遠くの誰かを想う窓
時は2025年、現在。
菜央は縁側で、嬉しそうに春子とリュカの文通を読んでいた。
「おばあちゃん、すごく嬉しそう……」
文字の端々から、二人の優しい時間が静かに流れているのを感じた。
「リュカさんも、きっと真剣で素敵な人なんだろうな……」
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リュカの手紙:
春子さんの好きな季節は、どんな理由で好きなのですか?
春子の返事:
私は春が好きです。名前が「春子」だからだけじゃなく、
春の温かさや、春に咲く花たちが好きなんです。
ところで、あなたはいつから動物を愛するようになったのですか?
子どものころは、どんな夢を見ていましたか?
リュカの手紙::
私は生まれたときから、動物たちと一緒に育ちました。
彼らは、家族のように大切な存在です。
子どものころは、小説家になりたいと思っていました。
実は、今でもたまに小説を書いているんです。
春子さんの字、とてもきれいですね。
でも最後の行、少し滲んでいました。
まさか涙……ではなく、うっかりお茶をこぼしたのでは?
春子の返事:
小説家……素敵ですね。いつか、あなたの書いた小説を読んでみたいです。
ええ、ちょうどお茶を飲んでいたんです。
でも、あなたの手紙を読んだ瞬間、ふっと笑ってしまって……
ちょっぴり、いじわるですよね。
リュカの手紙:
いじわるですか?
たぶん、春子さんが笑ってくれたと思うと、僕は少し嬉しいんです。
手紙の向こうで、春子さんがどんな表情をしているのか、つい想像してしまって……
それも、ちょっとした僕のいじわるかもしれませんね。
春子さんは、どんなときに笑いますか?
子どものころの思い出でも構いません。
あなたの“笑顔の理由”を、知りたくなりました。
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「おばあちゃんは、どんな美しい風景を見ながら、リュカさんを想ったんだろう……」
そう思うと、胸がわくわくしてきた。
菜央は決心した。
「お母さん、私、明日小湊鉄道に乗ってくる!」
翌朝、菜央は早く家を出た。
目的はただ一つ、小湊鉄道に乗ること。
五井駅に到着し、切符を購入する。
掲示板を見ると、今年でちょうど100周年を迎えるという、歴史ある鉄道だ。
電車がゆっくりと駅に滑り込む。
車窓からは、春の光を浴びて黄金色に輝く菜の花畑が広がっていた。
風に揺れる花々は、小さな波のように揺れ、遠くまで続いている。
「わあ……きれい……」
菜央は息を呑み、手紙で読んだおばあちゃんの笑顔を思い浮かべた。
おばあちゃんは、毎朝この風景を見ながら、リュカさんのことを思っていたのだろうか。
手紙の文字から伝わってきた、ふたりの優しい時間が、まるで現実に溶け込んでいるかのようだった。
菜央はスマートフォンで写真を撮った。
でも、シャッターを押す手が止まった。
この時代の二人には、気軽に写真を撮るという文明はなかった。
言葉だけで、想いを伝え合っていたのだ。
「写真にしても、この景色の匂いや風、音までは伝わらない……
でも二人の手紙には、確かに伝わっていたんだな」
窓の外に広がる菜の花、風に揺れる草の匂い、遠くで鳴く鳥の声。
すべてが、春子とリュカの物語とつながっている気がした。
「私も、この景色を見ながら、誰かのことを思えるかな……」
菜央はそっと微笑んだ。
100周年の歴史ある小湊鉄道は、今日も静かに、未来と過去を結ぶ優しい時間を運んでいた。