4話
チェルナとリオールは王都のベノジェム別邸を訪れ、お茶会前の待合室と案内された。
ベノジェム別邸は中位の貴族ベノジェム卿が所有する屋敷で、夫人が王都で親しい人と交流をするために建てられたもので建物は大きくない。しかし、室内の調度や庭園には歴史ある貴族家らしい古さを残しつつ新しさも加えようとのこだわりを感じるモダンな装飾が各所に施されており、訪問者を不思議な感覚に誘う屋敷として一部で有名だった。
そんな屋敷にふさわしく、ベノジェム夫人は出自や年齢にこだわらない幅広い層の人脈を持っている。夫人のお茶会は多種多様な人が集い、交流を広める趣味人の場となっていた。
ここにテレーサがいるというのは、チェルナには全くの想定外だった。
幅広い層というだけあって、ベノジェム夫人が招く客は貴族に限らない。財を成して成功した人や宗教関係者、才能ある芸術家や音楽家、詩人に研究者など様々である。そんなテレーサが見下している人間と同じ客として扱われるお茶会に、彼女が出席予定だったとは考えにくい。昨日のことを思い返せば、リオールがくると知って参加したと考えるのが妥当だろう。
ベノジェム夫人の身分はクインソー家のそれには及ばないとしても、夫人の影響力は決して劣るものではない。チェルナは今後のビスコーテ家再興のために夫人とは長く良好な関係を築いていきたいと考えている。そのため、このお茶会でテレーサへの対応を間違えるわけにはいかない。夫人を不快にして、関係を絶たれては困るのだ。
チェルナは浮かれていた気分を引き締めた。
チェルナはすでに待合室にいた人達の顔を見回した。複数の男女と、悲しそうな表情でこちらを見るテレーサ、そして、年配の貫禄のある笑みを浮かべた今日のお茶会主催者のベノジェム夫人。
チェルナは夫人へ向かって腰を落とし、挨拶を述べる。
「本日はお茶会にお招きいただきありがとうございます、ベノジェム夫人。私の連れを紹介させてください。彼はリオール・ダンフォード、ごく親しい知人です」
「はじめまして、ベノジェム夫人。お会いできて光栄です」
続けてリオールも夫人へ挨拶した。少しの間の沈黙だが、場の空気を緊張させる。招待客二人を夫人が吟味している最中と知っているからだ。
「チェルナ・ビスコーテ嬢、リオール・ダンフォード様、来てくださって嬉しいわ。他の方々に紹介しましょう。さぁ、こちらへ」
夫人は穏やかな口調で歓迎を表した。その様子にホッと緊張が緩む。夫人が二人を他の招待客の中に迎え入れようとしたところで、急にテレーサが立ち塞がり声を上げた。
「婚約者であるわたくしを置いて他の女性をエスコートするなんてあんまりですわ、キャフベリ卿。わたくしの心をお試しになっているの!?」
彼女のリオールを激しく攻める声があたりに響き渡った。いつもは静かな屋敷であるため、招待客達は顔を見合わせ戸惑う。
ふうっと大きな溜息のあと、夫人がチェルナ達に向き直り口を開いた。
「ビスコーテ嬢、クインソー嬢から話を聞きました。ずっと帰りを待ち続けていた婚約者を貴女が奪おうとしていると。そのようなことをする女性とは思いたくありませんが、いつもお一人の貴女が今日はクインソー嬢の婚約者キャフベリ卿と一緒にいらした。それを疑問に思うのは理解いただけるでしょう。チェルナ・ビスコーテ嬢、クインソー嬢の婚約者と一緒である理由を聞かせていただけますか?」
夫人はチェルナに尋ねたが、やれやれといった様子に見えた。
テレーサは先に夫人や他の客達に自分の主張を伝えていて、それなのに夫人がチェルナ達を問い詰めないままお茶会仲間に加えそうだったので、声を上げてしまったようだ。彼女は主催者である夫人の立場を蔑ろにしていることに気づいていないらしい。家格の差から、夫人を侮っている可能性もある。
ベノジェム夫人は聡明な人物なので、テレーサの無礼なふるまいを咎めるよりもチェルナに尋ねることを選択したのには、テレーサの父クインソー卿への配慮とは別の理由があるに違いない。
チェルナは趣あるお茶会の雰囲気を壊してしまったことを申し訳なく思いながら、横にいるリオールの顔をチラリと見た。こちらはかなり不機嫌な顔でテレーサを見下ろしている。テレーサが昨日のリオールの言葉をまるっきり無視しているのだから当然だろう。
「ベノジェム夫人、いろいろと誤解があるようです。テレーサ・クインソー嬢にお尋ねしてもかまわないでしょうか?」
チェルナの問いかけに、夫人が頷く。了解を得て、チェルナはテレーサに視線を移して尋ねた。
「昨日もお会いしましたね、テレーサ・クインソー嬢。昨日ケーブ邸で、貴女が勝手に婚約者だと嘘を言いふらしているとリオールが咎めていましたわ。一日も経っていないのに、もうお忘れですか?」
「チェルナ・ビスコーテ、貴女はキャフベリ卿がわたくしと婚約していると知って彼を誑かそうとしてらっしゃるのでしょう? 婚約者がいる男性がお好きな方のようですから。でも、彼はわたくしの婚約者です。わたくしはキャフベリ卿が目を覚ましてくださると信じていますわ」
テレーサは大げさに嘆いてみせる。そのしらじらしい演技に、チェルナは呆れながらもイライラした。
