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青い日、青い夏

作者: 十月花国

 青い日だった。

 目に映る全てが明るく、青く染まって見えた。

 そんな笑ってしまうぐらい、青い日だった。




    ◆◆◆




 母さんが死んだ。蝉が鳴き始めて、うるさいぐらいの時期。通勤中、事故にあったらしい。車に轢かれたとか聞いた直後、何も聞こえなくなった。

 その事を知ってから3日後の夜、葬式が始まった。なんだか泣けなかった。

 後からやってきた知らない親戚の人達が、口を揃えて父さんに可哀想だとか、頑張ってとか言っている。

 父さんは虚ろな目で、それに答えていた。

 時間がたつと、空いていた席も全部埋まって、お坊さんが仏壇の前に座り御経を読む。

 父さんが最初に立ち上がって仏壇の前で手を合わせ、それに続いた。

 仏壇には小さな花瓶に入った薄青色の花と、笑顔の母さんの写真がある。

 それを見ても、心が動く気はしなかった。


「なぁ、立人(りつと)。なんて、言えばいいのかわかんねぇけど、俺達頑張ろうな」


 焼香が終わって隣に座る父さんが、雑に頭を撫でてそう言った。

 上手く喋れなくなるぐらい父さんが泣いている所を初めてみた。

 そんな父さんの姿を見ても、変わらず泣けなくて、その言葉の意味がよくわからないまま、ただ呆然としていた。


「本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。私の妻は、今年四十五になったばかりで……」


 葬式の終わりに、父さんが挨拶をしている途中そこらからすすり泣く音が聞こえた。

 その音を聞いていると、心が苦しくなった。

 しばらくして、父さんは参列に来た人達と、よく通っていた居酒屋に行った。

 「先帰っても良いぞ」という父さんの言う通りに、先に一人で家に帰って、電気も付けずリビングのソファに倒れ込んだ。

 腕で目を覆い隠す様に脱力して、今日のことを思い返す。


「こんな時にも酒かよ」


 誰かにぶつけるみたいに、呟いた。




    ◇




 体の節々が痛む。どうやら昨日そのまま寝てしまったらしい。


「神奈川県横浜市に出現した怪獣は、現在も詳細な情報が把握できていません。近隣にお住まいの方は速やかな避難と……」


 テレビの音と、電気の明かりが鬱陶しくて、ソファにより掛かりながら上体を起こす。


「起きたか、立人。先仕事行ってるから。学校、辛かったらいかなくてもいいからな」


 諸々を済ませた父さんが忙しく立ち上がり、テレビを消した。


「じゃあ、行ってきます」


 バタン、と扉の閉まる音を聞いて自分も再びソファに倒れる。

 父さんはいつも通りだ。あんな事があったのに、変わらない。


「はぁ……」


 静かな部屋に、時計の針の音が響く。

 しばらくぼーっとして、携帯をいじっていた。

 ふと今日が終業式だということを思い出し、だるい体を起こした。自分の部屋に移動し、喪服から制服に着替え、家を出る。

 じめつく嫌な暑さの中、いつもより人の少ない通学路を歩く。

 二時間目の休憩時間に学校について、特に誰にも声をかけられないまま、教室一番端の後ろの席に座る。

 孤りで窓のほうをなんとなく見つめて、クラスメイトの会話を聞く。


「なぁ、そういや朝のニュース見た? あれやばくね?」


「マジでゴジラよな! クソ怖えぇ」


 皆、同じ様な会話をしている。朝のニュースと怪獣。そんな言葉がずっと飛び交っていた。

 何かの映画でもやっているのかと思って、最初のうちは特に気に留めなかった。

 ただそれからも、学校内は怪獣についての会話で持ち切りだった。

 何より驚いたのは終業式で、校長から「怪獣に気をつけるように」という話が出たことだ。

 まさかと思いつつ、確認するために急いで帰る。

 靴下を脱ぎもせずリビングに駆け込んで、いつものニュース番組をつけると、目を疑う光景が写っていた。


「変わらず、生中継で状況をお伝えしております。昨晩、突如出現した怪獣は現在も動くことなく……」


 ヘリから撮影しているのだろう。いつか見た建物達が小さく、画面に敷き詰められている。

 ただそんな画面中央に、一つ見慣れないものがあった。

 ゴジラをそのままにしたような、巨大な怪獣が一匹、写っていた。

 周囲を意に介さない、堂々とした立ち姿に、琥珀色の瞳。黒い鱗のようなもので包まれた体が、外から来る光を自分の物にして反射していた。


「更には、足元に広がる青い霧のようなものによる被害が」


 何もかも、現実味を帯びていない。

 考えもうまくまとまらない。

 そんな中、テレビを消すこともせずスマホ一つ持って駆け出した。

 物珍しさか、怖いもの見たさかわからない。

 けど、無性にその怪獣を見てみたくなった。




 電車に揺られて一時間程度。

 まだ明るい時間で、人が潰れそうなぐらい大勢いる。というか、多分あの怪獣のせいだろう。

 なんだか今すぐ体を動かしたいような気持ちで、電車から降りてすぐ走り出した。

 とにかく一刻も早く見たくて、小綺麗でやたら広いガラス張りの駅をエスカレターで駆け上がった。

 化粧品売り場、雑貨屋、レストラン。

 どこもいつも通り営業していて、色んな匂いが鼻を抜けた。

 うみそらデッキについて、周囲を見渡す。

 すると入口すぐ右手側のスペースに、人が大勢集まっている。

 なんとかかき分けて前に進むと、それは居た。

 恐らく十キロは先なのに、デカい。


「すっげぇ」


 驚きのあまり、誰に聞かせるわけでもない言葉が溢れ出る。

 変わらず画面越しに見ているような現実味のなさ。

 一度見たら、止まらなかった。

 また、走り出した。

 新横浜通りから、あの怪獣に向けて。

 息が切れて呼吸が絶え間なく続く。

 暑さに鬱陶しさを感じながら、汗を垂らす。

 すれ違う人達にぶつかって転びそうになった。

 雲一つ無い空の下で、それを気にせず走った。

 それでも走ることをやめなかった。




    ◇




 しばらく走りつづけていると視界がだんだん悪くなってきた。

 最初は気のせいかと思ったけど、どうやら実際に悪くなっている。

 不安が芽生えてきて、一度足を緩める。

 間違いない。視界がぼんやり青い。

 確か、これも怪獣のしわざだった。

 家から出る直前、つけていたテレビから聞こえた音声。

 ただの霧なのに、被害がどうとか言っていた気がする。

 今のところ特になにもないし、多分気をつける必要もないと思う。

 それよりさっき見た景色からどれぐらい進んだか、少し気になって振り返る。

 辺は霧に包まれていて、遠くの景色はあまり見えなかった。

 それ以上に、さっきまで小さく見えていた建物達が邪魔になって見えなかった。

 当然だった。気にする事をやめて、再び走り出そうとした時、妙な鼻歌が聞こえてくる。

 周りは車の音や人の声でうるさくて、かき消されてしまいそうなのに、やけに鮮明に聞こえた。


「♪〜〜♪♪〜〜♪〜♪♪♪〜〜」


 懐かしさを感じる、明るい雰囲気の歌。

 でも、歌っている声がどこか寂しげで、変な気分になる。それに、不思議な魅力があった。

 もう一度走り出そうとしていた足は、気付けばすっかり止まっていた。

 耳を澄ませて音のする方を探る。

 ほんの少し前、視界に映った歩道橋。

 そこの中心辺りの、柵の上に音の発信源は居た。

 白いワンピースに色白い肌、長く黒い髪。

 柵の上に座る彼女は、明らかに周囲から浮いていた。

 無性にその歌が気になって、考えるより先に階段を上がって声をかける。


「あの、すみません」


「♪♪〜〜♪〜」


 気付かれなかった。

