第23話「剣姫と魔術師、隠された契約の記録」
聖堂の地下に、こんな空間があるとは知らなかった。
「ようこそ、“聖印記録室”へ」
案内してくれたのは、ノエインだった。
彼の言葉に続いて、重々しい扉が音を立てて開いた。
そこには、湿気と香の混じった空気が漂い、壁一面に記録文書や契約文、写本が整然と並んでいた。
「この部屋には、過去千年にわたる契約の記録が眠っている。
もちろん、誰でも入れる場所じゃない。けど、僕がここに案内したくなったということは──察してもらえる?」
「……つまり、“私の契約”に関わる何かがあるってことね」
「察しが早くて助かるよ」
ノエインは、笑みを浮かべながらも、どこか探るような目をしていた。
その視線に、私の中の警戒心がひとつ、弦を張った。
「目的の記録は、ここだよ。『月竜契約者の記録・第六稿』。
いちばん古い記録群じゃないけど、最近のものより信憑性が高いとされてる」
ノエインが手渡したのは、革表紙の小ぶりな冊子だった。
ページをめくると、年代とともに列挙された契約者たちの名が記されていた。
それぞれの時代に、選ばれし“剣姫”が存在していた。
だが──
「……あれ?」
私の名が、そこになかった。
いや、それだけじゃない。
「……前任者が、空白になってる」
「そう。
リセリア、君が“契約の正式継承者”とされているのに、
その直前の契約者の記録が“無効”と記されているんだ」
私は、眉を寄せた。
「無効? どうして?」
「それは、誰にもわからない。
ただ、数十年前に“契約はなかった”とされた空白期間がある。
君の契約は、形式上は“再契約”として処理されているけど──」
「本来は、“初代”扱いされていてもおかしくない、ということ?」
ノエインは小さく頷いた。
「加えて──もうひとつ」
彼は、別の文書を取り出して私に手渡した。
それは“選定条件”に関する記録だった。
「月竜の契約者には、“生まれながらに月の印を持つ者”が選ばれる──」
私は、反射的に左手首に手を当てた。
そこには、小さな三日月の痕がある。
けれど、それは私自身、物心ついたときにはすでにあったものだった。
「……この印、私が意識したのは最近のことだけれど」
「リセリア。
君の家系──ヴァンブローズ家には、そのような“印”の遺伝情報は確認されていないんだ」
その言葉に、私は静かに息を呑んだ。
「……どういうこと?」
「つまり──君は、ヴァンブローズ家に“生まれた”存在ではない可能性がある」
世界が、ほんの一瞬、揺れた気がした。
「……私が、養子だった……ってこと?」
「公にそのような記録は残っていない。
でも、“その存在を隠すために何かが改ざんされた可能性がある”──
そう結論づける文献が、聖堂内部で抹消寸前になっていた」
私は、拳を握った。
「なら、私は一体……誰なの?」
「わからない。
でも、“君だけが、竜の声を聞き、剣に選ばれた”──それが事実だ」
ノエインは、静かに私の目を見つめた。
「それが、“君自身の価値”だ。
出自ではなく、意志によって選ばれた者としての──ね」
私は、言葉に詰まりながらも、頷いた。
震える胸の奥に、ひとつだけ確かな想いがあった。
“私は、私だ”
たとえこの身に、誰の血が流れていようと。
どんな経緯で生まれ育とうと。
剣を選び、契約を結んだのは、他でもない私自身。
「……ありがとう、ノエ」
「礼には及ばないよ。
僕は、ただ“君を知りたい”だけだから」
その言葉に、少しだけ心が温かくなった。
(……知りたい、か)
私自身すら知らなかった自分を、
他人が知ろうとしてくれることが、これほどまでに嬉しいなんて──




