「そこそこ」な真理愛
2作品目、長編は初めての投稿です。
書き溜めた分を連続投稿していきます。
トンビが鷹を生む、ということわざがあるが、私は鷹から生まれたトンビ側の人間だ。
期日が迫る仕事でいっぱいのディスプレイから目を逸らし、都会特有のどんよりした夜空を窓越しに見ながら、座ったままで伸びをする。安物のデスクチェアが、キイ、と不快な音を立てた。のけぞったせいで、背もたれの隙間に適当に1つくくりにした髪がひっかかる。
時刻は23時を回ったところ。オフィスの電気も消されてしまい、もはや外の方が明るく見える。近くの繁華街からうっすら届く楽しげな声が、余計に孤独を際立たせていた。
「お医者さんになれてたら、もっと良い人生だったのかな」
絶賛残業中の新入社員、岡本真理愛はひとり呟いた。
子供っぽさが抜け、若さと色気が絶妙なバランスをとれるはずの23歳。出身大学では周りに流されて出場するはめになったミスコンで準グランプリに選ばれたこともある、なかなか整った顔立ちだ。
しかし今は、美しさよりも疲労が目立つ。切りっぱなしのロングの黒髪を適当に低めの位置で一つにくくり、無骨な度なしのブルーライトカットグラスの奥にはクマが刻まれているし、会社指定の事務服はよれよれだ。
こんな形でも、真理愛はいわゆる名家の生まれだ。
両親含め親族は国立大出の医者ばかり。おかげで何不自由ない幼少期を送らせてもらえた。食事もおもちゃも教育も、たいていの物は同級生より恵まれていた。
「恵まれてたのに、応えられなかったのが問題だよねえ。私なりに一生懸命だったんだけど」
そう、真理愛は決して無為に怠けるタイプではない。それはこんな時間までたった一人でクライアントの無茶ぶりに応えようと残業していることからも見て取れる。怠けず、驕らず、与えられた愛情や期待にきちんと応えようと努力した。
したのだが、ダメだった。
バレエとお琴を習わされたが、どちらの教室でもずうっと「〇〇ちゃんの次に上手だね」と言われていた。中高は県で二番目の進学校で、クラスで10番目くらいの成績。生きていくには大きな支障はない。
だが、なんでもやってみれば卒なく1位に輝く多才な人間であった両親にとっては、真理愛の成果は不可解であったようだった。
それでもさすがに医者になるくらいはできるだろう、そう思われていただろうに、国公立医学部には到底届かない偏差値だった。私立医大なら辛うじて、と思いきや、実際に受験したら見事にどこにも箸にも棒にも引っかからず、華麗に浪人が決定した。
そこで両親はまた首を傾げた。曰く、「大学入試ごとき、何がわからないのかがわからない」責めるわけでもなく、心から純粋に不思議がっていた。そこでようやく自覚した。
「あ、私には、お父さんとお母さんの期待に応えられるほどの能力はないんだな」
そこからの対応は早かった。
そう生まれてしまったものは仕方ない。医者は諦めて自分にもできそうな仕事を探そう。両親に素直に頭を下げてそう話し、一年浪人生活を送った後、そこそこの大学の文系学部に入学した。そこそこの成績を保って無事卒業し、そこそこ安定していそうな企業に就職した。
そうしたら、その企業がそこそこ、ではなくとってもブラックだった。
いや、どこもこんなものなのかも知れないし、自分の頭の出来の問題なのかもしれないが、連日連夜の残業、修正の嵐。親身な上司も気を許せる同僚もいない。両親に電話で仕事の愚痴を言いたくても、期待に応えられなかった負い目がそれを許さない。
「どこか遠いとこに行きたいなあ」
無理だけど、という代わりに小さなため息をひとつ。さて、仕事に戻ろう。そう思って部屋の中で唯一明るいデスクトップに向き直すと、ふいに声が聞こえた。
「じょさま……救国の大聖女さま……どうか我らのもとに御身を現し給いませ……」
は?
真理愛は固まる。
繁華街の若者が即興劇でもやり始めたのか? いや違う。窓の外からの声ではない。
(パソコンの中から聞こえる……)
しかし元来まじめな真理愛である。社用のPCで変なサイトにアクセスした覚えはない。何らかのバグなのか心霊現象なのか、もう真理愛は軽くパニックである。
「大聖女さま……我らをお導きください……」
声は続く。デスクトップの明るさが増す。どんどん光が大きくなる。真理愛が適当に買ったブルーライトカット眼鏡では太刀打ちできない光の圧。後ずさろうとしたが、どういうわけか足が動かない。
「心霊現象の方だよね、これ!」
邪魔くさい伊達眼鏡を放り投げながら思わず叫ぶ。
もう、こんなことに時間を割いている場合ではないのに。明日の朝いちばんに課長に修正案を提出してハンコもらって、お客さんに確認とって……そのあとはプレゼンがあって、あー、飲み会の幹事も任されてたわ。新入社員歓迎会って触れ込みなのになんで新入社員がセッティングして一発芸までしなきゃいけないのよ。ここ最近まともに寝てもいない。頑張っても上司は労うどころか嫌味とセクハラしか口にしない。
プツン
真理愛は切れた。
「大聖女さまって、絶対私じゃないと思うけど!」
無駄な抵抗はやめて、この光に身を任せてみよう。どうせここだって居たくて居る場所じゃない。
真理愛の方から光に向かって手を伸ばす。
光は喜んで真理愛を飲み込んだ。
「あーあ、入っちゃった。これ、たぶん遠くに行けちゃうなあ……」
真っ白な視界に、真理愛の呟きが溶けていった。
***
ホワイトアウトした視界が開けると、古めかしい恰好の人々に囲まれていた。
真理愛は周りの人々より一段高い祭壇に立っていて、さらに皆は恭しく跪いているものだから、暫しの間誰とも目が合わず、気づいてもらえているのか不安になった。
十数秒の沈黙の後、一番近くにいた、紺と白のローブを来た長い白ひげの老人が声を張り上げた。
「ご降臨なされました!」
おおっ
感嘆のどよめきが起こり、目の前にいた赤いマントに黄金の冠を被った壮年男性がゆっくりと立ち上がった。壮年男性の身長はわからないが、おそらく祭壇の高さが1メートルくらいあるので、男性は立ち上がってなお真理愛を見上げる形になった。他の人はまだ跪いている。
(どうみても王様だよね……)
このような場で最初に動く、いかにもな恰好をした人物。ここがどんな社会であろうと、最も力を持った人に違いないだろう。すると、先ほど降臨とか何とか言っていたお爺さんは神官的なポジションだろうか。
王様と思われる壮年男性が口を開く。
「私はこの国の王位を戴いております、ヨハネス3世と申します。聖女さまのお越しを心よりお待ちしておりました。何卒我らを導きください。……と、申しましても、何を言われているかもわからずご不安でしょう。まずは場所を移し、神官よりご説明を申し上げたく存じます」
「ご、ご丁寧にありがとうございます。よろしくお願いします……」
戸惑いはありつつも、思ったよりこちらの心情を慮ってくれている。トップが話が通じそうな相手であることに真理愛はだいぶ安堵した。
「こちらにどうぞ」
白ひげの老神官が丁寧に腰を折り移動を促すので、真理愛は素直についていく。
真理愛が祭壇から降りる頃には王以外の人々も立ち上がっていたが、真理愛が通る道の両側に行儀よく並んで深々と頭を下げていて、その中心をしずしずと進んでいくのは、現代日本の一般家庭に生まれ育った身には少々居心地が悪かった。
続きもご覧いただけたら幸甚です。
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