第10話「聖剣の呼び声、影の囁き」
王との謁見を終えた私は、かつての居館へと案内された。
一度はすべてを奪われ、追われた場所──それでも、今は私の帰るべき部屋として与えられている。
変わらない家具、同じ調度、手入れされていた窓辺の花。
使用人たちが気を遣って整えてくれたのは明白だった。
(……でも、ここはもう“昔の私の部屋”ではない)
ベッドに腰を下ろし、私は深く息をついた。
安堵ではない。覚悟と、ほんのわずかな緊張が、喉の奥に残っている。
聖剣──月竜が与えたその力は、まだ私の手元にはない。
だが、確かに“呼ばれている”感覚があった。
剣は選ばれし者のもとに現れる。
私がそれに相応しいと、今この瞬間も証明し続けなければならない。
「……来たか」
窓の外に、小さな気配。
屋根から滑るように降りてきたのは──ノエだった。
「リセリア、ちょっと、面白いことが起きてる」
「面白い?」
「地下礼拝堂。あそこに、聖剣の気配がある」
私は目を細めた。あの礼拝堂は、代々の契約者が祈りを捧げる神聖な場。
月竜の伝承も、あそこから始まる。
「感じるのは“呼び声”だけ。けど、力が揺れてる。
今夜、月が満ちる時間──何かが起きるかもしれない」
「……なら、私が向かうべきね」
「君はそう言うと思ってた」
彼は眼鏡をくい、と上げて笑った。
だがその背後、気配が一つ、近づいていた。
「礼拝堂に行くのなら、警護を」
現れたのはセラだった。
ノエと違い、彼はいつも“出入り”ではなく、扉から堂々とやってくる。
「私には、君の背を守る義務がある」
「ありがとう、セラ。……でも義務じゃなくて、“意志”でついてきてくれると嬉しいわ」
一瞬だけ、彼のまなざしが揺れた。
けれど、すぐに静かな声で答える。
「意志であろうと、義務であろうと、私の剣はあなたに属する」
私の胸の奥が、ほんの少しだけ熱くなった。
「なら行きましょう。月の導きが、私たちを待ってる」
* * *
地下礼拝堂へと続く階段は、冷たく、暗く、湿っていた。
かつて、私はこの道を通って王族としての忠誠を誓った。
今は、その時とは違う。私はこの国そのものに剣を捧げる者として、ここへ来た。
礼拝堂の中央には、円形の祭壇。
その周囲に刻まれた古代文字が、かすかに青白く光っていた。
「やっぱり、“目覚め”始めてる。君の契約が、剣の封印を解きかけてるんだ」
ノエの声はわずかに高ぶっていた。研究者としての好奇心が滲んでいる。
「でも、同時に……何かが干渉してる。力の歪みがある。これは──」
「誰かが、この剣を手に入れようとしている?」
私の問いに、ノエは頷いた。
「正確には、“妨害”しようとしてる。君が聖剣を得ることを、恐れてる者がいる」
「そんなこと、許すつもりはないわ」
私は祭壇の前に進み出る。
手をかざせば、空気がぴたりと張り詰めた。
その瞬間だった。
──ギィ……
礼拝堂の扉が、誰にも触れられていないのに、勝手に開いた。
「……あら、なんだか楽しそうね」
その声に、私は眉をひそめた。
現れたのは──クロエ・デュメレ。
薄紫のドレスに身を包み、涼しげな笑みを浮かべながら、
彼女は礼拝堂の聖域に、まるで舞踏会に現れたかのような足取りで入ってきた。
「リセリア。あなたが、竜と契約したって話──本当だったのね。
でも聖剣までは、いらないんじゃなくて?」
「あなたに、それを言う資格があるの?」
「あるわ。だって私は、“王妃になるべき存在”ですもの」
その言葉に、背筋が冷たくなる。
(この女、聖剣を……私から奪うつもり?)
「あなたの野心には興味がないけれど……
この場に立つ資格があるかどうか、それは剣が決めるわ」
「ふふ。なら見せてちょうだい。
“選ばれし剣姫”の本気を」
礼拝堂に、また新たな空気が満ちた。
私の中の月竜の力が、静かに共鳴を始めていた。




