5話
「テレーサ・クインソー。いい加減なことを言っているが、その言葉に責任が取れるんだろうね? 君が僕に興味を示すようになったのは、二年前に僕がキャフベリ家を相続すると決まってからだ。それまで、僕に対してどんな態度を取っていたのか覚えていないのか?」
呆れた口調でリオールが問いかけた。だが、その声は少し前の夫人に対する穏やかな口調とは明らかに異なっていた。言葉の一つ一つがやや遅く感じるような話し方は重々しく響き、反論を許さない。身分の高い貴族ならではの独特の威圧感に、チェルナは息をのんだ。
横にいるチェルナですらそう感じる中、彼に正面から見下ろされているテレーサにはいつもの高飛車な態度は微塵もなく、口をパクパクさせていた。
「そ、それは、年頃だったから……そんな態度に、みえたかもしれないわ。で、でも違うのよ」
「僕の婚約者はチェルナ・ビスコーテただ一人だ。君に結婚を申し込んだことは一度もないし、今後も申し込む気はない」
「あ、貴方はお忘れでも、わたくしが貴方の婚約者よ! お、お父様も、私達の婚約を、認めてくださっているわ」
冷たいリオールに、テレーサは震える声で言った。
彼女は今までリオールが彼女を本気で咎めなかったので、高い身分を得たとしても彼が自分より下の人間なのだと思っていた。彼は文句を言っても、結局、彼女の言葉に従わざるを得ないと疑わなかったのだろう。
ところが、彼の態度の急変で、ようやくリオールが貴族位を持つ者と理解した。過去にテレーサの父クインソー卿を騙そうとした者がどういう仕打ちを受けたか……。それを考え、テレーサは青ざめる。
「クインソー卿も君の嘘を信じているということかい? 僕からの打診もないのに?」
「嘘じゃないわ! 口約束だけど、貴方は私と結婚すると言ったのよ。貴方が忘れても、わたくしは忘れていないわ」
彼女は必死に嘘じゃないと主張した。彼女にはそう言うしかなかったのだ。リオールことキャフベリ卿を騙しただけでなく、父クインソー卿をも騙したとなれば、ただでは済まないと今更気づいたのである。自分の言葉を真実にするしか、テレーサには道がなかった。
「君のいう通り、たとえ口約束であっても婚約成立とみなされる場合はある。だが、それは僕に婚約者がいないことが前提だ」
「その娘とも婚約を交わしたとおっしゃるの? でも、それならわたくしとの約束の方が先だわ」
「君はキャフベリには婚約者がいないと調べたんだね? だから、僕に他の口約束の婚約者がいても、君の方が本物だと主張できると考えたんだろう。だが、僕には陛下の承認を得た婚約者がいるんだ。言ったかどうかもあやふやな口約束ではない、正式な婚約者がね」
「そんなはずないわ! 貴方に婚約者はいないってお父様が」
「キャフベリに婚約者はいないが、チェルナ・ビスコーテの婚約者としてのリオール・ダンフォードなら記録されているよ。王宮書庫で調べられるから、クインソー卿と一緒に行って確認してみるといい」
「う、嘘よっ、そんなことあるはずがないわ。貴方はキャフベリ卿なのよ! ビスコーテ家の跡取り娘と婚約なんて成立するはずがないわ!?」
「できなくはありませんわ、クインソー嬢」
取り乱すテレーサの声に言葉を被せたのは、黙って聞いていたベノジェム夫人だった。
夫人の態度はあからさまに冷ややかだった。できなくはない理由をテレーサに説明するだけの気配りもしたくないという素っ気なさに、テレーサは慌てて取り繕いはじめる。
「ベノジェム夫人、誤解なさらないで。わたくし、嘘は言っていませんわ。わたくしは、」
「クインソー嬢はキャフベリ卿の婚約者をご存じなかったということですわね? ずいぶんと親しい仲ですこと」
夫人には取り付くしまもなかった。
口籠るテレーサに、リオールが追い打ちをかけるように言った。
「テレーサ、いいことを教えてあげよう。しばらくすればキャフベリの貴族位は消えて、僕の身分はただのダンフォード家の次男に戻る。相続はキャフベリ家の跡片付けをするための期間限定だからね。だから、僕とチェルナの婚約は留め置かれているというわけだ。しかし、今は僕がキャフベリであることに変わりはない。キャフベリを陥れようとしたクインソー家には相応の謝罪と賠償を要求させてもらうよ。もちろん君自身にも。僕の忠告を無視して、キャフベリの婚約者と偽った罪は重いと知れ」
淡々と告げるリオールに、テレーサついには何も言い返せなくなった。
「わたくし、気分がすぐれませんので、失礼しますわ」
と、言い残して逃げるように立ち去った。夫人も誰も彼女に言葉はかけなかった。
