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第2話 アンドロメダの鎖

挿絵(By みてみん)


 視界は澄んでいる。どこまでも夜だった。

 北東の空にアンドロメダがはりつけにされている。海獣の生贄に捧げられた乙女の星座だ。神話では英雄ペルセウスが怪物と戦い、アンドロメダを救う。そしてふたりは結ばれた。

 英雄が怪物と戦い、お姫様を救う。どこにでもある、ありきたりな物語。こういうパターンを「アンドロメダ型神話」と呼ぶようだ。

 空の乙女が見下ろすそこに、ひとりのオンナが歩いている。


「死後の世界か」


 オンナがつぶやいた。

 ここは地獄や天国ではない。日本の地方都市。街の中心から少しはずれて、住宅と工場と田畑、あとはコンビニくらいしかない。よくある田舎だ。

 それでも、このオンナにとっては死後の世界なのだ。

 死んだ者を「星になった」と表現することがある。もしも夜空に輝く星が死者の魂だとしたら、これまでに何人が死んだのだろう?

 ある研究によれば、これまで生きた人類の総数は1080億人と推定されている。つまりこの世界は「千億の人間が死んだ後の世界」なのだ。

 そしてこのオンナも、すでに死んでいる。

 善き魂は永遠の幸福へと導かれ、悪しき魂は永遠の絶望へと落ちていくと教えられた。しかしオンナの魂は帰ってきた、自分が死んだあとの世界へと。


 オンナの記憶はおぼろげだ。

 愛する者に裏切られたこと、怪物の生贄として捧げられたことはおぼえている。

 首すじに刺さった牙の感触を。

 わたしは吸血鬼に殺された。

 死んだはずだった。

 しかし、自分の意思で歩いている。

 死んだはずなのに。

 生き返ったのか?

 どうして?

 そもそも、なんで殺されたのだ?

 わからない。

 自分自身の存在が曖昧なのだ。

 過去も記憶も穴だらけだ。

 確かめなければいけない。

 わたしを裏切った恋人。彼を探し出すのだ。


 じつに奇妙な状況であった。

 オンナは殺人事件の謎を解こうとしていた。その事件の被害者は自分自身だ。自分が殺された事件の真相を探しているのだ。

 オンナが目覚めたその瞬間から、いくつもの謎があった。

 まず記憶が混乱している。自分の名前すらハッキリとしない。オンナは自分の名前を「シホ」だと思っていた。特に意識したことはない。身体に深く染み込んでいる。自分の名前とはそういうものだ。しかし、ぼんやりと違和感がある。深く考えると「サチコ」という気もしてくる。いや「エミリ」だったような。「マリア」と呼ばれたこともある。他にもいくつもの名前が思い浮かんでくる。

 どの名前も「自分の名前」という気がする。どの名前もありきたりな生活の記憶と紐づいている。「シホ、早く寝なさい」「サチコはどれにする?」みたいに呼ぶ声を思い出せる。すべての自分がひどく平凡な人間で、いかにも自分らしいと感じてしまうのだ。

 オンナは自分の名前を確認しようと、起き上がって周囲を見回した。体調は極めて悪い。頭痛とめまいがする。

 目覚めた場所は、ひどく散らかった部屋だった。すべての部屋の扉が開けられている。クローゼット、ベッドの下、押入れなど、収納スペースは開け放たれて、引き出しもすべて抜き出して、中身は床にぶちまけられている。本が床に積み上げられ、本棚が動かされている。この部屋のどこかに宝物が隠されていて、それを誰かが探しまわったあとのようだった。

 そしてすぐに「ここはユウヤの部屋だ」と気がついた。恋人の松岡裕也。部屋に何度か遊びに来たことがある。あそこに落ちているのは一緒に映画を見た帰りに取ったクレーンゲームの景品だ。

 それに誕生日に贈った観葉植物もある。ユウヤは自分にとって初めての恋人で、色んな意味で彼の気持ちが理解できなかった。この関係は遊びなのか、本気なのか、どうやって確認しようかと悩んで「プレゼントを大切にしてくれるか」で気持ちを試そうと思った。それで水を切らすと元気がなくなるボストンシダを選んだのだ。

 ボストンシダは夏の間もずっと元気に見えた。ふたりの関係は良好である、そんなサインだと感じていた。電話をしたら「ちょうどシダに水をやってたとこ」と言われて運命を感じたこともあった。

