前なんですか?」


「七瀬です。一応ここの店員なんで」


「一応って……(笑)。私、桐島朱音きりしま あかねです! 白馬には毎シーズン来てるんですよ。これからよろしくお願いします!」


 差し出された手を、湊は少し遅れて握った。


* * *


 その日の午後、湊がウェアコーナーで在庫整理をしていると、試着室のカーテンが勢いよく開いた。


「七瀬さ〜ん! これどうですか!」


 朱音がウェアを試着して出てきた。問題は、ズボンの方のファスナーが内側に引っかかって下まで下がっており、インナーのレギンスがほぼ丸見えになっていることだった。


「あれ? なんか下が……?」


「……っ」


 湊は瞬時に視線を逸らした。耳の先が赤くなる。


「あっ!!! やば! 見ちゃった!?」


「見て……ません」


「嘘つかないでください顔が赤い!!」


 朱音は慌ててカーテンを閉めたが、その後しばらくして「えへへ、まあいっか」という声がした。


 湊はこめかみに手を当てながら天井を見上げた。


*今シーズンも長くなりそうだ……*


 このとき彼はまだ知らない。桐島朱音がこの後、週に三回は店に来るようになることを。


 そして彼女が、この冬の騒動の幕開けにすぎないことを――。


════════════════════════════════════════


【第2話】二人目の常連はトリプルアクセル経験者

元フィギュアスケーターがスノボに転向する理由


 白馬のゲレンデは晴天に恵まれ、今日も多くのスキーヤーやボーダーで賑わっていた。


「七瀬さん、このバインディングのセッティングって教えてもらえますか?」


 湊がバックヤードで板のチューンナップをしていると、カウンター越しに声がかかった。


 振り返ると、そこには見たことのない顔があった。


 黒髪のストレートをハーフアップにまとめた、すっきりとした顔立ちの女性。背筋がまっすぐ伸びていて、雰囲気に独特の優雅さがある。白いニットに細身のジーンズ、踵の低いブーツ。スポーツ経験者特有の体幹の良さが見てとれた。


「ここにあるHOWTO動画だと、自分の足のどこに合わせるのかよくわからなくて」


 湊は手を拭きながら近づく。


「スノーボード、初めてですか?」


「ゲレンデは初めてです。でも体の使い方は……別のことで慣れているので、大丈夫だと思うんですけど」


 別のこと。湊は少し気になったが、まずはバインディングを確認した。


「スタンス幅から合わせましょうか。肩幅より少し広めが基本で——前後の振り角は、どっちの足が利き足ですか?」


「右です」


「じゃあレギュラースタンスで、前足十五度、後ろ足マイナス六度から試してみましょう」


 ガレージ奥の試着台で湊がバインディングを調整していると、女性がふと言った。


「私、去年まで競技フィギュアスケートをやっていたんです。でも膝を傷めて……もう競技は無理で」


 湊の手が少し止まった。


「スノーボードをやりたいと思ったのは、何か理由があって?」


「雪の上でまた滑りたかったから。リンクはもう難しくても……雪なら、もしかしたら、と思って」


 湊は静かに頷いた。


「わかります」


 それだけ言って、作業を続けた。余分なことは言わなかった。


 女性はそれで伝わったと感じたのか、小さく微笑んだ。


氷川澪ひかわ みおです。よろしくお願いします、七瀬さん」


* * *


 澪の最初のレッスン(湊が非公式に付き合った)は、午後の空いた時間帯に行われた。


 初心者コースで木の葉落としから始めると、澪は驚くほど早く感覚を掴んだ。フィギュアで培ったエッジ感覚と重心移動が、そのままボードに活きている。


「すごい。三十分でここまでできる人、ほとんどいない」


「フィギュアと似てますね、エッジの感覚」


「少し違いますけど、基礎は同じです。……澪さん、柔軟性ありますか?」


「ストレッチは毎日やってるので」


「じゃあこっちを試してみましょう。重心を——」


 湊がフォームを直そうと澪の腰に手を添えたとき、背後からダウンヒルで来たボーダーが「ごめーん!」と叫びながら突っ込んできた。


 湊は瞬時に澪を庇う形で引き寄せたが、勢い余って二人で雪面に倒れ込んだ。


 気づいたら澪が湊の胸の上に倒れ込んでいた。顔と顔の距離、十センチ。


 ……。


「…………」


「…………」


「す、すみません、起きます」


 澪の頬に、うっすら赤みが差した。湊も耳が赤い。突っ込んできたボーダーは「マジごめん!」と叫んで去っていった。


 二人は無言で立ち上がり、雪を払った。


「……続けましょうか」


「……はい」


 湊はそれ以上触れなかったが、その後の澪の滑りはどことなくぎこちなかった。


════════════════════════════════════════


【第3話】三人目はスノボ系YouTuber志望

撮影のためならなんでもします!は禁句だった


「七瀬さん! 私のこと覚えてますか!? 先月グローブ買いにきた!」


 元気のいい声とともにドアを開けたのは、ショートカットの茶髪にビーニーをかぶった女性だった。


 身長は朱音より少し低め。動きやすそうなアウトドアブランドのウェアを着て、首にはアクションカメラがぶら下がっている。


 湊は少し記憶をたどった。


「……グローブ、ナイキかノースフェイスで迷ってた人?」


「そう!! 覚えててくれてた! 嬉しい! 私、更科ひなた(さらしな ひなた)っていいます!」


「七瀬です」


「知ってます! このへんのボーダーの間で有名ですよ、元天才の七瀬くん!」


 湊の眉が少し動いた。


「…元です」


「でも実力は現役でしょ! 見たことあります、ゲレンデで。カッコよかった!」


 湊は曖昧に頷いて「何をお探しですか」と話題を戻す。


「えっとですね、撮影用のマウントがほしくて。ヘルメットにつけるやつと、胸ポケットにつけるやつ両方! あとバートンの新しいボードも気になってて……あのー、七瀬さんに撮影協力してほしいんですよね」


「撮影?」


「スノーボード系のYouTubeやってて! チャンネル登録者まだ三百人ですけど……七瀬さんが出てくれたらぜったい増えると思って!」


 湊は首を振った。


「人前に出るのは苦手です」


「そんな〜! ちょっとでいいんです! ちょっとだけ!! 映るのが嫌なら後ろ姿だけでも!!」


 押しの強い子だ、と湊は思いながら、カメラマウントのコーナーに案内した。


* * *


 商品説明をしていたとき、ひなたが新入荷のウェアコーナーで一枚のジャケットを引っ張り出した。


「これ試着してみていいですか?」


「どうぞ」


 ひなたが試着室へ消えて数分後、「七瀬さ〜ん、ファスナーが詰まって動かないんですけど」と声が来た。


 よくあることだ。湊はカーテン越しに「どのあたりですか?」と聞いた。


「えっとー、背中の下のほう……ちょっと見てもらえますか?」


 湊がカーテンを少し開けると——ひなたが背中を向けて立っており、ジャケットのファスナーが背中の中央でほぼ止まっていた。上はボードウェアのジャケット、下はインナーのみ。ズボンはまだ履いていない状態だった。


