雪解けに咲く向日葵
「はぁ…」
陽菜は横になった布団から外の景色を見る。晴れてはいるが、それでも昨夜降った雪によって一面真っ白に染まっていた。
毎年の様に段々と積もる雪の量が増えている。
昔、と言っても記憶にあるのは10年ほど前だが、たまに降る程度であり、そのたまに降った雪がとてもうれしく子供たちで集まって雪合戦をしたものだった。
それが今ではもう珍しいものではなくなってしまい、毎年冬の風物詩になっている。そんな穏やかなものではない。年々降雪量が増え、雪かきも一苦労になり、こんなふうに雪が降った翌朝は村を挙げての一大行事となってしまった。
もしかしたら何年後かには家がすっぽり埋まってしまうのでは?とさえ思えてくる。
「まぁ、私には関係ないかなー」
私も去年までは雪かきに参加していたが、今年は持病の悪化も伴い、こうして寝たきりの生活になってしまっている。
こっそり医者と両親が話してくる声を盗み聞きした話によると、来年の春を迎えることも難しいとの事だった。
高校は少し離れた高校を受験した。ようやく中学を卒業して、この村から飛び出して、もっと広い世界を見ることができるかもしれない、そう思っていた矢先にこの仕打ちだ。
体が強かったことは無いが、ここまで弱くも無かった。それが今年の秋口に一気に悪化し、今ではほとんど寝たきりの生活になってしまっている。
始め医者の話を盗み聞いた時には鼻で笑い飛ばしていた。聞き間違いかとも思っていた。しかし今となっては「もしかしたら…」と思ってしまう。
今日にでも雪かきから帰ってきた両親から「実はな…陽菜、お前…」と宣告されてしまうかもしれない。
ここまで育ててくれた村。この村に大々的に名産と呼べるものは無いことは生まれ育ってきた私も良くわかっている。それに加えて年々増えてくるこの雪だ。どんどんとこの村も小さく、そしていつかは消滅してしまうかもしれない。
そうならないように高校、大学としっかり勉強をして、名産を作りたかった。幸い自然は多い。水も豊富だ。新しい、品種改良した植物を育てることができたら、観光地としてにぎわうかもしれない。
村のおじいちゃんおばあちゃんは観光客が村にやってくるのを嫌がるかもしれないが、生まれ育った大好きな村がなくなってしまうのは私には耐えることができなかった。
ずっと眠っていて固まった体を少しずつほぐしながら、机の上に並べられた向日葵の種を手に取る。
夏になると一面向日葵の花が咲き誇る。私はその景色が本当に好きだった。ただ見ているだけで心が温まり、幸せな気分になれた。
「でも、もう見れないかもしれないんだよね」
心の中に黒い靄が広がっていく。
夏になると一斉に咲き誇る黄色いカーペットに思わず涙を流すくらいに心を打たれていた。
そして少しずつ、少しづつ段々とやせ細っていく向日葵に、同じく涙を流すくらいに心を打たれていた。
そして散らばっていく種をお守りの様にいくつか拾い、「また来年」と心の中で唱え、秋を迎えるのが物心ついたころからの毎年の私の習慣だった。
気付けば瓶一杯に種が溜まっている。
でも、それももうできないかもしれない。
「おーい!陽菜―!起きてるかー!」
突然窓の外から名前を呼ばれ、うっすら湧き出していた涙をふき取る。こんな姿見られたらどうからかわれるかわかったものじゃない。
「うん!起きてるよ!あがっておいでよ。少し話そ!」
少しだけ身なりを整える。起きたばかりで髪は乱れたままだったが、もういまさら気にするような関係でもない。
「うひー!さっむー!お、今日は元気そうだな!」
「雪かきご苦労様。私の分もやってくれた?」
「おー!陽菜の分どころか村のじーちゃんばーちゃんの分まで全部やってやったわ」
このけたたましい男の子は悠太。学校で読んだ小説で「竹馬の友」という単語を知った時真っ先に浮かぶくらいには仲がいい。
こうして寝込んでばかりいる私に気遣って遊びに来てくれるのは実は結構うれしい。今日だって雪かきで汗をかいたリ、寒かったりしただろうに、そのままうちに来てくれたみたい。
