第26話「剣姫の夜、逆転の兆し」
夜の静けさが、妙に濃く感じられた。
“誓いの演武”を終えたあとの、聖堂の庭。
誰ひとり、あからさまに私を称賛する者はいなかったけれど、
その視線の色が変わっていたのは、確かだった。
“疑っていた目”が、“見極めようとする目”に。
そして今は、“認め始めた目”へ──
「お疲れ様でした、リセリア様」
控えの間で待っていたミリアムが、丁寧に頭を下げた。
「演武、とても素敵でした。
まさに、“月の剣姫”です」
「……ありがと。
でも、まだ終わってないわ」
私はゆっくりと腰を下ろした。
緊張の余韻が、まだ喉元に残っていた。
そのとき、部屋の扉が小さくノックされた。
「リセリア様に、急ぎのご来客です。
お一人での面会を求めておられます」
侍従の声に、私は首を傾げた。
「名は?」
「それが──“エルヴィン殿下”と名乗っておられます」
私は目を細めた。
“エルヴィン”──
その名を知らぬはずがない。
第一王子にして、リオネルの兄。
王位継承第一位、ヴァルセリオ王国の次期国王候補。
「……通して」
部屋の空気が、ひんやりと引き締まる。
ほどなくして現れたその男は、噂通りの人物だった。
整った容姿。
それ以上に印象的だったのは、“観察する者の目”。
敵でも味方でもなく、ただ“この世界の仕組み”を見通すような視線だった。
「初めまして、リセリア・ヴァンブローズ嬢。
……もしくは、“剣姫”とお呼びした方が良いかな」
「殿下にそのように呼ばれるいわれはありませんが──
ご挨拶はありがたく受け取っておきます」
エルヴィン殿下は、くすりと笑った。
「誓いの演武、拝見させてもらったよ。
……見事だった。まさに伝説の再現と言って差し支えないだろう」
「それで、王太子がこの時間に私を訪ねてきた理由は?」
私は距離を詰めさせぬように、敢えて事務的な口調を取った。
彼のような男は、“隙”を見せると、思考の奥まで入り込んでくる。
「単刀直入に言おう。
君を、“この王国の剣姫”として正式に認めたい。
王家として、聖堂の裁定を待たずに──ね」
「……それは、どういう意図で?」
「聖堂は“神意”を尊ぶが、王家は“現実”を選ぶ。
君の力は、現実に“月竜を動かした”。
そして、今日の演武で“民の心”も動かした」
彼の口調は淡々としていた。
「これ以上、君を排除しようとする勢力に肩入れする理由は、王家には存在しない。
それどころか──“君を擁する方が、得策”なのだ」
「なるほど。
それで、“王太子としての支持”を、今ここで表明する……と?」
「表明する前に、一つだけ聞かせてくれ」
彼は身を乗り出した。
「君の“契約”──
月竜との絆は、真に自発的なものだったのか?
それとも、“王家の血”に何か繋がるものがあるのか?」
私は静かに首を横に振った。
「私が何者であろうと。
私が、この剣を選び、この契約に誓いを立てたのは、
誰かに言われたからではない。
“私自身の意志”です」
その答えに、エルヴィン殿下は深く頷いた。
「ならば十分。
“意志を持つ者”こそ、剣姫にふさわしい」
「……それが、王太子の見解?」
「いや、“未来の国王”としての意見だ」
言い切った彼の目は、確かに未来を見据えていた。
「私は、君と“敵対する未来”を選ぶ気はない。
むしろ、“共に立つ未来”を選びたいと思っている」
私は、一拍の間を置いたあとで、笑った。
「それは、求婚の前振りとしてはずいぶんと回りくどいわね」
「……残念ながら、それは弟の役目のようだ」
その一言で、空気が少しだけ和らいだ。
部屋を出ていく王太子の背に、私は一礼を送った。
彼が何を考えているのかは、まだ読めない。
けれど、“私を見ている目”は確かだった。
この国は、変わろうとしている。
誰かが指図した未来ではなく──
意志を持つ者たちが、選ぶ未来に。
私の中に灯った決意は、もう揺るがない。