「あっ! 下まだ!」


「……目を閉じます」


「もうっ! 先に言ってよ! でもファスナー直してください!」


 湊は視線を背中のファスナー部分だけに集中させ、詰まっている箇所を素早く直した。


「直りました」


「ありがとうございます……えっと、下のこと気にしないでくださいね?」


「見ていません」


「でも絶対チラ見したでしょ顔が赤い!!」


「ファスナーに集中していました」


「うそだ〜!!」


 ひなたはけらけら笑いながら着替えを済ませ、試着室から出てきた。


「よし! このジャケット買います! あとカメラの件は……考えといてください!」


「……善処します」


 湊はため息をついた。


 その日の夕方、朱音が来店して「なんか今日店員さん耳赤くなかった?」とひなたに言い、二人がなぜか意気投合してLINEを交換し始めた。


 湊は、静かなはずのショップが少しずつ賑やかになっていることに気づいていた。


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【第4話】四人目はクールな雪山写真家

最高のショットを求めて、でも今日のベストショットは別のものだった


 その日、湊は早朝から一人でゲレンデに出ていた。


 シーズンオフのチェックと、自分なりの練習——といっても競技の練習ではなく、ただ滑ることが好きだから。膝に響かない程度に、粉雪の感触を確かめるように。


 オープン前の斜面を独り占めして、緩いターンを繰り返していたとき、斜面の端に三脚を立てて何かを撮影している人物に気づいた。


 女性だった。黒いスキーウェアに白いニット帽、大きな一眼レフを三脚に据え、ゲレンデの向こうに見える北アルプスを撮影している。


 邪魔になるといけない、と湊は少し迂回しようとした。


 そのとき女性が振り返り、目が合った。


 整った顔立ちだった。切れ長の目と、薄く引き締まった唇。「雪山写真家」という言葉が似合いそうなクールな雰囲気。


「ボーダー? そこ滑っていいよ、構図には入らないから」


 涼しい声だった。


「構図の邪魔なら迂回します」


「大丈夫。むしろ……被写体になってほしいくらい」


 湊は少し驚いた顔をした。女性は口元を緩めた。


「冗談。……でも、さっきの滑り、きれいだった」


* * *


 女性の名前は倉橋冬華くらはし ふゆか、大学写真部所属の二十二歳だった。


 毎年この時期に白馬へ撮影に来るのが恒例で、スノーボードも多少できるが今はもっぱら撮影専門だという。


 湊が「スノーラボ」に戻ると、午後に冬華も来店した。


「フィルムケースが割れてたから、ケースだけほしいんだけど……あと、板の保管スプレーも」


「在庫あります。こちらへ」


 案内しながら、湊はふと聞いた。


「今日の写真、いい画は撮れましたか」


「まあまあ。……あなたを撮った方がよかったかも」


「滑りが、ですか?」


「そう」


 冬華はさらりと言って、スプレーの棚を眺め始めた。感情の起伏が読みにくい。


 在庫を探していた湊が、バックヤードの高い棚から箱を取ろうとして脚立から足を滑らせた。


 とっさに手を伸ばすと、隣にいた冬華と正面からぶつかる形になって、湊は冬華を壁際に押しつける体勢になってしまった。


 両手を壁についた湊と、壁を背にした冬華。いわゆる「かべどん」状態。


 ……静寂。


「……」


「……」


「…………すみません」


 湊が素早く離れた。


 冬華は動じた様子もなく、少し考えてから——


「……撮っておけばよかった」


「な、なんでですか」


「構図が決まってたから」


 湊は額に手を当てた。


 その後冬華はスプレーとケースを買って帰ったが、帰り際に「また来る」と一言残していった。


 翌日から彼女もちょくちょく顔を出すようになる。カメラを持って、時々湊の滑りを撮りながら。


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【第5話】五人目は天然系スノーボード部の部長

「部長として頼りになりたいのに全部裏目に出ます」


 白馬近郊の大学、その雪山サークル「白馬スノーボード部」。今年から部長を務めるのは、身長百六十五センチ、おっとりした雰囲気と天然なキャラクターで部員から愛されている安西めぐ(あんざい めぐ)、二十一歳だ。


