21 播磨と湊、それぞれ真相へ
犬のような猫のような。毛むくじゃらの妖怪が脛にまとわりついてくる。
その行動から、スネコスリと思われた。
通行人の脛に身をこすりつける妖怪であり、人間に敵意はもたない。むしろ人間を好む妖怪である。
とはいえ、構ってやる暇はない。
「おい、人の歩行を邪魔するな」
振り切るべく、足を早めるもスネコスリは短い四肢を駆使し、ピタリとついてくる。
播磨は嘆息し、元の速度に落とした。スネコスリは嬉々としてその身をすりつけてくるが、気にしないことにした。
追いついてきた阿倍野は呆れ顔だ。
「君、よく我慢できるな」
「そのうち飽きてどこかへいくだろう」
「いいのかそれで。そいつは妖怪なんだぞ」
「別に害はないから構わない」
スネコスリは実体を伴うが、通常の動物のように毛は抜けないうえ、あちらが人間を汚そうとしない限り、汚れもつかない。
ゆえに許す。
多少、妖気をつけられるがあとで祓えばいいだけだ。
「さっきは妖虫を容赦なく退治していたっていうのに、君という人間はよくわからないな」
純粋な人間ではないからな。
などといえるはずもない。
播磨の一族が神の血を引いていることを陰陽寮の関係者で知っているのは、葛木くらいだ。
無害な妖怪が寄ってくるのは、神の系譜ゆえである。人ならざるモノはなんなく見抜けるため、物珍しさから近寄ってくるのである。
ともあれクロは、スネコスリが我慢ならないようだ。
シャーッと牙をむいて威嚇した。
瞬時に、スネコスリは消えてしまった。
クロはまたも脚に飛び移り、嚙みついて清めている。
マメなやつだ。
好きにさせることにした。
が、クロはふいに動きを止める。脛にしがみついたまま、じっと一人の通行人を見つめた。
クロは基本的に、播磨以外を見ない。気にもしない。
ゆえに、他者へ意識を向ける時は、その者に何かしらの理由がある時だけだ。
播磨もその若者を見た。
二十代半ばであろう。長い前髪に、泣きぼくろが目につく。昏い目で前をゆく人物を睨みつけていた。
その様子がどことなく異様に思え、その耳を注視した。
するりと髪に潜り込む長い虫めいた影が見えた。
妖虫だ。
じわりと煙めいた妖気がにじみ出た。
一歩踏み出した播磨の腕を阿倍野がつかむ。
「太陰、アレを捕らえてくれ」
つぶやくと、若者に向けられた鉄扇から少女が現れた。
式神である。
鳥の尾羽根めいた髪と長衣をなびかせ、駆け出す。跳躍し、その腕が若者の耳元を薙いだ。地面に足をつけるや、くるりと反転し駆け戻ってくる。その手を握りしめて。
満面の笑みを浮かべている少女の後ろで、若者はまるで夢からさめたような顔をしている。
「俺、なんでこんな所に……」
見渡し、その場がどこか理解したのか、呆然となった。やがて足早に通りの角を曲がっていった。
それを見届けた播磨は、阿倍野を見た。
相対する少女型の式神は、握った手を背中に隠している。
「太陰、僕にその手のモノを見せてほしい」
阿倍野が頼むも、太陰は口をとがらせ、そっぽを向いた。
阿倍野は式神を好んで用いる術者なのだが、その式神たちはことごとく変わっている。
容姿はほぼ人間で、我も強く術者に歯向かうのである。
己だったら絶対に使役したくないと播磨は思うが、阿倍野は根気強く接している。
「――わかったよ。仕事が終わったらふたりでパフェを食べにいこう」
阿倍野には式神が十二体いるのだが、病的なほど彼を慕っており、とりわけ女人型は独占したがる。
阿倍野から望み通りの言葉を引き出せたのであろう太陰は、軽く飛び跳ねて喜んだのち、手を前に戻した。