 もう一度声をかけようかと思ったけど、よくよく考えると、話しかけるにしてもなんて話しかければ良いのかわからない。

 変なタイミングで我に返って、後ろでもじもじしてしまう。

 なんで逃げてないのか、なんでこんな危なっかしい所に座っているのか、とか。

 そんな事をぐるぐると考えていると、いつの間にか歌がやんでいた。


「何?」


 彼女は振り返りもせず、遠くを見つめたままそう言った。


「えっ、あ、いや、そ、そんなとこ座ってたら危ないですよ。怪獣もいますし」


 突然話しかけられて、動揺してしまう。

 ありきたりな言葉が口を衝いて出た。


「そんなことわざわざ言いに来たの? ふふっ、ありがと」


 少し驚いた後、小馬鹿にしているような言い方で返される。

 そのせいでなんだか小っ恥ずかしくなって、口をつぐんでしまう。

 一応心配して出てきた言葉なのに。

 いや、でも言いたかったことはそうじゃない。


「いや、そうじゃなくて」


「なに?」


「さっきの歌、なんて言うんですか?」


「え?」


 こっちを見た。

 見返ったその顔は豆腐のようにツルッとしている。

 透明感があり美しく輝く琥珀色の瞳が、大きく開かれてハッキリと見える。


「歌? なんの?」


「いや、さっきあなたが歌ってた」


「あぁ、ってわざわざ聞きに来るほど気になる? こんな時に?」


 確かに今は逃げている人が多いだろうし、こんな時に聞くようなことじゃないかもしれない。


「まぁ、はい。こう、なんというか凄くハッキリ聞こえたんです。その鼻歌が。だから気になっちゃって」


 「はぁ」と呆れたような納得したようなため息をした彼女は、続けて質問してきた。


「君、避難しなくていいの? あの子動き出すかもよ?」


「いや、別にここらへんには住んでないんで」


「はぁ? じゃなんでこんなとこいるの?」


 正直に言ったほうがいいかどうか、少し迷う。

 正直に話せば、面倒くさい反応をされそうだけど、丁度いい嘘が思いつかない。

 結局、ここに来た目的を素直に話す。


「怪獣の事が近くで見たくてそれで」


「なんで??」


 食い気味で彼女は驚いた。当然の反応だ。

 多分こんな事を言われたら同じ反応をすると思う。

 いつの間にか聞く立場が逆転している。

 あやふやな返答に心底呆れた表情をする彼女を見て、今までいかに何も考えていなかったか思い返し、恥ずかしくなる。

 実際、怪獣の近くに行くのだって、深い理由はない。面白半分でもないし、怖いものみたさでもない。衝動的なもので、使命感にも近い感覚だった。


「なんで、あの子の近くに行きたいの?」


 彼女は黙っている自分を見かねたのか、少し優しい声で質問してきた。

 気を使ってくれるのはありがたい。

 ただ、今一番答えにくい質問ではある。


「なんとなく……」


 また何か言われるんじゃないかと肩をすぼめる。


「なんとなく、ねぇ」


 改めてこっちに振り返って、組んだ足に肘を置きながら顎を撫でている。


「あの子の周り、今警察の人が大勢いるって。もう大きすぎて人を寄せ付けないだけでも難しいんだってさ。そんなあの子を取り囲む警備員さん達と、面白半分で近づいた人達、そこそこの数行方不明になってるの」


 彼女は仕方ないといった様子で何かの説明を始めた。


「君、ここら辺青い霧が充満してるのわかるでしょ? あの子に近づけばもっと濃くなる。で、その霧に飲み込まれたら最後、行方不明ってわけ」


 朝テレビから聞こえた被害という言葉。

 あれは人が行方不明になる被害ということらしい。

 急にそんな漫画やアニメのような話をされても理解できない。


「それだけじゃないよ。あの子がいつ現れたのか。なんでこんな場所にでたのか。足元に住んでる人達はどうなったのか。いつ動き出すのか。そもそも動くのか。何もわかってない」


 よく考えてみれば、あの怪獣はどこかに立っている。

 なら、足の真下にいる人達は?

 そんなこと、きっと普通の人は一番最初に考えることなんだろう。

 危険なことなんてすぐに分かる。


「それでも、見に行きたいの?」


 少し眉間にしわをよせて彼女は畳み掛けてきた。

 正直、初めて聞くことばかりだ。

 多分もうちょっと落ち着いてテレビを見てから来れば、こうはならなかったんだろうけど。

 話を聞く限りでは、相当危ないみたいだし、実際ちょっと怖いし。

 でもどうなるかわからないなんて、止まる理由にはならない。

 心は決まっている。


「見に行きたいです。止められても、絶対に行きます」


 目を見て、力強くそう言った。


「足元に行ったところで、当然よく見えないよ? なにかできるわけでもないし。それでも行く?」


「はい。」


「ふぅ〜ん」


 彼女の下がっていた口角が上がり、ふにゃふにゃと緩む。


「君、面白いね!」


 さっきまで小じわがいくつか見えていた顔が、明るくパッとキレイに澄んだ。


「ぁえっと、どうも?」


 面白いと言われてもなんと返せば良いのかわからず、とりあえずで返してしまう。


「ぷっ、あははははははは!!!」


 何故か大声を上げて笑う彼女に、思わず顔をしかめる。


「あぁ、ごめんごめん。少し知り合いと似ててさ」


 ぴょいっと柵からこちら側に降りてきた。

 ちょうど目線が同じぐらいで、改めて見ると彼女の瞳は爬虫類の様な目をしていた。

 ビー玉の様に透明な部分と、琥珀色を背にした黒目。


「ごめんね、脅すようなこと言って。君、名前は?」


 名前を聞くと同時に、手を差し出してくる。


「深山立人です。あなたは?」


 手を握り、名前を答えて同じ質問を返す。


「私は須玖澤(すぐさわ)レナ。よろしくね」


「すぐさわ……珍しい苗字ですね」


「そうかな? 別に普通だと思うけど」


 握りあった手を軽く振る。

 挨拶も終わったことだし、手を離そうとする。

 しかし彼女は手を離さず、掴み続けていた。


「あの、手を」


 離してください。そう言おうとしたその時だった。

 あたりから一気に青い霧が立ち込めてきて、周囲を覆い隠した。

 状況が理解できずパニックになる。

 さっき聞いた話通りなら、絶対にこの状況はまずい。


「こ、これ!」


「大丈夫、焦んないで」


 脱力していた手が、反射的に強張る。

 霧は自分の足元が見えないほど濃く、手を握っている筈の彼女の姿も見えない。

 唯一、少し握っている手が見えるぐらいだった。


「私の手を離さなければ大丈夫。流石にちょっと強く握り過ぎだけど」


 彼女は少し笑うぐらいの余裕があるらしい。


「怪獣のとこ、案内してあげる」


 何を言っているのか理解できない。

 この状況で怪獣の所に案内する? 本当に正気か疑いたくなるような台詞だ。


「何言ってるんですか! 早く逃げないと」


「怪獣のとこ、行きたいんじゃないの?」


 行きたい。確かに行きたいが、行方不明になるのは嫌だ。

 というかなんで彼女はこんなに冷静なんだ。

 焦りと緊張で不平不満が流れ出る。


「行きたいですけど今は霧が!」


「よし。行きたいなら黙ってついてきて」


 強引に話をおさめて、手を引き始めた。

 引かれるがままに足を動かして歩く。


「ちょっと! だから……」


 彼女は返答することもなく歩いている。霧の中を一切迷う様子もなく。

 聞きたいことが山程ある。でも緊張で上手く言葉が出ず、結局黙って手を引かれるがまま歩いた。

 うだうだと色々と考えてるうちに、少しだけ落ち着きを取り戻す。

 すると、さっきまで聞こえていた音が聞こえない事に気づく。車の音や、人の声が一切聞こえない。心臓の音がうるさくて気づかなかったが、自分達の足音ぐらいしか聞こえてこない。