「七瀬さ〜ん、部の備品として板を五枚まとめて買いたいんですけど! 予算がこれくらいで……」


 その日、めぐは手書きのメモを持って来店した。


 湊はメモを受け取り、予算と枚数のバランスを確認した。


「五枚、全員の体重と身長データはありますか?」


「あ……持ってきました!」


 めぐが出したのは部員全員の身長体重データが書かれた紙。几帳面に整理されている。


「部長なのに書き方は几帳面なんですね」


「えっと……几帳面なのは書くことだけで……あとは大体抜けてます。さっきも来る途中でお財布忘れて一回戻ってきました」


 正直に言うめぐに、湊は小さく笑った。初めて、この日、笑った。


「じゃあ合う板を選びましょう」


 在庫を確認しながら適切なモデルを提案していると、めぐが試乗用の展示ボードに近づいた。


「これカッコいい! 乗ってみてもいいですか?」


「床の上では感覚わかりませんよ」


「わかってるんですけど……なんか乗ってみたくて」


 めぐは展示台の上に乗り、ちょっとバランスを取り始めた。


 湊が目を離した隙に——


「あっ」


 展示台からずり落ちる瞬間、めぐが横にいた湊に思い切り抱きついた。


 二人で床に倒れたが、湊が受け身を取っためにめぐはほぼ無傷。


 湊の胸の上でめぐが「えへへ、助かった……」と言った。


 湊は天井を見上げながら「……立てますか」と言った。


* * *


 結局五枚の板を選んで配送の手配をする間、めぐは湊にあれこれ質問を続けた。


「七瀬さんって昔すごかったって聞いたんですけど、なんで辞めたんですか?」


「怪我です」


「……そっか。今でも滑ります?」


「たまに」


「見てみたい! 部の練習に来てほしいなあ……あ、でも忙しいですよね」


「……考えます」


「ほんとに!? やった!」


 めぐは素直に喜んだ。打算や計算がない。湊はそれが少し新鮮だった。


 その後、朱音、ひなた、澪、冬華がほぼ同じ時間帯に来店し、めぐと初顔合わせになった。


「あれ、みんな知り合い?」


「「「七瀬さんのお客さん」」」


 四人がほぼ同時に答えた。


 めぐは「なんかすごいね七瀬さん!」と言い、湊はカウンターの奥で頭を抱えた。


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【第6話】はじめての集団滑走と、雪の中の告白騒動

朱音の「好きだよ」は誰に向けられたものだったか


 めぐの熱心な誘いに根負けした湊は、休日の午前中にスノーボード部の練習に「ゲスト」として顔を出すことになった。


 さらに、なぜか朱音・澪・ひなた・冬華も「見学したい」という理由でついてくることになり、結果的に湊一人と美少女五人というよくわからない構成でゲレンデに集まった。


「七瀬さ〜ん! 今日は教えてくれるって本当!?」


「個人レッスンはしていませんが……何か困っていることがあれば」


「やった!!」


 部員たちは歓声を上げ、澪はクールに「よろしくお願いします」と言い、冬華はカメラを取り出した。


* * *


 午前中のセッションは思いのほか充実した。


 湊はほとんど言葉数が多くないが、一人一人の滑りを見て、必要なところだけ的確に指摘する。


 澪は教わったことを一回で理解して実践する。

 めぐは吸収は遅いが転んでも笑って立ち上がる。

 ひなたは動画に撮ることに必死でたまに自分も転ぶ。

 冬華は自分では滑らず観察と撮影に徹している。

 朱音は元気いっぱいだが不意にコースを外れる。


 昼に休憩を取ったとき、朱音が湊の隣に座った。


「ねえ七瀬さん、あのさ——」


 少し改まった声に、湊は視線を向けた。


 朱音は少し赤くなって、雪面を見ながら言った。


「……好きだよ」


 静寂。


 湊は止まった。


 朱音は続ける。


「スノーボード。七瀬さんに教えてもらって、前よりもっと好きになった。だから……ありがとね」


 湊はゆっくりと前を向いた。


「……そうですか」


「なに、その反応」


「いい反応だと思いますけど」


「ちょっとは嬉しそうにしてよ!」


 湊は少し口元を緩めた。


 そこに澪が来て「お弁当、一緒にどうですか」と声をかけた。ひなたも「私お菓子持ってきた!」と袋を開け、めぐが「私チョコある!」と叫び、冬華が静かに「コーヒーある」と保温ボトルを出した。


 にぎやかな輪の中で、湊は少し遠い目をした。


 子どもの頃、競技の練習ばかりで、こういう「みんなで雪山にいる時間」が少なかった。


 嫌いじゃない、と思った。


* * *


 午後、下山する途中でひなたが足を滑らせた。


 湊がとっさに支えたが、ひなたの勢いで二人は斜面に横倒しになり、ひなたが湊の上に乗っかった形になった。ゴーグルが弾き飛んで、顔と顔が近い。


「いたた……七瀬くん、大丈夫?」


「……私は大丈夫です」


「あ、これひなたが七瀬くんに乗っかってるやつだ、と思って見てたら……ごめん笑っちゃった」


 朱音の声が雪山に響いた。


 冬華がシャッターを切っていた。


「撮らないでください」


「構図がよかった」


「それは関係ないです」


 めぐは「いいなあ……」と言い、澪はそっぽを向いた。


 湊はため息をついた。


 でも——口には出さないが、今日は悪くない一日だった。


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【第7話】湊の過去と、一人で滑る理由

誰も知らない「元天才」の夜


 その日の閉店後、湊は一人でゲレンデに残った。


 照明のない夜のゲレンデ。月明かりと遠くのリゾートのライトだけが斜面を照らしている。


 湊はゆっくりと滑り下りた。


 誰も見ていない。誰かに見せるためでもない。ただ、滑る。


 十八歳のあの日のことを、今でも時々思い出す。


 ハーフパイプで完璧な演技をしたその三日後に、練習中に着地を失敗して膝を壊した。


 手術は成功したが、「競技に戻る」という選択肢は医師に否定された。


 その夜、湊は泣かなかった。


 何も感じなかった——というより、感じ方がわからなかった。


 スノーボードが好きだった。ただそれだけのはずなのに、いつのまにか「勝つこと」と「滑ること」が同じものになっていた。競技を失ったとき、滑ることまで一緒に失った気がして、一ヶ月ほどまったく板に触れなかった。


 父が声をかけてきたのは、その頃だった。


「店の手伝いしてみるか」


 それだけだった。説明も励ましもなかった。


 湊は黙って頷いた。


 店に立ち始めると、不思議なことが起きた。


 お客さんが板を選ぶとき、目が輝く。初めてうまく滑れたとき、雪の感触に喜ぶ。湊が忘れかけていた「ただ楽しいから滑る」という気持ちを、お客さんたちが体現していた。


 それが、湊を少しずつ板の上に戻していった。


* * *


 夜のゲレンデを滑り終えた湊が板を外して歩いていると、ベンチに人影があった。


 澪だった。コートを着て、膝に手袋を置いて、ゲレンデを見ていた。


「……澪さん?」


「夜のゲレンデが好きで。静かだから」


 湊は少し考えて、隣に座った。


「競技、辞めたときのこと……聞いていいですか」


 澪は少し間を置いた。


「怖かったです。アイスリンクに立てなくなるかもって。でも怖かったのは、スケートができないことより……スケートができない自分がどこにいればいいか、わからなかったことで」