テレーサは昨日と同様にクインソー家の権威をふりかざして強引に押しかけ、チェルナが彼女から婚約者を奪おうとしている酷い娘だと訴えていたらしい。招待客の中には婚約者の何年も帰国を待っていたという彼女に同情する人もいたが、そもそも夫人のお茶会ではゴシップ話は避けることになっている。夫人がそれを好まないためだ。テレーサは全く歓迎されていなかったのである。今後、夫人が彼女に門戸を開くことはないだろう。
お茶会は行われたが、はじまりがはじまりだったためチェルナは申し訳なさに委縮してしまい、活発な交流とはいかなかった。
「ビスコーテ嬢の謎の婚約者というのは、リオール・ダンフォード様のことでしたのね」
お茶会の後の帰り際、チェルナは夫人からそう言葉をかけられた。
「……はい、そうです、ベノジェム夫人。隠すつもりはなかったのですが……」
チェルナは数年前にリオールに婚約の解消を伝えたので、彼がまだ婚約者だと言うことに戸惑っている。その上、婚約が正式なものだとは知らなかったのだ。チェルナが彼を婚約者と紹介できるはずはなかったが、お茶会はじめの夫人への挨拶時に婚約者である事実を伝えるべきと思われてもしかたがない。
言葉を濁していると、リオールが言葉を挟んだ。
「ベノジェム夫人、申し訳ございません。なにぶん僕が帰国して間もなく、昨日、やっと七年ぶりに彼女に逢ったばかりで、まだプロポーズもできていないのです。七年ぶりにあった男との結婚を悩む彼女の心境を、どうかお察しください」
「まあ、七年ぶりに! そうでしたか。それでは仕方がありませんね。近いうちに嬉しいお話が聞けるのを楽しみにしておりますわ。それでは、またお会いしましょう」
夫人はにこやかな笑顔で二人を見送ってくれた。
こうしてお茶会は終わった。
屋敷を出ると、来た時のようにチェルナとリオールはホテルへと歩いた。お茶会での騒動もあり、帰り道は沈黙ばかりで言葉に迷う雰囲気だったのは仕方のないことだっただろう。
先に言葉を発したのはリオールの方だった。
「チェルナ、すまなかった。お茶会での僕の発言は、君を驚かせたと思う。本当はキャフベリのことや婚約の話を先に君としたかったんだが、ベノジェム別邸に向かうまでの君との会話が楽しくて、後回しにしてしまった。ごめん」
「そうね、驚いたわ。でも、七年ぶりだもの、知らないことがたくさんあって当然よ。私も……私にたてられた不名誉な噂について貴方に何も説明しなかったのだもの」
歩きながら、チェルナは四年前に起こったことを話した。デビューして、不本意な噂が広まって悪女と叩かれ騒ぎになったこと。彼女を揶揄いや悪ふざけの対象にする人達もいて、一時は身の危険を感じるほどだったこと。何もかも放り出して領地に戻り、リオールに婚約解消の手紙を送ったこと。
今はチェルナが社交活動を再開し、昨日会ったヘンスやベノジェム夫人など良識のある人々と交流をはかり、ビスコーテの領地経営を少しづつ改善しているのだと最近のことも話した。
時々驚きに息を詰めるのが隣のチェルナにもわかったが、彼は話し終わるまで静かに話を聞いてくれた。
チェルナの話の後は、リオールが自身のこれまでを簡単に語った。留学して三年間は勉強の日々で、その後の二年は現場で仕事に携わりながら貿易の交渉などを学んでいたという。本当は五年程度で帰国する予定だったが、キャフベリ家が違法貿易を行っている事件を調査せよとの国王陛下の命を受け、この二年は国内外を忙しく飛び回ることに。急遽キャフベリを相続したのはそのためだが、事情を知っているのは陛下に近いごく一部のみ。だから、クインソー卿やテレーサは知らないのだとか。
「そんなお話、私が聞いてもかまわないの?」
「かまわないさ。もう終わったことだ。それに、どうやらベノジェム夫人もご存じのようだから、真相が広まるのは時間の問題だろうね」
チェルナはリオールの話にとにかく驚いた。外国で勉強してダンフォード家の仕事を学ぶだけでも大変なのに、陛下の命を受けて働いていたとは。チェルナとは全く世界が違うことに衝撃を受けていた。悪女の噂を立てられて苦悩するなんて、狭い世界のちっぽけな悩みに思えて恥ずかしく感じる。
「僕は約束通り戻ってきた。君が僕と婚約を解消したいと望んでいたのはわかっているが、あれから七年が経った。もうあの頃の僕ではない。君が僕だとわからなかったくらいに変わった。だから」
リオールは言いにくそうに言葉を途切らせた。テレーサの前での彼や、ベノジェム邸での彼の様子から考えると、とても歯切れが悪く、彼らしくない。彼らしいと思うほどには、今の彼を知らないのだが。
チェルナは不思議に思い、尋ね返す。
「だから?」
「もう一度、結婚を約束したあの時からはじめないか、チェルナ? 義姉エティナから、今、君には結婚を考えている男性はいないと聞いている。それなら、僕にチャンスをくれないだろうか?」




