理解と尊敬
クリスの教え方は丁寧かつ的確で、1か月ほど経った頃にはマリアの治療技術はかなり上がっていた。
「魔物の咬み傷は、意識的に血管を先に治さないと、血がせっかく治した組織に溜まってそこから瘴気にやられて腐ってしまうから、そこに注意して……」
「わかりました、やってみます」
「おっ、さすが、綺麗にできているよ」
「あ、ありがとうございます」
クリスはマリアの些細な成功体験に必ず気づいて褒めてくれる人だった。マリアの中では、その言葉に素直に喜ぶ自分と、縮こまる自分がいつも共存している。
1ヶ月をここで過ごしてみて、クリスはマリアに悪感情を持っていないと信じている。過去に何も触れず、ただ穏やかな日々を守ってくれるクリスには感謝してもしきれない。
しかしそれはクリスの優しさ故であって、マリアが出来損ないの元大聖女候補で、数十年に一度しかない召喚のチャンスを棒に振った張本人であることを知らないはずはない。如何に個人として気が合おうと、この国の人間として、マリアの咎を忘れる訳がないのだ。
だって、マリア自身が忘れられない。ここに来る前よりむしろ、毎日毎日自らの罪を突きつけられている。ふと患者が途切れた時にはこうして考え込んでしまうし——
「クリスさん、マリアさん!急患です! 行商人が狼型の魔物にやられました!」
「だって、マリア。急ごう!」
「はい!」
——ほら。
助手の声に弾かれるようにして駆けつけたベッドには、茶髪の青年が寝かせられていた。表情は苦悶に歪み、息が荒い。左肩から右脇腹にかけて4本の深い爪痕が刻まれ、そこからの出血により意識が朦朧としているようだ。
「聞こえますか! しっかり! 僕らで治癒魔法をかけますからね」
「うぅ······もう無理です······」
「大丈夫、治ります! さあじっとして!」
「大聖女さまは······まだ我々をお救いくださらないのか·····」
青年はそれだけ言って完全に気を失った。思わずマリアの手が一瞬止まる。そう、そうなのだ。この治療院に運び込まれて来るのは、魔物討伐を生業にしている騎士や、魔物の出る街道を通らざるを得ない商人達が多い。彼らの傷は決まってひどい深手で、うわ言で大聖女を求めるのだった。
こういった患者をマリアはもう数え切れない程診てきたし、後遺症が残ってしまって恨まれてもきた。そして、治療の甲斐なく見送ってしまった人も、何人もいる。治療院にたどり着く前に命を落とした人や、骨も残らず食べられて行方不明になった人もたくさんいると聞く。
もしマリアに大聖女になれるくらいの力があったら、目の前で取りこぼす命はなかったはずだ。 浄化魔法が使えたなら、魔物にやられる人そのものが激減しただろう。
だから、マリアの中には、罪悪感がずっとある。罪悪感を治癒魔法の中に投げ込んで、せめて目の前の傷だけでも、と日々がむしゃらに働いているのだった。
「こっちは塞がった! マリアの方は······うん、完璧だね。これなら大丈夫。じきに目を覚ますだろう」
「よかったです」
「僕1人だったら間に合わなかったと思う。このレベルの傷を治せるのは、王立治療院の中でも珍しいし······1ヶ月でここまでできるようになるなんて、マリアは本当にすごいよ」
「すごくなんてありません! だって、私は······」
優秀な聖女ではない。出来損ないの大聖女なのだから。
「マリア?」
「……本当は、私がもっと強い力を持ってさえいれば……ごめんなさい」
ああ、いけない、つい甘えが出た。こんなことを言ってもクリスを困らせるだけだ。マリアの弱さと狡さが零れただけの醜い台詞。クリスの反応を見るのが怖い。その通りだと詰られるか、目を泳がせながらそんなことないよと繕ってくれるのか。
「聖なる魔法の強さなんて、君の価値に関係ないよ。持てる力を人のために使っているところを僕らは尊敬してるんだし、来てくれたのがマリアでよかったと思っているよ」
「……っ」
クリスの反応は、予想したどちらでもなかった。正面から目を合わせて、真剣な顔で、マリアが気にしていることなんて取るに足らないと投げ捨てて。
咄嗟の否定が言えなかった。クリスの言葉を噛みしめる。嬉しい。嬉しい。
この世界に来てから、いや今までの人生に、マリアをこんなにまっすぐに見てくれる人はいなかった。大聖女になるはず「なのに」、あの名家の生まれ「なのに」、と勝手に期待をかけては勝手に見放されてばかりだった。
でもクリスは今のマリアをみとめてくれている。マリアはマリアだと。マリアでよいのだと。
本当に、いい人だ。
この人に会えてよかった。
「ありがとうございます。私こそ、クリスさんを尊敬しています」
マリアはようやくそれだけ絞り出した。
あれ、なんか、お互いに褒めあうちょっと恥ずかしい展開になっているような……。顔が熱くなる。
クリスを見やると、困ったような顔で耳を赤くしていた。向こうも同じ気持ちだったらしい。クリスの照れ顔が心臓に悪くて、余計に顔に血が集まる。
「……聖女さま……? ありがとうございます。救ってくださったのですね……」
クリスの予言どおり、青年が目を覚ましたようだ。2人ははっとして患者に向き直る。よかった、このぶんなら数日で歩けるまで回復するだろう。こうして患者から直接感謝の言葉を述べられるのは、むず痒いが素直に嬉しかった。
挫折したかつての夢に似た仕事内容。
ブラック企業では味わえなかった達成感。
クリスの隣の心地よさ。
王宮で漫然と感じていた焦りも今はない。
現実逃避を重ねて流れ着いた治療院での日々は、マリアがこれまで過ごしたどの日々より充実していた。
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