第1話「断罪の日、そして剣は抜かれず」
「リセリア・ヴァンブローズ。あなたとの婚約は、ここに破棄する。」
玉座の間に、冷たい声が響いた。
満場の視線が、私ひとりに集まる。
だが私は、その視線を受け止めることも拒むこともせず、ただ静かにまっすぐ立っていた。
リオネル・ヴァルセリオ。
私の許嫁。
いや、ついさっきまでそうだった王国の第二王子。
彼の隣には、楚々とした身なりの少女──クロエ・デュメレ。
涙ぐむ姿が哀れっぽくも、狙い澄ましたように芝居がかっている。
「あなたは、私に剣のことしか話さなかった……」
「舞踏会でも、私をほったらかしにして訓練場にいたと聞いています」
「お優しさのかけらもない……!」
嗚咽まじりに声を震わせながら、クロエは私の冷淡さと暴言の数々を“事実”として並べ立てる。
まるで彼女が“愛に傷ついた清楚な乙女”であるかのように。
私はそのすべてを、黙って見ていた。
否定の言葉も、怒りの視線も、まるで必要なかった。
……だって、彼女が言っていることはすべて“演技”だと、わたしは知っている。
けれど、それをここで証明する術も、証人もない。
「リセリア様、何か申し開きは?」
宰相の問いに、私は一瞬だけ視線を動かした。
王族たちが並ぶ玉座の階段。
その頂きに座すのは、国王──唯一、私を理解してくれた人。
だが彼は何も言わない。
いや、言えないのだ。
この断罪は、すでに決められた儀式。
感情よりも、政治が優先される場。
私は、深く息を吐いた。
「ございません」
たったそれだけ。
だが、声は澄みきっていた。
悔しさも怒りもある。でも、私はそれを出さない。
――気高くあること、それがヴァンブローズ家の教えだから。
「……リセリア・ヴァンブローズ殿には、王都北の古城へ謹慎を命ずる。
本日をもって、すべての爵位と役職を剥奪する」
無数の視線とさざめきが、私を追いかけてきた。
それでも私は振り返らなかった。
階段を降り、赤絨毯を歩くその足取りは、終始変わらぬまま。
胸に宿るのはただ一つ──
(あなたたちは、間違えた)
静かに、そう思った。
* * *
馬車に揺られながら、私は窓の外の灰色の空を見つめていた。
積もり積もった憤りは、まだ炎にもならず、胸の奥でくすぶっている。
「……リセリア様」
そっと声をかけてきたのは、黒衣の双子の侍女、ミリアムとフィリエル。
二人は私の味方であり、わたしの本質を知る数少ない存在だった。
「殿下、おつらかったでしょう……」
ミリアムがぽつりと漏らし、フィリエルは何も言わずに膝の上に手を添えた。
「平気よ」
私は笑った。けれど、唇の端は震えていたかもしれない。
「この程度の屈辱で剣を折るなら、それは剣姫の名に値しないわ」
古城に着いたとき、そこには見慣れた影が立っていた。
黒の長衣、鋼のような眼差し。
「セラ……」
誓約騎士、セラヴェル・フェルゼイン。
彼がそこにいることを、私は知らなかった。
けれど、どこかで期待していたのかもしれない。
「リセリア様。私は、あなたの剣であると、誓いました」
「爵位も命令も関係ない。あなたが望むなら、ここであろうと共に在ります」
その声は、まっすぐに私の胸に届いた。
凍りついたような心の芯に、音もなく火が灯る。
「……そう。なら、ここから始めましょう。
この断罪の意味を、彼らに思い知らせてあげなければね」
私の視線は、古城の奥へ。
そしてそのさらに先、王都の玉座の間へと向けられていた。
* * *
彼女の背後で、ひとりの男が城の窓辺に立ち尽くしていた。
王子、リオネル・ヴァルセリオ。
「……あれが、本当に“悪役”だったのか?」
吐き出すように呟いたその言葉を、誰も聞く者はいなかった。
月は雲間に現れ、薄い光で地上を照らしていた。
まるで、その少女の未来に、祝福を与えるかのように。