でもそんな事わざわざ口に出してお礼を言うのもなんだかこそばゆかった。
「昨日の夜も沢山降ったもんねー」
「ほんとになー。きりなくていやんなるぜ。どう考えても雪の量増えてるしな」
前うちに来たときは雪かきでスコップを使いすぎて手の皮が1cmも分厚くなっちまったぜ!とか言っていた。今日の雪かきでまた悠太の手のひらは育ったのだろうか。
「なんかさー。最近大人も元気なくてよ。こう雪が多いと移動がーとか来年の作物が―とか、今日の雪かきの間もそんな話ばかりでまいっちゃったよ」
そう、年々量が増えている雪に大人たちがどんどんと元気がなくなっていくのが心苦しかった。
何とかしたかった。将来。私も大人になって。でももう、時間はあまり残っていないようだった。
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「だーかーらー!無理だって!!!」
「いいよ、悠太は無理に付きあってくれなくても」
「そんな事言ってないじゃんか。大丈夫、もう慣れっこだし、付き合うよ」
「ふふっ、悠太のそういうとこ好きだよ」
「ばーか、滑ってこけるなよ」
次の日、私は夏に向日葵が咲く場所に居た。
この時期は当然雪で一面真っ白に染まっており、特に夏に向日葵が咲く以外何もないここは大量の雪で埋まっていた。
昨日悠太と少し話した後私は決断した。いつまで生きられるかわからない。将来の研究なんて待っていられない。それでも何かしたい。もういてもたってもいられなかった。
もし、この冬に、雪の中で向日葵が咲けば観光地になるかもしれない、そして何より大人たちが少しでも元気になるかもしれない。
それにどこかの記事で「真冬に咲く向日葵」という文字を見た気がする。こんな真っ白な景色の中に向日葵の黄色は映えるだろう。きっと見る人みんな笑顔になると思う。
「さて…と、どうしよっか…」
思いついた勢いのまま来たものの、想像以上の雪に面食らってしまった。どこにも地面の茶色が見えない。背の小さい木は埋もれてしまっている程だった。
「ったく…やっぱり何にも考えてないのかよ」
「でもっ!悠太も冬に向日葵が咲いたらきれいだと思わない!?村が明るくなると思わない!?」
「そりゃあ思うけど、でも向日葵って夏に咲くもんだろ?こんなところに咲くなんて想像できないぜ」
「大丈夫!私の気持ちがこもった種だから!」
毎年溜めこんでいた種をぎっしりポケットの中に詰め込んできた。これだけあれば1つくらい咲いてもいいかもしれない。
「ま、いいよ。手伝うよ。まずは地面が見えないと…だよなぁ」
ぶつぶつ言いながら悠太は雪を掘り進めて言ってくれた。雪を掘る「ザクッ、ザクッ」という音だけが響く、静かでとても心地の良い時間だった。
「うっし…ようやく地面がみえた。ってやっぱり地面もかっちこちだ。こんな地面に種植えて生えるのか?おーい陽菜!ほら、きてみろよ、って陽菜!?」
しっかりと着こんできたはずだが、ようやく地面が見えるころには私の体は冷え切ってしまっていた。
「お前、顔まっさおじゃねーか。ばっか!こんなに冷えて!」
「えへへ、だって…悠太が一生懸命ほってくれる邪魔しちゃわるいかな…って」
「こんなところで体調崩される方がよっぽと邪魔だわ。とっとと部屋に戻るぞ!歩けるか?」
「んー、ちょっちわかんない」
歩こうとしたが足がうまく動かない。フラフラもする。正直このまま立ってることも難しそうだった。
「ばっかだなー。ほら、おぶってやるから」
「へへへ、本当に悠太には迷惑かけてばっかりだね」
「いいよ、慣れてる」
短い言葉で言い放たれた言葉だったが、今まで感じたことが無い温かさに鼻がツンとした。言葉の続きを待って、そのまま無言で悠太の背中に体を預けた。
「慣れてるから、だから、ずっと、わがまま言ってくれよ」
「…知ってるんだ…?私の体の事…」
