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前編


 「鏡よ、鏡。この世で一番美しいのは誰だ」

 「――」

 

 豪奢(ごうしゃ)な縁飾りがあしらわれた大きな姿見の前で、その男は独りごちていた。


 「そう!それはこの私だ」

 「――」

 

 はっはっは! と高らかに笑うと両腕を顔の横あたりに高く掲げて勝利の構え(ダブルバイセップス)をとってみせる。

 その動きにつられて着物の袖が激しい緊張を強いられた。さらに胸元のボタンが今にも跳びはねて鏡を粉々に砕きそうなほど、前立てが左右にひきつれる。


 「王様」

 後ろから壮年の男が、じとっとした目付きで男を見やりながら声をかける。


 王と呼ばれた男は白い歯を剥いて破顔すると、両手を広げてこちらを向いた。あまりにもどぎつい笑顔に、壮年の男は胸焼けを堪えながら続ける。

 

 「鏡を前に独り言はおやめください。ただでさえおかしい頭が本当におかしく見えます」


 主を主とも思わぬ無礼な物言いであるが、言われた王は気にも留めず、暑苦しい笑顔のまま手を横腹のあたりで組んで二の腕を強調(サイドチェスト)してみせた。壮年の男はいよいよ渋面を濃くする。王は快活に笑い、先ほどから仏頂面でこちらを睨めつけている男に近づいた。


 「そんな怖い顔をするな大臣! なに、鏡の精も私のあまりの美しさに声も出ないどころか恐れ多くて姿を見せられないのであろう」


 そう言うと王はうっとりと目を瞑って、両腕を高く上げて頭の後ろで手を組んでみせる。大臣は近づかれた分だけ下がると、極度の緊張を強いられた王の服の袖がいまにも脇のあたりから破けてしまいそうなのを、死んだ魚のような目で眺めていた。


 次の瞬間、王の筋肉の張りに耐えかねた服の前ボタンが軒並み弾け飛んだ。その内の一つが弾丸のように走り、大臣の頬を掠めた。彼はうっすらと滲んだ血を無表情で拭う。


 「――また、お召し物を新調せねばなりませんな」

 

 言われた王は、やれやれと破れた服を脱ぎ始めた。口調にそぐわず嬉々としてその肉体を人目に晒そうとする主を、苦虫を噛み潰したような顔で大臣は見ていた。


 (あらわ)になったその肉体は、よく鍛えぬかれ、磨かれた鋼のように輝いている。


 

 王は究極の鍛練者(ガチのトレーニー)だった。


***


 その仕立て屋は、究極の服を完成させるために世界中を旅していた。


 東の国では色鮮やかな前開きの着物を、これもまた色鮮やかな帯で絞める服が流行していた。その煌びやかさは布の装飾によるものだけでなく、特に女たちが身に付けている帯飾りや、変わった帯の折り方にも表れていた。男たちも一見、地味なようで、織り柄や染めに趣向が凝らされ、帯には細やかな細工が施された根付が括られていたりと、さりげない洒脱さが仕立て屋の目を引いた。


 一方、南の国では、女たちが豪奢な一枚布を複雑な行程で身体に巻き付ける服を纏っていた。たった一枚の布がドレスのように華やかに女たちを彩る様に、彼は瞠目した。


 その他にも、身体の線をしなやかに見せつつも上品に、かつ艶やかに演出する着物や、色とりどりの糸で精緻に模様が刺繍されたジャンパースカートのような着物、あるいは肉体の強靭さを誇示するような作りの派手な手織りの衣装など、ありとあらゆる服を、仕立て屋はその目に焼き付けて回った。


 故郷に戻ると仕立て屋は、すぐに仕事に取り掛かった。各地で集めてきた素晴らしい服を掛け合わせて、いまだかつて誰も見たことのない、世界一美しい究極の一着を作ろうと考えたのだ。


 しかし、いくら試しても納得いくものが生まれない。


 豪奢な布で身体の線を強調する服を作れば、布の魅力に身体が負けてしまう。かといって素朴な布に変えたところで、みすぼらしく見える。形に凝って縫製しても、今度はもこもこと野暮ったくなる。片方を矯めると片方が間延びする――その繰り返しであった。


 来る日も来る日も試行錯誤を続けたが、とうとう資材も金も底を尽きてしまった。


 途方にくれた彼は、街に出ることにした。何か、仕事の種が転がっているかもしれないと、そんな気がしたのだ。

 大通りに出ると何やら人だかりが出来ている。目を凝らすと、どうやら王城からの使いが触れを出しているところのようだった。仕立て屋は吸い寄せられるようにその人混みに紛れていく。


