ゆっくりと近づく心
手紙は数か月に一度届く。
春子は、毎朝ポストを確認するのが楽しみになっていた。
封筒を開けるたび、遠く離れた二人の間に流れる時間が、やさしくつながっているのを感じた。
便箋には、彼の町の様子が生き生きと書かれていた。
広い牧草地に咲く野の花、風にたなびく草の匂い、朝の光の中で草を食む牛たちの静かな姿。
小さなスケッチも添えられており、春子はそのたびに、知らない景色を旅するような気持ちになった。
内容は、特別なことばかりではない。
けれど、そんな何気ないやりとりが春子の心をやわらかく包んだ。
春子は手紙を書きながら問いかける。
「ブルターニュには何が有名なの?」
「私が住む町では、夜になるとホタルが見られるのよ。
夜の草むらで、ホタルがふわりと光るの。
小さな光たちが、まるで星が地上に降りてきたみたいなのよ。」
リュカも便箋に返事を綴った。
「ブルターニュには、モンサンミッシェルという海に浮かぶ城があるんだ。行ったことはないけどね。でもいつか絶対に行ってみたいんだ。」
「君の町のホタルの光も想像してみたよ。とても素敵な光景だろうな。」
それから二人は、日常の小さなことをやりとりするようになった。
「好きな趣味は?」
「お休みの日は何をしているの?」
ほんの小さな質問と返事の積み重ねが、少しずつ互いの世界を近づけていった。
春子もまた、返事を書くたびに工夫をした。
その季節に咲いた押し花を封筒に添えたり、絵を描いたり。
風に乗った香りを想像してもらう。
「海を渡っても、花の香りは届きますか?」
小さな一文に、彼女の心の奥の感情がにじんでいた。リュカからの手紙にも、それが伝わったのかもしれない。
ある日、リュカは手紙にこう綴った。
「春子さん、あなたの町を想像すると、ぼくの心がふわりと軽くなります。
いつか、小湊鉄道で見られるというあの黄色い花の中を歩いてみたいです。」
春子は思わず笑った。
純粋な憧れが、遠い海と牧場を越えて自分の心に届いた瞬間だった。
花を通して、香りを通して、彼の想いがそっと触れた。
最近では、小湊鉄道の窓の景色を眺めながら、リュカからの手紙を読むのが春子の日課になっていた。
春には桜と菜の花が線路沿いを彩り、春子の膝の上で青い封筒がやわらかく揺れる。
夏になると、青々とした田園風景が広がり、遠くで入道雲が立ちのぼる。
秋には紅葉が色づき、窓の外の景色と手紙の文字が静かに重なる。
冬には凍てつく空気の中、小湊鉄道の音が、心の奥のぬくもりをいっそう際立たせる。
手紙を抱きしめ、春子は小さくつぶやく。
――いつか、あなたにこの景色を見せたい。
文通というゆっくりとした時間の中で、二人の心は確かに近づいていた。
目に見えないけれど、香りと花がつなぐ「小さな約束」のように。
文字だけなのに、春子には彼の優しい性格や笑顔、思いやりまで伝わってきた。
離れていても、手紙だからこそ、一字一字に込められた彼の人柄がしっかり届くのだ。
丁寧に言葉を選び、心を込める時間があるからこそ、香りや景色、想いまで丁寧に伝えられることを、春子は実感した。
小湊鉄道の窓から見える景色は、二人を結ぶ静かな架け橋となった。