 湊は静かに聞いていた。


「七瀬さんは?」


「似てます」


 二人はしばらく黙って、月明かりの雪面を見ていた。


「雪、きれいですね」


「そうですね」


 それだけで十分だった。


 湊はその夜、少し軽くなった気がした。


 澪は帰り際に一度だけ振り返って、「また滑りましょう」と言った。


 湊は頷いた。


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【第8話】ひなたの動画企画と撮影大失敗

「七瀬くんのかっこいい滑りを撮るはずが……」


「七瀬くん! 今日ついに撮影OKもらいました!?」


「……一度だけ、後ろ姿だけ、顔は絶対映さない、という条件で」


「やったー!!」


 ひなたは飛び跳ねた。


 今回の企画は「地元スノーボードショップの元天才が見せる究極のカービング」。湊が出ることを条件に、後ろ姿限定で協力することになった。


 撮影当日、ひなたはカメラを三台セットした。


「ヘルメットマウント、斜面脇固定カメラ、あと手持ちカメラ! 万全の体制!」


「……これだけで疲れそうですね」


「七瀬くんはいつも通り滑るだけでいいです!」


 湊は頷いて、スタート地点に立った。


 滑り出しは完璧だった。湊のカービングは流れるようで、ヘルメットカメラからの映像もばっちり。


 問題は中間地点で起きた。


 斜面脇で撮影していたひなたが「もっと近くで撮らないと!」と移動しようとして、三脚ごとひっくり返った。


「きゃっ!」


 湊は即座にブレーキをかけて戻ってきた。


「大丈夫ですか」


「だ、大丈夫……カメラは?」


「雪に埋まってます」


「ああ〜〜〜」


 掘り起こすと、カメラは無事だった(防水ケースに入れていた)。しかしひなたは雪だらけで、湊が雪を払いながら「怪我は?」と聞いた。


「腕ちょっと痛い……」


「見せてください」


 ひなたが右腕を出すと、湊が袖をたくし上げて確認した。


「打ち身ですね。大きな怪我じゃないです」


「えっ、七瀬くんが私の腕さわさわしてる……ドキドキする」


「確認してるだけです」


「わかってるけど女の子的にはドキドキするの!」


 湊は無言で袖を下ろした。


* * *


 二回目の撮影は無事に終了した。


 その夜、ひなたが編集した映像を見た。湊の後ろ姿のカービングは確かに美しく、「かっこよすぎる……」と呟いた。


 翌日投稿すると、一日で再生数が三千を超えた。


「七瀬くん! 三千再生!」


「……よかったです」


「嬉しくない!?」


「なんとも言えないです、自分のことなのに」


「それがまたかっこいいんだよなあ」


 ひなたはスマホを見ながら言い、「次の企画も手伝ってください!」と目を輝かせた。


 湊はため息をついたが、断らなかった。


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【第9話】冬華と二人だけの早朝撮影

言葉の少ない二人が、雪山でだけ饒舌になる


「早朝の雪質が一番きれい。五時に来れる?」


 冬華からそう聞かれた湊は、少し考えて「来れます」と答えた。


 翌朝五時、まだ暗いゲレンデに二人がいた。


 冬華は三脚を立て、長時間露光の設定をしていた。


「……何を撮るんですか」


「斜面に降り積もった雪と、まだ誰も滑っていないバーンの質感。踏み荒らされる前の雪面」


「きれいですね、確かに」


「あなたが滑ったところも撮りたい。消えてしまう前に」


 踏み荒らされる前の雪面に、湊が滑ったトレースが残る。それを撮りたいという。


 湊は頷いた。


 夜明け前の青い時間に、湊は斜面を一本滑り下りた。フォームは競技時代のもの——体に染み込んだ動きが、自然と出た。


 冬華はシャッターを切った。


 湊が戻ってくると、冬華がカメラのモニターを見せた。


 雪面に弧を描くトレース。朝の青い光に染まった斜面。右端に小さく、湊のシルエット。


「……きれいだ」


「あなたの滑りがきれいだから」


 冬華はさらりと言った。感情を込めているのか、写真の講評をしているのか、区別がつかない。


* * *


 撮影が終わり、二人で保温ボトルのコーヒーを飲んでいた。


 冬華が不意に言った。


「スノーボードを見る目が、他の人と違う」


「……どういう意味ですか」


「みんなは楽しんで滑る。あなたは滑ることと対話してる。好きというより、必要としてる感じ」


 湊は返事をしなかった。


 冬華は続ける。


「嫌いじゃない、そういう人」


 それだけ言って、カメラを片付け始めた。


 湊はコーヒーを飲みながら、遠くなりつつある夜空を見た。


 空が白み始めた頃、ゲレンデのリフトが動き始めた。


 帰り際、下山する坂道で冬華が滑った。湊がとっさに腕を掴んで支えたが、そのまま少し引き寄せる形になった。


「……ありがと」


「気をつけてください」


 冬華は腕を離すとき、一瞬だけ湊の手に自分の手を重ねてから、そっと離した。


 湊はしばらくその感触を覚えていた。


 雪の朝は、長い。


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【第10話】めぐが泣いた理由

一番明るい子が、一番頑張っていた


 その日のめぐは、いつもより少し元気がなかった。


 店に来ても「こんにちは〜」の声がいつもより静かで、湊は在庫を確認しながら「……何かありましたか」と聞いた。


「えっ、わかった?」


「顔に出てます」


 めぐは少し驚いた顔をして、それから苦笑した。


「……部で揉め事があって。私の仕切りが悪いって、何人かの部員に言われちゃって」


 湊は手を止めた。


「そうですか」


「私、部長に立候補したのは……みんなで楽しく滑れる場所にしたくて。でもいざやってみたら、スケジュール管理を間違えたり、備品の注文が遅れたり……天然すぎて、みんなに迷惑かけてばかりで」


 めぐはきゅっと唇を結んだ。


「本当に向いてないのかな、部長」


 湊はしばらく考えてから言った。


「部の備品、ちゃんと揃えましたよね。板の選定も、全員のデータをきっちり持ってきた」


「それは……ちゃんとしなきゃって思ってたから」


「天然って自分で言うけど、大事なことはちゃんとやってる。揉め事があって一人で来るのも、一人で考えるタイプだから。部長向いてないとは思いません」


 めぐは目をぱちぱちさせた。


「……七瀬さん」


「何ですか」


「優しい」


「事実を言っただけです」


「それが優しいんですよ!」


 めぐは少し目が潤んでいたが、笑い声が出てきた。


* * *


 帰り際、めぐがドアのところで振り返った。


「七瀬さん、ありがとうございました。なんか……楽になりました」


「そうならよかったです」


「一個だけ聞いていいですか」


「何ですか」


「七瀬さんって……誰かのことが好きですか」


 湊の動きが止まった。


「……何でそんなことを」


「なんとなく。いつもみんなのこと見てるから、気になって」


 湊は少し考えてから言った。


「雪山が好きです」


「そっちじゃなくて!」


 めぐはぷっと笑いながら「またね!」と手を振って出ていった。


 湊はカウンターに戻り、整理を続けた。


 ——誰かのことが好きか。


 考えたことがなかったわけじゃない。


 ただ、答えが出る前に、今日もまた雪が降り始めていた。


════════════════════════════════════════


【第11話】ホワイトアウトの山と、二人だけの待機

閉じ込められた山小屋で、朱音が聞いたこと


 その日の午後、急に天候が崩れた。


 視界が白くなるホワイトアウト。ゲレンデは即座に閉鎖され、湊は離れたロッジにいた朱音を迎えに行った。


「なんで一人でこんな遠くに……」


「絶景ポイントって書いてあったから来てみたら吹雪になって……!」


 二人で近くの山小屋に避難した。


 使われていない小屋だが、乾いた薪があり、暖炉に火を入れると少し暖かくなった。


 外は白。静寂。


 二人は並んで暖炉の前に座った。


「……ありがとう、来てくれて」


「ゲレンデ側にいたので近かったです」


「でも来てくれた」


 朱音は膝を抱えた。


「ねえ、七瀬さんって昔、競技のとき楽しかった?」


「……楽しかったと思います。楽しいのか苦しいのかわからなくなってた時期もあったけど」


「怪我して辞めたとき、泣いた?」


「泣かなかったです」


「……なんで?」


「泣き方、忘れてたと思います」


 朱音は黙った。


 しばらくして、静かに言った。


「私さ、去年お母さんが病気になって、心配でしょうがなくて。でもスノーボードやってるときだけ、ちゃんと笑えてた。七瀬さんに教えてもらって、うまくなれて……なんか救われてた気がする」


 湊は正面を向いたまま聞いていた。


「今はお母さん、よくなってます。でも……七瀬さんに言いたかった。ありがとうって」


 朱音の声が少し震えた。


「……」


「なんか黙ってないでよ」


「……よかった。お母さんが元気になって」


「それだけ?」


「……話してくれて、ありがとうございました」


 朱音は笑った。泣きながら、笑った。


* * *


 一時間後、天候が回復した。


 二人で山を降りながら、朱音が湊の隣を歩いた。


 帰り道、雪が積もった木の枝が揺れて、二人の頭に雪が落ちてきた。


「きゃ!」


 朱音がよろけた瞬間に湊が腕を掴み、引き寄せた。二人の顔が近くなった。


 朱音は少し動揺して「ど、どうも……」と呟いた。


 湊は何も言わずに離れたが、朱音はその後ずっと右腕のあたりを押さえていた。


 その日の帰り道が、なんだかいつもより長く感じた。


════════════════════════════════════════


【第12話】第一期・中間クライマックス「五人と一人の雪上祭り」

「全員が同じ斜面で滑る日、湊はどこを見ていたか」


 ひなたの提案で「みんなでゲレンデを楽しむ日を作ろう」という話が持ち上がり、結果として朱音、澪、ひなた、冬華、めぐの五人と湊、さらにめぐの連れてきた部員数名が加わった「非公式スノーボードデー」が実現した。