 それに、すでに歩道橋の上より長い距離を歩いている。どこを曲がることもせず、ただただ真っ直ぐに歩いている。

 曲がっていないと感じているだけなら、霧の中で方向感覚がなくなっているだけかもしれない。

 だけど、階段も降りていない。明らかにおかしい。


「ごめんね。もうすぐだから」


 多分、相当手汗が酷かったんだろう。

 彼女がそう言ってから、一、二分が過ぎた。

 何がもうすぐなのかもわからないけど、とにかくこれが終わるなら何でも良かった。

 そうやって青い霧にうんざりしてきた頃に、彼女は声をかけてきた。


「よし、ついたよ」


 手を彼女が離すと同時に、あたりの霧が晴れて視界が晴れた。

 だけど、眼の前に広がっているのは変わらず青一色の景色だった。


「へ?」


 随分とマヌケな声を出して、辺りを見回す。

 地面は黒く、激しく隆起している。

 さっきまで見上げていたビルや建物は、遥か下の方にあった。つまり、今は高いところにいる。

 どこか見覚えのある地面に、高層ビルより高い場所。考えられるのは、一つだった。


「ここ、怪獣の頭の上ですか?」


「当たり!」


 駅から走って十分程度。そこから更に歩いて二、三分。どうやら怪獣の頭の上に来てしまったらしい。


「は、な、なんで」


 少し強い風が吹いて、腰を抜かしその場に座り込む。

 あたりには当然手すりや落下防止の柵なんてない。

 落ちる訳のない広さということはわかっていても、体が言うことを聞かなかった。


「んはは! ビビリすぎでしょ!」


 ここに連れてきた張本人が、バカにするように笑って、視線を合わせるように目の前でかがんだ。

 彼女はおかしい。目の色が独特だとか、性格がちょっと変わってるとかそういう次元の話じゃない。


「マジで……ちょっと、一体何者なんですか?」


 声と体を少し震わせながら精一杯に声を出す。


「えぇ、もう忘れたの? 私は須玖澤レナ。

普通の女子高生だよ。あ、歳言ってなかったね。今年で十八」


「いやそういうことじゃなくて……」


 呆れて特大のため息がでる。今日はまだ昼なのに、この数時間でどっと疲れた。

 最近の事もあるのに、こんなことが急に起こって心の休まる時間がない。


「ミヤマ君は? 今何歳?」


 もう喋りたくないようなだるさが、全身に伸し掛かる。体勢を更に崩して、大の字で寝心地の悪い地面に倒れる。

 ただ、無視する訳にはいかないとなんとか声を捻り出して答える。


「十五です、中学三年」


「ほ〜う。なら私のほうが先輩か。散々タメ口でミヤマ君が先輩だったらどうしようかと」


 なんでこんなどうでもいい事ではしゃげるんだろう。

 気づけば緊張はなくなっている。ただ、相変わらず頭の中はまとまらずにいた。


「なんでこんな事に……」


「君が怪獣の近くに行きたいって言ったからでしょ〜?」


 彼女はかがんだまま、こちらを見下ろしていた。

 言われてみればそうだ。結局、触れるような位置に来ても何もなかった。


「で、感想は?」


「特に何も。言う事なんて特にないです」


「な〜んだ。つまんないの」


 彼女はふてくされた様子で、隣に寝っ転がって来た。

 二人並んで大の字になって、空を見上げる。

 空は眩しくて、少し目を細めた。

 ふと隣を見ると、彼女は目を開けたまま空を見上げていた。

 ぼーっとしているだけに見えるのに、何処か寂しげだった。


「♪〜〜♪♪〜〜♪〜♪♪♪〜〜」


 彼女は、あの歌をまた歌い始めた。

 そこで彼女に声をかけた理由を思い出す。


「あ、そういえばその歌。その歌ですよ、なんなんです? その歌」


「あぁそういえば。んー……」


 顔のパーツを思い切り中心に寄せている。露骨な悩む顔だ。

 なにをそんなに悩んでいるのか知らないが、なんとなくムカつく顔だった。


「よし。じゃあ、ここに耳つけて!」


 彼女は上体を起こし、手のひらでぺしぺしと怪獣の頭を叩く。

 なんで、と聞こうと思ったけど、どうせ聞いても答えてくれないだろう。

 彼女には聞くより素直に従ったほうが良さそうだから、何も言わず従った。うつ伏せになり、顔を横に向けて耳をつける。

 しばらく待っていると、洞窟の反響音のような、深く少し高い音が聞こえてきた。


「♪♪〜〜♪〜」


 その音が奏で始められると、すぐにわかった。彼女がさっき歌っていたものだ。


「これって」


「しーっ……」


 彼女と同じ様に何処か懐かしく、明るくて、でも寂しげな歌。そんな歌に、目を閉じて聞き入っていた。しばらくはずっとそうしていた。ただただ心地よかった。日の温かさと、街の喧騒が届かない静かな場所。


「♪♪〜〜♪〜」


 ひとしきり歌が終わると、目を開けて再び座り直した。


「須玖澤さんが歌ってたのは、これってことですか?」


「そ。どう? いい歌でしょ?」


「はい。なんかこう、癖になります」


 悲しいわけでも、特別感動したわけでもないけど、なんだか泣き出したい様な気分になる不思議な歌だった。


「ねね、私のことレナってよんでよ。私もりつとって呼ぶからさ」


「なんでですか?」


「んー、なんとなく?」


 納得いく返事ではなかったけど、特に断る理由もない。


「わかりました。レナさん」


「よろしくね、りつと君」


 そうやって改めて挨拶をした後、彼女は座り直し手を叩いた。


「よし! せっかくだし色々お話しよう!」


「は?」


「だめ?」


「いやいいですけど、話すって何を」


「りつと君って兄弟とかいる?」


「いや、いませんけど」


「そっか」


「何でそんな事を?」


「何となく気になっただけ」


「そうですか……」


「中三って言ってたよね? どこの高校行くとか決まってる?」


「まぁ推薦で適当な場所に行こうかと」


「へー良いじゃん」


 何やらこっちのことを探るように、質問攻めが続く。


「じゃあ」


 また何か質問される前に、声をかぶせる。


「あの、聞きたいことがあるなら素直に聞いてくれたほうがありがたいんですけど……」


「え? あー……ごめんね。変に探ろうとしちゃって。別になんか企んでるわけじゃないんだけど……」


 彼女は手を後ろで組みながら、体を左右に揺らした。


「悩んでるって顔してたから」


「え……」


 暗い顔してるつもりはなかった。ましてや、初対面の人にそう思われるほど表情に出ているとは思ってもいなかった。


「そんなに顔に出てました?」


「うん」


「すみません。なんか」


「別に悪いことしてないんだから謝らなくていーよ。それより、もしよかったら聞かせてよ。何で悩んでるのか」


 言ったって、どうにかなるものじゃない。


「いや、気にしないでください。人に言うようなことじゃないんで」


「……ま、それなら聞かないよ。じゃあ、ホントに雑談でもしよう。私はいっぱい話したいことあるからさ」


「……はい」


 正直、喋るのは得意じゃない。初対面の人だと特に。何を話せば良いのか、わからない。

 ただ、そんな心配はすぐになくなった。

 彼女が喋り上手なのか、珍しく会話が途切れることはなかった。自分でも驚くほど、すぐに打ち解けた。夢中になっていることにも、気づかないほど。とりとめもない事をずっと。


「もう夕暮れ時だねぇ」


「あ、ホントだ」


 昼すぎに着いた筈が、気づけばもう日が落ちかけている。

 そんな時間、二人静かに夕日を眺める。感じたことのない、心地よい沈黙だった。


「♪〜〜♪♪〜〜♪〜♪♪♪〜〜」


 彼女は、また歌い始めた。

 静かに笑って、少しだけ歌に合わせて体を揺らす。その姿はずっと見ていたくなるような、安心感を覚えるような、言い表せない感覚があった。


「♪♪〜〜♪〜」


 気付けば、ぼーっと彼女のことを見つめていた。


「どう?」


 歌が止んで、彼女は質問してくる。


「どうって……似合ってま、す?」


「ふふ、似合ってるってなにさ」


「さぁ……?」


「なにそれ〜。意味わかんないの」


 普通に考え直せば、歌が上手かったかどうかという意味の質問だったのだろう。どう? という質問に対して、何故こんなに意味不明な言葉を発したのかはわからないが、しっくりきた。自分でも無意識に言った言葉だったけど、似合う。

 その姿が彼女にとても似合うと思った。


「褒めてくれてるって思っておくよ」


 彼女は、笑った。


「君、門限とかないの? こんな時間まで出かけてて大丈夫?」


「あ、あぁ〜……」


 完全に忘れていた。父さんには何も言ってないし、絶対にまずい。

 ポケットからスマホを取り出して急いで画面をつける。

 ラインには、未読のメッセージが三件ほど溜まっていた。


「やばいですね……かなり……」


 普段未読は絶対にしないし、ラインが頻繁に届くような人間でもない。なのでこの赤いマークは非常にまずい。


「んふふ。ほんと君面白いね。見てて飽きない。送ってって上げるよ。ほら立って」


 軽く服の裾を払って、彼女は立ち上がった。


「いや、少しだけ待ってください」


 自分も立ち上がり、スマホのカメラを起動する。


「おっ」


 彼女は察したのか、急いでカメラの先に回り込む。


「あぁ」


 想定外のものも写ってしまって情けない声が出る。


「どう? うまく撮れた?」


「……まぁ」


「みせてみせて!」


 景色と彼女。彼女の写りは悪くなかったが、意外にも悪いのは景色の方だった。


「霧が邪魔であんまり綺麗じゃないですね、これ」


「んー……そ」


 少しだけ彼女は不服そうだった。


「もっかい撮る?」


「いや、いいです」


「そう。じゃ、ほんとに送ってっちゃうけど、いい?」


「……」


何故か写真を見ていると、帰る気がなくなる。


「どしたの?」


「やっぱり、帰るのもうちょいあとでも大丈夫そうです」


「ほんとにぃ? まぁ、君がそう言うなら良いけどさ」


ラインを開いて、父さんから届いたメッセージを見る。


[立人、今どこいる?]

[不在着信]

[見たら連絡してくれ]


 簡潔な文章だけど、ものすごい焦りを感じる。少し申し訳無さを感じながら、軽く返信する。


[もう少し帰るの遅れる]


 本当に軽く返信だけして、スマホの電源を切った。


「レナさん、やっぱり少しだけ悩み聞いてもらえますか?」


「おぉ〜? なになに、聞かせて聞かせて!」


 彼女は少しニヤついた顔で声を半音上げて返事した。


「まぁまぁ座ってきこうじゃない! ほらほら座って!」


 浮かれながら彼女は、自分の隣をトントンと手のひらで叩いた。何がそんなに嬉しいのかわからない。大人しく隣に座って、少し呼吸を整える。


「昨日」


「うんうん」


「母の葬式だったんです」


「えっ」


 彼女ははしゅんとして、小さくなった。


「ごめんなんか」


「あはは、いや、いいんですよ別に」


 返事と同時に、自分でもびっくりするぐらい、乾いた笑いが出てしまった。


「……四日前に事故にあって、それで……」


「そっか」


 やっぱり、この話は辞めるか。


「ごめんなさいやっぱ」


「まって」


 立ち上がろうとしたところで、腕を掴まれる。


「ちゃんと聞かせて。最後まで」


「…………わかりました」


 正直、これ以上話しても気まずくなるだけだと思った。でも彼女は、何故かこの話が聞きたいらしい。


「……昨日葬式があったって言ったじゃないですか。実はその葬式中泣けなくて」


「……」


 隣にぎこちなく座り直して話を続ける。


「実感が沸かなくて」


 ただ、なんとなくではわかっている。


「眼の前で事故にあったわけじゃないから、なんとなく受け入れられてないのかなって……」


 本当の理由は、多分違う。


「まぁ、そりゃ口だけで聞かされて、次見た時は棺桶の中で、納得できないっていうか」


 笑いに似たような、咳き込むような、ただ口から空気が漏れただけのようなものが、話し途中溢れた。


「嘘」


「えっ?」


「嘘、つかなくて良いよ」


 真剣な眼差しで、彼女の瞳はさっきより美しく、強く琥珀色に輝いていた。


「いや、嘘っていうか、別に……別、に」


 何故彼女はこんなに真剣に話を聞いてくれるんだろう。


「はぁ…………」


 心臓が少しだけ締まったような気がした。


「初めて母が死んだって知ったのは、学校から帰ってすぐでした。いつもなら仕事でいないはずの父が、リビングのソファに座ってて。それで話があるって。少し嫌な予感がして、面倒くさそうとか思いつつ、話を聞いたんです。そしたら、母が事故にあったって……」