 いまは鉢から抜かれて、土と一緒に床に捨てられている。鉢植えの中まで宝探しをしたようだ。この惨状も、ふたりの関係そのものに見える。

 やはり、わたしは「シホ」だ。オンナは思い出のかけらを握りしめると、自分を取り戻した気になった。しかしその自信もすぐにゆらぐ。床に免許証が落ちているのを見つけて拾うと「高橋裕介」と書かれていた。オンナがユウヤだと思っている男の顔写真がある免許証だ。

 それだけじゃない。免許証は目についただけで3枚落ちている。残りのふたつは「斉藤裕貴」と「山本裕二」だ。部屋に散乱している物をかき分けて探したら、もっとたくさん見つかるかもしれない。


 オンナは記憶を整理してみることにした。

 自分は恋人に騙されて、吸血鬼に殺された。悪夢のような体験だ。薬で眠らされ、目覚めると拘束されていたのだ。

 眼の前の人物から「おまえはこれから死ぬ」と教えられた。白い肌、銀色の髪、赤い瞳。痩せていて手足だけヒョロっと伸びた体型。男にも女にも見えない、背の高い子供みたいな性別不明の外見をしていた。人形みたいで、同じ人間という気がしない。吸血鬼だと言われて納得してしまった。でなければ天使か悪魔だ。

 ネコが獲物で遊ぶみたいに、吸血鬼はわたしをいたぶった。「儀式には絶望が必要なのだ」と言った。恋人に騙されていたという事実も、絶望を与えるための仕掛けだと、最初からすべて仕組まれていたのだと教えられた。

 おまえは無価値だ。美しくない。優秀でもない。そのくせプライドばかり高い。おまえを真剣に愛する者が存在するわけがない。孤独に死ぬのだ。そうやって心がバラバラになるまでいたぶられた。

 首すじを噛まれたときの痛み。死の瞬間の記憶は自分の名前よりハッキリと思い出せる。


 そして恋人の嘘は想像していたより深いようだ。ユウヤの目的は生贄を探すこと。最初から怪物に差し出すつもりで自分に近づいたようだ。「愛している」というのも嘘なら、名前や肩書も嘘だった。わたしの知っていることに、真実はひとつも無いのかもしれない。根本的に謎の人物としか言えない。

 自分の状態にも謎が多い。殺されたのは知らない場所、たぶん吸血鬼のアジトだった。この場所に移動している理由がわからない。生き返った理由もわからない。名前も思い出せないというか、たくさん思い出せてしまう。ひとつに絞れない。

 

 オンナはふたたび部屋を見回した。相変わらず頭痛がひどい。吐き気もする。

 立ち上がってキッチンへと向かう。

 トイレの収納、キッチンのストッカーと食器棚、流し台の上と下の棚。すべて開けられ、中を調べたあとがある。玄関の靴箱もだ。

 まるでクリスマスのアドベントカレンダーみたいだと思う。カレンダーの日付のマスにお菓子や玩具が入っていて、毎日ひとつ箱を開けて中身を取り出す。カウントダウンのログインボーナスみたいな玩具だ。クリスマス当日にはすべての箱が開いて、いま目の前にある光景みたいになるのだ。

 喉が乾いた。

 冷蔵庫を開けるが、なかの灯りがつかない。空気も生ぬるい。コンセントが抜けている。冷蔵庫を移動させて裏側を確認したようだ。見れば洗濯機など、大型の家具はすべて動かしたあとがある。もちろん冷蔵庫の中身は床に投げ捨てられている。

 お茶のペットボトルが落ちているのを見つけたが、キャップが開封されている。やめておこう。

 ほかには、紙パックのトマトジュースがあった。これで我慢するか。ストローをさして一気に飲み干すと、ベコベコとパックが潰れた。

 しかし常温のトマトジュースでは喉の乾きはおさまらない。しかたなく水道水をそのまま飲むことにした。キッチンシンクの水を出す。マグカップがあったが、手ですくって飲んだ。

 少しだけ気分がマシになる。

 トマトジュースのパックを捨てようとして、ゴミ箱が横倒しになっているのに気がついた。中身をすべてぶちまけて、ゴミ箱の底まで調べたようだ。トイレのタンク、ケトルや炊飯器の中まで調べたあとがある。

