19 きな臭い噂
「大好きなツムギに会いたくて会いたくて仕方がない、ってところかな」
白狐はツムギに想いを寄せている。
しかしその肝心の相手にまったく相手にされないがゆえに何かと文句をつけ、喧嘩を仕掛け、構ってもらおうとしていた。
つまるところ、お子様なのだ。
ぶすっとふくれっ面になった白狐が睨みつけてくる。
「――そうだ、悪いか」
「いや? ツムギへの気持ちは止められないんだろうし?」
「そうだ。少しくらい会って話すくらいいいだろうが……」
白狐はツムギと会うことはできない。遠くから姿を眺めることもできない。
そういう契約を己の主と結んだからである。
その期間はふた月。あと数週間残っており、もし破ろうものなら、白狐の命がなくなる。
だがそれは、白狐自ら行ったものだ。なれど耐えかねているらしい。
「ツムギに会っても、喧嘩をふっかけない自信があるの?」
「――ない。それ以外にどうすればいいっていうんだ。だってそうしなきゃ、我を見てもくれないんだぞ」
がりがりと地面を掻き、いじけている。
「おい、お前。いい加減にしろ」
たまりかねたように、トリカが割り込んできた。
白狐を睨みつけ、まくし立てる。
「ツムギに会えない間、お前はなにしていたんだ。そんな風にいじけてばかりいたのか。それ以外にすることは思いつかなかったのか。つまらん男よ。そもそも眷属でありながら、女の尻を追いかけてばかりとは何事だ。この痴れ者が!」
山神じみた苛烈な物言いと神気に、白狐が耳を伏せておののく。
「出直せ。もっと男を磨いてこい。それまでツムギの前に顔を出すんじゃないぞ、わかったか!」
がっくりと白狐は項垂れた。しかし、その背で神気がゆらめく。
お、焚き付けられたか。
と湊が思った時、トリカが振り仰ぐ。
「湊、帰るぞ」
「あ、はい」
苦笑した湊は、イチョウに声をかけた。
「じゃあ、またね」
さわさわと動く葉に、腕を伸ばして触れたあと、トリカと連れ立ち、その場をあとにした。
朱塗りの鳥居をくぐり、通りへと出るトリカの足取りは軽やかだ。
「これでツムギの自由な時間が少しは延びるだろう」
白狐に言いたいことを言い、すっきりしたようだ。
トリカたちにとって、ツムギは近所の優しいお姉さんである。
三体が生まれて間もない頃からの付き合いで、山からほとんど出ない彼らに、周囲の人間らや神々の情報をもたらしてくれるありがたい存在でもある。
山神と天狐の仲は良好とは言い難いが、それはそれ。眷属たちの仲はよい。
「そうだね。あの白い狐くんももっと大人になるといいね」
「だな。まあ、いかに努力しようが、千年以上の歳の差と経験の差は埋められまいが」
ツムギは千歳を軽く越えている。
オトナもオトナであり、かつ恋愛事に長けた天狐のそばに長年いる。
「ツムギはきっと、あのコが自分に寄せる想いに気づいているんだろうね」
「ああ、あれほどのわかりやすさだ。気づいていないはずはない。だからこそ、非道に切り捨てることもできないんだろう」
「ツムギ、優しいからね――」
といったあと、湊は口をつぐんだ。
通りの端に、女子高生らしき二人組がいたからだ。
下を向く娘と相対する娘は後ろ姿だが、肩を怒らせ、腰に手を当てている。穏やかではない様子である。
「――そんなの、断りなさいよ!」
苛烈な物言いにビクついたのは、湊だけではなく、言われた娘もであった。
両手を握り合わせているその娘が顔を上げた。
下がり眉の気弱な顔立ち。背を向けた娘の方は、茶髪で短いスカートから惜しみなく脚をさらしている。
ギャルと優等生といった印象で、ずいぶん対照的な二人だと思ったと同時に、湊は気づいた。
この二人組、以前もここで見かけたなと。
その時も、勝気な娘の声があたりによく響いていた。聞くつもりはなくとも、いやでも耳に入った話によると、気弱な娘の母親が悪霊に取り憑かれたうえ、タチの悪い退魔師にも騙され、金を巻き上げられていた。
それを見抜いた勝気な娘が、悪霊を祓ってもらえるからとツムギの稲荷神社へ誘っていたのだ。
その後、どうなったのか。当然ながら、知る由もない。
むろん母上様はお元気ですかなどと話しかけられるはずもない。