 言葉を発する度、喉が絞まって鼓動が早くなる。


「ホント、びっくりしましたよ。心が追いつかないってこういう事言うのか、みたいな。その後も父が何か話してたんですけど、よく覚えてません。父が話してる間、関係ないことばっか考えてました。葬式どうなるんだろうとか、事故って相手はどうすんだろうとか、意外とこう言うときって集中できないんだなって」


 本当に、今でも納得がいかない。


「それから学校サボって、部屋でずっと寝てて。父さんが部屋のドアを毎日叩いて、出かけてくる、って。話さないかって。ご飯ここに置いとくって。葬式が始まる日になって、久しぶりに外に出て。こんな事を言うのも変なんですけど、せめて母さんの顔が見たくて、棺桶の中を見ようとしたんです。そしたら母さんの棺は見ないほうが良いって父さんが止めてきて……」


 喉の奥に何かが引っかかっている。

 声が引きつって、眼の前の景色が歪む。


「警察に母さんの死体が渡されてから、帰ってきて、やっと受け入れられるかもって思ったのに、何もできなくて……父さんは酒なんか飲みに行って、ほんとに……ほんとに何もできなくて」


 悔しかった。


「何で、何でもっと話せなかったんだろう……

もっと素直になれば、もっと話せたのかなぁ」


 何もできなかった。


「僕は……僕はもっと母さんと一緒にいたかった……いるのが当たり前だと思ってた…………もっと話したかったし、もっと甘えたかった……素直になっとけばこんな事」


 もう母さんはいない。僕がどんなに後悔したってもう遅い。


「葬式のときに泣けなくて、今更泣いてて……お礼も言えなかったし、喧嘩だってろくにしたことなかったのに……悲しさより、先に不満が来たんです、何で先に死んじゃうんだって」


 僕は最低だ。


「それで自分の事、最低だって思ってたのに……

今でも、そう思ってる………………

もう一回、母さんに会いたい」


 一度だけでも良いから、最後に話がしたかった。特別なにか言いたいことがあるわけじゃない。不満を言いたいわけでもない。

 ただ、ありがとうとか、ごめんなさいとか、

それだけの会話がしたかった。


「りつと」


 名前を呼ばれて、顔を反射的に彼女の方に向けた。

 レナさんは勢い良く、力強く僕を抱きしめた。


「大丈夫、大丈夫だから」


 僕も、レナさんに縋り付いた。

 何度も嗚咽して、泣き叫んだ。

 彼女はそれでも僕を突き放さずに、ただ優しく、力強く抱きしめた。

 背中を優しくさすりながら。

 その感覚がただひたすらに暖かかった。




    ◇




 いつまで泣き続けていたのか、わからない。

 ただずっとずっと泣いていた。

 しゃくりあげて、嗚咽して、やっと収まった。

 気分が晴れたかと言われれば、別にそうでもない。


「どう?」


「……ありがとうございます」


 まだ若干言葉が詰まるけど、それでも少し喋れるようになった。


「お礼言われるような事、してないよ」


「いや、助かりました」


 空にはもう星が見える。


「…………なんて言えばいいかわかんないや」


「もう十分ですよ。ほんとに大丈夫です」


 心のもやもやが全部とれたわけではない。

 当然明日から何かが劇的に変わるわけでもない。それでも、少しだけ自分と向き合えた気がする。


「明日も、ここに来ていいですか?」


「……! もちろん! また話を聞くぐらいならできるから、いくらでもおいでよ」


 自分から手を出して、レナさんと手を繋ぐ。

 彼女と一緒に歩き出すと、辺りは霧に包まれる。今度は一切の不安もなく、ただまっすぐ歩いた。ニ、三分歩いて、霧が晴れる。

 するとそこは駅の前だった。

 手を離して、お互いに向き合う。


「また明日」


「うん、また明日」


 そう言って彼女は、笑った。

 その顔を見て、多分僕も少しだけ笑った。

 帰りの電車に揺られて、自宅の最寄り駅につく。もう十一時を過ぎて、辺りは真っ暗だった。見慣れた道を歩いて、家についた。


「ただいまー」


「立人!!!」


 父さんがリビングのドアを勢いよく開けて飛び出してきた。


「お前どこ行ってたんだ!!お前……

よかった……ほんと……

ほんとに、何もなくて良かった……」


 父さんは僕の肩を両手で掴み、膝から崩れ落ちた。


「ごめん」


「…………いや、いいんだ。それより、腹空いてないか? 今から食うか?」


「……うん」


 申し訳無さを覚えながらご飯を食べ、前に座る父さんと話す。


「お前、どこ行ってたんだ?」


「……友達のとこ」


「そうか…………」


 正直な事を言うと面倒臭そうだから、少しだけ濁す。気まずい沈黙が流れる。


「明日も多分このぐらいの時間に帰ってくると思う」


「お前、急にどうしたんだ……そんなに」


「別にいいでしょ。悪いことしてるわけじゃないから」


「……はぁ……」


 大きなため息をついて、父さんが席から立ち上がる。


「なるべく早く帰ってこいよ……」


「わかった……」


 少しだけ冷たいご飯をかきこんで、食事を済ませる。その後、風呂に入り、歯を磨き、ベッドに入り込んだ。いつも通りの生活にうんざりしながら、目を瞑って、ゆっくりと眠りについた。




