1 かの女神はいずこへ
おはようございます。お久しぶりです。
更新が途絶えていた間も応援ありがとうございました!
大変励みになっております。
第2部もお楽しみいただけると幸いです。
風が吹いても、風鈴の音がしない。
そのことに違和感を覚えた湊は、クスノキを見上げた。
先日までそこで短冊をゆらしていた風鈴の姿はない。己の手でしまったのだから、なくて当たり前である。
けれども物足りなさを感じてしまった。
とはいえ、寂しくはない。
神の庭は、たくさんの音であふれているからだ。
クスノキがさらさらと葉擦れの音を鳴らし、露天風呂のラバーダックがぷきゅうと合いの手を入れる。
それらは、根元に寝そべる大狼――山神の仕業である。
眼を閉ざし、鼻先が指揮者の棒のように動く。
応えたのは、霊亀。パチャパチャと大池の水面を顎で叩きながら泳ぐ。
ひょいと山神の前足が上がると、石灯籠の中のカエンが鉄器をキンキンと打った。
滑らかに山神の鼻が横へ流れたら、今度は御山の中腹で三体の白いテンが飛び跳ねた。
山神が顎を引く。ぶわっと渡り廊下を縁取るイチョウの木が葉をまき散らし、庭が真っ黄色に染まった。
「うわあ」
湊が感嘆の声をあげると、負けじとクスノキが樹冠を振り、数多の葉を放つ。
緑色が黄色を呑み込んでいく光景には、苦笑いするしかなかった。
「イチョウの葉は水面や地面に触れたら消えてしまうけど、クスノキの葉はしっかり残るんだよね」
「自己主張が激しすぎるゆえ」
山神の悪態にクスノキはどこ吹く風。するすると若葉を生やしている。どこまでも澄んだ秋の空がふたたび葉で覆われていった。
「秋だね」
「ええ、すっかり」
しみじみとした一言に答えたのは、山神ではない。
座卓を挟み、対座する黒い鳥である。
アマテラスの使いとして世に知られた、ヤタガラス。
真っ黒な羽を畳んだ体高は、山神とさして変わらない。
商店街からの帰り道、ふと思い立ってアマテラスに会いにいったら、お社が神域の入り口もろとも消えていた。
その代わりのように現れたのが、この黒き鳥であった。
眼光の鋭い強面である。
しかしながら、その雰囲気はゆるい。上向くその喉が上下し、お茶を飲み込み、一言。
「――くぅ、実に美味……!」
こうも満足げにいわれたら、湊も自ずと笑顔になろうというもの。急須を手に取った。
「なによりです。もう一杯いかがですか」
「ぜひいただきたく」
嘴で湯呑みを押しやってきた。急須を傾けている間もその嘴は動き続ける。
ぱくりと咥えたのは、さつまいもチップス。
山神の眷属たちの新作である。
ヤタガラスは器用にチップスを突き崩し、食べている。
「こちらもお茶うけに最高ですな」
「ですよね、方丈山の神産物ですよ」
なぜか売り込まねばならぬという使命に駆られ、湊はそういった。
「ほう」とヤタガラスが視線を向けると、山神は澄ました顔ながらも、全身から光を放った。
ヤタガラス同様、半目になりつつも、湊はヤタガラスの脚を今一度よく見た。
その数は、二本。三本ではない。
一般的にヤタガラスは三本足だと思われているが、あれは異国の金烏と混同されたせいである。
ともあれ、その身からうっすら発している神気は己の身のうちに感じるアマテラスと同じものだ。
そのせいか、風の精と同様に親近感がわく。
そう思っていると、忙しなくチップスをついばんでいたヤタガラスが、ハッと嘴を上げた。
「しまった、くつろいでいる場合ではなかった……!」
「あ、そういえばそうでしたね」
湊も少し忘れかけていた。
「そうだ、そなたにアマテラスを捜してくれと頼んだではないか」
「まあそうなんですけど。生菓子と生肉があったので、あのまま出かけるわけにもいかなかったんですよね」