 青空。粉雪の残る白いバーン。リフトの列にならんで談笑する声。


 湊はその少し端に立って、みんなを見ていた。


「七瀬さん! 来て来て!」


 朱音が手を振っている。


「七瀬くん、私の滑り確認してほしい!」


 ひなたがカメラを向けている。


「七瀬さん、今日の雪質どうですか」


 澪が静かに聞いてくる。


「一本撮っていい?」


 冬華が構えている。


「七瀬さ〜ん! 部員が転びすぎて大変です!」


 めぐが駆け寄ってくる。


 湊は小さく息をついた。


 ——うるさい。


 ——でも。


 悪くない。


* * *


 昼食のあと、全員でリフトに乗った。


 偶然、湊と澪が同じリフトになった。


 上に登りながら、澪が静かに言った。


「今日……楽しそうに見えます、七瀬さん」


「そうですか」


「自分では気づいてないんですね」


「……言われてみれば、そうかもしれない」


 澪は前を向いたまま、小さく微笑んだ。


 リフトが山頂に着いた。


 湊は一度斜面の下を見渡した。


 朱音がスタートしながら転んで笑っている。ひなたが撮影しながら追いかけて一緒に転んでいる。めぐが部員を励ましている。冬華が黙って最高のアングルを探している。


 みんなが、今日の雪を楽しんでいる。


 湊は板の先を斜面に向けた。


 プッシュ——一蹴り。


 斜面を滑り落ちる。久しぶりに、力を抜いて、スピードを楽しむために滑った。


 競技者として滑っていた頃とは違う。誰かに勝つためでもなく、見せるためでもなく。


 ただ、楽しいから。


 ——あ、これか。


 みんなが教えてくれていたものが、やっとわかった気がした。


* * *


 その夜、五人から同時にLINEが来た。


 朱音:「今日最高だった!また絶対やろ!」

 ひなた:「撮影バッチリです!七瀬くんの滑り神でした!」

 澪:「お疲れ様でした。また一緒に」

 冬華:「今日のベストショットはあなたの最後の一本。送る」

 めぐ:「七瀬さん今日ちょっと笑ってましたよね!!!!!!」


 湊は画面を見て、少し考えてから、全員に「お疲れ様でした」と返信した。


 冬華から写真が届いた。


 夕暮れの斜面を滑り下りる、湊の後ろ姿。


 顔は映っていない。でも肩の力が抜けていることは、シルエットからでもわかる。


 湊はその写真を、しばらく眺めた。


 第一期・後半へ続く。

【第13話】澪の初レース、湊のコーチング

競技者だった二人が、新しい形で競技に向き合う日


 スノーボード部が主催するアマチュアレースに、澪が参加を決めた。


「フィギュアで競技をやめてから、ずっとタイムを競うことを避けていました。でも……やっぱり、滑るなら本気で滑りたい」


 湊に打ち明けたのは、出場エントリーの三日前だった。


「コーチングしてもらえますか」


 湊は少し迷った。自分が競技に戻る気はない。でも、澪の目を見ていたら、断れなかった。


「わかりました。でも私のやり方でいいなら」


「はい」


* * *


 三日間の特訓が始まった。


 湊は多くは語らない。でも必要な情報は的確に出す。


「カーブの入りが早い。板を信頼して、もう〇・五秒遅らせてみて」


「わかりました」


 澪は言われたことを即座に実践する。元競技者の体の使い方は、ほんの少しのヒントで大きく変化する。


 二日目の午後、初めてタイムが大幅に縮まった瞬間、澪が斜面の下で小さくガッツポーズをした。


 湊は上から見ていて、自分でも気づかないうちに少し口角が上がっていた。


 三日目。最終調整の後、二人で休憩した。


「七瀬さんは……レースに出たいとは思わないんですか」


「思わないです」


「本当に?」


「……時々は思います。でも今は、誰かが滑るのを見る方が好きかもしれない」


 澪は静かに聞いていた。


「コーチング、向いてると思います」


「そうですか」


「私が言うから本当です」


 澪は確信を持った口調で言った。


* * *


 レース当日。


 澪は整然と滑った。タイムは参加者中三位。初出場でこの結果に、周囲がざわめいた。


 ゴール後、澪が湊のところに来た。


「三位でした」


「よかったです」


「もっと上を狙えたかもしれない」


「次は上を取ればいい」


 澪は少し笑った。


「七瀬さんと組んで出たら、多分優勝できます」


「……レースは一人です」


「でも練習は一緒にできる」


 湊は澪の目を見た。いつもクールな目が、今日だけ少し燃えていた。


「……次のシーズンも来ますか」


「来ます」


「わかりました」


 それだけだったが、澪にとっては約束のようなものだった。


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【第14話】温泉宿の夜、五人全員が揃った

壁が薄い宿と、聞こえてしまった本音


 めぐの「みんなで泊まりがけで滑りに行こう!」という提案が、なぜか実現してしまった。


 白馬近郊の古い温泉宿。「一棟丸ごと借り切れる格安プランがあって!」というめぐの情報に全員が乗り、気づいたら湊も「……店番は父に頼めます」と言っていた。


 宿に到着した夜、女湯と男湯が隣り合わせになっており、湊が男湯に入っていると隣から声が聞こえてきた。


 声は五人全員分で、会話がほぼ筒抜けだった。


「ねえ、みんな七瀬さんのことどう思ってるの」


 ひなたの声。


「……どうって?」


 澪の声。


「好きでしょ、みんな」


 沈黙。


「……否定はしません」(澪)


「私もかなり好きだよ!」(朱音)


「私もです……でもまだ七瀬くん自分の気持ちに気づいてないと思う」(ひなた)


「撮り続ければ、いずれわかるかも」(冬華)


「七瀬さん鈍感だからなあ……」(めぐ)


