海を渡る手紙
あの日、ポストの中に見慣れない色の封筒が混ざっていた。
少し擦れた、淡い青。
宛名は、たどたどしい日本語で書かれている。
「サトウ ハルコ サマ」
春子は思わず手を止めた。
差出人の欄には、フランスの住所。
ブルターニュ……はじめて聞く土地の名まえにワクワクした。
封を切る指先が震えた。
中から現れたのは、白い便箋が三枚。
少し大きな字で、丁寧に書かれた日本語が並んでいた。
ところどころひらがなを間違えているのが、かえって愛おしく感じられた。
春子は机に腰を下ろし、ゆっくりと読みはじめた。
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親愛なる春子さんへ
はじめまして。ぼくはリュカ・ローランといいます。
フランスのブルターニュという町に住んでいます。
牧場の家に生まれ、毎日動物たちと一緒に暮らしています。
戦争が終わって、ぼくの町もやっと静かになりました。
でも、まだ壊れた家がたくさんあります。
大人たちは、「これからは新しい世界になる」と言っています。
ぼくも、そうなってほしいと思います。
日本のことは、学校で少しだけ習いました。
富士山という大きな山と、桜の花がとても美しいと聞きました。
でも、ぼくはまだ一度も桜を見たことがありません。
いつか、見てみたいです。
ぼくの町にも春になると花が咲きます。
ぼくは花が好きです。
きっと、春子さんの町にも花がありますよね?
どんな色の花が咲いていますか?
ぼくの日本語は下手かもしれません。
お父さんが少し手伝ってくれました。
どうか、読みにくかったらごめんなさい。
これから、あなたと手紙を交わせることがとてもうれしいです。
ぼくは十七歳です。
でも、いつか日本へ行ってみたいと思っています。
あなたの国の春は、どんな匂いがしますか?
敬意をこめて
リュカ・ローラン
フランス・ブルターニュから
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文字の揺れや、何度も消した跡から、リュカの誠実さや純粋な心が伝わってきた。
便箋を読み終えるころ、春子の胸がほんのり温かくなっていた。
言葉は拙くても、真っすぐで、どこか懐かしい。
遠い海の向こうで同じ春を見ている――それだけで、涙が出そうになった。
春子はそっと窓を開けた。
春の風が吹き込み、菜の花の香りが部屋に満ちる。
その香りが、まるで彼の手紙の続きを運んでくるように感じられた。
――あなたの国の春は、どんな匂いがしますか?
リュカの最後の問いが、何度も心の中で反響した。
彼に伝えたいことが、たくさんあった。
けれど、どんな言葉を選べばいいのだろう。
「ありがとう」だけでは足りない。
「うれしい」だけでは軽すぎる。
窓の外の黄色い花を見つめながら、春子は心の中でそっとつぶやいた。
――この景色を、あの青年に見せたい。
その夜、机の上に便箋を広げた。
ペンを持つ指が少し震えていた。
でも、胸の奥には小さな灯がともっていた。
やがてインクが紙を染め、
一文字ずつ、彼女の想いが形を取りはじめる。
彼が読みやすいように、理解しやすいように。
それが、彼女の最初の返事となる手紙だった。