3 ぞくぞくとおこしやす
御池は、大きなS字を描く川になった。
湊がまたいで通るにはやや無理がある幅でそこそこ急カーブなため、水流は一定ではない。
比較的直線の箇所――瀬は早く、ぐっと曲がる箇所――淵は遅く。
湊は川沿いを下流から歩きながら、川底を観察する。
瀬の部分に敷かれた玉砂利は、淵に近づくほど高くなっていく。
そして、淵の部分にはいくつも岩があった。
意図的に起伏を作り、自然環境と同じく水の流れを意識しているのだろう。
「芸が細かいな」
感心しつつ、二箇所目の急カーブに近づくほど、水草の高さ、密度が増していく。
この先には一体何が待ち構えているのか、なんとなく読めた。
「門はご無事か……?」
たなびく水草の合間に、それはあった。
朱と白を基調とした竜宮門。
ゆるぎなく圧倒的な存在感を誇って淵に佇んでいた。屋根に乗る七色の宝珠が、より目を引きつけてやまない。
「ご健在そうでなにより」
門の傍らから、ひょっこり顔をのぞかせた霊亀が頷いた。
霊亀は竜宮門付近で寝ていることが多い。
ここが新たな住まいとなったようだ。
のんびり泳ぐ霊亀は、何も不満はなさそうだ。いつも通り瞼を半分閉じた状態で、ヒレで水をかき分け、門の裏側にいってしまった。
それを見届けた湊が顔を上げる。
視線の先には、滝がある。
切り立つ岩の合間、ちょうど湊の目線付近の高さから水の落下開始地点――滝口となっている。
滝の脇に、霊亀と応龍がよくいる大岩がある。
その上に乗り、できるだけ滝口に寄りつき、眺め回す。
「塀から直接水が吹き出しているようにしか見えない……これ、なにかに似てるな……ああ、わかった。これは、あれだ。うちの内風呂にある大理石から湯が流れ出てくるのに似てるんだ」
合点がいき、頷く。穴があきそうなほど観察した結果の正直な感想だった。
ドドドッ。間近で絶え間なく落ちる水は、細かいしぶきを上げ続けている。
滝の近辺のみ、空気中の水分が増しているのをまざまざと感じる。うっすら冷気も漂っており、肌寒さを覚えた。
滝は、小さいながらも本物と遜色なく、呼吸するごとに自ずと神経も心も休まる気になってくる。
「……いいな」
なんだかんだ言いながらも、庭の改装は面白く、楽しんでもいた。
しかしその表情は、完全には晴れない。
山神が神力を無駄遣いしていることに変わりはないのだから。
「でもまぁ、もう、やってしまったことだしな」
いつまでも引きずっているのもおかしいだろう。
座布団に横になった山神をしばし眺めるも、その体が透ける様子はない。
再び、湊の視線が下方へと落ちる。
そこには、白い水の帯が落ちる場所――滝壺がある。
膝を折ってけぶるその先をのぞく。
大ぶりな岩がひしめき、その真ん中が丸く抉れて深くなっていた。
そこに、青みの強い真珠の光をまとう応龍がとぐろを巻いている。
その輝きは水の白さを凌駕しており、よく見えた。
「ここに住むのか……」
ずいぶんおくつろぎのようだ。
穏やかな面持ちは心地よさそうだ。
喜怒哀楽がわかりにくいご面相なれど、リラックスしているかどうかの判断はついた。
地上ではそこそこ大きく感じる滝の音だが、水底で聞くとまた違っているのかもしれない。
ともかく、相当見た目が変わった御池だが、特に妙なモノは増えてはいなかった。
住民たる霊亀と応龍が居心地よければ、問題あるまい。
湊が川の下流が消えゆく所――山側の塀を見やる。
今し方、流し見ただけで済ませたその場所も、今一度しかと確認しておいたほうがいいだろう。
太鼓橋を渡っていたその時、目指す塀あたりの川面がわずかに盛り上がった。
反射する陽光も屈折して見えた。そこには、障害物は何も置かれていない。
水面が波打つのは、不自然だ。
太鼓橋の真ん中で立ち止まり、瀬戸際まで寄る。身を乗り出すと、欄干がふとももに当たった。
目を凝らせば、水中にうっすら光をまとう魚がいた。
細長い魚体は白を基調に、まだらに朱が交じっている。
鯉だ。
驚いていると、数を増した。
その鯉の左右にひょこひょこといくつもの頭が出てくる。
