第22話「仮面の下、竜の眷属の記憶」
あの夜、フィリエルの言葉に宿っていたのは、静かな緊張だった。
「……月竜の契約は、誰にも壊せない」
その言葉の端々に、普段の彼女らしからぬ“何か”が滲んでいた。
私はその場では問い返さなかった。
けれど、どうしても気になってしまって、翌朝、フィリエルを中庭に呼び出した。
ミリアムには休んでもらって、私たちはふたりきりになった。
「フィリ。あなたに、聞きたいことがあるの」
フィリエルは無表情のまま小さく頷いた。
「……あの言葉の意味を教えてほしい。“契約は壊せない”って、どういうこと?」
しばらくの沈黙のあと、フィリエルはそっと目を伏せた。
そして、柔らかく、けれど確かな声音で言った。
「──私は、“記憶”を持っているのです。リセリア様が契約の儀を行う前よりも、もっと前のことを」
「記憶……?」
「正確には、“眷属としての記憶”です。
私たちは、月竜の加護を受けてこの世に生まれた存在。人の姿を取りながら、主に仕える使命を持って生きています」
その言葉に、私は息を飲んだ。
「あなた……“人間”じゃないの?」
「“限りなく人に近い存在”です。ですが、竜の言葉を理解し、竜の意志を継ぐために生まれた存在。
月竜様から“剣姫を支えよ”という命を受けて、私は送り出されました」
まるで、神話のような話。
けれど、今目の前で静かに語られているその事実は、どんな嘘よりも誠実に感じられた。
「じゃあ……最初から、私が選ばれることは決まっていた?」
「それは、月竜様のみぞ知ることです。
けれど、“選ばれた瞬間”を、私はこの目で確かに見ました。
剣があなたに応じ、契約の光が月に届いたあの瞬間を──」
フィリエルの声は、まるで祈りのように澄んでいた。
「……私は、信じているのです。
リセリア様こそが、“真の契約者”であると」
私は、静かに息をついた。
「フィリ。あなたが、そんなふうに言ってくれて、本当にうれしい」
「……少し、怖かったのです。
私は“人”ではない。
けれど、リセリア様はいつも私を“普通の女の子”として接してくださった」
フィリエルが、少しだけ目を伏せた。
「だから、もし真実を話したら、嫌われてしまうのではないかと──」
私は笑って、彼女の肩に手を置いた。
「馬鹿ね。そんなことで、私があなたを否定すると思ったの?」
「……いえ、思いません。でも……やっぱり、少しだけ不安でした」
ふ、と。
彼女の顔に、これまで見たことのないような柔らかな微笑みが浮かんだ。
「……かわいいじゃない、フィリ」
「……からかわないでください」
拗ねたように言う彼女が、少しだけ年相応に見えて──私は、ほっとした。
* * *
それから私たちは、しばらく何も言わずに庭を歩いた。
花の香りと、淡い春の風。
そして、穏やかな沈黙。
「リセリア様」
ふいに、フィリエルが立ち止まって言った。
「これから、クロエ様の動きがより激しくなるでしょう。
“契約の誤り”を主張し、聖堂内に“異端審問”の声を広げようとしています」
「……その動きが加速すれば、私の立場が揺らぐわね」
「はい。ですが、それでも私たちは、剣と誓いを信じて進むしかありません」
私は、強く頷いた。
「……ええ。
“剣姫”というのは、孤独なものね」
「でも、孤独ではありません。
リセリア様には、私とミリアムがついています。
そして、“竜”が、あなたの背に在るのです」
その言葉に、私は自然と笑ってしまった。
「……そうね。ありがとう、フィリ」
たとえ世の全てが仮面をかぶろうとも。
この“本当の言葉”があれば、私は前に進める。
“月竜の契約者”として。
“剣姫”として。
そして──この物語の主人公として。