気弱な娘から何か知れることはないかと、注意深く見てみた。
その手にあるのは、黒い狐のマスコットのようだ。
朱塗りの鳥居とセットになっているから、おそらくツムギのところの神社の物であろう。
ならば、気弱な娘の母親はツムギによって祓われ、健やかな日常を取り戻したに違いない。
にもかかわらず、娘の憂いは晴れていないようだ。
聞き耳を立てるのは、いかがなものかと思うも、勝気な娘の声はよく通り、耳をすませる必要もなかった。
「――ちゃんと断るのよ。わかった?」
念を押された弱気な娘は、両手のマスコットを己が胸に押し抱く。
「で、でもその橋占い、ものすごく当たるって噂だよ?」
橋占い。
古くから行われてきたその占いは、湊も知っていた。
夕暮れに橋のたもとに立ち、橋を渡ってきた最初の人物が言った言葉から吉凶を占うのだ。
橋は異界との境であり、神もそこを通るため、人の口を通じて神意を告げると信じられてきたからだ。
つい先日、アマテラスのもとへ向かう途中でも、占いのよくない結果にやきもきしている中学生がいた。
学生の間で、占いが流行っているのだろうか。
若い頃はとかくその手のものを信じやすいものだ。それもあるが、周囲に流されて手を出すこともあるだろう。
さておき、気弱な娘は誰かしらにその橋占いに誘われているようだ。そして、勝気な娘に止められている。
「だから、やめときなさいってば!」
「――だって、流行ってるんだよ。みんな橋にいって的確なアドバイスをもらってるっていってたし」
「はいはい、みんなみんな」
ハエでも払うかのように片手を振る勝気な娘は、早口で言い立てる。
「誰のことかもわからない人に合わせることないでしょ。だいたいアドバイスってなによ。そんなどこの誰ともしれない人がたまたまいったことを信じて従うなんてどうかしてる。だいたいさあ、なんで自分のことなのに自分で決めないのよ。それって、うまくいかなかったらその人のせいにするためでしょ。そんなの、ずるい人間がすることで――」
ますますうつむく友人を見て、勝気そうな娘は焦ったように、手を動かした。
「いや、あの、噂! 噂を聞いたのっ。その橋占いでいわれたことに従って大変なことになった人がいるって!」
「――大変なことって?」
話そうとした勝気な娘であったが、いったん口をつぐみ、周囲を見渡す。
湊と目が合った。
さすがにこれ以上、聞けない。
反射でうっすら笑みを浮かべ、湊は足早に二人の横を通り過ぎた。
脇道へそれるも、隣を駆けるトリカの耳は後方を向いている。
「事故に遭って死にかけたらしいぞ」
見えなくなった二人組の内緒話であろうと、ばっちり聴こえたようだ。
「――それだけではわからないよね。占いのせいとは決めつけられないと思う」
「だな。ちなみに、その占いができる橋は、方丈山の近くにあるらしい」
「まさか、アドバイスをしてるのは、たぬ蔵さんじゃないよね⁉」
ぎょっとした湊は思いついたままいってしまった。
ただの通行人の言葉が、的確な助言になるなど考えにくいからだ。
人ならざるモノが関わっている可能性が高い。
そうでなければ、ここまで流行るはずもあるまい。
たぬ蔵は、御山の祠に相談にくる登山客にアドバイスをあげている。
少しばかり出張し、橋でも行っているのかもしれないと考えたのだ。
「まあ、あの古狸は妖術を使えるし、しょっちゅう山から出かけてるのも確かだが……」
トリカも否定できないようで、困った顔をした。
湊は毅然と顔を上げ、遠目の方丈山を見た。
「たぬ蔵さんに訊いてみないと」
「湊、あいつは酒に目がないダメな呑兵衛だが、人間が大好きだぞ。人間を傷つけるような助言などするはずがない」
「――そうだね。俺もたぬ蔵さんじゃないとは思うけど」
橋占いをして、その後事故に遭った。
それは、偶然なのか。
必然ではないのか。
タチの悪い人ならざるモノのせいではないのか。
なぜかその考えが頭から離れない。
嫌な予感がする。胸のざわつきが取れなかった。
「たぬ蔵さんなら、何か知っているかもしれない。だから、訊いてみるよ」
トリカはただ頷いた。
ともに帰路につく。道脇の草むらで鳴くキリギリスの声は、急かすような忙しなさであった。