 不思議だ。こんなに散らかった部屋でも、床にゴミを捨てるのは抵抗がある。水道水を飲むことも同じだ。問題ないとわかっていても、いつもなら飲まない。そして、わたしはこれからもコンビニで水を買うと思う。

 トマトジュースの残骸は、シンクの洗い桶に浮かべた。


 元の場所に戻る。なるほど。この部屋で宝探しをした人物は、発見したものをここに集めていたようだ。オンナが倒れていた場所の近くに、免許証のような重要な書類や、そういう紙類が入ってそうな封筒がまとめて置いてある。

 あとは女物の小さなカバンも一緒に置かれていた。中身はクレジットカードと現金の札束、百万円くらいありそうだが数えてはいない。それからケイタイ。電源は入っているがロックが解除できない。誰のカバンかは不明だ。もとから部屋にあった物なら、部屋を荒らした人物は「お金」に興味はないようだ。当人の忘れ物という可能性もある。

 それから、すぐ脇にあるテーブルの上にノートパソコンとルーズリーフ、ボールペンが転がっている。誰かがデスクワークをしたような痕跡だ。

 パソコンの電源は入るがログインできない。このパソコンはユウヤが使っていたものだ。部屋を荒らした人物はパソコンの中身に興味があって、このテーブルで操作したように見える。

 問題はルーズリーフだ。まず一番上に、大きく「ロウコの計画」と書かれている。その下に「男→騙す→女」だ。さらに「女」のすぐ下には「死亡→バンパイア」とある。そこから「←復讐」という線が「男」に向かってもどっている。

 そしてルーズリーフの下半分には「ルア・シェイアのロウコ」という単語が下線で強調されていて、住所が書かれている。市内の住所だ。


 この「女」とは自分のことだろうか。男に騙されたこと、死亡したことはその通りだ。吸血鬼に殺されて復活したなら、自分はバンパイアなのだろうか?

 復讐は……まだわからない。殺すつもりはないが、許すつもりもない。怒りも悲しみもない。不思議なくらい感情が動かないが「喧嘩を売られたらやり返すのが当たり前」と冷静に考えていた。自分の思考が好戦的で少し驚く。

 それに復讐させるのが「ロウコの計画」なのだとしたら、恨むように仕組まれただけかもしれない。


 オンナはひとまずの推理を試みる。とはいえ情報不足だ。正解にたどりつくのは不可能だと理解している。細かいことは無視して大まかに考えてみる。あてずっぽうの予想みたいなものだ。

 部屋を荒らした人物を「エックス」とする。Xの正体は不明だが、目的はユウヤ(仮)の正体と行方を調べることだと思われる。Xはユウヤの仲間ではない。ユウヤを追っている。こんなに荒っぽく追いかけてるなら「Xはユウヤの敵」だろう。

 ユウヤは吸血鬼の殺人に協力していた。かなり悪人のようだ。つまりユウヤに敵対しているXは悪人と敵対している。Xは善人の可能性がある。あくまで可能性だ。

 同じ理屈で「自分とユウヤは敵」で「Xとユウヤは敵」なのだから「自分とXは利害一致」になる。Xは自分を敵視していない。自分もXを敵視する必要はない。協力できる可能性がある。

 それを踏まえてXの正体を想像してみると、たとえば「自分以外のユウヤに騙された被害者」みたいな人物の可能性が高いと思われる。

 そして「ロウコの計画」というメモはXが残したものだ。この部屋から発見したヒントをまとめたメモだとすれば、この住所を調べる価値はある。

 手がかりはこれしかない。

 行ってみるか。


 免許証や書類をまとめてビニル袋につめる。この部屋にあるユウヤの手がかりはこれだけだ。

 大金の入った女物のカバンも持っていくことにした。緊急事態だ。タクシー代くらいは必要だし、カバンの持ち主がXなら住所の場所にいるかもしれない。届けてやればいい。それらすべてをまとめてショッピングバックに入れる。

 玄関にはヒールの高い女物の靴があったが、ユウヤのサンダルを借りた。

 外に出る。景色はオレンジに染まっている。夕日がやけに眩しく感じて、胸ポケットのサングラスをかけた。体調はだいぶ回復している。

 マンションの場所はオンナの記憶と同じであった。駅の場所もわかる。駅前でタクシーをひろうのだ。

 いったん自宅に帰ることも考えたが、そちらの記憶は混乱している。またしても自宅がたくさん思い出せてしまうのだ。ひとつずつ確認してもいいが、いまは「ロウコの計画」を優先しよう。