* * *


 湊は湯船の中で天井を見上げた。


 ——全部聞こえてる。


 次の瞬間「でもライバルは多いよね」「どう攻める?」「作戦会議しよ」という声が聞こえてきた。


 湊はそっと湯船から出た。


 夕食のとき、五人は全員普通に接してきた。何も知らないふりをしていた。


 湊も何も言わなかった。


 ただ、夕食の後、縁側から見る雪山を眺めながら、湊は初めてきちんとその問いと向き合った。


 好きか。


 ——五人全員のことが、嫌いじゃない。それぞれのことが好きだと思う。


 ただ、「誰が一番」という答えが、まだ出ない。


 もしかしたら出さなくていいのかもしれない、とも思った。


 でもそれは、いつかは答えを出さなければいけない問題でもあった。


* * *


 深夜、廊下で朱音と鉢合わせした。


 二人ともトイレに起きてきたようだった。


「……夜中に会うの、なんか変な感じだね」


「そうですね」


「ねえ七瀬さん、さっきお風呂で話、聞こえてた?」


 湊は少し間を置いた。


「……壁が薄かったです」


「じゃあ聞こえてたじゃん!」


 朱音は顔を赤くした。


「……で、どうなの。私たちのこと、どう思ってる?」


「……考えています」


「何年かかる気!?」


「……今シーズン中には、何か答えが出るかもしれないです」


 朱音は少し目を丸くして、それから笑った。


「じゃあ待ってる」


 廊下の電球が、二人をぼんやりと照らしていた。


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【第15話】冬華が見せた、カメラの中の秘密

一番言葉の少ない子が、一番たくさん撮っていた


「これ、見る?」


 冬華が差し出したのは、ノートパソコンだった。


 画面には写真のアルバムが開いていた。


「今シーズン撮ったもの」


 湊はスクロールした。


 白い斜面。朝の静けさ。リフトから見た山の稜線。部員が転んだ瞬間の笑顔。ひなたが転倒して雪まみれになっている図。澪がゴールした瞬間に小さくガッツポーズした場面。めぐが部員を励ましている横顔。朱音が一人で夕暮れの斜面を見ている後ろ姿。


 そして——湊の写真が、やけに多かった。


 滑っている姿。板を調整している手元。カウンターの奥でリストを眺めている横顔。早朝の撮影で、コーヒーを飲みながら遠くを見ている目。


「……たくさん撮ってくれてるんですね」


「被写体として面白いから」


「それだけですか」


 冬華は少し間を置いた。


「……被写体は、撮りたいと思う人しか撮らない」


 それが冬華なりの告白だと、湊は気づいた。


「ありがとうございます」


「礼は要らない。写真が好きな人間が好きなものを撮ってるだけ」


 冬華はノートパソコンを閉じた。


「……でも」


 珍しく、少し間があった。


「あなたの滑りを撮り続けたい。来シーズンも、その次も」


 湊は冬華の目を見た。普段は読めない目が、今はまっすぐこちらを向いていた。


「……よろしくお願いします」


「うん」


 冬華は珍しく、はっきりと笑った。


 それを見た湊は、また少し、心が揺れた。


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【第16話】ひなたチャンネル、一万登録突破

「全部、七瀬くんのおかげです」「違います」


「一万人突破しました!!!!!!」


 ひなたが店に飛び込んできた。


「チャンネル登録一万人!! 七瀬くんのおかげです!!!」


「……おめでとうございます」


「「おめでとう」じゃなくて!!!一緒に喜んで!!!!!」


 湊はカウンターから出て「すごいですね」と少し声のトーンを上げた。


「もっとリアクションして! 一万人だよ!?」


「……本当にすごいです」


「そのくらいでいい!」


 ひなたは飛び跳ねながら喜んだ。


「祝勝会しよう! 今日お店閉まったら全員呼んでいいですか!?」


「……父に相談します」


* * *


 閉店後、スノーラボの奥のスペースで六人の小さな祝勝会が開かれた。


 父親の七瀬誠せいさんが「じゃあ俺は出かけてくるわ」と気を遣って席を外してくれた。


 ひなたが持ってきたケーキに「1万人!」と手書きの文字があった。


「七瀬くんスピーチして!」


「……ひなたさんのチャンネルなので、ひなたさんが話すべきでは」


「いいから!」


「……ひなたさんは、最初から情熱があって、それが形になった結果です。私は後ろ姿を撮られただけなので、今後も関係ないですが……」


「関係あるもん!!!」


「……これからもがんばってください。おめでとうございます」


 拍手が起きた。


 ひなたは少し涙目になっていた。


「七瀬くんって不器用だよね」


「そうですか」


「でも言ってくれたこと全部覚えてる。最初に「続けてください」って言ってくれたの」


「言いましたっけ」


「言ったもん!!」


* * *


 帰り際、みんなが外に出たタイミングで、ひなたが倉庫の出口で転んだ。


 湊がとっさに支えたが、ひなたが湊の胸に顔を埋める形になった。


「……大丈夫ですか」


「だいじょうぶ……」


 ひなたはそのまま少しの間、動かなかった。


「……ひなたさん?」


「……もうちょっとだけ、このまま」


 三秒ほど。


 それから離れて、「はい! 大丈夫です!」と明るく言った。


 赤い顔のまま。


 外では朱音が「遅い!」と言っていた。


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【第17話】シーズン後半戦、初の吹雪ナイトラン

五人全員が湊に「今日は私と滑って」と言った日


 ナイターの日。


 その夜に限って、朱音・澪・ひなた・冬華・めぐの五人全員がゲレンデにいた。


 そして全員が湊に「今日は私と一緒に滑ってほしい」と言ってきた。


「「「「「一緒に滑ろう(一緒に滑りませんか/一緒に滑ってください/今日隣にいてほしい/七瀬さんと滑りたい)」」」」」


 五人の声がほぼ同時に重なった。


 湊は全員の顔を見回した。


「……順番に、一本ずつ」


 全員が「「「「「えー!!」」」」」と言ったが、それ以外に解決策がない。


* * *


 一本目:朱音と。


 朱音は湊の真横に張り付いてターンのタイミングを合わせようとした。二人のエッジが交差しそうになる瞬間、湊がとっさに朱音の腰に腕を回して軌道修正した。


「ありがとう! ドキドキした!」


「事故です」


「わかってる! でもドキドキした!」


* * *


 二本目:澪と。


 澪は黙って湊の横に並んだ。二人とも無言で同じリズムで滑り下りる。言葉はいらなかった。


 下まで来て、澪が「楽しかったです」と言った。


 湊も「……楽しかったです」と言った。


 二人はそれだけで満足した。


* * *


 三本目:ひなたと。


 ひなたはカメラで自撮りしながら滑ろうとして、危うくスピードが出すぎた。湊が横から体を寄せて速度を調整した。


「密着!」


「事故です」


「今日二回目の事故!!」


* * *


 四本目:冬華と。


 冬華は自分は滑らず「あなたの横を歩きながら撮る」と言った。


「それはナイターじゃないですか」


「ライティングが面白い」


 結果として、ライトに照らされながら滑る湊を、冬華が斜面脇を歩きながら撮影するというシュールな一本になった。


 でも、映像は美しかった。


* * :