朱、黒、白、金。さまざまな色の組み合わせの成体であろう鯉たちが、軽く十匹はいる。
下流の際で窮屈そうにひしめいていた。
「……どこからお越しになったんだ……」
通常の鯉ではないのは、明らかだ。まばゆいその身が激しく神聖さを主張している。
「迷い込んだようだな」
背後からの声がかかり、首だけで振り向くと、小狼が鎮座していた。いつの間にかそばに来ていたらしい。
時折山神は、瞬間移動したように忽然と現れることがある。
山神は半眼で下流を眺めている。
不機嫌なのではなく、眠いからだ。声が間延びしているからすぐに知れた。
さておき、確かに鯉たちは困っているように見受けられた。入るに入れず、そこで動けなくなっているのだろう。
「あの鯉たちは、どこかの神様の眷属なの?」
「左様、隣町のモノらであろうな」
思えば、山神の隣神の眷属たる黒い狐――ツムギも、山神の許可を得るまで、決して敷地内に足を踏み入れようとしなかった。
温泉に惹かれつつも、必死に塀の上に踏み留まっていた。たとえその片足がズリ落ちかけていたとしても。
あれからツムギは一度も訪れていない。
なお、隣神は天狐だと、山神に教えてもらっていた。
それを口にした時の山神は、まるで酸っぱいモノを飲み込んだような表情だった。あまり仲はよろしくないのかもしれない。
「勝手に入ってこないんだね。ツムギも、龍さんも、麒麟さんもそうだった。みんな律儀だよね」
「勝手に己が家に入ってきたモノを情け容赦なく消し去る、血の気の多い荒神もおるゆえな」
湊は返答に窮する。
これから先、有神の神域に引き寄せられてしまった場合、命が危うい事態が起こる可能性もある。
そのことに改めて気づいた湊は内心で冷や汗を流す。
そんな戦々恐々としている横に山神が並ぶ。
「案ずるな。荒ぶった神なぞ、そう滅多におらぬ」
湊には、四霊の加護が付いている。ゆえに湊が出会う神は気安いモノが多い。
そのことに気づいている山神は愉快げに喉を鳴らす。
しかしそれを知らぬ湊は、からかわれたと思っていた。
山神が下流を見やる。
鯉たちが綺麗に横並びで魚体をゆらめかせている。
しばらくすると、真ん中の大柄な金鯉が泳ぎ出てきた。周囲の鯉も追従する。
おそらく山神が許可を与えたのであろう。
そうして次から次に、出てくる、出てくる。膨大な鯉が川の流れに逆らって迫ってくる。
「……おお……」
湊は意図せず感嘆の声をあげていた。
数秒後、太鼓橋の間際で先頭の金鯉が一旦停止する。
見上げて、水面に出したその口を開閉するやいなや、皆一様に同じ動きをした。
びちびち、パクパク。あらゆる場所で鯉が口を開けている。
非常に見覚えのある光景だ。
ヘイ、お待ち! と麩菓子をバラまきたくなった。
が、そのむくむくと湧き上がる衝動を抑え込む。
おそらく彼らはあいさつしてくれている。ふざけていい場面ではない。
にこやかにうさんくさい笑顔を浮かべながらも、欄干に置かれたその両手は握りしめられている。
それを横目に、山神が厳かに宣う。
「気にするな、いくがよい」
許可を得た金鯉がもう一度口を動かした。
そして、一斉に上流へと泳いでいく。
太鼓橋の下を通過していく色とりどりの鯉の集団。川底の玉砂利を覆い尽くす数でも、互いにぶつかることもなく、上流を目指していく。
湊がうれしそうに笑う。
「やっぱり、日本庭園には鯉が似合うね」
「左様か」
「ちょっと数が……恐ろしいほどいるけど」
鯉の行列は途切れない。
隣町の神とは、一体どれほどの眷属を有しておられるのか。少し好奇心が芽生えた。
しばらく腰を曲げて見入っていた湊が、ハタと面を上げる。
「……そういえば、鯉たちが向かう先には滝があるんじゃ――」
振り返って見えたのは、鯉の滝登りだった。
天狐の尾の数について
諸説あるようですが、この世界では9本の天狐が最上位としています。(空狐なし)
位が上がれば尾の数が減るとか、狐の形態ではなくなるとか。そんなお狐様、お呼びじゃない。
それと、作者が九尾好きだからです!