 オンナはタクシーをひろって、メモの住所を運転手に告げた。


「ルア・シェイアの連中が殺気立ってるけど、なにかあったの?」


 道すがら、運転手からそう聞かれた。世間話というふうだ。

 運転手にメモは見せてはいない。


「ルア・シェイアってなんですか?」


 オンナが聞き返すと、運転手は車を路肩によせる。


「勘弁してよ。お姉さん、ルア・シェイアの身内じゃないの?」


 オンナは首を横にふる。


「なにしにいくの?」

「ひと探しです」

「トラブルなら警察に相談しなよ」


 運転手の話によると、ルア・シェイアは南米系のギャング組織。目的地の住所はその縄張りだという。

 やつらの身内なら送り届けるが、ちがうならトラブルは避けたい。あんたも行くのはやめておけ。そう説得された。


「ロウコというのは?」

「ロウコはライバの弟」


 そんなことも知らないのか、という態度だ。


「ライバ?」

「ライバはルア・シェイアのリーダーだった。行方不明らしいね。弟のロウコがトップをひきついだって。なんていったかな。ディレトルだったかな」


 運転手のおかげで、メモにあった単語の意味が理解できた。ルア・シェイアはギャング組織の名前。ロウコは人の名前。ディレトル、ギャングのボスだ。そして「ロウコの計画」か。

 ギャングを相手にすると考えた瞬間、喉元に恐怖がこみ上げてきた。しかし、その感情もすぐに消えてしまう。まだロウコと敵対すると決まったわけではない。ギャングも人間だ。なんとかなるだろう、そう思えた。

 タクシーに近くまで運んでもらって、そこから先は徒歩だ。郊外にあるコンビニの駐車場でおろされる。住所の場所はこの道の先にあると教えられた。行けばわかると。


 もう頭痛はない。むしろ気分がいい。

 サングラスを外した。

 視界は澄んでいる。どこまでも夜だ。

 どこまでもボクの世界だ。

 北東の空にアンドロメダがはりつけにされている。


 エチオピアの王妃カシオペイアは、自分の美しさを自慢し、海の女神たちよりも美しいと主張した。これに怒った海神ポセイドンは、海獣ケートスを送り込んでエチオピアの地を荒らす。ケーペウス王が神に助けを求めると、アンドロメダを生贄に捧げることが唯一の救いであると告げられた。

 そこに現れた英雄ペルセウスは、アンドロメダとの結婚を条件にケートスを倒す。

 これはどこにでもある英雄譚だろうか?


 そうではない。これは報復の物語だ。

 愚かなカシオペイアが招いた海神からの報復。その尻拭いを、なんの咎もないアンドロメダが負わされる。こんな理不尽が許されてはならないのだ。

 鎖に繋がれ、海獣の生贄へと差し出された。落ちるところまで落ちたアンドロメダが、理不尽な境遇をはねのける。英雄ペルセウスという最強の力、ケーペウス王や海神ポセイドンよりも強い力の加護を得る。みなを見下ろす位置に立ったのだ。これはアンドロメダの美貌が、カシオペイアや女神たちより優れているという証明でもある。醜い争いに終止符を打ち、自分を見捨てたエチオピアを後にするのだ。

 なんて胸のすく物語なのだろう。アンドロメダは古代ギリシアの神話だが、現代のドラマと同じ輝きをもっている。不遇な者が這い上がり、愚か者たちを見返す。千年の時を経ても変わらない、星の光を結ぶような物語ではないか。


 オンナは進む、死後の世界を。

 そう、すでに死んでいるのだ。

 アンドロメダより深い場所まで落ちてしまった。ペルセウスもいない。

 でもやることは変わらない。ここから這い上がるだけだ。


 運転手に教えられた通り、目的地はみるからに普通ではなかった。住宅街の一区画なのだが、そこだけ高いフェンスで囲まれている。道路に鉄製の扉があってプレハブの門番小屋みたいなものまである。本当に日本かと疑うような景色。ちょっとした要塞だ。