 五本目:めぐと。


 めぐは緊張しすぎて途中で止まった。


「どうしました」


「七瀬さんと二人で滑るって思ったら足が動かなくなっちゃって……」


「……息を吸って、吐いてください」


「吸って……吐いて……あっ、動いた!」


「じゃあいきましょう」


「はい!!」


 五本終わったとき、湊はただ疲れていた。


 全員で温かい飲み物を飲みながら、「今日の一番は誰?」という会話になったが、湊は「全員です」と言って終わらせた。


 五人は全員不満げな顔をしたが、それ以上は言わなかった。


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【第18話】めぐの部員が大怪我、湊が見せた本気

元天才が「競技者」の目になった瞬間


 事故は突然だった。


 めぐの部員の一人、二年生の男子がコースを外れて木に激突し、足首を骨折した。


 救助隊を待つ間、現場にいた湊がすぐに動いた。


 動かさないこと。保温。状態の確認。携帯電話での連絡。周囲の整理。


 めぐは青ざめていたが、湊の動きを見て「七瀬さん!」と呼んだ。


「大丈夫ですか彼は」


「骨折だと思いますが、動かさない方がいい。救助隊はあと十分で来る」


「……七瀬さんって、こういうとき頼りになる」


「ゲレンデで長くいれば、こういうことは学びます」


 救助が来て、部員は搬送された。骨折だったが、手術不要の軽度のものだった。


 その夜、めぐは湊に電話した。


「本当にありがとうございました。私、パニックになっちゃって……七瀬さんがいなかったら、どうなってたか」


「大事な部員が怪我をすると、怖いですよね」


「……はい。泣きそうでした」


「泣いてよかったと思いますよ」


「え?」


「責任感があるから、緊張したんでしょう。変な話、怖くない人の方がおかしい」


 電話の向こうで、めぐが息を吸う音がした。


「……七瀬さん、なんでそんなにわかってくれるの」


「部長ですから。重かったでしょう」


「……うん」


 しばらくの間。


「七瀬さんのことが……好きです」


 湊は少し止まった。


「……今は、電話を切って、ゆっくり休んでください」


「聞こえなかったことにするの?」


「……聞こえていました。ちゃんと、考えます」


「……うん。おやすみなさい」


 めぐは電話を切った。


 湊はしばらく夜の外を見た。


 雪が、また降り始めていた。


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【第19話】春の予感と、朱音からのデート申請

「二人で、スノーボードじゃなくて普通にデートしよ」


 三月に入り、白馬のゲレンデには少しずつ春の気配が漂い始めた。


 日差しが強くなり、午後の雪はシャバシャバになる。


 朱音が店に来て、カウンターに手をついて言った。


「七瀬さん、今度の定休日、空いてる?」


「水曜ですか。特に予定はないですが」


「デートしよ」


 湊は手元のリストから顔を上げた。


「……スノーボードじゃなくて?」


「そう。ただのデート。二人で、雪山関係ない場所に行こ」


 湊はしばらく考えた。


「わかりました」


「え、あっさり承諾!?」


「問題があるなら言います」


「……ありがとう」


* * *


 水曜日。


 待ち合わせは駅前。朱音はジャケットとスカートというゲレンデとは全然違う姿で来た。


「あれ……七瀬さん、普通の服もあるんだ」


「ショップの制服以外も持っています」


「なんか新鮮。かっこいい」


 湊の耳が少し赤くなった。


 二人は町の商店街を歩いたり、カフェに入ったり、本屋をぶらついたりした。


 湊はほとんど喋らなかったが、朱音が話す言葉には全部応えた。


「七瀬さんって本屋好きなんだ」


「地図の本とか、山の本が好きです」


「スノーボード関係じゃないのも読むの?」


「……歴史の本も。面白いので」


「全然知らなかった!」


 朱音は少し嬉しそうだった。


 帰り道、日が暮れて駅前に着いたとき、朱音が足を止めた。


「今日……楽しかった」


「私も。久しぶりに外をゆっくり歩いた気がします」


「それなんか切ないな」


「そうですね」


「七瀬さんってさ……絶対いつか誰かを好きになると思う。そのとき、ちゃんと言えるといいね」


「……なぜそういうことを」


「応援してるから。私も含めて」


 朱音は笑って手を振り、改札に入っていった。


 湊は少し立ち止まって、遠くなる朱音の背中を見ていた。


 ——応援してる。


 その言葉が温かくて、少し痛かった。


 春風が、コートの裾を揺らした。


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【第20話】澪が決めたこと、湊が聞かされたこと

「また競技に戻ります。でもそれは、ここで決めたことだから」


 澪が来店したのは、雨の日だった。


 白馬に雪ではなく雨が降るようになってきた。シーズンの終わりが近い。


「七瀬さん、話があります」


 湊は在庫確認の手を止めた。


「また競技に戻ることにしました」


 湊は少し間を置いた。


「フィギュアスケートですか?」


「いいえ。スノーボードで」


 湊の眉が動いた。


「来シーズンから、アマチュアの選手として出場しようと思っています。本格的に練習して、できれば将来的には……」


 澪は少し間を置いた。


「あなたにコーチになってほしい」


「……私は」


「今の「私はプロでも指導者でもない」という返しは聞きたくないです。そうじゃないとわかってる。あなたの見る目と、技術の説明の仕方と、私の滑りを変えてくれた事実を信じています」


 湊は静かに澪を見た。


 澪の目は、競技者の目だった。フィギュアでも見たことがある——目標を見据えた、揺るがない目。


「……来シーズンが始まるまでに、答えを出します」


「わかりました」


 澪は一度頷いた。


「七瀬さん、この冬——ありがとうございました。ここで滑ったから、また走り出せます」


 湊は静かに頷いた。


* * *


 閉店後、湊は父に話した。


「澪さんのコーチングをしてほしいと言われた」


 父は少し驚いた顔をしてから、言った。


「どうしたい?」


「……まだわからない」


「やりたいか、やりたくないかで言えば?」


 湊は少し考えた。


「……やりたいかもしれない」


 父は黙って頷いた。


「じゃあやれ」


 それだけだった。


 湊はまたいつかのように、父の言葉の少なさに助けられた。


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【第21話】ひなたの本音と、屋根から落ちてきた雪

笑顔の子が一番、ずっと我慢していた


 ひなたが珍しく、カメラを持たずに来店した。


「撮影じゃないんですか?」


「今日は……なんか話したくて来ました」


 いつもより声のトーンが低い。湊はカウンターの前に椅子を出した。


「どうぞ」


 ひなたは座って、しばらく黙った。


「私さ……本当は、七瀬くんのこと、みんなより先に好きになったと思うんだよね」


 湊は返事をしなかった。続きを待った。


「グローブ買いにきた初日から、ずっと気になってた。でも……みんなも好きになってって、なんか言い出せなくて。「私が一番最初!」って言ったところで、どうなるもんじゃないし」


「……ひなたさん」


「わかってる。全部わかってて、でも今日言いたかったの。どうにかしてほしいとかじゃなくて……ただ、言いたかっただけ」


 ひなたは笑おうとしたが、うまく笑えなかった。


「……聞いてくれてありがとうございます」と湊は言った。


「うん」


* * *


 少しして、湊が店の外の様子を見に出た。


 春先の重い雪が屋根に積もっていた。


 確認しようと湊が屋根を見上げたとき、ちょうど大きな雪の塊が滑り落ちてきた。


 とっさに横に飛んだら、後ろから来たひなたに衝突した。


 二人で地面に倒れ、ひなたが湊の上に乗った形になった。


「いった……あ、また乗っかってる」


「……今日は事故ではなく屋根の雪です」


「言い訳が細かい!」


 ひなたは笑った。今度はちゃんと笑えた。


「……七瀬くん、答え、急がなくていいから。私、待てる」


「……ありがとうございます」


「その代わり、撮影にはまだ付き合ってね」


「……それは続けます」


 ひなたはようやく起き上がって、雪を払いながら「よし!」と言った。


 空が少しずつ青くなっていた。


 春が来ている。


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【第22話】シーズン最終日前夜、湊の独白

雪が解ける前に、答えを出さなければならない


 シーズン最終日の前夜。


 湊は一人でゲレンデにいた。


 月が出ていた。雪はまだ残っているが、その表面が少し固くなっている——春が近い証拠だ。


 湊は斜面の上に立って、月明かりの白を見下ろした。


 ——今シーズンが終わる。


 温泉宿で聞いてしまった声を思い出す。「好きだよ」と言いながら笑った朱音を思い出す。夜のゲレンデで語った澪を思い出す。カメラで撮り続けてくれた冬華を思い出す。チャンネルのことを報告しに来たひなたを思い出す。電話の向こうで泣きそうになっていためぐを思い出す。