そんなわけで、ヤタガラスを伴い、楠木邸に戻ったのである。
さすれば、お茶の一杯も出さないわけにもいかず。支度をする間、ヤタガラスは当然のようにクスノキのもとでくつろいでいた山神と、『お久しぶりですな!』『うむ』と言い交わしたのち、昔話に興じてしまったのである。
ふたりは旧知の仲のようだ。
ヤタガラスは、軽く息をついた。
「――そうですな。人間は腐肉は食べられませんからな。なんとも脆弱な」
という最後の小声は聞かなかったことにしよう。
ヤタガラスはぐるりと庭を見渡し、左右へ首を振った。
「いやはやなんとも……。ここには不思議な空気が流れておりますな」
「ああ、それはわかります。庭にいると時間がゆっくり過ぎるような感じがしますよね」
「ええ、だから調子が狂いますな……」
やれやれと翼を開き気味にいうヤタガラスを、山神は流し見る。
「ぬかせ。ぬしはいつであろうと、うっかりがすぎるではないか」
「はてさて、なんのことやら」
とぼけるようにカアと一声高く鳴いたあと、ヤタガラスは湊を射抜くように見た。
「ではあらためて。今一度お頼み申す。われにアマテラスの居場所を教えていただきたい」
「あなたにはわからないんですね」
わざわざ頼んでくるのだから、そうなのだろうが、腑に落ちない。
ヤタガラスはアマテラスの使い。いわば眷属であろう。
眷属が己の神の居場所がわからないなどありえないはずだ。
ヤタガラスは、全身を小刻みに震わせた。
「――われにはわからんのです。アマテラスが居場所を特定できないようつながりを遮断したからな……!」
悔しくてたまらない様子である。
「そうですか」
ひどく同情した声をだすと、ヤタガラスは落ち着きを取り戻したのか、居ずまいを正した。
「そなたなら、アマテラスの居場所を特定できるはずです」
「――そうですね、たぶん」
先日、風神の位置を把握できたように集中すれば、できるだろう。
いっちょやってみますかといったら、ヤタガラスはぶつぶつ愚痴をこぼした。
「まったく困ったものです、アマテラスも。いや、逃げたくなる気持ちも、引きこもりたくなる気持ちもわからないわけではないですが」
「――アマテラス様は、そんなに厄介事に巻き込まれることが多いんですか」
「そうですな。いろんな神がしょっちゅう相談しにきますから」
「そんなに……」
驚くものの、脳裏にアマテラスの神域が浮かんだ。
おびただしい数の木箱があった。その中には、人の概念が閉じ込められていた。
捨てきれない未練、叶わぬ想い、不相応な高望みなどなど。
己では消すことのできないそれらを望まれるまま、アマテラスが取り上げ、閉じ込めたとのことであった。
もしかすると、あの中には神のモノもあったのかもしれない。
ただでさえ人々の願いを叶え、さらに神々からも同じように望まれるのなら、アマテラスは目も回るような忙しさだろう。
思っていると、案の定ヤタガラスが頷く。
「そうです。アマテラスは寝る間もありません」
「……俺がお邪魔してしまった時は、寝ておられたようですけど」
あの時は不可抗力であった。
意図せず神域に引き寄せられ、あろうことか、寝所にまで踏み込みそうになったのだ。
実はあの時、アマテラスの寝衣はスケスケでほぼ全裸であった。たいそう目のやり場に困ったものである。
ヤタガラスが肩をすくめるように、軽く翼を開く。
「横になっているからといって完全に寝ているわけではありません。アマテラスほどの神ですよ。夢うつつでも者どもの願いを聴くことなど造作もありません」
「――なるほど?」
神域内の淀んだ空気を一掃し、求められるままクスノキの葉を渡したら、完全に寝落ちされてしまったのだけれども。