 扉は解放されている。その先に十人くらいの集団が見えた。ほとんどは黒い服を身に着けている。ベールを着用した女性もいる。どこか日本人ぽくない顔立ち。肌の色、髪の質感もそれぞれに違っていて統一感がない。

 葬儀の集まりか。いや、この時間に葬式はやらない。葬儀の前夜に行われる「通夜の祈り」のようだ。急に知らせをうけて駆けつけたのだろう、私服の参加者も多い。これなら紛れこめるかもしれない。

 オンナは堂々と扉を抜けて、ルア・シェイアの縄張りに入った。


「あ!」


 軽い衝撃。急に駆け出してきた子供とぶつかってしまった。

 相手は長い髪の女の子。怪我はないようだが、ぶつかった拍子に何か落としたようだ。


「あー!」


 女の子は目を見開いて声を上げた。怒っているのか?


「ごめんなさい」


 地面を探すと、落とした物はすぐ発見できた。手作りの船のおもちゃだ。乾燥した草を束ねて、ハンモックみたいな形にしてある。中心に人形が乗っているので、なんとなくボートに見える。ハンドボールくらいの大きさだ。

 草の船を拾い上げると、子供が手を伸ばして奪うみたいに掴んだ。

 思わずドキッとする。子供の腕に蛇みたいなうろこがあるように見えたからだ。肌の病気だろうか。


「だいじょうぶ?」


 女の子の顔を見る。よく見れば顔の肌も細かくひび割れて、蛇の鱗のようにザラザラと硬そうだ。


「あは」


 急に笑うと、走ってどこかに行ってしまった。

 なんだろう。こんなこと言いたくはないが、ちょっと不気味な雰囲気の子供だった。

 気を取り直してロウコを探そう。あたりを見回して、会話に聞き耳を立てる。空気が重い。すすり泣く声が聞こえる。死者はまだ若い女性のようだ。まるで自分の葬儀に参加するような不思議な気分だ。

 敷地の中心になかなか立派な教会がある。三角の屋根に十字架。正面に大きな玄関。中は左右にベンチが並び、正面の奥に祭壇がある。ここが通夜の会場になっているようだ。

 眺めていると、中からガラの悪そうな男たちがあらわれた。きちんと礼服を着用しているが一般人には見えない5人組。ギャングのメンバーという雰囲気の男たちだ。

 この男たちに聞いてみるかとオンナが数歩近づく。男たちもオンナを見た。立ち止まって、上から下までオンナの全身を眺めている。不思議な気分だった。こんなにジロジロと男から見られるなんて、これまでなかった。

 オンナは男たちの顔をひとりずつ観察した。5人全員が、いかにも悪者という顔だ。それでも表情から敵意は感じない。こちらに興味をもっているのがわかる。会話くらいはできそうだ。


「すいません。ルア・シェイアのメンバーですか?」

「ああ。オレたち兄弟イルマスだ」


 そう答えた男が恥ずかしそうに笑った。クマみたいなヒゲをはやして、笑顔がまるで似合っていない。


「すてきな瞳だ」


 隣の男がそう言った。その男は頭のサイドを短く刈り上げて、地肌にトライバル柄のタトゥーが入っている。


「髪もいいよ。綺麗だ」


 また別の男が言う。殺し屋みたいな鋭い目をした男だった。

 なんでそんな話をするのか、オンナには理解できなかった。


「ありがとう」


 そう答えると男たちは恥ずかしそうに微笑んだ。ギャングが相手だと警戒していたが、なんだか調子が狂ってしまう。


「お嬢さん、なにか困りごとかい? 兄弟イルマスに話してみなよ」


 今度は鼻と唇にピアスをいれた男だ。


「ロウコに用があるんです。どこにいるか知りませんか?」


 この5人の中にロウコはいない、そんな気がした。


「まかせな。オレが案内してやる」


 そう言った男は気取った仕草でサングラスをかけると、遠くを見るような表情をする。変な人たちだ。

 結局、その5人全員でロウコの場所まで案内してくれた。ゾロゾロと連れ立って、彼らが「本部」と呼ぶ3階建てのビルにむかう。前庭には四輪駆動車が三台停められている。鉄製の外階段があり、その下に門番が待機していた。

