第20話「月下の忠誠、騎士の告白」
噂は、音もなく忍び寄る。
それは刃よりも静かで、火よりもじわじわと心を焼いた。
“本当に月竜に選ばれたのか”
“公爵令嬢としての立ち居振る舞いがふさわしいのか”
“契約の儀は捏造だったのではないか”
ああ、そんな声はもう何度耳にしただろう。
わかっている。
事実よりも空気がすべてのこの場所では、理不尽は日常だ。
それでも……私は傷つく。
ひとつひとつが、私の存在そのものを蝕んでいく。
「リセリア様。今日はもう、お休みになっては──」
「……剣を振ってからにするわ。少しだけでいい」
フィリエルの声を背に、私は中庭へ出た。
夜の空気は澄んでいて、月がまるで私を見下ろしているようだった。
剣を抜く。
そして、ただ黙って構える。
剣先をまっすぐに月へと向ける。
「私は、誰のために立っているのか」
問いは、いつもここに戻る。
誰かのためではない。
私自身の“在り方”のため。
私という存在を、私自身が否定しないために──私は、剣を握っている。
──そのとき、背後から気配を感じた。
「……セラ?」
「……無断での訪問をお許しください」
騎士の正装を纏った彼が、影のようにそこにいた。
いつも通りの無表情。けれど、なぜか、ほんの少しだけ声が柔らかく感じた。
「聞いた。聖堂が“再契約”の儀を求めていると」
「……ええ。形式的なものだと信じたいけれど、ね」
私は剣を下ろしたまま、視線を彼に向ける。
「“形式”の皮を被った処刑は、慣れっこよ。もう驚かない」
「あなたが、それを“受け入れた”姿を見たとき……私は、あなたの騎士であることを誇りに思いました」
「……突然ね。何かあったの?」
彼は言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。
「私は、あなたの“忠誠を求める言葉”を一度も聞いたことがありません。
それでも私は、あなたの傍に在りたいと思った。
なぜなら──」
言い淀んで、セラはほんの少し視線を逸らした。
「──あなたが、誰よりも自分に厳しく、
誰よりもこの国を、剣で守ろうとしていると……知っているからです」
その言葉に、私は思わず息を飲んだ。
セラは、誓いの言葉もなく、命令もなく、
ただ“見ていた”のだ。
私が何も言わずに剣を振るい、笑われ、傷つきながらも立っていた姿を。
「……そんな風に、見えていたのね」
「ええ」
彼の声は、微かに震えていた。
「ですから、たとえ世界があなたを否定しても……
私はあなたに剣を捧げます」
「セラ──」
「あなたの剣が折れるときは、私の盾も砕けているでしょう。
あなたの誇りが汚されるときは、私の命も尽きているはずです」
月の光が、セラの瞳を照らしていた。
その瞳は、たしかに“誓い”を宿していた。
それは命令でも契約でもない。
ただ、彼自身の“意志”だった。
私はそっと、剣を納めた。
「……ありがとう。セラ」
静かにそう呟いた。
それだけで、あれほど重かった空気が少しだけ軽くなった気がした。
私のことを“信じている”と、言ってくれる人が、ここにいる。
それだけで、どれだけ救われることか。
──この先、どれほどの嵐が来ようとも。
私は、この“誓い”に支えられて歩いていける。




