第19話「剣姫の器、揺らぐ真実」
「──“月竜の契約は誤りだった”と、そんな噂が流れています」
その言葉を耳にしたのは、朝の回廊を歩いていたときだった。
廊下の向こうで、侍女同士がささやき合っていたのだ。
“契約の器にふさわしくない女が、聖剣を手にした”と──
私が姿を見せると、ふたりは慌てて頭を下げ、すぐに立ち去っていった。
(……もう始まったのね、クロエ)
剣のような噂。
一太刀で斬られるよりも、何倍も鈍く痛い。
けれど、逃げるわけにはいかなかった。
私は選んだ。竜と、剣と、この運命を。
「姫様、お耳に入っているかと存じますが……聖堂の高位神官からも、“契約の再検証”を求める声が上がっているそうです」
報告してきたのは、フィリエルだった。
静かな顔で事実を告げる彼女の言葉には、私情が混じっていない。
けれど、それが逆に、私の胸に刺さった。
「“器”の定義は、誰が決めるのかしらね」
「月竜自身……ではないのでしょうか?」
「なら、どうしてこんなにも揺らぐのかしら。
聖剣が応じた事実だけでは、もう足りないの?」
私はそっと、胸元のペンダントに手を触れた。
──あの夜、月光の中で交わした竜との誓い。
言葉はなかった。ただ、確かに“何か”が私の中に注がれた。
それは、剣を握るための力であり──“選ばれた者”としての証明だった。
(でも、それだけでは足りないというの?)
聖堂、貴族派、王宮の内部──
噂は静かに、けれど確実に広がっていた。
* * *
「君が契約者であることに、疑問を持つ者がいるのは当然だ」
そう言ったのは、ノエインだった。
彼は資料で埋まった机から顔を上げ、眼鏡を押し上げた。
「クロエが、“かつて月竜に選ばれかけた”という話を知ってるかい?」
「……なに、それ」
「公式記録には残っていない。
けれど、聖堂の内部記録の断片に、こんな記述がある」
彼は一枚の羊皮紙を差し出した。
そこには、こう書かれていた。
『次代契約者候補──デュメレ家令嬢クロエ、選定の試練に至るも、剣の反応に至らず。』
「つまり、“あと一歩”で剣に選ばれるところだった。
彼女は、選ばれなかったことを今でも認めていない。
だからこそ、君が選ばれた事実を否定したいんだ」
ノエインの声には、淡々とした響きがあった。
けれど、私は知っている。
この魔術師は、静かな口調の裏で、常に怒っている。
「だから、君に言っておく。
この国は、証明より“空気”を重視する。
いくら聖剣が応じたといっても、“君はふさわしくない”という空気が支配すれば、それが事実になる」
「……それでも、私は逃げない」
「うん。知ってる。だから僕は、君に味方する」
私は小さく息をついた。
それだけで、ほんの少しだけ心が軽くなった。
* * *
夜。
ひとりで中庭に出た私は、剣を抜いた。
月の光が、刃に反射して銀色にきらめく。
「私は、誰のために剣を振るう?」
誰かを斬るため?
何かを守るため?
それとも──
「私は、私自身のために」
呟いたその言葉に、月光が一瞬だけ強く輝いた気がした。
(……器の定義なんて、知らない。
でも私は、“私の中にある剣”を信じる)
たとえ世界が否定しても、私は、竜との契約を裏切らない。
それだけは、確かに言える。




