すべすべの白い太ももは、とても大事なスポットなのです
今朝はきれいに晴れていた。青空を仰ぎながら、なんだかさわやかな気持ちで教室に入り席に座ると、肩をとんとんと触られた。振り向くと、柔らかい指先がほっぺに当たった。
右手で人指しの形を作って、誰かの右肩を軽く叩くと、その人が振り向き、ほっぺに指が軽く突き刺さる。そんな他愛もないイタズラだ。
小泉さんは、
「引っかかったぁ」
って、小さな声で言って、いらずらっぽく微笑む。
僕は何を言っていいのかわからず、呆然としている。だがもう一人の自分が、彼女にかまってもらって、とても嬉しいって喜んでいる。顔もきっとにやけている…って俺は犬か!
すぐに朝礼が始まるので、彼女も笑顔をうかべつつ、すぐに自分の席に戻っていった。僕は情けないことにひとつの言葉も返せなかった。つまらない男だ。
この日の6時間目は習字の時間だった。生徒たちは畳敷きの和室、習字室に移動して、正座して授業を受ける。
小泉さんの隣は、僕…ではなく、実親朝宣という空手部の男だった。僕はそのまた隣の位置である。
僕は小泉さんが心配だ。というのも実親は、思い通りにならないと自分の腕力を誇示して相手を威嚇する。しかも、おとなしい女の子にはちょっかいを出そうとしたりして、何かと評判がよくない。小泉さんもよく標的にされていると聞いている
小泉さんは和室に入ると、スカートをしとやかに抑えながら、ゆっくりと正座で座っていく。すると制服のスカートの紺色の布地から、彼女の白い太ももが半分ほどあらわになっていく。
近くの男子生徒たちの視線が一斉に、小泉さんの太ももに集まった。年ごろの男の子たちには刺激的すぎる、白くツヤツヤして柔らかで、なによりも、生々しすぎる肌感だ。
そこに口を出してきたのは、やはり実近だった。
「小泉ぃ~、おまえ、脚、太いんじゃねえか?」
そう言って小泉さんの太ももに手を伸ばして触ろうとする。それに、小泉さんの脚は決して太くない、周りの女の子に比べれば細いほうだ。正座しているからやや太めに見えるだけだ。そんな実親の横暴な行為に対して、
「やめてよ」
小泉さんは、伸びてきた手を、自分の手で払おうとする。
僕はといえば、黙ったまま、何もできないままでいる。小泉さんはとても困った顔をしているのに…。
書道の先生は、まだ教室に来ていない。それをいいことに、実親は、顔をにやつかせながら、おかまいなしに続ける。
「白くて丸くて太い、こういうのを大根足っていうんだぞ」
そう言って、さらに両手で小泉さんの脚を触ろうと近づく。僕は声も出すことができない。本当に情けない…。
「ほんとにやめて!」
と小泉さんは身をよじって逃げようとする。
実親は、小泉さんを押さえつけようと太い腕で下半身ごと抱え込もうとする。
「よせよ!」
知らないうちに僕は立ち上がり、口からは強い言葉が飛び出していた。そして素早く実親と小泉さんの間に体を割り込ませた。そして実親に対して、
「嫌がっているんだからもうやめろよ」
と言い放った。大切な小泉さんの白く透明感のある、大事な大事な太ももに、コイツに触られるなんて、もう許せない。
実親のにやけた顔が、怒りの形相に急変していく。その口から、ドスの効いた声が響く。
「おい遠藤、オマエ弱いくせに、ずいぶんな口を効くじゃねえか。痛い目を見たいのか、エエ〜ッ!?」
「脅しても僕は引かないぞ」
僕は小泉さんの盾になって立ちふさがる。
実親の眉がみるみるうちに吊り上がる。
「この野郎、ナメやがって!」
実親が拳を振り上げて僕の顔に叩きつけた。
僕は一瞬、目から火花が出た。視界が一瞬暗くなる。顔にパンチを食らって、頭が激しく揺れて脳しんとうを起こしたらしい。そして膝から崩れ落ちるように倒れてしまった。
女生徒たちからは一斉に大きな悲鳴が上がる。
男子生徒もみな立ち上がって集まってきた。そこに書道の先生も入ってくる。
「何があったんだ」
女生徒たちが先生に事情を話している。
実親は大きな舌打ちをして、
「どいつもこいつもふざけやがって!」
と怒鳴り、教室を出ていってしまった。
僕の記憶はここで途絶えている…。
気がつくと、僕は保健室のベッドで寝ていた。
かたわらを見ると、小泉さんが僕の顔を心配そうに覗き込んでいる。
「ねえ、顔、痛くない?」
僕は殴られたところに手を当てた。氷入りの袋がほおに当てられていた。確かにそこが腫れているようで熱っぽい。鈍い痛みも感じる。だけど僕は小泉さんに、そんなに気にしてほしくなかったので、
「大丈夫だよ。平気」
と答えた。そして僕は上体をベッドから起こして、小泉さんに聞いた。
「いま、授業中でしょ? 教室に戻らななくていいの?」
小泉さんは、笑顔を取り戻してこう言った。
「私、保健委員なの。倒れた遠藤くんを、男の子たちにタンカで運んでもらったけど、付き添いだって言ってついて来て、そのまま『ちょっと様子を見ます』って言って残っちゃった」
いらずらっぽく笑った小泉さんだけど、無理をしていたのだろう、その目はみるみる涙でうるんでいった。
「私、怖かった…」
小泉さんはイスから腰を上げるとベッドに腰をかけ、上体を僕にあずけて密着させた。彼女は顔を僕の胸にうずめて、こうつぶやく。
「ありがとう、助けてくれて」
小泉さんのシャンプーの香りが僕の鼻を刺激する。春に咲くような優しい花の香りだ。彼女と抱き合っているような体制になり、僕は夢のような幸せ感にひたる。
そして僕の胸に密着している彼女の頭頂からは、彼女自身の香りであろう、バニラのような甘い体臭が感じられた。人生で初めて味わうような、すごくたまらなく気持ち良い香りだ。
その姿勢が5分ほど続いただろうか。
小泉さんはゆっくりと僕から体を離すと、
「遠藤くん、カッコよかったよ」
と僕に微笑んで、
「じゃあ、教室に戻るね」
と、保健室のドアを開けて、去っていった。
僕の制服のカッターシャツは彼女の涙で濡れていて、かすかに彼女の甘い香りが残っていた。なにか夢みたいで、僕はしばらくぽかんと、小泉さんの余韻にひたっていた。