「うん。少し前に、お前のお母さんから。」
「お母さんってば…。私にはいってくれてないのに、村のみんなも知ってるのかな…?」
「って…そうなのか。じゃあ言っちゃまずかったな」
「ううん、大丈夫、私知ってるから」
「なんで知ってるんだよ」
「…お医者さんと話してるのこそこそ聞いた」
「ったく、元気じゃねーか。まぁ、俺は信じてないけどな!変わらず色々余計な事続けてくれよ」
「まぁ、私は春から悠太とは違う高校だけどね。私頭いいから」
「ったく…そうだったわ。まぁ、それこそ夏休みは戻って来いよ。んで一緒に夏も冬も向日葵見ようぜ」
「そうだね…。ありがと、悠太」
「つっても、まずは雪が積もらないようにしないとなぁ。こんだけ降るんだから屋根つくんねーと。じーちゃんとこの納屋にあるパイプでいけっかなぁ」
「…ありがと、悠太…」
「だから少し休んでろ。元気なった時にはしっかりした向日葵を植えるスペース作っとくから」
「うん…」
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悠太におぶってもらい家に帰るなり急いでお風呂に入り体を温めたが、その夜は見事に体調を崩した。
そして、こっぴどく両親に叱られた。そして、しっかりと看病してもらっている。
「まったく、なんてことするのよ。ただでさえこの寒さで最近寝込みがちなのに。悠太くんまで巻き込んで」
おかあさんの中では説明しなくても完全に私のわがままに悠太を巻き込んだという事になっていて安心した。勝手に巻き込んで、勝手に体調を崩してるのに、悠太のせいになっていたらと思っていた。
「ねぇ、おかあさん?」
「ん?どうしたの?」
「私が寝込んでるのって、冬の寒さのせいじゃないんでしょ?」
「…何をいってるの?」
「今日、悠太から聞いた、というか前から知ってた」
「…いつ?だれから…?」
「おかあさんたちがお医者さんから聞いた時。私こっそり聞いてた。おかあさんおっちょこちょいだから気が動転しててリビングの扉閉め忘れちゃってたんだよ。それでばっちり」
「……」
「私のこのおっちょこちょいもおかあさんの血を引いてるって思えば納得かなぁ」
「体が悪いのを知ってて、なんであんな寒い外にいったのよ」
少しおかあさんの声に涙が混じり始めたのが分かる。それと同時に薬が効いてきたのといよいよ本格的に体力が限界の様だ。頭がうまく回らない。
「最近ね、大人のみんな、この雪で元気ないじゃない…?
「だから、少しでもみんなの元気になれたらって…
「私の大好きな向日葵を、雪の中で…咲いたら…
「みんなも元気に、がんばろーって…思えるんじゃないかな…?って
「だから…、あと…もう私…来年の夏の…向日葵…見れないかも…なぁって…
「でも、もう一回見たいから…だから…
そこから先は何を言ったか覚えていない。すっかり眠りに落ちてしまったようだった。そこからずっと寝て、少し起きて、また寝てをずっと繰り返していたようだ。
途中誰かが耳元で何かを言った気もしたが、よく覚えていない。
意識が戻り起き上がることができるようになったのは3日後だった。
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「みたらびっくりするぞ!」
「なによ…もうちょっとゆっくり歩いてってば」
ようやく起き上がれるようになり、おかゆを少しづつ食べていると悠太がやってきた。何やら見せたいものがあるようだ。それに向日葵の種を持って来いという。
もしかしたらパイプの屋根が完成したのだろうか。
幸い歩ける程度には回復していたし、今日は珍しく天気も良く気温も高い。先日倒れた時よりも重ね着をして、体中にカイロを仕込んで外に出た。
3日ぶりに動いたからか、関節がぎしぎし言っているのが分かる。自分の体じゃないみたいだった。悠太も気を遣ってゆっくり歩いてくれているのだろうが、ついていくのがやっとだった。