その甲が透け、中が見えた。
ムカデめいた妖虫がのたうち回っている。
怖気が走った播磨は顔を引きつらせた。
一方、いたって普通通りの阿倍野は問うた。
「太陰、こいつの本体はどこだ?」
式神は握ったままの腕を伸ばす。
反転したところで、動きを止めた。一直線に延びる道のはるか先に、方丈山がそびえていた。
✽
同じ日の昼下がり。
湊は、橋占いのことについてたぬ蔵に問うべく、御山を登った。しかし木立の間に身を潜め、祠をのぞいている。
その前に、土下座をした人物がいたため、とっさに隠れたのだ。
「本当に悩み事を相談する人っているんだ……」
声を張り上げていることから、祠に切々と訴えているのは疑うべくもない。
祠に相談事をする人々がいる。
彼らはむろん山神に救いの手を求めているのだが、答えているのは、妖怪のたぬ蔵である。
そのことは、山神の眷属たちを通じて知っていたが、今日、はじめて現場に遭遇してしまったのであった。
当然ながら、近づきづらい。
目的のたぬ蔵もそこにいる。祠の扉を背にしていた。
仁王立ちするその姿は、土下座をする人物にも見せているのだろう。
「――そのままじゃなくて、山神さんの姿を見せているのかな」
たぬ蔵の双眸が紫色の光を放っていることから、妖術を用いているのは、明らかだ。
「山神様、私はどうしたらいいのでしょう⁉ なにとぞ、ご助言をお願いしますっ」
ごんと額を地面に強く打ち付けたのは、中年男である。
スーツに革靴。靴はおろか、下半身も汚れ、それなりに苦労してここまで登ってきたことがうかがえる。
よほど切羽詰まっているようだ。だが、山を侮っているとしか思えない格好に、湊は顔を曇らせた。
たぬ蔵も同様らしい。
「ぬしは我をナメておるな」
その声と話し方は、山神にそっくりだ。さすがである。
「滅相もございません!」
「かような格好で山に入ってきておいて、なにをぬかすか」
「服装にまでは気が回らなかったのですっ」
ハッと不遜に鼻を鳴らしたたぬ蔵は、焦り顔の中年男を見下ろす。
「かような粗忽者に助言なぞ与えたところで、なんぞ意味はあるまい。帰れ」
「そ、そんなっ」
「帰れ。出直すがよい」
厳しいことだ。
しかしその方がいいだろう。助言は安売りすべきではない。
「それと、次回は手ぶらでくるなよ。いい酒をもってこい!」
やはりそれか。最後は地が出ていた。
湊は額を押さえつつ、山道に出た。
あえて足音を立てて近づくと、中年男はよろめきながら立ち上がった。とぼとぼとした足取りで、すれ違う。
「こんにちは」
声をかけるも、こちらを見ることもない。
が、湊は言わずにおれなかった。
「その靴なら、下りはより一層滑ると思います。気をつけた方がいい」
強目に忠告すると、中年男は「う、あ」と意味のないつぶやきを漏らし、足を早めた。さっそく滑りかけたが、湊もそこまでお人好しではない。
見送ることもなく祠の前に立った。扉の前に座したままのたぬ蔵がにやりと笑う。
「やつがれはこれでまた、徳を積んでしまったぞ」
気障ったらしく前髪を払う仕草をされ、湊は半目になった。
「徳ってなに。ただ山神さんの真似をしただけじゃないか。でもまあ、次はお酒が手に入りそうでよかったね」
「どうだろうな。あの手の輩は、助言を求めるだけ求めて、いざもらったら知らんぷりだ。礼をするという考えそのものがない」
「――そうなんだ。もし助言をしてあげて、お礼をもってこない人だったら、どうするの?」
たぬ蔵の顔に影が落ち、邪悪な笑みを浮かぶ。
「こちらから出向いて、せびり倒す」
湊は真顔になった。