    ◇




 今日から夏休みだ。

 起きて早々、朝ごはんのパンを食べて、着替える。

 またスマホだけ握って、昨日の場所へ向かう。


「お、来たね」


 彼女は歩道橋の階段下のスペースで、黒い大きな物を持って佇んでいた。形状から、ギターが入っているのだろうと分かる。


「どうも。それ、ギターですか?」


「そ。あの子の歌を曲にしてあげようと思ってさ」


「へぇ~。ギター弾けるんですか?」


「えーっと、まぁ」


 嘘をついています、と顔に書いてある。目線を横にそらし、返事もそれとなく濁された。


「引けないんですか」


「これから練習するの! いいから行こ!」


 彼女はギターケースを肩にかけ、僕の手を取った。昨日と同じ様に霧の中を歩いて、頭の上に移動する。


「立人君さ、将来の夢とかある?」


 霧が晴れて怪獣の頭の上に着くと、足を止めて座り込んだ。レナさんも同じ様に座り込み、ギターを取り出して演奏する体勢を取った。


「夢、ですか? 夢……無いですね……」


「え〜〜つまんないの!」


「じゃあレナさんはなんかあるんですか?」


「私はね〜誰にも迷惑を掛けない、優しい人になることかな」


「なんですかそれ。僕よりつまらなくないですか?」


「は〜?? 失礼すぎ!」


「はは、すみません。そんなことより、曲名とか考えましょうよ。曲にするなら必要じゃないですか」


「……そうだね。曲名か」


 レナさんはそこそこ手慣れた手つきで、ギターをかき鳴らした。


「おぉ、うまいじゃないですか。なんでさっきそんなに自信無さげだったんですか?」


 楽器類に全く触れてこなかった自分でも、多少弾ける人だということはわかる。


「ね! 意外と弾けた!」


「え? 初めてなんですか?」


「いや、違う……と思う」


「どういうことですか……」


「まぁまぁ。そんなことより曲名でしょ。怪獣ってワードは入れたくない?」


 適当にはぐらかされたが、小さい頃弾いた事があるとか、そういうことだろう。


「そうですね。インパクトもありますし、いいと思います。ただ、怪獣だけだと曲のイメージと違いすぎるというか……もう一言欲しい感じありません?」


「確かに。うーん」


 彼女は鼻歌にギターを合わせて、弾いていく。ただそれをぼーっと見つめて、心地よい音に身を乗せた。


「やっぱそんなにうまくはいかないなぁ」


「僕からしたら十分上手いですけど」


「ふふん。ま、りつと君は不器用そうだしね」


「失礼な、やってないだけですよ。やってないだけ」


 こんなくだらない話を、毎日続けた。夕飯に間に合うように帰るようにはなったけど、それでも十分過ぎるぐらいに、毎日が楽しかった。

 翌日もまた同じ様に、いつもの場所で。


「そういえば歌詞とかって考えてます?」


「歌詞? あ~歌にするのも良いね。でも歌詞かぁ……」


「レナさんは歌詞とか書くの苦手そうですよね」


「りつと君って結構失礼な事言うよね」


 レナさんはギターをかき鳴らしながら、鼻歌を歌い続けた。そして、また翌日。


「ギター、上手くなり過ぎじゃないですか? レナさん才能ありますよ、絶対」


「でしょでしょ? もっと褒めていいーよ!」


「なんかそう言われるとムカつくんで嫌です」


「もー素直じゃないなぁ〜」


「でもホントにすごいです。数年は弾いてるって感じがします」


 そのまた翌日。


「そういえばりつとってどうやって書くの?」


「立ち上がるに人で立人です」


「へぇ~。名前の由来とかは?」


「確か立派な大人になれますようにって。なんでそんな事聞くんですか?」


「まぁ、なんとなく? 歌詞に使えるかなーとか」


「使えますか? これ」


「まぁまぁ。でもそう聞くとまだ似合ってないね、その名前」


「はぁ? 流石に失礼じゃないですか? 怒りますよ」


「ひひ、ごめんごめん」


 四日間、毎日日が暮れるまで話し込んだ。

 いつもと違うその時が、楽しくて仕方がなかった。

 ただ、その4日目以降、レナさんは姿を表さなくなった。交通費で貯金が尽きそうなぐらい、毎日彼女を探し続けた。あの歩道橋も、怪獣の近くも、全く関係のない場所も探した。

けど、レナさんは現れなかった。

 大体三週間ぐらいは探し回ったけど、どこにも現れなかった。最近は明るいうちに家に帰って、テレビをつけてただ眺める。その繰り返しだった。


「最近、帰ってくるのが早いな」


「……」


「どうかしたのか?」


「……別に」


 世間では、もう怪獣は見慣れたものとして受け入れられていた。なんなら動かずずっと立っているから、観光名所にすらなっている。相変わらず霧の危険性はあるものの、近づかなければ良いという事で収まっているらしい。ニュースではほとんどやっていないし、警備員達の包囲ももう安定している。

 一ヶ月近くも経てば、みんなこんなものなのかもしれない。


「なぁ、立人」


「なに?」


「少し話さないか?」


 リビングでぼーっとテレビを眺めていた僕に、父さんが話しかけてきた。


「……何を?」


「まぁ、なんだ。最近のことだ」


「別に僕は……いや、うん。わかった」


 父さんが隣に座る。


「母さんのこと、気にしてるか」


「………………うん」


 随分といきなり話してくるな。


「まだ、辛いか」


「…………まぁ。でももう慣れたよ。大丈夫」


「慣れた、か……父さんはな、まだ辛い。全然大丈夫じゃない」


 嘘つけ。


「……嘘だ」


「嘘じゃない。ホントだ。母さんの事でいっぱいいっぱいなのに、一ヶ月ぐらい前にお前が遅くまで帰ってこなかった時警察に泣いて相談したんだぞ?」


「…………ごめんなさい」


 また説教でもされんのかな。


「あぁ、いや、すまん。そういうことが言いたいんじゃない。……お前、近頃は、あまり話せてなかっただろ」


「……」


「年頃だったしな。その、だから、後悔してるんじゃないかって思ってさ」


「……別に、もう大丈夫」


「母さんさ、お前のことホントに大事に思ってたんだ。たまにお前が話してくれると物凄く喜んでた」


「……」


「あの子は立派になるんだーって。心の底からお前を信じてた。もちろん俺だってな」


 僕だって、母さんのこと信じてた。


「だから」


「……そうじゃなくてさ!」


 少し声を貼りすぎた。

 今度は少し声を落として喋る。


「父さんは……」


「……なんだ?」


「父さんは、母さんのこと好きだったの?」


「……当たり前だろ」


 父さんは少しだけ悔しそうに言った。


「嘘だ」


「……何でそう思うんだ?」


「だって、母さんにお礼もろくに言ってなかったし」


「……」


「喧嘩しても、いっつも母さんから謝ってたじゃん」


「それは」


「それに!!! 葬式が終わってすぐ酒飲みに行くなんて……信じらんないよ……」


「………………なるほどな」


 父さんはゆっくりと深いため息を付いた後、そういった。何がなるほどだ。正直まだ言いたいことはある。けど、これ以上はただの八つ当たりになる。


「正直に話してくれて、ありがとな」


「何がありがとうだよ……」


「お前にちゃんと話すべきだったな」


「何が」


「俺と母さん、お酒好きだろ」


「……うん」


 正直母さんはあまりイメージがない。


「俺達が行った居酒屋な、知り合いがやってる店でさ。共通の知人がいたんだ。そこだと珍しいお酒も色々用意してくれてな。母さんの好きな酒があったんだ」


「……」


「それを供えてやろうって、皆で話してたんだ。お前にはちゃんと言ってなかったな。すまん」


「……母さんが酒好きなんて知らなかった」


「そうだよな……家じゃあんまり飲んでなかったもんな……」


「何で」


「お前が小さい頃、酔っ払ってる母さん嫌いって言ったからだろ。小さい頃だったし、覚えてないか?」


「……」


 自分に嫌なほど、嫌気がさす。


「…………ごめんな。俺達はもっとお前と会話するべきだったのに……嫌われるのが怖くて、逃げてたのかもな」


 そんなことない


「……そんなことないよ」


「いや、すまん」


「ごめんなさい……」


 恐る恐る父さんのほうを見る。久しぶりに父さんの顔をみた気がした。髪はボサボサで、髭が少し伸びてて、不格好だった。少しやつれているのか、記憶にある顔とは若干違う。不慣れに笑う黒い瞳が真っ直ぐにこっちを見ていた。

本当に真っ黒で、安心する顔だった。


「ごめんなさい」


 父さんに抱きついた。ポロポロと目から涙が溢れた。親の前で泣くのが恥ずかしいなんて、いつから思ってたんだろう。親と話すのが恥ずかしいなんて、いつから思ってたんだろう。そんな事を気にして、素直に話せなかった。


「ごめんなさい、ごめんなさい」


「お前は何も悪くないだろ、謝んないでくれ」


 父さんの声が微かに震えているのがわかった。

 父さんも力強く抱き返してくれた。

 トン、トンと背中を軽く叩いてくれる。

 懐かしい感覚だ。

 小さい頃、よく転んで泣いた時、抱きかかえてこうして背中を優しく叩いてくれた。


「立人……俺達頑張ろうな……」


 母さんは、どんなに泣いても帰ってこない。

 だから母さんの分まで、父さんと生きていかなきゃならない。母さんがしたかったことを、母さんにできなかった事を、ちゃんと父さんに返すんだ。

 だから僕も、頑張って生きよう。


「うん……」


 泣きじゃくって、聞こえたかもわからない返事を繰り返した。

 泣き止んだ後はなんだか、晴れやかな気持ちだった。

 泣き疲れたのか、そのままソファで昼寝をしてしまった。




    ◇




 夢を見た。僕が小学生ぐらいの時の夢だ。


「ほら起きて、朝ごはん作るから」


「うぅん……」


 寝ぼけた返事を起こしに来た母さんに返して、重いまぶたを上げる。横になったまま目を開けて、少しぼーっとしてから、体を起こしてリビングに移動する。


「おはよう。すぐ出来るから、二度寝しないでね」


 確かこの日も蒸し暑い日で、エアコンの真下にあるソファが最高だったな。ソファに横になって、キッチンで朝ごはん作ってる母さんを、二度寝しない様に何となく見てた。


「♪〜〜♪♪〜〜♪〜♪♪♪〜〜」


 上機嫌に鼻歌歌って料理作ってる母さん見ると、なんか安心するんだよな。何でかわかんないけど、いつも通りだからかな。

 ていうか、この歌ってそう言えば。


「母さん、その歌って」


 そんな事を言いかけた途端、場面が切り替わる。車がビルに突っ込んで、その間にいた人が潰れた夢に。

 辺りから騒音がやまない。悲鳴とか、通報しろって指示する人の声とか。他の急停止した車のクラクションとか。

 ただそんな事より、その場面を突っ立って見ている自分の心臓の音が一番うるさかった。

 また場面が切り替わって、青い霧の中、レナさんが「待ってる」と、そう一言だけ言って霧に飲まれていった。

 目を覚ますと、心臓がとんでもなく早く動いているのがわかった。自分の心臓の辺りをさすって、深呼吸する。


「いかなきゃ……」


 目覚めてから、すぐに家を出て電車に乗り込んでいつもの場所へ向かった。電車に乗り込むと、人がいつもの倍は多い。さらにそのまま怪獣に近づくと、すぐに異変に気づいた。怪獣が吠えている。叫んでいるといったほうが正しいかもしれない。電車が少し揺れるぐらいデカい声で叫んでいる。