そのせいで、清掃の引き換えに神域から出してくれるという約束は果たされず、助けに来てくれた山神の眷属たちのおかげで無事生還できたのだけれども。
言うまい。
多忙なアマテラスに一刻でも心安らかに眠っていただけたのなら、よしとすべきだ。
「片手間で人間らの願いを叶えることはできても、神の相談事はかようにはいかぬというところか」
バリボリとさつまいもチップスを頬張りながら、山神が訳知り顔でいった。
ギラリとヤタガラスの眼光が光る。
「そうです。明日、さる神の相談事を聴きに参りますぞと知らせるべく、いつもの場所にいってみたら、神域の入口すらなくなっていたのです」
ヤタガラスは、湊に顔を向ける。
「困っていたところに、そなたが来た。――アマテラスから力を貸し与えられたそなたが」
軽く胸部を押される感覚に、湊は堪えた。
神のたぐいにいちいち説明はいらないから楽である。
だが、魂を覗かれるのは、不快だ。
やや圧のある笑顔を向けると、ヤタガラスは瞬いた。
「これは失礼した」
凝視するのもやめてくれた。察しがよく人間を慮ることができるようだ。
人間との関わりが深いのかもしれない。
「それで、アマテラスの居場所はおわかりになりますかな」
ふたたびお茶を飲みながら、ヤタガラスが尋ねてきた。
なんとも緊張感に欠ける。真横からも絶え間なく山神の咀嚼音が聞こえてくるのも、それに拍車をかけた。
彼らの反応からして、アマテラスが危機的な状況に置かれていることはなさそうだ。
湊はさして気負うことなく、胸に手を当てた。
「とにかく、やってみます」
瞼を閉じる。
細く長く息を吐きながら、己の中――アマテラスの力の源に意識を集中した。
いまさらながらその力は、本当に小さいのだと実感する。その隣に感じる風神の源とは大きな差があった。
そちらはありありと存在がわかるのだが、アマテラスの方はとらえづらい。
ゴム手袋をはめて物を触る感覚といえばいいか。
つながりもごくごく薄く、容易には探れない。
四苦八苦する間も、山神とヤタガラスはお茶とお菓子を楽しんでいる。
ごくごく。ばりばり。
やかましい。気が散る。
「しかと集中せぬか」
山神に半笑いでいわれてしまった。
たしかにその通りだ。多少の物音程度で集中できぬなど、鍛錬が足りぬ。
「もう少しやってみる――」
とはいえ、力み過ぎはよくあるまい。
ふたたび深呼吸し、感覚を研ぎ澄ませた。
あたたかみのある源から、細く長い糸が出ている。すっと延びているのをとらえた。
だがしかしどうにも、具合がよろしくないように感じた。
「あ、まっすぐじゃないからか」
位置が直線になるよう、身体の向きを変える。
「――こっちだ」
目を開けたら、山神の御身があった。
ボリボリとさつまいもチップスを嚙み砕くその顔面がにんまりと嗤う。
「左様。正解ゆえ、特別に見せてやろう」
ちょいと前足が動き、弾くような仕草をした。途端、光の輪が弾け、その肉球の下に、緑色の糸が見えた。
驚いた湊が真下に視線を落とすと、自身の胸から延びたそれは山神の胸部と庭を貫き、塀を越え、田んぼの方へと延びていた。
しかしそれが目視できたのは一瞬のこと。すぐに見えなくなった。
「たとえもう見えずとも、しかとたどれよう」
うんと湊は頷いた。一度糸を目の当たりにしたおかげか、視界から消えようとも明確にその存在を知覚できた。
ヤタガラスは、最後のさつまいもチップスを平らげた。
「では、案内をよろしいか」
「あ、はい」
ちらりと山神を見ると、三角の耳が動いた。
「我もゆこう」
面倒そうな素振りは見えない。
どちらかといえば面白がっているようで、湊は安堵して礼を述べた。




