菜の花の返事
春子は、何度も便箋を前にしては、書いては消し、また書いてはため息をついた。
「遠い国の人に、何を伝えたらいいのだろう」
その問いが、胸の奥で小さくくすぶっていた。
けれど、窓の外では、今日も小湊鉄道の汽笛が鳴る。
菜の花の波が、線路のそばでゆっくり揺れている。
その黄色のひとつひとつが、まるで「だいじょうぶ」と囁いているようで、
春子はようやく、ペンを取った。
──リュカさんへ。
その一行を書くだけで、胸の奥が少し熱くなった。
自分の文字が、海を越えて誰かの目に届くと思うと、不思議な感情が湧いてくる。
春子は、思いつくままに、自分の小さな町のことを綴った。
線路の両側に咲く菜の花のこと。
春は花の香りが強くなり、町全体が甘い匂いで包まれること。
「あなたの町にも、こんな香りの花がありますか?」
春子は、そう書いてから、ふと手を止めた。
香りというものは、風と心がないと届かない。
でも、手紙なら──もしかしたら、届くのかもしれない。
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親愛なるリュカさんへ
お手紙をありがとうございます。
あなたの手紙から、ブルターニュの町はきっと美しいのだと感じました。
動物たちと過ごす日々も素晴らしいですね。
いつかブルターニュに行ってみたいものです。
私の町の春も、花でいっぱいです。
黄色やピンク、白の小さな花が風に揺れ、やさしい香りを運んでくれます。
特に、鉄道の線路の両側に咲く黄色の菜の花が美しいです。
春になると花の香りが強くなり、町全体が甘い匂いに包まれます。
リュカさんの町の花も、きっと美しいのでしょうね。
あなたの町にも、香りの花がありますか?
日本語、とてもよく伝わりました。
十七歳とは思えないほど、誠実で真っすぐな心が手紙からあふれています。
私は十八歳です。
私もいつか、あなたの町の春を見てみたいです。
そして、あなたがいつか日本の春を見に来てくれる日を楽しみにしています。
私の町の春の香りを、少しでも想像してもらえたらうれしいです。
これからも、こうして手紙を交わせることを楽しみにしています。
敬意をこめて
春子
日本・千葉から
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手紙を書き終えると、封をしながら春子は小さく笑った。
こんなふうに胸が高鳴るのは、いつぶりだろう。
遠い国にいる、顔も知らない誰か。
けれど、その誰かが自分の言葉を待ってくれていると思うと、嬉しくなった。
封筒に貼られた赤い切手の上を、指でなぞる。
「どうか、この花の香りも一緒に届きますように」
春子は、そう小さくつぶやいた。
ポストに手紙を投かんした瞬間、菜の花の香りがふわりと風に乗った。
まるで花たちが、春子の気持ちを運びに行くように──。