 門番に会釈して、外階段を登る。


「足元に気をつけて」


 ピアス男がそう言った。

 カンコンカンコンと足音を鳴らしながら、全員で最上階まで登る。3階の外廊下の一番奥の扉をノックした。


「ディレトル、客人をおつれした」


 クマヒゲが大声で言う。


「開いてるよ」


 室内から返事があった。

 5人の男たちは手すりに身体を押しつけるようにして、オンナのために道を開けてくれる。できた隙間を抜けて扉の前に立った。


「ありがとうございます」


 男たちに感謝を告げる。全員笑顔だ。

 さて、いよいよロウコと対面だ。

 扉を開ける。中は普通の住宅だ。わりと片付いているというか、物が少ないタイプ。

 玄関には黒い革靴が出してある。礼服と合わせるものだろう。二足ある。室内にいるのは一人ではないようだ。それからサンダル、ブーツ。


「おじゃまします」


 サンダルを脱いであがる。短い廊下の先、明かりのついている部屋に入った。

 ソファとローテーブルのあるリビング。礼服を着た男が椅子に座っている。メガネの男だ。この男がロウコだろうか。視線に気がついたメガネ男が首を横にふった。それからアゴで隣室を指す。隣の部屋に続く引き戸が、10センチほどあいている。


「えっと、突然の訪問失礼いたします。大切なお時間を割いていただき、本当にありがとうございます」


 言葉に迷って、どこかで知った定型句を口にした。


「そういうのはいい。着替え中なんだ。このまま聞くから、用件を言ってくれ」


 隣室から声。


「ユウヤ、松岡裕也という男を探しています」


 扉の隙間にむかって言う。隣の室内は暗くてよく見えない。


「ああ、ユウヤ、ユウヤね」


 相づちみたいな返事。それから衣擦れの音。

 ロウコはユウヤを知っているのだろうか。


「ユウヤを知ってるんですか?」

「その前に、おまえは誰?」


 まずい。不審に思われている。

 こういう場合、自己紹介から入るのが当たり前だ。わかってはいたが、喋りにくいので避けてしまった。


「シホと言います」


 しばしの沈黙。


「はじめましてかな?」


 ロウコの声が明るい。

 本物のヤクザは一般人には優しいという話を思い出す。親しくなって利用するためだ。弱者を相手に強がって喜ぶのはチンピラで、本物は仕事として暴力をふるう。仕事のとき以外はむしろフレンドリーにふるまうと。


「はい」

「ここに来たのは、誰かの紹介か?」

「ユウヤの部屋にメモがあって、ルア・シェイアのロウコと書いてあったので」

「見せて」


 扉の隙間から手だけが現れた。浅黒い肌、細い指、あまり大きな手ではない。

 その手にメモを握らせようとした瞬間、伸ばしたオンナの腕がつかまれた。

 扉が開き、強い力で引っ張られる。

 抵抗できない。オンナは体勢を崩して、引きずられるみたいに部屋の中へ。倒れながら身体を支えようと、残った方の手を床につくと、そちらの手も掴まれて身体の後ろでひねるように拘束されてしまった。


「ロウコ!」


 メガネの男もこっちの部屋へ来た。


「ニャベンタ。頼む」


 何を頼んだのかと思ったが、ニャベンタと呼ばれた男は迷いなくタオルを掴むとオンナの口を塞いだ。

 背中側でガチャガチャと音がする。手錠がかけられ、ベッドの鉄製の枠に繋がれてしまった。少し暴れてみたが、無駄だと気がついてやめた。この手錠からは抜け出せそうにもないし、仮に手錠を外せたとしても、ふたりの男を倒して逃げるのは不可能だ。

 オンナは自分を拘束した男を見た。黒く長い髪。浅黒い肌。乱れた髪のすきまから、鋭い目つきでオンナを見下ろしている。

 この男が本当にロウコだろうか。イメージしていたのとちがう。さっき引っ張られたときの力からは、ゴリラみたいな大男を想像していた。それにギャングのボスなのだ。毛深い中年男だとばかり思っていた。

 ロウコは驚くほど若い。二十歳くらいだろうか、部下のニャベンタよりも幼く見える。そして美人だ。ギャングのボスがとびきりの美女と結婚して、母親そっくりの子供ができた、そんな感じがする。肩幅とくらべて驚くほど細い腰。強くしなやかな腕と脚。燃えるような眼光。

