第9話「静かなる王の謁見」
玉座の間は、変わらず荘厳だった。
白い大理石の床、天井から吊るされた金細工のシャンデリア、
高窓から差し込む光が、静けさの中で床を染めている。
私はその中心、長く続く赤絨毯の上に立っていた。
この場所に、再び足を踏み入れることになるとは。
しかも、自分の意思で。
「リセリア・ヴァンブローズ。月竜との契約を果たした者として、ここに立つか」
その声は、変わらない。
落ち着き払った、芯の通った低音。
「はい。私、リセリア・ヴァンブローズ、陛下の召喚に応じ、参上いたしました」
私は静かに一礼する。
私のすぐ後ろには、セラとノエインが控えていた。
二人の存在が、背中を支えてくれているようで、心強かった。
玉座の上には、ヴァルセリオ国王。
私にとって、この国で唯一の“理解者”だった人。
「顔を上げなさい。……久しいな、リセリア」
「ええ。お久しぶりです、陛下」
言葉にこそ形式を込めてはいたけれど、
その瞳にはわずかに柔らかなものが宿っていた。
「貴女の剣は、昔から人のために振るわれてきた。
しかし、剣を振るう理由を選べるようになったのは、つい最近のことだろう?」
「……そうかもしれません」
私は一歩、前に出る。
「私は、王都にいた頃、誰かの“道具”のように動いていました。
家のため、家名のため、婚姻のために」
「それを拒むには、あまりに若く、あまりに“従順”であったな」
「でももう違います。
私は、自分のために剣を持ち、自分の意志で竜と契約しました」
その言葉に、玉座の周囲にいた廷臣たちがざわつく。
だが王は、それを制すように右手を上げた。
「それが“月竜”であると?」
「はい。……私は、聖剣を受け取る資格を得ました」
その瞬間、部屋にいる誰もが、息を飲んだ。
「聖剣は王妃にのみ授けられるもの。それを、貴女が?」
そう問いかけたのは、左手に控えていた近衛筆頭騎士──レオン・シエリスだった。
彼の瞳は鋭く、私の言葉の裏を探るように見つめてくる。
だが敵意はない。ただ、真実を測っているだけだ。
「“王妃”という枠組みの意味は理解しています。
けれど、“選ばれし者”の意味を、私は自ら証明しました」
そのとき、セラが前に出た。
「私が証人です。リセリア様が月竜の試練を超え、剣を受け取った瞬間を見届けました。
この身と魂をもって、それを保証いたします」
「そして僕は、月竜との契約に関する魔術式を検証しました。
確かにあれは、“供物としての愛”を介した契約。
……月竜は彼女を、真に“望んだ”存在として選んだのです」
ノエインの言葉に、ざわめきが一層強くなる。
王はゆっくりと立ち上がり、玉座の階段を下りてきた。
「……ならば、リセリア・ヴァンブローズ。
問おう。貴女はこれから先、王家に忠誠を誓うか?
それとも、月竜の器として、この国を越える存在となるか?」
重い問いだった。
けれど、答えはすでに決まっている。
「私は、この国に生まれ、この国で育ちました。
愛したものも、守りたかったものも、すべてここにあります」
私は、まっすぐに王の目を見て言った。
「だからこそ、“この国に対して”誓います。
王家でも、竜でもなく。私はこの国の民に、私の剣を捧げます」
静まり返った玉座の間に、その言葉だけが残った。
そして王は、ふっと微笑んだ。
「……ようやく、“自分の言葉”で語れるようになったな」
「ありがとうございます」
「それでいい。誇り高く、気高くあれ。
それが、貴女という剣の正しい在り方だ」
私は深く、頭を下げた。
この瞬間、私と国の関係は、過去のものとは違う何かに変わった気がした。