近づくと「驚かせたいから」と目を瞑れと言われた。
戸惑いながらも、目を瞑り、そして手を引かれるまま、雪に足を取られつつ悠太についていく。
「何よ、こんなに仰々しく」
「いいから。絶対驚くから。ほら、見てみろよ」
「…なによ…悠太が作ったパイプの屋根でしょ?ってうわーーーーーっ!!!!すっごーーーい!!!!」
3日前来たときは影も形もなかったのに、そこにはしっかりと木で組まれた東屋風の建物ができていた。東屋というにはとても大きい。屋根も学校の教室くらい有りそうだった。それにあれだけ白一色だったにも関わらず、東屋の周りは地面が見えていた。
「えっ!?すごいすごい!なにこれ!?悠太これどうしたの!?悠太がつくったの!?」
「いやいや、俺には無理だって。なんかな、大人たちが陽菜がなんか面白そうな事やってるから手伝ってやるって。なんか陽菜のおかあさんがいろんな人にお願いしたらしいよ」
「…おかあさんってば、今朝もそんな事言ってなかったのに…」
「ま、いいじゃんか。俺だけじゃただ小さい屋根つくって何とかしようと思ってただけだったけど、やっぱ大人ってスゲーよなぁ。俺が眺めてる間にどんどんできていったよ」
大工やこういった建築物についてはよくわからないが、相当大変だったことはわかる。そういえばここまでの道も何回も往復してくれたんだろう。雪が踏み固められた道ができていた。
「はじめはビニールハウスにしようって話も出てたみたいなんだけど、ちょっとここまで電気もってこれなそうってのと、雪でつぶれちゃうかもってことでこうなったみたい。ビニールハウスで囲うよりもきれいでいいかもなって」
「うん…、うん…うん……」
「それにテントみたいに壁も下ろせるからな。雪が降った時は壁を下ろして、そうじゃないときは太陽を浴びせて、完璧じゃねぇ?」
「…ひっく…んっ…そうだね…」
「じゃ、ほら、早く植えちゃおうぜ。また体調崩されちゃ、今度は俺も叱られちゃう」
「うん、そうだね…っ」
ポケットの中からジャラジャラと向日葵の種を地面に撒く。
地面は凍るように冷たかったけど、心はずっと、久しぶりに温かかった。
「これでいったん全部…かな。水…はいらねぇよな。これだけ雪あるんだし」
「うん、完璧だね!……ねぇ悠太?」
「お?どうした?」
「この屋根立てるのお願いして回ったの、うちのおかあさんだけじゃないよね。悠太も、一緒に多分まわってくれたんだよね」
「あー、どうだったかな?」
「だって、おかあさん、私がここに植えたいって知らないもん。」
「…まぁいいじゃねーか。お前が高校で村を離れてもしっかりこの屋根の面倒見るからさ。雪かきも大丈夫。任せとけって。」
「…うん」
「遅くても雪の解けるころには咲いてくれるといいな!桜と向日葵なんてのもきれいだもんな」
「…ねぇ、悠太?」
「ん…」
「私、この景色忘れない。絶対咲くよ。向日葵も。それで一緒に雪に包まれた向日葵見よ!」
「あぁ、そうだな。」
「あぁ…きっときれいなんだろうなぁ…」
「…絶対みような」
「うん。絶対」
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その夜は色々着こんでいたこともあり、体調を崩すことは無かった。
少し体を動かしたからか、食欲も回復し、夕食は久しぶりに楽しく食べることができた。
「うん、とっても、とっても楽しかった」
布団にもぐりながら、今日起きたことを思い起こす。あの東屋を見た時は本当に驚いた。それにしても悠太ったら、はじめはあんなに深く穴を掘って種を入れようとしていたのには驚いた。あんなに深く埋めたら夏だろうが冬だろうが一生出てこれないだろう。
少しだけ照れて、知ったかぶって、大人ぶって、そんな温かい悠太を見ながらずっと笑ってた気がする。
「ん、あいつもまぁ向日葵みたいなもんか」
いやいや、一面の向日葵に比べたら…。そう苦笑しながら陽菜は目を瞑った。