3 山神の眷属らといく、稲荷神社
稲荷神社への道すがら、路傍の木陰には霜が降りていた。
そこを避けるように歩むオオカマキリの動きが鈍いように見える。昼と夜との長さの変化で冬の到来を知る虫は、すでに体質も越冬型に変えているはずだ。本格的な冬を前に隠れ家を探しているのかもしれない。
そう思いながら、湊は肩をすくめた。
少しだけ開いていた首周りから入り込む風はやけに冷たかった。
そんな寒さを感じるのは、湊だけのようだ。
やや前方を歩むテン三体は、平然とした顔をしている。もこもこの毛皮をまとうゆえか、姿を消しているゆえか。もとより、彼らは温度を感じないのだ。
そんなことを思っているうちに、神社に着いた。
門番さながらに迎えてくれたのは、狛犬ならぬ狛狐。その先には、やや急な階段に沿う赤い鳥居のトンネルが続いている。
鳥居は、上部の横柱の両端が上方に反った稲荷鳥居。
鳥居額には、黒狐稲荷神社と記されている。
何もかもが、稲荷神社でございと主張していた。
『ここの祭神は、稲荷神ではないでしょうに……』
呆れ顔のセリが暴露してしまい、湊は小声で注意した。
「セリ、言っちゃだめだよっ」
というのも、この神社は霊験あらたかと全国的に有名であり、平日にもかかわらず、続々と階段を上っていく者がいるからだ。
中には、明らかにセリたちに視線を止める者もいた。
『狐だけでなく、我らがいることにも驚いているようだな』
トリカがいうように、この神社にはお狐様に会いたさに訪れる、視える人々も多いという。
『とりあえず行くか』
トリカの号令に合わせ、みなで粛々と鳥居をくぐった。
視界の端が朱色に染まり、湊はどことなく落ち着かない気持ちになった。理由はわからないが、幼少期から朱色の鳥居が苦手である。
大丈夫、大丈夫と己に言い聞かせつつ、階段を上がりながらも視線がさまよう。そのおかげで、鳥居の裏側に記された寄贈者の名前が見えた。
越後、越前、三河、丹波、相模。
いずれも商店街に店を構える面々の苗字である。とはいえ、知っている彼らの縁者とも限らないだろう。田舎は向こう三軒両隣、みな同じ苗字なのも珍しくないのだから。
それにしても、階段が急である。
後半は足元ばかりを見つめながら登りきると、一気に視界がひらけた。
まっすぐに延びる石畳の参道。その突き当たりに威風堂々とした拝殿が建っていた。
「うわあ」
つい感嘆の声が出た。
神社の造り手の思惑にまんまとはめられてしまったといえる。
急な階段――通称〝男坂〟は、この視覚効果を狙ってつくられている。階段が急だと、どうしても慎重にならざるを得ない。そのため足元ばかり見て階段を上った途端に視界がひらけることになり、境内の社殿で圧倒されるのだ。
してやられたという気持ちにはならない。やはり、いいものはいい。それだけの価値はあった。
境内はやや手狭ながらも、神楽殿も備わっている。手水舎、社務所、そして拝殿。見えないが、裏に本殿もあるのだろう。
そこで時折、ツムギがあえて姿を参拝者に見せているという。
しかしながら、そのツムギだけを目当てに人々が押し寄せているのではないのだと、湊は気付いた。
境内の至る所に狐がいるのだ。それぞれの建物の前、その内部、はては屋根の上まで。
まさに狐だらけであった。
神のたぐいが知覚でき、かつ彼らへの敬慕の気持ちをもつ者ならば、ここは天国のように思えるに違いない。
「す、すごい本当にお狐様がたくさんいらっしゃる……! 来てよかった!!」
あとから階段を上ってきた女性が感極まった声をあげた。
はあはあと若干息も上がっているのは、急な階段を上ってきたせいであって、狐の大群に興奮したわけではなかろう。
そうであってほしい。
と心から願う湊と、その女性の目があった。
瞬時に真顔になった女性は、不躾にも湊の頭の上から靴まで数回視線を往復させた。
