四十九日
父が亡くなり葬儀も終え、俺たち家族は普通の生活に戻りつつあった。
父と母はとても仲が良かった。だから母はもっと憔悴すると思っていたのだが、意外と元気だ。父の死に伴う事務的な手続きをさくさくとしている。
「おかん、何か手伝おか?」
「大丈夫。パパが死ぬ前に自分で色々手続きをしてくれてたから、そんなに大変じゃないねん」
母は書類を片付ける手を止めて俺を見た。
「そや、パパの会社のことなんやけど……」
「うん」
「私は坂本さんに継いでもらうつもりやねん。あんた異存ないよね?」
坂本さんか……。
俺は立ち上がりテーブルの上にあるテレビのリモコンに手を伸ばし、電源を落とした。
父母は昔、同じ会社で働いていて、結婚と同時に父は会社を辞め独立したと聞いたことがある。母は俺と姉を育てながら父の会社を手伝っていた。坂本さんも父母が働いていた同じ会社にいた人で俺がまだ小さい頃にその会社を辞めて父の会社に来たのだった。
俺はリモコンを置き母の側に座った。
「俺は別にええけど、何も坂本さんに渡さんでもオカンがやったらええんちゃうんか? ずっと手伝ってたやん」
母は首を左右に振りながら、ソファーから立ち上がり台所に行った。
坂本さんは会社だけでなく、我が家にもよく来ていた。父とも母とも仲が良かったのだろうが、親戚でもないのに、父が不在の時でも家に上がり込んで飯を食べていたり、父が仕事で来れない時は母とふたりで俺のサッカーの試合に応援に来たこともあった。
俺や姉の事はとても可愛がってくれている。
正直に言うと、俺はずっと坂本さんの存在に違和感を感じていた。父の会社の人だと母は言うが、ただの会社の社員だけとは思えなかった。
母は冷蔵庫から麦茶ポットを取り出しグラスに注いでいる。
俺は心のどこかで、坂本さんは母の彼氏ではないのかと疑っていた。母を追いかけて父の会社に来たのではないのかと。父がいなくなったから、母は会社を坂本さんに渡して、ふたりで一緒にやっていくつもりなのか? まさかとは思うが、ひょっとして俺と姉は坂本さんの子供じゃないのか? そんなことまで考えてしまう。
もし坂本さんと母が恋愛関係にあったとしたら、父は何も知らないで騙されたまま死んでいったのか?
でも、母が浮気をして何食わぬ顔で父を騙すような人とは思えない。
俺は戻ってきた母から冷えた麦茶の入ったグラスを受け取った。
「おかんはこれからも会社で仕事続けるんやろ? それやったらおかんが社長の方がええやん」
母は手を止めて顔を上げた。
「私はもう、あの会社から離れるつもりやねん。パパの遺族年金もあるし、あんたらも働いてるから生活はなんとかできるしな。もうあの会社は坂本さんに任せるわ」
坂本さんと母が恋愛関係にあるなら、ふたりで同じ会社にいた方がいいのではないのか? もう父はいないのだし会社で会うなら俺たちを気にする事もない。
「おかんがそれでいいなら俺はええ。けど、姉ちゃんはどう言うやろ?」
「美咲にはもう話してる。そんで良いって」
「ほな、俺もそんでええよ。風呂入ってくるわ」
俺はモヤモヤしたまま部屋を出た。
風呂から上がると姉が仕事から帰ってきていた。
「姉ちゃん、ちょっと話があるねん。外出ぇへんか?」
「なんやのママに聞かれたらまずい話?」
「まぁな」
姉はクスリと笑い、立ち上がった。
「ええよ、いこか」
そして台所にいる母に声をかけた。
「拓海とコンビニ行ってくるわ」
「ほんなら、なんかスイーツ買ってきて」
「了解」
母は明るい声で姉にスイーツを頼んだ。
俺たちは家を出て無言で歩いた。コンビニに着き、コーヒーを買ってイートインスペースに並んで座る。
「なぁ、姉ちゃん、坂本さんておかんの彼氏なんか?」
姉は目を丸くして固まっている。俺がどうリアクションをとればいいかわからず無言でいると、姉は急に笑いだした。
「違うで。何アホなこと言うてんの」
「いや、そうとしか思われへんねん。おとんの会社、坂本さんに渡すって言うねんで、おかしいやろ?」
「おかしない」
「なんでや!」
深夜のコンビニは俺たちふたりだけだ。姉は小声でぽつりとつぶやいた。
「坂本さんはママの彼氏やないよ」
意味ありげに微笑む姉に俺は混乱した。
「あんたは知らん方がええ。あんたには刺激が強すぎる。私も初めて聞いた時は凍りついた。知らん方がええこともあるねん。とにかくママは潔白や」
姉はコーヒーの紙コップをグシャリと潰した。
「話はそれだけ? ほな帰ろか。あっママにスイーツ買わなあかんな」
姉はスイーツのコーナーに行った。俺の心はまだ引っかかったままだった。
父の四十九日の法要が終わった後、俺は母に呼ばれた。仏壇の前にふたりで座る。母は無表情だ。
「あんた、美咲に坂本さんが私の彼氏ちゃうんかって聞いたんやて」
その話か。
「うん。俺な、小さい時からあの人の存在になんか違和感が拭われへんかってん。あの人はおかんの何なん?」
母はふふふと笑い、父の写真を見た。
「坂本さんは私の恋敵やねん。ずっと昔からの恋敵。いつかあの人に勝てるやろと思ってたけど最後まで勝たれへんかったわ」
恋敵? おかんは遠い目をしながら話を続ける。
「あんたらが生まれたあたりからはもう、私の気持ちも変わってきてな、恋敵というより、同志みたいな感じになってん。ふたりでひとりみたいな。変な感じやけどな」
母の言っていることが全く理解できない。何を言っているのだろう。
部屋の襖がすっと開き、姉が顔を覗かせた。
「だから、あんたには刺激が強いって言ったやろ。坂本さんはママの彼氏やなくて、パパの彼氏やったの。私も知った時は腰が抜けたわ」
いや、俺は腰が抜けるどころじゃない。
仏壇の前に置かれた父の写真を見て「おとん何しとんねん……」と心の中で突っ込みを入れた。
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