「なんで」


 その上霧がいつも以上に広がっていて、濃い。

 駅から降りて向かうと、人混みに紛れて警察がそこらじゅうにいた。


「押さないでください! 押さないでください!!」

「ちょっとどいてよ!!!」

「順番に並んでください!! 順番に!!」


 混乱している。混み合っているだけじゃなく、人が叫び、押し合って、地獄のような光景が広がっていた。人を巻き込み神隠しに合わせる霧。実態がわかってない上、帰ってきた人も誰もいない。怯えるのも無理はない。


「レナさん」


 心配なのはそれだけだった。この状況で他人を気にしている場合じゃない。

 人の流れに逆らって、掻き分けすり抜け間を走っていった。


「こら君!!! まちなさい! 君!!」


 駅の外に出れば意外と人混みは少なかったが、今度は警備員がわんさかいた。


「だめだ! これ以上奥に行っちゃだめだ!!」


 そんなことわかってるけど、進まないわけには行かない。


「すみません! どいてくださ」


 警備員をすり抜けようとした途端、また怪獣が雄叫びを上げた。これほど離れていても、耳に圧がかかるほどの叫び声。

 すると霧がより一層濃くなり、視界は悪化した。


「君!! 大丈夫か! 何処だ?! 君!!」


 向こうが見失ってる隙をついて駆け出した。

 ただ、前方がよく見えず、うまく進めない。

 床のタイルを見ながら、見覚えのある建物の壁を伝って手探りで進む。

 道中人に何回かぶつかりつつ、確実にゆっくりと進んでいく。

 しかし、それを全く気に留めることのないように、怪獣は雄叫びを上げる。


「ちょっとヤバいな……」


 予想した通り、霧はより一層濃くなり、ついには自分の足元が見えないほどに濃くなった。

 すると段々と意識が朦朧とし、体の力が抜けていく。


「くっそ……なんで……」


 嫌に蒸し暑い中、霧に包まれ汗が滴れる。

 あの怪獣は、レナさんが操っているものだと思っていた。だけどこの惨状を見るに、多分違うのだろう。彼女の事を、やっぱり僕は何も知らない。憶測だけでわかるほど、多分彼女は単純じゃない。今必要なことは、もうわかりきっている。飛びそうな意識を意地で引き戻して、全身にかつてない程に力を入れる。

 そして、叫ぶ。


「レナさぁぁぁぁぁぁん!!! どこですかぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 少し歩いて一息吸って、また繰り返す。


「また話しましょう!!!!!! 何でもいいんで!!!!」


 こんなに叫んだのは人生で初めてだ。

 喉の奥が少ししょっぱくて、くっつきそうだ。


「あの歌のこととか!!!! 最近のこととか!!! 夢の話とか!!!!!」


 ゆっくりと手探りで歩いて行きながら、ひたすらに叫び続ける。


「お互いの事とか!!!! まだ何も、知れてないじゃないですか!!!」


 息を切らしながら歩く。

 彼女がいる時みたいに、自信を持って真っ直ぐ歩くことはできない。ただそれでも今必要なのは、壁によりかかりながら歩くことじゃない。

 あの時の感覚を思い出す。

 手を引かれて、霧の中を歩いた。

 足元すら見えず、音も聞こえない。

 わかるのは彼女に手を引かれていることだけ。

 今は、その手もない。

 壁から手を離し、何処かへ歩き出した。

 何処に向かっているかはわからない。

 霧の中で当然何も見えない。

 暑さと、頬を伝う汗。そしてその匂い。

 ただ彼女事を考えて、ゆっくりと歩いた。

 転ばないように、躓かないように。


「大丈夫、落ち着いて。もう少しだ」


 彼女が僕に投げかけてくれた言葉を繰り返す。

 襲ってくる眠気と暑さに刃向かいながら、歩き続けた。一歩足を進めるごとに、さっきまで聞こえていた人の声や、車の音、怪獣の叫び声は遠くなっていった。上手くいっている確証はない。それでも、彼女を信じて歩いた。

 十分か、二十分か。叫んでからそのぐらいはたった。不安になりつつもゆっくりと歩いた。

 もう心が折れそうな、その時だった。

 霧がゆっくりと晴れ、高層ビルの屋上についた。

 いつもと違う辺りを見回すと、見慣れた背中があった。


「……や、お疲れ様。立人」


「久しぶりです、レナさん」


 そう言って、僕は倒れた。




    ◇




 目を覚ますと空は暗く、少しだけ星が光っていた。頭に慣れない感覚をおぼえて、体を起こす。


「お、起きたね。おはよう」


 レナさんが膝枕してくれていたらしい。

 彼女が差し出した水をありがたく受け取る。


「すみません、ありがとうございます……僕どのくらい寝てました……?」


「まぁ、結構」


「ですよね」


 焦って家を出た時は、もう夕方だった。そんなことより聞くべきことがある。


「……最近なんで出てきてくれなかったんですか。結構落ち込みましたよ」


「あはは、ごめんね」


 夜なのに、生温い風が頬をなでた。


「それにこの状況、どういうことですか」


「……そうだね。話さなきゃね」


 彼女はゆっくりと立ち上がり、白い服を軽く払った。


「あそこ、行こっか」


 怪獣の方をしばらく見ていた。

 その背中は、何処か寂しかった。


「……行きましょうか」


 彼女の横に立ち止まる。

 ビルの屋上から見る怪獣は、思ったよりも小さい。遠いのもあるが、夜なのも相まって風景に溶け込んでいた。

 彼女が僕の手を握ると霧が濃くなり、その中を歩き出した。一分もしないうちに、見慣れた景色にたどり着く。


「なんか懐かしいですね」


「そうだね」


 握っていた手を離して、座り慣れた硬い頭に座る。彼女も同じ様に、隣に足を伸ばして座る。


「……」


「今、悩んでるって顔してますよ」


「え……? あ、あはは」


「愚痴、聞かせてくださいよ。今度は僕に」


「まいったなぁ……そんなに顔に出てた?」


「ふっ」


「ぷ、んふふ」


「あはははははははは!!!」


 二人で大声を上げて笑った。

 何も面白くはないけど、懐かしい会話だった。

 たった一ヶ月前なのに、本当に懐かしい。


「よく覚えてましたね」


「そりゃ忘れられないよ。私達表情に出やすいんだねぇ。やっぱ似てるってことかな」


「そうですか? 全然似てないと思いますけど」


 久しぶりにあっても、やっぱり彼女は変わらない。


「……よし! やっぱしんみりしてるのは似合わないね! もう言っちゃうよ? いい?!」


 顔を両の手のひらでパチン、と叩きこちらに向き直る。


「どうぞ」


「私、今日で消えちゃうから」


「……はい」


「えぇ〜?? 驚かないの?」


「まぁなんていうか、こういう時の定番じゃないですか? 私消えちゃうんだって」


「つまんないの〜。もっと泣いたりしてよ」


「泣いてほしいんですか?」


「いやそういうわけじゃないけど」


 なんとなく、想定はしていた。

 こんなに少ししかいられなかったけど、

 本当はもっと一緒にいたいけど、

 仕方ない。


「泣きはしないけど、さみしいですよ」


「……そっか」


 さいごは楽しかったって、そう思いたい。

 お互いにもう十分過ぎるぐらい幸せだったって、そう思ってお別れしたい。


「さいごだしさ! なんか聞きたいこととかある? 何でも答えて上げるよ? あと、お願いとか! もっかいハグしてあげよっか?」


 ちょっとだけニヤつきながら、腕を広げている。若干ムカつく動きと表情だ。


「ギターって独学なんですか?」


「そんなことぉ??」


 彼女は大きく広げた腕を一気に脱力して、地面に落とす。さっきの態度が気に入らなかったから、聞いてほしそうな事はあえて聞かずに。


「まぁいいか。ううん。知り合いに楽器詳しい人がいてね、その人に教えてもらってたの」


「へ〜」


「それだけ?」


 仕返しはできたし、本題に入ろう。


「……じゃあもう一つ」


「うん。何?」


「レナさんは、もしかして」


 質問を言い切る前に、立てた人差し指を口に当てられる。


「しっ。それ以上は駄目」


「なんで」


「私は須玖澤レナ。高校三年生の女子。それ以上でも、それ以下でもないよ」


 言いたいことも、ほしい答えも得られなかったが、これで良い。というか、ほぼ答えをもらえたから良しとしよう。


「わかりました。すみません。レナさん」


「よろしい。でも、何も悪いことはしてないんだから謝らなくていいの」


 頭を雑にワシャワシャとなでながら、彼女は満足そうに笑った。


「他には?」


 撫で終わるとまた少しだけ真剣な顔をして、質問待ちをする。


「怪獣の事を知りたいです」


 正直、この怪獣のことが一番わからない。

 霧もよくわからないし本当に得体が知れない。


「よし!この子はね……」


「この子は……?」


「よくわかんない!」


「がっかりですよ、ほんと」


「ごめんね! そんな怖い顔しないでよぉ」


 珍しくキレそうになった。いや仕方のない事なんだろうけど、これじゃあ本当にスッキリしない。


「いや、何かあるでしょう?ほら、流石に出会いとか」


「あー、そうだね。そういうことなら」


「お願いします」


 彼女は少し咳き込んで、長くなりそうな話を始めた。


「私、昔結構やんちゃでね。高校入りたてぐらいの時に、よく休み時間に隠れて学校抜け出してたんだ。すぐ近くにある雑木林が心地よくてさ〜。日は当たるんだけど、程よく周りが囲まれてて風通しも良い。ちょうどいいお昼寝ポイントがあったんだ」


「……いまいち話が見えてこないんですけど」


「まぁまぁここからだから。いつも通り昼寝してたら、でっかい黒いトカゲみたいなのが出てきてさ。ホントにおっきいんだよ! 一メートルぐらいあるの!」


「えぇ……?それがこの怪獣ってことですか?