そして、恐る恐るといった体で尋ねてくる。
「あの、神社の関係者の方ですか?」
「いいえ、違いますよ」
きっぱり否定すると、さらに階段を上がってきた二人組も、ひそひそと会話を交わす。
「違うってさ。意外よね」
「ほんとに? じゃあなんで、山の神様の眷属たちと一緒にいるの?」
「わかんないけど、あの眷属さんたち、イタチかな? それともオコジョ?」
「どっちにしてもすごいかわいいよねっ」
明確に知覚できる者たちであった。
それもそのはず、山の神の気配は独特である。鋭敏な者なら、判別も容易かろう。
『違うよ! 我らはテンだよ〜』
腰に手をあてたウツギが女性たちにそう主張すると、即座に女性たちが驚愕の表情を浮かべた。
通常、神や眷属が人間に気軽に声をかけることはないからだろう。
女性たちは、腰が直角になるほど、深く頭を下げた。
「誠に申し訳ございません。大変失礼しました」
「ごめんなさい、はじめて間近で見たものですから!」
『いいよ、いいよ。我ら、気にしてないから〜』
ウツギが陽気に返すと、両隣のセリとトリカも頷いた。
ウツギは気安く人間と接するが、他の二体は積極的に関わろうとしない。これは顔見知りといっていい播磨に対しても同じのため、初対面の人間ならなおさらだ。
ともあれ、いつまでも階段口を塞いでいるのもよくあるまい。
湊はセリたちとともに最後の鳥居を抜けた。
感じた神気はごくわずか。
正直、拍子抜けした。もし悪霊などに憑かれた者がいても、ここを訪れただけで祓われることはあるまい。
「あんまり神気は濃くないんだね」
つい言ってしまうと、セリとトリカがやや呆れた顔になった。
『湊、神社は鳥居から先は神域と謳っていますが、実際に本物の神域となっている神社なんてほとんどないんですよ』
『だな。神社に神が常駐している方が珍しいんだぞ』
「そうだよね。普通、喚んだら降りて来ていただけるんだよね?」
『まあ、たいがいそうだけど。でもね、誰が喚んでもくるってわけじゃないよ。契約した血族が喚んだ場合のみだよ〜』
ウツギもしたり顔で言い、セリが意地悪い笑みを浮かべる。
『少し前、神仏分離政策なんぞおこなったせいで契約した一族が追いやられてしまい、愛想を尽かした神がいなくなった神社も少なくないんですけどね』
いまいち知りたくなかった情報である。
湊が複雑な顔をすると、トリカまでも辛辣なことを言う。
『だな。まあ、この神社に神がいるのは間違いないんだがな。ただし、神社といっても商売だ。ここにただ訪れただけで祓ってしまえば、そのまま帰られて商売上がったりになるんじゃないか』
――シャン。
突如、神楽鈴が境内に鳴り渡った。
涼やかなそれは、神が鳴らす特別な音だ。
境内にいた数人がこちらに注目するなか、湊の眼前にぱっと光の粒子が舞い、二体の狐が姿を現した。
ともに全体的に白く、額に蓮の花の文様がある。その背にゆれる尻尾は、五本。
対の存在のような二体は、同時に頭を垂れ、念話で歓迎の口上を述べた。
『湊殿と御山の方々、ようこそおいでくださいました』
『出迎えが我々のみで、ほんに申し訳ない』
「いえいえ、そんな。わざわざありがとうございます」
周囲の目が気になるが、みなわかっているようなので、普通の声量で答えた。
この狐たちには見覚えがあった。天狐が楠木邸をはじめて訪れた折、山神にお伺いを立てた二体だ。
あの時は晒していなかったが、尻尾が五本あったようだ。
狐に限らないが、尻尾などの部位の数が多いと力が強い証だという。
おそらく、七本の尾をもつツムギの次に位の高い眷属なのだろう。
その一体が顔を上げて言う。
『我らが参りましたのは、ツムギはいま、仕事中だからでございます』
湊も理解した。ツムギは悪霊祓いの真っ最中のようだ。




