第5話「月の剣と、揺れる王都」
「……月の剣、だと?」
リオネル・ヴァルセリオは、机の上の文書を睨みつけた。
筆跡は公的なもの。
王国北方の古城で、月の聖剣が“再び輝いた”という報が届いたばかりだ。
「本物のはずがない。契約者は、王妃候補のみのはずだ」
だが、報告書には記されていた。
“剣は一人の令嬢に反応し、契約を成立させた”と。
その名も──リセリア・ヴァンブローズ。
(……なぜ、彼女なんだ)
それは“ただの婚約破棄”のはずだった。
剣の腕ばかりを磨き、舞踏会より鍛錬場にいるような女。
周囲の視線すら気にせず、冷たい瞳で敵も味方も切り捨てるような存在。
けれど──
その“強さ”が、自分には、どこか怖かった。
(誇り高く、誰の言葉にも屈しない。その在り方が、あまりに眩しかった)
そんな彼女が、断罪の場で頭を下げた。
まるでそれを“最も価値のない儀礼”のように済ませて。
なのに、なぜか……あの姿が、今でも胸に焼き付いて離れない。
* * *
一方、王都では貴族たちが騒然としていた。
「リセリア様が……月の剣に選ばれたって、本当なの?」
「婚約破棄されたはずの人よ? どういうこと?」
「むしろ王子の判断ミスだったのでは……」
「やっぱりヴァンブローズ家の血筋は、特別なんじゃないかって……」
「このままじゃ、“あの人”が王妃になる可能性すら……!」
噂は貴族街を駆け巡り、
いくつもの家で「婚約者の再評価」という言葉が囁かれ始めていた。
リセリアの名は、もう“終わった女”ではなく、
“竜に選ばれし者”として、再び王都に刻まれつつある。
* * *
「……やはり、目覚めたか。あの剣が」
王城の執務室、ラグナル・ヴァルセリオ王は、窓の外に浮かぶ月を見上げていた。
静かで、何も語らぬ月の光は、ただ冷たく王の横顔を照らしていた。
手元には、リセリアの名が記された報告書。
「いずれ、あの子は……この国の『夜』を継ぐ者となるだろう」
それは予言ではなく、確信だった。
彼女の中に眠る“剣と誓い”の資質。
先代の記憶にさえ触れ得る、あの城の試練を乗り越えた者。
「……見せてもらおうか。月竜の選んだ、その意味を」
王の瞳は、誰よりも静かに、未来を見つめていた。
* * *
そして、北の古城。
書庫の片隅、蝋燭の明かりに照らされながら、リセリアは月の剣を磨いていた。
手のひらには、まだ淡く契約印の痕が残っている。
「……選ばれるって、なんなのかしらね」
窓の外には、変わらず月が浮かんでいた。
契約を交わしたからといって、過去が消えるわけではない。
信じていた者に裏切られ、守ってきた名誉を地に落とされ、
誤解のまま、すべてを奪われたあの日。
(でも、それでも。私は、私の誇りを折らなかった)
誰に嘲られても、剣を握る手だけは、離さなかった。
「……セラも、ノエも。皆、私を捨てなかった」
だから私は、もう少しだけ信じてみようと思う。
自分の剣を。
自分の名を。
そして、この契約の意味を。
リセリアは剣を立てかけ、そっと瞼を閉じた。
その瞳には、月の光と、微かな決意が宿っていた。




