第12話「噂と動揺、そして一輪の薔薇」
「――“月竜の剣”が、彼女に応じたらしい」
「嘘でしょう?あの人、婚約を破棄された“落ちこぼれ”だったはずじゃ……」
「でも、あの聖剣の光を見た者もいるとか……本物よ。間違いなく、選ばれたんだわ」
噂というものは、音もなく広がる。
そして、真実の断片を含んでいるからこそ、より強く、より鋭く人の心を刺す。
それが、今の王都だった。
私が礼拝堂で“選ばれた”日から、まだ一晩しか経っていないというのに、
すでに王宮の空気は、確かに変わっていた。
すれ違う侍女たちの視線が、ほんの少しだけ揺れている。
あの日のように、蔑む色ではない。
けれど、憧れでも尊敬でもなく──
ただ、“観察する者”の目。
(見ている。私の一挙一動を)
私はそれに慣れているつもりだった。
けれど、今の視線はあの頃と違って、奇妙に静かで、湿っていた。
「……疲れるな、注目されるのも」
中庭のベンチに腰かけながら、私は呟いた。
朝露に濡れた芝生の香りが、かすかに鼻をくすぐる。
そこへ。
「なら、出歩かなければいいのに」
突然、声がして、私は振り返った。
「……ノエ」
「うん。朝の空気を吸いに来たら、君がいた。それだけ」
彼はすっと隣に腰を下ろすと、銀色の髪を手で払いながら、
いつもの調子で肩をすくめた。
「君が聖剣を手にしたこと、それ自体はもう既成事実。
でも、それを“どう使うか”が、皆にとって一番の関心ごとなんだよ」
「“使い方”なんて、決まってるわけじゃない。
私はまだ、自分が何に向き合うべきかも、全部はわかってない」
「それでも、“選ばれた”んだ」
ノエの瞳が、珍しく真剣だった。
「だから、少なくとも君は“動く”べきだ。
何もしないままでは、剣は錆びる。心もね」
「……あいにく、のんびりしてる暇はないわ。
次は、誰がどう動いてくるか……私自身が試される番だから」
私はそう言って立ち上がった。
そして、ふとそのとき、風が吹いてきた。
庭の片隅。
いつ植えられたのか覚えていないその薔薇の花壇に、
ひときわ目立つ“白い薔薇”が一輪、そっと揺れていた。
「……あれ、君に似てる」
ノエの声が、不意に背後から届いた。
「……何が?」
「白くて、触れれば切れそうで、でもきっと、どんな嵐でも倒れない。
――そんな薔薇。そう思っただけ」
私は返事をしなかった。
けれどその言葉は、朝の冷たい空気の中で、不思議な温かさを持って私の胸に残った。
* * *
日が暮れる頃、謁見の間の奥で、ひとりの男が立っていた。
赤い髪。翠の瞳。
そして、手に握られた、一輪の白い薔薇。
「……あれが、リセリアの力。
……いや、“彼女”の真価か」
リオネル・ヴァルセリオ。
第二王子にして、かつて私の婚約者だった男。
今、彼の目に映っていたのは、
もうかつての“従順な公爵令嬢”ではなかった。
それが、痛みとなって胸を刺すのだと、彼自身すら気づいていなかった。