 全員のことが好きだ、と思う。


 でも「誰か一人」という問いには、まだ正直に答えられない。


 ——自分は今まで、人を好きになることを後回しにしてきた。


 競技がある間は競技だけ。競技を失ったら雪山と店だけ。


 その間ずっと、「誰かを好きになる」という経験を先送りにしてきた。


 今シーズン、五人が来てくれて——初めて、それを考えるようになった。


 湊は斜面を見下ろして、静かに板を踏み出した。


 月光の中を、一人で滑り下りた。


 最後の一本は、不思議なほど軽かった。重力に任せて、ただ流れる。


 斜面の下まで来て、止まって、振り返った。


 自分のトレースが、月明かりの中に弧を描いている。


 それを見て、湊はぽつりと言った。


「……答えは、出てる」


 声にしてみて、初めてわかった。


 頭ではまだまとまっていない。でも、体はもう知っていた。


 誰を見ていたか。


 誰のことを、一番「傍にいてほしい」と思っていたか。


 雪が解けたら、言おう。


 それとも——最終日に、言えるだろうか。


 湊は板を外して、月を見上げた。


 答えは出た。後は、勇気だけだった。


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【第23話】最終日の斜面で、湊が走った理由

「七瀬さんが走るの、初めて見た」


 シーズン最終日。


 白馬のゲレンデは快晴だった。


 五人全員が揃った。朱音、澪、ひなた、冬華、めぐ——みんながわかっていたかのように、同じ日に来た。


「なんかさ、最終日って感じがして来ちゃった」


 朱音が言い、みんなが頷いた。


 午前中は全員で滑った。


 湊は一人ずつのそばで少し滑って、一人ずつの「今シーズンの成長」を見た。


 朱音は最初より格段にターンが安定した。

 澪は競技で使えるレベルの技術を身につけた。

 ひなたはカメラを持ちながらでも安全に滑れるようになった。

 冬華は今季初めて少し自分も滑ってみた。

 めぐは部員の中で一番上手になっていた。


 全員が、この冬に何かを変えた。


* * *


 昼休みに、ひなたが言った。


「七瀬くん……なんか言いたいことあるんじゃないの」


 みんなが湊を見た。


 湊は少し間を置いた。


「……あとで」


「あとでって!?」


「昼を食べてから」


 昼食後、全員で斜面の上に立った。最後の一本を滑ろうという話になった。


 全員でスタートし、斜面を下りていくとき——湊は少し後れた。


 見ていた。


 五人が笑いながら、転びながら、叫びながら、雪の斜面を下りていく。


 その姿を目に焼き付けた。


 そして——板を外し、走った。


 「七瀬さんが走ってる!?」というめぐの声が聞こえた。


 湊はゴール地点で待っていた一人のところへ走り、立ち止まった。


 息が少し上がっている。


 五人全員の顔が、湊を見ていた。


* * *


 湊は、正面にいる人を見た。


「……一つだけ言わせてください」


 その人は黙って待った。


「今シーズン、あなたのことを一番……傍で見ていたいと思っていました。来シーズンも、そのずっと先も」


 斜面が静かになった。


 他の四人は息を飲んでいた。


 湊が言い終えたとき、その人は少し目を潤ませて、でも笑って言った。


「……待ってた」


 雪が、春の光に輝いていた。


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【第24話】【最終回】粉雪は解けても、また降る

シーズンオフの店と、六人の次の約束


 三月末。白馬のゲレンデはクローズした。


 スノーラボの店頭には「シーズンオフ営業中」の看板が出ている。


 湊は板のメンテナンスをしながら、棚の整理をしながら、今シーズンを振り返っていた。


 たくさんのお客さんが来た。


 五人の常連と、それぞれの話があった。


 そして——最終日に、湊は答えを出した。


* * *


 翌週、珍しく五人全員が店に集まった日があった。


 別に約束していたわけではない。偶然が重なっただけだ。


 でも気づいたら全員がカウンター周りにいて、なんとなくお茶を飲んでいた。


「七瀬さん、来シーズンも教えてくれる?」(朱音)


「コーチングの件、また話し合いましょう」(澪)


「次の企画も考えてます!」(ひなた)


「来年も早朝撮影、付き合って」(冬華)


「部のみんなも七瀬さんのことファンになってて……」(めぐ)


 湊はお茶を淹れながら全員の声を聞いていた。


「……みんな、来シーズンも来るんですか」


「当たり前じゃない!」(朱音)


「来ます」(澪・冬華・ひなた・めぐ、四人が同時に)


 湊は少し笑った。


「……ありがとうございます」


* * *


 夕方、外に出ると、空がオレンジに染まっていた。


 雪はほとんど解けていたが、山の上の方にはまだ白が残っている。


 湊は空を見上げた。


 ——今年の冬も終わる。


 でも来年の冬が来る。


 また雪が降れば、またみんながここに来る。


 それがわかっているだけで、シーズンオフの静けさも悪くなかった。


 湊はショップの鍵を閉めながら、ぽつりと言った。


「来年も、よろしくお願いします」


 返事はなかった。


 でも春風が吹いて、看板がゆれた。


* * *


 エピローグ。


 五月のある日、湊のスマホにメッセージが届いた。


 澪から:「練習メニュー、考えてきました。来週見てもらえますか」

 ひなたから:「新企画のロケ地決まりました! 七瀬くんに見せたい!」

 冬華から:「写真展に出すつもり。あなたの写真も入ってる」

 めぐから:「新入部員が増えました!またお世話になります七瀬さん!!」

 朱音から:「ねえ七瀬さん、初夏にどこか行かない?」


 湊は全員に返信した。


 澪へ:「来週、空けておきます」

 ひなたへ:「見たいです」

 冬華へ:「写真展、行きます」

 めぐへ:「いつでも」

 朱音へ:「……行きましょう」


 送信ボタンを押してから、窓の外を見た。


 空は青かった。


 雪はない。


 でも——また冬が来る。


 粉雪は解けても、また降る。


 それが、湊の知っている雪山の話だ。


           ―― 第一期 完 ――


* 次回予告 *


 第二期「粉雪に恋して〜Summer Side Story〜」


 シーズンオフ、五人との夏。スノーボードを離れた場所でも、湊と彼女たちの距離は縮まり続ける。そして、湊が出した「答え」の真意が、五人それぞれに問われる夏が始まる——。

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