 オンナは自分を殺した吸血鬼の姿を思い出していた。吸血鬼は男にも女にも見えなかった。真っ白な肌に銀色の髪。生気を感じない。まるで人形みたいだった。

 ロウコは正反対だ。肌も髪も黒い。見るからに力強い男性だが、女性的な美しさも兼ね備えている。野生の獣のような人物だ。

 オンナはひとまず抵抗は諦めて、ふたりの男を観察することにした。


「見ろ。計画がもれてる」


 ロウコがニャベンタにメモを渡す。

 メモを一読してニャベンタは驚く。オンナが持ってきたメモは正確だ。ロウコの計画が漏れている。誰が漏らしたかもわからない。このまま計画を進めても良いのだろうか。


「どうする?」


 ニャベンタはディレトルの意思を確認する。


「計画は変更しない」


 ロウコに迷いはない。


「このオンナは?」


 謎の多いオンナだ。


「身体が勝手に動いた。おまえが見張ってろ。後で考える」

「おい、ロウコ?! まさか考えなしに拘束したのか?」


 ニャベンタが驚いたのは「後で考える」という言葉であった。

 ロウコはいつでも直感で動く。その感性は野生の獣のように鋭い。ロウコの直感が「オンナは敵だ」といったのなら、ニャベンタはそれを信頼する。だから理由を聞かずに拘束するのを手伝ったのだ。

 しかしロウコは「後で考える」と言った。遠回りな発言はしない男だ。素直に「敵か味方かわからない」ということだ。大事な客かもしれない相手を、なんとなく拘束した。理由は自分でもわからない。それも直感だということ。

 ロウコが笑う。


「ケイン ヴィヴィ セグンド ア カルニ テン ア メンチ ヴォルターダ パラ オ ケ ア カルニ デゼジャ。マス ケイン ヴィヴィ デ アコルド コン オ エスピリトゥ テン ア メンチ ヴォルターダ パラ オ ケ オ エスピリトゥ デゼジャ。ナォン オーリ ノス オーリョス デーラ」


 ロウコは呪文のような言葉をゆっくりと唱えながら、各部のボタンをとめ髪を整えた。

 この言葉は彼らの母国の言葉、ポルトガル語だ。普段はあまりつかわない、日本語の方が得意なくらいだが、ポルトガル語でも簡単な会話はできる。言葉を習うのにつかった聖書の文章も忘れていない。


「肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思う。わかった。おまえの直感を信じるよ」


 ニャベンタがそう言うとロウコがうなずく。 これは符丁、ふたりの間でつかう暗号だ。ポルトガル語をつかえば会話の内容が日本人にバレることはない。しかし、いきなりポルトガル語で会話をはじめたら秘密の話をしたのがバレてしまう。いくつかの単語を記憶しておいて翻訳される可能性もある。

 ようするに、ロウコは聖書の一節を諳んじたとみせかけて、ひそかにニャベンタへの指示を混ぜていたのだ。

 ロウコからの指示は「オンナの目を見るな」であった。奇妙な命令だ。情がうつるとか、そういう意味だろうか?


「いってくる」


 礼服のジャケットを羽織る。


「なんだ、着替えなかったのか?」


 ニャベンタが言ったのは礼服のことだ。ルア・シェイアのディレトルが安物のスーツでは格好がつかない。兄のライバがつかっていたトム・フォードを着てこいと神父様パドリに言われて、部屋に着替えに戻ったのだ。なのにどう見ても着替えていない。


「考えたんだが、パドリが『良い服を着ろ』と言ったのは『返り血で服を汚すような仕事はやめろ』って意味じゃないか?」


 なるほど。遠回りに「暴力をひかえろ」と説かれたわけか。


「かもな、パドリは慈悲深い人だ」


 ニャベンタはそう答えてため息をついた。パドリの真意は不明だが、ロウコが服を汚すつもりなのは確実だからだ。

 ロウコが部屋を出る。ニャベンタとオンナだけが残された。

 ニャベンタはテレビをつけた。ロウコがもどるまで一時間くらいだろうか。自分とオンナのための暇つぶしだ。

 しかしオンナは警戒しているようで、テレビではなくニャベンタを睨みつけている。


「なにもしないよ。安心して。ロウコがもどるまで殺したりしないから」


 ニャベンタはオンナを見ずにそう言った。

 オンナは不満そうにうめいた。

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