確かに大きいですけど、いくらなんでもこんなに大きくは……」


「ほらほらちゃんと聞いて。それだけじゃないから。最初は結構驚いたし、怖かったんだけど懐かれちゃって。購買のパンとか、ちょっとだけあげてたんだ。そしたらみるみる大きくなって、たった三日で二メートルぐらいになっちゃって。もうビックリ。とにかくこの感情を誰かと共有したかったから、仲の良い友達連れてったんだ。ここにすごいのがいるよ〜って。雑木林に放課後その友達連れて行ったら、なんか青い霧が出てて」


「それって、まさか…」


「そ。この霧と一緒。でも友達は神隠しには合わなかった。だけど怪獣のところに来たこと、忘れてたんだ」


「霧のせいでってことですか?」


「いや、わかんない。それ以降怖くなって、会いに行かなくなっちゃったんだ」


「なるほど」


 結局この怪獣がどこから産まれたとか、そういうことはわからなかったけど、レナさんとの関係はわかった。それだけでも十分だ。


「きっと、私を探しに来たんだろうね。大人になったよって……」


 レナさんは、申し訳無さそうに怪獣の頭を撫でた。


「昔は抱きつけるぐらいで可愛かったのにねぇ……よく甘えてきて、鳴き声もこんなに低くなかったのに……青い瞳も綺麗で……」


「青色……? いや、確かこの怪獣は琥珀色だった気がしますけど」


「え、嘘?」


「ホントですよ、確かニュースの映像で」


 スマホを取り出して、ニュースの映像を見せる。

 ヘリから撮られた、それなりに近い距離の映像だ。


「ホントだぁ。成長して変わっちゃったのかな?」


「さぁ? 実は別の個体とか?」


「いや、それはないね」


「なんでそう言い切れるんですか?」


「この子の歌は、私が教えたから」


「歌……えっ歌って、あの」


「うん。私が考えた歌なんだ。実は」


「ごめんね、勘違いしてたでしょ」


「大丈夫です。良い歌には変わりないので」


「ふふ、ありがと」


「歌詞とかあるんですか? レナさんが考えた歌なら、歌詞とかあってもおかしくないと思うんですけど」


「まぁあるけど、それはヒミツ」


「なんでですか」


「くだらない歌詞だから。この年で考えた、幼稚でくだらない歌詞」


 レナさんは、なんでこの歌をこんなに寂しそうに語るんだろう。理由を聞きたいけど、聞かないほうが良い気がする。


「…………そうですか」


「ふふ、くだらないってとこ、否定してくれないの?」


「歌詞を教えてくれないんじゃ、否定もできないですね」


「中々生意気だねぇ」


 いつもとは少し違う笑い方をするレナさんは、やっぱり少しだけ寂しそうだった。


「えっと……怪獣のことと、歌のことはもう説明したね。他には? なにかある?」


 もう聞きたいことはない。でも、この時間を終わらせたくない。


「えっと、好きな食べ物は……?」


「もう、無理に聞かなくて良いよ」


「でも……」


「……そうだね、ごめんね」


 考えてることがバレバレで恥ずかしいけど、それ以上にもっと話していたい。


「……時間は?大丈夫なの?」


「大丈夫です。父さんには連絡してあるんで」


電車に乗っている時、今日は遅くなるとあらかじめ連絡しておいた。


「……そっか。なら、もう少しだけ話そっか」


「…!! はい!!」


 それからは色々なことを話した。学校のことや、父さんと仲直りしたこと。自分のことや、レナさんのこと。他にも沢山、飽きるほど一杯喋った。やっぱりレナさんと喋るのは楽しくて、嬉しかった。

 この時期は、夜になってもまだ温かい。少し暑さを覚えるぐらいで、寒がりな僕にとってはちょうど良かった。


「ね、この景色、どう?」


「景色、ですか?」


 前見た時は街が霧で隠れて、そこまで綺麗には見えなかった。


「前と同じで…………」


 霧が邪魔で綺麗じゃない。そう言うつもりだった。


「いや、えっと、なんでですかね。なんというか……良い、です」


 立ち並ぶ建物に霧がかかっていて、ぼんやりと光っているそれは、中で過ごしていた人達を思わせる。避難が遅れてしまったのか、霧に飲まれて電気を消す暇すらなかったのかはわからない。もしくは、あの中で普通に過ごしているのかもしれない。駅付近の高い建物は、霧をものともせず堂々と立ち並んでいた。

 その光景が、どうしようもなく胸に染み込んだ。


「そ」


 一言だけつぶやいて、彼女は笑った。


「♪〜〜♪♪〜〜♪〜♪♪♪〜〜」


 懐かしくて、明るい雰囲気の歌。

 満足そうに歌い笑う顔は、

 彼女にとても似合っていた。


「♪♪〜〜♪〜」


 途中から混ざって、一緒に歌う。

 この歌はきっとこの先もずっと忘れない。


「そろそろ時間かな」


 歌が終わると、彼女はいつもより声を上げてそう言った。


「……流石に僕も電車がなくなると困るんで」


 強がって、自分を納得させるためにそれらしい理由を吐いた。時間は待ってくれない。ずっといつまでも話していたいけど、受け入れないといけない。


「そうだね」


「またいつか、会えますか?」


「無理だね。それは絶対」


 そう言い切るレナさんに、悔しさを覚えた。

 そんなにハッキリと言わなくてもわかる。

 ただ、言いたかっただけだ。


「私から最期に言いたいことがあります」


「……はい、なんですか……」


「私のこと」


「……はい」


「いや、やっぱりなんでもない。立人なら多分、大丈夫だから」


「もう、なんなんですか……」


「えへへ、ごめんごめん」


 レナさんがそう言い終えると、少しずつ霧が立ち昇る。しまらない感じに少し笑いつつも、こみ上げてくる感情を抑える。


「あぁ、あと!」


「……?」


「立人って名前、よく似合ってるよ」


「……ありがとうございます」


 駄目だ。これ以上喋ると、涙がこぼれそうだ。


「じゃあ、ばいばい。立人」


 立ち尽くしていた。

 ただ、それだけじゃ後悔すると思った。


「…………レナさん!!!」


 叫んで、手を伸ばした。

 が、もう遅かった。

 伸ばした手は、虚しく空を切った。


「まだ、一緒に……!!」


 完全に霧は辺りを包み込み、何も見えなくなっていた。この声は、きっとレナさんには聞こえていない。


「もっと……一緒に…………いたいのに……」


 ただただ泣いていた。

 大粒の涙を落として、情けなく泣いていた。

 霧はより濃くなり、意識が朦朧とする。

 膝をついて、手を伸ばした。彼女を引き止めたかった。この夜を、もっと味わっていたかった。そんな抵抗は意味もなく、ゆっくりと全身の力が抜けていき、その場で眠りについた。




    ◇




 少しの頭痛と、日の眩しさで目が覚める。

 柔らかな感覚と体を包む温かさ。

 家のベッドだ。

 あれは夢だった、なんてことはない。

 実際に起きた、夢みたいな話だ。


「おはよう、父さん」


「あぁ、おはよう。立人」


 自分の部屋からリビングに降りていって、父さんに挨拶をする。父さんが見ているニュースを、ソファに倒れ込んでぼーっと見る。


「現在記憶にない写真が、スマートフォンに保存されているという不可解な現象が起きています。インターネット上の投稿がきっかけとなり、多くの事例が報告されています……」


