第18話「聖堂の使者と、魔術師の疑念」
晩餐会の夜が明けて、朝靄が宮廷を包んでいた。
昨夜の煌びやかさが嘘のように、回廊は静かだった。
けれど、私の胸の内はどこかざわついていた。
──これが“戦い”の始まりなら、今日という一日もまた、剣を抜く覚悟で臨むべきなのだろう。
「リセリア様、使者がお見えです。……聖堂からです」
朝の食事を終えたばかりの私のもとに、ミリアムが告げに来た。
「……こんな朝早くに?」
「ええ。書簡ではなく、直接の訪問です」
私は静かに立ち上がり、上着の肩口を整える。
聖堂──月竜との契約を監督した、その神聖なる機関が、何の用で?
「いいわ。応接室に通してちょうだい」
* * *
現れたのは、若い神官だった。
だが、その目には年齢にそぐわぬ老練さが宿っていた。
「剣姫リセリア様。
聖堂より、次回の“儀礼確認”と、“契約の証の公開確認”について通達をお持ちしました」
「契約の……公開?」
私は眉をひそめた。
「聖堂が、それを“要求”しているの?」
「いえ。あくまで“希望”です。
ですが、王宮内で一部に“契約の真偽”を疑う声があることも事実。
聖堂としては、余計な騒動を鎮めるために、あらかじめ火種を摘みたいとの意向です」
穏やかな物言いだった。
だが、そこには“聖堂の意志”が透けていた。
(つまり、“こちらから証明しろ”と)
私は静かに、神官の目を見返した。
「わかりました。正式な日程と手順を確認のうえ、判断いたします」
「ご英断に感謝を。……もう一件、個人的にお伝えしたいことがございます」
彼は少し間を置いてから、続けた。
「リオネル殿下が、近く“再度の婚約について”相談の意志を示されたそうです。
聖堂としては、それが政治的に波紋を広げぬよう、慎重な対応を──」
「……その話、誰が持ち出したの?」
私はすかさず言葉を差し込んだ。
神官は、わずかに視線を逸らした。
「……あくまで、“宮廷内の一部の動き”です。
私個人としては、剣姫様が再び“王妃候補”として巻き込まれることに懸念を抱いております」
懸念──それが本心かどうか、私は測りかねた。
けれど一つだけ、はっきりしていた。
この国の中で、私という存在が“特異点”になり始めている、ということ。
* * *
その日の午後、私は久しぶりにノエインと顔を合わせた。
「君、目の下に隈できてる」
「朝から聖堂の神官と話をしていたのよ。色々、聞き捨てならないことばかりで」
「……そうだろうね」
ノエインは珍しく、眼鏡の奥に真剣な光を宿していた。
「実は、僕も調べていたことがあるんだ。
クロエ・デュメレの後ろ盾と、聖堂内の一部の動き」
「……なにか掴んだの?」
彼はそっと、懐から小さな石板のようなものを取り出した。
「古い“契約記録”──聖堂に保管されていたものの写し。
本来なら、他者に閲覧されることはないものだけど……ちょっと裏口から手を入れてね」
「また無茶を……」
「君のことだと、無茶もするさ」
その一言に、私は思わず笑ってしまいそうになった。
けれど、石板に刻まれた一文を読んだ瞬間、その笑みは凍りついた。
『月竜との契約者は、常に“清き器”でなければならない。
剣を持つ者が、器を兼ねるとき、世界は秩序の剣を与える。』
「“器”……?」
「契約者が、“力の媒介”ではなく、“何かを宿すもの”である、という意味だと思う。
そしてクロエが聖女として扱われる理由も、そこにある。
──だが、君の契約が“正式なもの”として再認された今、
彼女の“器”としての立場が揺らぎ始めている」
私はゆっくりと息を吐いた。
剣姫としての私。
公爵令嬢としての私。
そして──器としての私。
いったい、どれが“本当の私”なのか。
わからない。
でも、ただひとつ言えるのは──
「どの立場も、私の“剣”で貫いてみせる」
ノエインは頷いた。
「だからこそ、君の隣に立ちたいと思うんだよ、リセリア」
その言葉が、どこか温かくて、くすぐったくて、
けれど、ほんの少しだけ心強かった。