 伝令係は白いシャツの上から麻袋の角に穴を開けたようなベストを着込んでいた。素朴を通り越して粗野な出で立ちに、仕立て屋は気分が悪くなった。――なんと格好が悪い(ダサい)ことか。

 そんなみっともない姿にも関わらず、堂々とした足取りで民衆の前に進み出ると、使いの者は高らかに宣言する。


 「国王陛下のお召し物の新調に際し、これを仕立てるものを募る」


 それを聞くと仕立て屋は、はっとして耳をそばだてた。何か予感めいたものが彼の胸を掠める。


 「だが国王陛下の御身はしなやかかつ強靭ゆえ、それに耐えうるだけの優れた衣服でなければならない」

 

 男の鼓動が激しく波打った。

 しなやかかつ強靭。なんと甘美な響きだろう。

 そしてその身体に見合うのは、きっと世界一の服に違いない。


 伝令が終わるや否や、仕立て屋は王城へと馳せ参じた。一刻も早く王に謁見したい。その一心であった。

 ややあって控えの間に通された男は首をかしげた。どういうわけか、自分以外に誰もいない。確かに急いで駆けつけたが、あの場には大勢がいたし、この国の仕立て屋も自分一人ということは流石にないだろうから、他に一人くらい誰かいてもよさそうなものだ。だがいくら待てども、誰も部屋へと通されるものはなかった。

 いささか不安がもたげたが、競争相手(ライバル)はいない方がいいと思うと、彼の胸はむしろ高鳴ってくるのだった。


 しばらくすると召使いが呼びに来た。――遂にこの時が来た。仕立て屋は血湧き肉踊るのを感じる。一体どんな身体の持ち主が現れるのだろう。その身体に、自分はどんな究極の一着を贈ることができるのだろう。緊張と興奮を堪えながら、男は王の御前に伏した。


 すると頭上から、(おもて)をあげよ、と呼ぶ声がした。若干鼻にかかった中音域の音が耳に心地よい。


 仕立て屋は、ゆっくりと顔をあげると、あまりのことに固まった。


 そこには一糸纏わぬ姿で、よく鍛えぬかれ、磨かれた鋼のような肉体をさらけ出した男が立っていた。彼はぐっと握りこんだ拳を量の腰に当てて胸筋を張り、ふんぞり返る素振り(ラットスプレッド)をしてみせる。


 「よくぞ参った。私こそが、王だ」


 白い歯を輝かせて、王ははち切れんばかりに破顔した。


 その様子に仕立て屋は思わずひれ伏す。――頭の冷静な部分では、そりゃあ王座の前で、すっぽんぽんで(ポーズ)をとれるのは王だけだろうな、と思っていたが、その圧倒的な迫力の前に震撼してしまったのだった。


 王は再び仕立て屋に顔を上げるよう促した。男は恐る恐る身を起こすと、王の御姿をその目に入れた。

 やはり王は何も身に着けていない。高貴な人物のあられもない姿に男は思わず手で目元を覆うが、王は手を上げてそれを制する。


 「仕立て屋、私の姿をとくと見よ。そしてこの私に相応しい一着をお前に頼みたい」


 そう言われると仕立て屋は恐る恐る王の身体を観察した。全身が鋼鉄の鎧でも纏っているかのように光を弾いている。胸元は隆々とした筋肉に覆われ、手足は名工が手掛けた彫像のように美しい流線を描いていた。

 男は思わず息を飲んだ。なんという完璧な肉体だろう。そして、この身体に似つかわしい服を仕立てる栄誉が自分に与えられたことを、心底喜ばしく思った。


 それにしても、何故自分以外の仕立て屋は集まらなかったのだろうか。やはりいきなり裸で現れるからだろうか、と首をかしげつつも、この難題を前に疼く探求心がその思考を掻き消した。


 一部始終を見ていた大臣は、話がまとまった様子にほっと胸を撫で下ろした。

 というのも、いままで王の着物を仕立ててきた職人は皆、その鋼の肉体のもとに自らの努力の結晶が無惨にも弾け破れ去っていくのに耐えきれず、次々と王宮を去ってしまったのだ。その後はいくら募っても人手が集まらないという有り様だった。

 おかげで素人の張り子に毛が生えたような人材しか確保できず、城の者たちは麻袋の角に穴を空けただけのようなみっともないお仕着せを着る羽目になっていた。


(今度こそ、必ずや、破れない、弾けないお召し物を――)


 大臣はそう心の中で呟くと、両手を組んで神に祈った。


めちゃくちゃアホな話を書きたくなったので書いてみました。

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