 喉が乾いて、冷蔵庫に目をこすりながら向かう。変わったニュースだなぁとか思いつつ、オレンジュースを取り出しコップに注ぐ。


「その写真の共通点は、全て怪獣のようなものが写っているとのことです」


 オレンジュースを口にした瞬間、びっくりして喉が締まり咳き込む。


「おぉ、立人大丈夫か?」


「エホッ、エホッ!! 大丈夫。それより、父さん怪獣の事覚えてる?」


「覚えてる? 怪獣って今やってるこれのことか? 覚えてるも何も今ニュースでやってるじゃないか」


「いや、そういうことじゃなくて」


 どうやら、僕以外の全員怪獣の事を忘れてしまったらしい。とあることが頭をよぎって、オレンジュースを一気に飲み干し、急いで部屋にスマホを取りに戻る。

 写真フォルダを確認して、一番最初にある写真をみる。

 そこには笑う白いワンピースを着た女性と、

青い霧のかかった、晴れた横浜の町並みが写っていた。ホッと胸をなでおろして、ベッドに座り込む。


「お前どうしたんだ?」


「なんでもない。ちょっとスマホ確認したかっただけ」


「うん? 今日は母さんの実家にお参りに行くけど、行けそうか? 体調悪いなら」


「え?」


 実家にお参り? 母さんのお墓は車で三十分ぐらいのところにあったはず……


「ねぇ、母さんのお墓って何処にあるんだっけ?」


「何だ、お前……寝ぼけてんのか? 実家のすぐそばだろ?」


「死因って」


「病気だろ。心臓が弱くて、お前が生まれたあとすぐ……ホントに大丈夫か? 立人」


「いや、そう、だった。そうだった。ごめん、大丈夫だから」


「ホントか? 調子悪いなら明日にずらすか?」


 なんとか父さんを説得して、電車に乗って母さんの実家へ向かった。

 どうやら昨日から何かが変わったらしい。

 母が死んだ原因も、皆が自分で撮った怪獣の写真の記憶も。それでも大勢の人には何の変哲もない、いつも通りの日常だ。

 電車の中で、何人か怪獣の写真について話している人がいた。その写真がスマホに入っている人と入っていない人の違いは何だ、とか。まさか自分で撮ったとは皆思っていないっぽい。

怪獣がいた時は、写真を取りに来てる人が大勢いたらしい。自分の事に夢中で気づかなかったけど。他にも色んな説が噂されてたけど、僕には関係ない話だ。

 電車に乗っていると、奥底に沈んでいた記憶が蘇ってくる。小学校低学年ぐらいの、初めて母さんの実家に行った時。母さんのお母さん……おばあちゃんは、随分と僕を可愛がってくれた。よくわからない二色の飴とか、ゼリーみたいな四角のお菓子をよくくれた。おじいちゃんも、僕に目線を合わせて虫取りとかそこでできる遊びを教えてくれた。意外と一つ思い出すと、他の記憶も浮かび上がってくるもので、鮮明に思い出せる。楽しくて、帰る時に泣き出してしまったのを覚えている。


「降りるぞ、立人」


「うぅん……」


 いつの間にか寝ていたらしく、うめき声を上げて体を伸ばす。今はちょうどお昼ご飯時で、二時間ほど電車に乗っていた。電車から降りてホームに出ると、相変わらずな駅があった。昔ながらの感じで、白い壁には沢山黒いシミがあった。駅名の看板は錆びていて、古臭さをより深めていた。


「お、いたいた。お〜〜い」


「あ、どうもどうも」


「いやぁ久しぶりだね。何年ぶり?」


 おばあちゃんの友人が車で迎えに来てくれていた。

 おじいちゃんはもう運転するのが危険だと思ってるらしく、免許は返納したらしい。

 親戚の人と父さんが世間話をしているところを見ると、やっぱり昔を思い出す。


「立人くんも久しぶりぃ〜。大きくなったねぇ〜。おばさんのこと覚えてる?」


「お久しぶりです。もちろん覚えてます」


 十年か、九年ぐらい前に来て以来、ここには来ていない。だからここにいる人達にもそれぐらいあっていない。おばさんの姿は記憶にあるまんまだった。強いて言えば、少しだけシワが増えた気がするぐらいだ。


「ほんと? 嬉しぃねぇ。あの時はこんなに小さかったのに……」


 長くなりそうな昔話をしながら、案内されるまま車に乗り込んだ。家まではそこまで遠くなく、十分と少しぐらいで、おばさんの話を聞いているとあっという間だった。


「はい、つきましたよ〜。後はごゆっくり〜」


「ありがとございます」


「すみません。お世話になります」


「いいのよぉ。私暇だから。たまにこっちに顔出しに来ると思うから、またその時よろしくね」


 荷物をまとめて、車から降りる。

 父さんもお礼と世間話を少ししながら、車から降りた。車の窓から手をヒラヒラさせながら、何処かへ帰っていくおばさんに頭を下げて、お別れした。

 今時じゃ珍しい和風の家に、ピンポンを押して出迎えを待つ。

 扉が忙しく音を立てて開くと、懐かしい顔が見えた。


「あら〜久しぶり!! 元気してた? ささ入って入って……あらもう立人君大きくなってぇ……」


 頭を優しく撫でられて、こそばゆい。


直樹(なおき)さんも久しぶり。お忙しいのにありがとうねぇ……あの娘のお参りでしょう?」


「いえ、毎年来れずに申し訳ないぐらいです。

すみません」


「もうほら、そんな事ないから……荷物置いてきなさい。お父さぁん! 直樹さんと立人君来たわよ!」


 おばあちゃんがせかせか動いて、おじいちゃんを呼びに行った。家に上がるとご飯のいい香りがして、食欲が湧く。


「立人、手洗ったらお線香供えに行くぞ」


「うん」


 荷物をひとしきり置いて手を洗った後、畳の部屋へ向かう。畳の部屋の角には仏壇がおいてあって、その仏壇の中に母さんの写真がおいてあった。


「……」


「……」


 手を合わせて、祈る。何かを信じてるわけでもないけど、何処かで母さんが幸せでいてくれたら嬉しい。

 その後はおじいちゃんともあって、ご飯を食べながら色々話した。ここ十年ぐらいの話を、自分のことをいっぱい話した。


「なぁ、立人。ここいかないか?」


 スマホを取り出し、洋風で綺麗なガーデンの写真を見せてきた。


「……? あー。ここ懐かしいね。母さんが好きだった場所だっけ。確か前に来た時も行ったよね?」


「お、覚えてんのか。なら話は早いな。どうだ?」


「行こうよ。せっかくだし、久しぶりに」


 車で十分ぐらいのところに、英国式のガーデンがある。そこは母さんのお気に入りの場所で、母さんが学生時代ぐらいの時にできたと、おばあちゃんが言っていた。結構有名な場所で、テレビにも紹介されたことがあるとかなんとか。車は近所の人が貸してくれるらしい。おじいちゃんが話をつけてくれていて、全員で行くことになった。

 ついて少し歩くと、すぐに花の香りに包まれた。辺りは一面色とりどりに飾られていて、建物の雰囲気も相まって、物語の中にいるような感覚だった。薔薇が有名な場所で、豊富な種類の薔薇があった。

 でもそれより目に留まったのは、薄青色の小さな小さな花だった。特に目立つわけでもないのに、その小さな花がとても魅力的に見えた。

 五枚の花弁で、真ん中に黄色い点があって、更にその真ん中に黒い点がぽつんとあった。

地味だったけどとても印象的で、しばらくは屈んで見ていた。

 その他にも色々な花は見たけど、結局それが一番記憶に残った花だった。

 帰りの車で助手席に座って少しだけ、父さんと話した。


「ねぇ、母さんのこと教えてよ」


「どうした? 急に」


「いや、なんとなく」


「何が聞きたいんだ?」


「馴れ初め、とか……?」


「……お前そういうの興味あったっけ?

なんか本当に今日は様子がおかしいな」


「良いでしょ別に。恥ずかしいの?」


「いや、そういうわけじゃ……まぁいいか。俺は高校二年ぐらいの時、実はバンドやっててな」


「えぇ?? 父さんが???」


「まぁ聞け。そこから……」


 母さんと、父さんのこと。

何も知らなかったから、今からでも知ろうと思った。お互い小っ恥ずかしかったけど、恥ずかしいなんてことは大したことじゃない。

 後で後悔するぐらいなら、今少し照れたほうがよっぽど良い。


「♪〜〜♪♪〜〜♪〜♪♪♪〜〜」


「その歌、いいな。なんて歌なんだ?」


「んー」


「何だよ、教えてくれよ」


「ふふ、僕も知らないんだ」




    ◆◆◆




 大学に入って、二年が過ぎようとしていた。

 たまに、忘れられないあの歌を口ずさんで、

あの日々の事を思い出す。

 今思い返せば、青い日だった。

 目に映る全てが明るく、青く染まって見えた。

 そんな笑ってしまうぐらい、青い日だった。

 あの日を境に父さんとは仲良くなれたし、学校でも少しだけ友達が増えた。すぐ高校に入って別れたけど、後悔はしてない。もっと早くに友達を作っておけばよかったとか、少しは思わなくもないけど、きっとその期間も、大事なものだったと思うから。

 嫌な記憶も、良い記憶も、鮮明に覚えている。

 もうすぐ社会人で、将来のことについて考える事が増えた。何処に就くべきだとか、何をしたいだとか、成し遂げたいだとか。でも、将来を悲観することはしていない。あの日から、明日を大事に生きているから。

 いつか、自分を見てほしい人が出来たら胸をはれるように。

 いつか、自分が見られる立場になった時、知れて良かったって思ってもらえるように。

 そんな繊細な理想像を、今でも夢見ている。

 でもきっと、今大事なことには気付けない。あの時謝っておけば良かったとか、あの時素直になっておけば良かったとか。

 何度も後悔して、悔やみきれない気持ちを味わってきたのに、それでもまだ眠れない夜があるのは、まだ僕が鈍感なままだからだろう。

 でも、そんな夜には必ずあの歌を歌う。

 あの人が僕に歌ってくれた、あの歌を。

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