第2話「誓いの城と、古き声」
古城の扉が、重々しく閉ざされた音が背後で響く。
ここは、王都の北。霧と風に包まれた、長く使われていない離宮。
「……寒いわね」
つぶやきながら、私は濃紺のマントを羽織り直す。
壁は冷たく、空気は湿っている。
城というより、忘れ去られた墓所のようだった。
だが、この地こそが私に与えられた場所。
誤解と政治の果てに──。
「リセリア様、こちらです。暖炉のある部屋にご案内します」
先導するのは、黒衣の双子、ミリアムとフィリエル。
二人は無表情だが、気配りは細やかだ。
「ありがと。……そういえば、薪の調達ってどうするの?」
「燃料庫にまだ残っておりました。しばらくは問題ありません」
「掃除も、わたしたちで済ませておきました」
「食料も、街道沿いの村から定期的に届く手はずです」
「……完璧ね」
ふと笑みが漏れる。
処刑台に送られる気分で来たのに、生活は思いのほか整っている。
私の部屋に案内されると、そこは意外にも落ち着いた空間だった。
家具は重厚なアンティーク。
飾り棚には小さな陶器の人形や、くすんだ色合いの花瓶。
どこか、少女趣味の残り香がある。
「前の住人は……?」
「詳細は不明ですが、かつて王家の縁者が暮らしていたそうです」
「もしかしたら、竜の契約に関わる方だったのかもしれません」
ミリアムの言葉に、私は棚に飾られた一冊の本へと視線を向けた。
表紙にうっすらと、“誓約”という文字。
ふと、床を伝って微かな音が響く。
──カン、カン……。
一定のリズムで、どこか遠くから。
鍛錬の音だ。
私は部屋を出て、音のする方へ足を向けた。
歩くたびに、石造りの廊下に足音が吸い込まれていく。
そして、城の中庭に出たとき、そこにいた。
「……セラ」
剣を振る男の背中は、まるで風のように静かで、鋼のように揺るがなかった。
黒髪が揺れ、汗が額を伝って地面に落ちる。
セラヴェル・フェルゼイン。
私の誓約騎士。
断罪の場で沈黙を貫きながら、ここで私を待っていた男。
彼は振り返らず、あと数度剣を振り終えると、ようやく動きを止めた。
「ようこそ、お戻りくださいました、リセリア様」
「……“戻る”とは?」
「この城は、もともとあなたの場所だったと、私は考えています。
剣と誓いに生きる者が、最もふさわしくあるための場所」
「相変わらず、理屈っぽいわね。……でも、嫌いじゃないわ」
私はゆっくりと歩み寄り、彼の正面に立った。
セラの瞳は、いつも私をまっすぐに映す。
曇りも、疑いもない。
「なあ、セラ」
「はい」
「……本当に、ここに残るつもり?」
「はい」
「王命に背いても?」
「私の忠誠は、あの日、あなたに向けて誓われたものです。
命令より、誓いのほうが重い」
不器用な言葉。でも、だからこそ、私にはまぶしかった。
「じゃあ、しばらくは……よろしくね」
セラの口元が、わずかに緩む。
それが彼にとっての“笑み”なのだと、私は知っている。
* * *
その夜、私は一人、書斎にこもっていた。
例の“誓約”と記された本を読み進める。
古い言葉、散文詩のような記述。
儀式、契約、献身、代償……。
(これは……契約術?)
だが、どこかで違和感がある。
よく知る“精霊契約”とは、根本が違う。
血ではなく、魔力でもない。
もっと根源的な、意志の交差のような──。
その瞬間、書庫の奥から風が吹き抜けた。
「……!」
棚に立てかけられていた燭台が倒れ、蝋が机に垂れる。
私は立ち上がり、音のした方を見た。
だが、誰もいない。
「……気のせい、じゃないわよね」
まるで、誰かが呼んだような。
深く、静かに、どこか懐かしい声で──。