第7話「呼び戻しの書状、そして剣の決意」
朝の空気は、夜のそれとはまるで違っていた。
清涼というよりも、張り詰めた冷たさがあった。
私は塔のバルコニーから、霧の立ちこめる森を見下ろしていた。
そこには何も見えない。けれど、何かが近づいてくる気配だけはわかる。
ノエが昨日言っていた“お呼び”。
それが今日、届く予感がしていた。
ノックの音は、やはり静かだった。
「失礼いたします。リセリア様、王都からの使者がいらしております」
ミリアムの声。普段はやかましいくらいに元気なのに、今朝の彼女はやけに静かだった。
無理もない。こうなることは予想していたけれど、実際にその瞬間が来ると、やはり心は波立つ。
「……通してちょうだい。私は下に降りるわ」
階段を降りる足音が、自分でも妙に重たく感じた。
広間に降りると、そこには深緑の外套を着た男性がひとり。
控えめな装いながら、所作には王宮仕えの矜持があった。
「リセリア・ヴァンブローズ様。
陛下よりのご伝令にあがりました。ご帰還を、との勅命でございます」
そう言って差し出されたのは、銀糸で封印された書状だった。
(……とうとう、来たのね)
「受け取るわ」
封を切ると、中には簡潔な文章が記されていた。
内容は予想通り。王宮への帰還命令、そして“月竜との契約に関する聴取”という名目。
だが、形式を取り繕っていても、これは事実上の呼び戻し。
私を追い出した王宮が、いまさら何を望むというのだろう。
「……どうするおつもりですか」
後ろからかけられた声に振り返ると、そこにはセラがいた。
いつもの無表情。けれど、その声には確かな緊張が宿っていた。
「行くわよ」
「危険です。あの場には、あなたを追放した者たちが揃っている。
再び同じ仕打ちを受ける可能性もある」
「ええ、わかってるわ。でも、私は逃げない。
あの日と同じ場所で、今の私が何を持っているか、証明する」
彼の瞳がわずかに揺れた。
「……なら、私もお供します」
「いいの?」
「私の剣は、あなたに誓った。
あなたが向かう場所がどこであれ、それが奈落でも、私は共に在ります」
セラの言葉は、いつも不器用なくらい真っ直ぐだった。
それが、どうしようもなく心に響く。
「ありがとう、セラ」
その瞬間、扉がふわりと開いた。
「ふたりとも、朝から重い空気だねぇ。
もっとこう、契約者としての凱旋! とか、前向きな雰囲気にしたらどう?」
ノエインだった。飄々とした笑みを浮かべながらも、その目は真剣だった。
「あなたも来てくれるの?」
「当然。学術的にも月竜との契約は興味深いし、君が何を成すのか、目撃者にもなりたい」
「……心強いわね」
「それに、僕がいないと、セラがまた無茶しそうだから」
「……否定はしない」
セラが小さく頷いたのが可笑しくて、私は少しだけ笑った。
* * *
出発の支度を整え、塔の外に出たとき、
ミリとフィリが並んで立っていた。
「リセリア様、必ずお戻りください」
「リセリア様は、わたしたちの主です。……たとえ、竜の器でなくとも」
「ええ。約束する。……私の帰る場所は、ここだから」
そう言って、私はふたりの頭に手を置いた。
ミリは少しむくれ、フィリはまぶしそうに目を細めた。
遠くで馬車の車輪が音を立てる。
王都への道は、かつてと同じ石畳。でも──今の私は、あの日の私じゃない。
「行こう。王都に、私の剣を見せに」
私はそう言って、塔を後にした。




