第4話「契約の試練と、月の問い」
《……名を、問う。》
書庫に響く声は、空間そのものを震わせるようだった。
深く、静かで、底知れぬ力を孕んだそれは、明らかに人間の言葉とは異なる。
私はそっと一歩前に出る。
セラが止めようとしたが、手で制した。
「私は、リセリア・ヴァンブローズ。
――誇りと剣を、この身に宿す者」
《……その誇りが、奪われたとき、何を残す?》
質問。
否、審問のような響き。
私はすぐに答えず、わずかに瞼を伏せる。
「私が奪われたものは、名誉でも、地位でもない。
誇りを踏みにじられたと思ったことは、一度もないわ。
……ただ、剣を預けた信頼が、裏切られた。それだけ」
《怒りか、悲しみか。》
「どちらでもない。ただ、記憶として刻まれたわ」
声は、しばらく沈黙した。
やがて、書庫の奥にある壁の一部がゆっくりと、音もなく開いていく。
冷たい風が吹きつけ、奥には石造りの階段が現れた。
「……試練の扉」
セラが低く呟く。
私は微かに笑う。
「ついてくる?」
「もちろんです。リセリア様が行く場所なら、どこへでも」
* * *
階段を降りると、そこは円形の広間だった。
天井が高く、月の紋章が刻まれた天蓋から、青白い光が降り注ぐ。
中心には、ひとつの剣。
純白の鞘、蒼銀の柄。
それは、まるで“月”そのものを象ったようだった。
《……なぜ、剣を持つ?》
再び、問い。
私は剣へと歩み寄り、答える。
「それが、私の言葉だから。
この身にまとわる誤解も、剣で断ち切ってきた。
私は、剣でしか語れないの」
静かな沈黙が降りる。
《ならば、証明せよ。》
広間の空気が変わる。
まるで空間そのものが敵意を持ったような、重圧が襲ってきた。
そして、闇の中から姿を現す──銀の甲冑に包まれた騎士の幻影。
「……試す気なのね」
私はゆっくりと剣に手を伸ばす。
だが、その柄は、冷たいまま、重たく、まるで拒んでいるようだった。
《お前は、誰のために剣を振るう?》
私は剣を引き抜く。
その瞬間、冷たい音とともに刃が月光を反射し、広間に煌めきを放った。
「私のために。
そして、私の傍に立つ者のために。
私を侮り、嘲った者のためではないわ」
騎士の幻影が動いた。
刃と刃が交差する音が、鋭く空間を切り裂いた。
セラが剣を抜いた気配があったが、私は片手で止める。
「これは、私だけの戦いよ」
* * *
五合目、私は相手の剣筋を読みきり、肩口に斬り込んだ。
幻影は抵抗せず、淡く光りながら崩れ落ちる。
《……契約、受理。》
その声とともに、剣が淡く発光し、柄に淡い印が浮かび上がる。
月の紋章。契約の証。
セラが静かに膝をつき、頭を垂れた。
「月の聖剣……まさか、ここで」
私は剣を見下ろし、小さく息をついた。
「……剣しか、私にはなかった。
でも――それでいい。これが、私」
その瞬間、空間が静かに光を収め、階段の向こうに戻る道が現れた。
“選ばれし者”としての第一歩。
私はその剣を携えて、静かに歩き出す。