彼女の言葉で何度も繰り返される『キャフベリ卿』という聞きなれない名。それがリオールを指しているのは言葉からわかる。しかし、彼からそんなことは全く聞いていない。
昨日再会したばかりで、チェルナも悪女の噂についてまだ説明していないのだから、聞いてなくてもおかしくはないのだが。チェルナを不安にさせるには十分な情報だった。
上位の貴族家の子息は、後継者のいなくなった貴族家を相続する場合がある。一家で複数の貴族位を保持することは許されていないため、跡継ぎでない子供が相続するのだ。リオールが貴族位を持つ身であるなら、ビスコーテ家の貴族位を継ぐチェルナとは結婚できない。結婚する時に、どちらかが貴族位を手放さなければならないからだ。
婚約を撤回したいと手紙を送ったのはチェルナであるにもかかわらず、リオールと結婚できないことにショックを受ける自分を叱りつけたい気分にもなって、チェルナの内心は鬱々としていた。
しかし、そんな気持ちを悟られないよう、
「あら、私が婚約者がいる男性が好きだとおっしゃるの? テレーサ・クインソー嬢は根拠のない噂話に騙される方なのかしら。私は社交界で知り合った方のどなたともお付き合いしたことがありませんのに」
チェルナはつとめて冷静な態度でテレーサに対抗した。動揺を悟られないように、相手を調子づかせないように、ひたすら我慢で平静を装った。
しかし、テレーサには少しも響かない。
「チェルナ・ビスコーテ、キャフベリ卿を誑かすのはもうおやめなさい。貴女はご存じないでしょうけれど、わたくしはダンフォード家の方々とも幼い頃から親しくしていただいています。子供の頃にキャフベリ卿から結婚してほしいといわれたことを、わたくしは忘れたことはありません。信じてずっとお帰りをお待ちしておりました。わたくしたちの仲は貴女が壊せるような脆い絆ではありませんわ」
テレーサは切々と語り掛ける。チェルナに向かってというよりはベノジェム夫人や他の方々に聞かせるためだ。彼女の言葉が嘘だとしても、涙を流す美しい女性の姿は同情を誘う。
彼女の姿に、チェルナは既視感を覚えた。チェルナを悪女に仕立てた彼等も、今の彼女のように平気で噓を声高に語り訴えていた。チェルナは問われれば否定していたので、彼等の嘘を信じる人は多くないと思っていたが、彼等があちこちで喋り嘘話を広める方が真実よりもはるかに拡散して定着してしまった。感情に訴えるというのは、根拠などよりよほど強く人の心をとらえてしまうらしい。
あの時と同じように、テレーサが身勝手な嘘にリオールを巻き込もうとしている。このまま彼女の嘘を放置すれば、リオールはテレーサに結婚しようと約束しておきながら健気に帰国を待っていた彼女を裏切ってチェルナにそそのかされ乗り換えた不実な男性とされてしまう。リオールの意思を踏みにじり、彼の名誉を棄損することを厭わない彼女に、吐き気がしそうだった。
どうすればリオールを彼女の嘘から救えるのか。いい案が思い浮かばないまま、不安を表に出さないようにしてチェルナは口を開いた。
「ベノジェム夫人、テレーサ・クインソー嬢の言葉は正しくありません。リオールは彼女の婚約者ではありませんし、私が彼と親しくすることに彼女は何の関係もないと断言いたします。それでも夫人がご不快に思われるのでしたら、私達はお暇いたしましょう」
チェルナはベノジェム夫人に自分の意思を伝える。
何を言っても嘘しか返ってこないテレーサに対してリオールが沈黙しているのは、チェルナと同じ気持ちだというだけでなく、夫人に意見を求められるまでは発言しないという意思の表明でもあった。主催であるベノジェム夫人を尊重し、この場では夫人の裁定に任せる姿勢を貫いている。感情に任せたふるまいをしないというのが、このお茶会のルールなのだ。
チェルナとテレーサのどちらの言葉を信じるかは夫人次第。
夫人はチェルナの言葉を聞き、少しの間を置いてからリオールに視線を向けた。
「リオール・ダンフォード様、貴方のご意見は?」
夫人がリオールに尋ねた。それはチェルナ達に去る必要はない、チェルナ達の言い分を尊重すると言ったも同然だった。
クインソー家の影響力を考えれば、事を荒立てないためにどちらが正しいとも判断を下さずチェルナ達が帰るのを容認するのが常套な方法だが。夫人はそうはせず自らの判断を明らかにすることを選んだ。
「もちろん僕はチェルナと同じ考えです。僕がテレーサ・クインソー嬢にプロポーズしたことは一度もありませんし、彼女は僕の婚約者ではありません」
「嘘をおっしゃらないで!」
リオールの言葉が終わらないうちに、テレーサは感情にまかせて否定した。そうした彼女の声も態度も悲しみより悔しさが強くにじんでいる。この場がテレーサの言葉を疑う空気に変わったことを察したのだろう。
リオールは隣に並ぶチェルナの肩を掴んで、引き寄せた。二人の前にいるテレーサの整った顔があまりにも憎しみに歪んでいて目が離せなくて、チェルナは彼がどんな表情を浮かべているのかすごく気になったものの知ることはできなかった。