32 長らくお世話になったので
麒麟、応龍、鳳凰は、そびえる氷河を見上げていた。
ここは、神界の外れである。
神ですらおいそれと近づかない氷に覆われたへき地だ。
そこへようやくたどり着くことができた三体の身は、見るも無残なずたぼろ具合となっていた。しかし――。
『諦めてなるものか!』
と、いまだ眼の輝きを失わない応龍に、麒麟と鳳凰も続く。
『当然です。やるのです、やり遂げるのですっ』
『ああ。ここまできたら、あと少しで手に入るのだからな……!』
三体は、気力を奮い立たせた。
さる神宝を手に入れるために――。
事の始まりは、麒麟の発言であった。
四霊がそろって竜宮城に遊びに行っていたときのことだ。
金箔の貼られた部屋の一面から見える金銀ギラギラの庭に目もくれず、車座になった彼らはいい感じに酔っぱらっていた。
一気呑みした麒麟は、ビールジョッキを床に置いて切り出した。
『わたくしめ、そろそろ楠木邸をお暇しようと思っております』
『汝は近いうちに、そう言い出すと思っておったぞい』
霊亀は幾度も頷いた。
何しろ、麒麟はもともと風来坊である。ここまで長く一つどころ――楠木邸に滞在したのも初の経験だったろう。
それはかの住まいの居心地のよさもあったろうが、鳳凰が心配だったからに違いない。
鳳凰は無事、成獣に戻った。
目にもまばゆいその身は、ひよこだった時の面影は、目元にしか残っていない。
その切れ長の眼を鳳凰は細めた。
『余も麒麟と同じく、暇を告げるつもりだ』
霊亀はこれまた深く頷く。
『汝も、よう我慢したぞい』
心の底から褒めると、鳳凰は照れ隠しのように焼酎をついばんだ。
鳳凰もまた、根無し草である。
もとより、自身がいろいろな人工物や職人を好むのもあるが、鳥らに好かれすぎるあまり一か所に長くとどまれない。
生態系が崩れる恐れがあるからだ。
『あの家の周囲もかなりまずいことになっとるからな……』
世情にさして興味のない霊亀でも、気づいていた。
元来あのあたりにいない鳥も増え、とっくに南方の越冬地へ旅立っていなければならない鳥らもいまだグズグズとどまっている。
みな鳳凰と離れがたいからだ。
『それは、鳳凰殿が悪いわけではありませんよ』
麒麟が庇うも、応龍は現実的であった。
『しかし、このままかの家に居続けるわけにもいくまい』
『ふむ、鳳凰や。渡り鳥らと一緒に旅立てば、ちょうどええぞい』
霊亀がいえば、鳳凰は軽く翼を広げた。
『ああ、そのつもりだ』
ゆえにここのところ、渡りの練習中だった鳥の集団に参加していたのだろう。
『応龍殿も青龍殿のもとへ行くそうですから。霊亀殿はどうするのですか』
『予はまだあそこに世話になるつもりぞい』
麒麟の問いに、霊亀はしごく当然のように答えた。いまのところ移動する気はさらさらなかった。
『そうですか。ならば応龍殿、鳳凰殿、湊殿へのお礼をなににいたしましょうか』
あの神域は山神のモノであるが、山神おんみずから幾度も申すように、あの家の主は湊である。
山神は暗に『はよこの家を買え』と湊をあおっているのだが、それはさておき。
湊には返しきれないほどの恩がある。
窮地を救ってくれたうえ、家に置いて酒まで用意し続けてくれたのだから。
応龍がヒゲをしならせ、唸った。
『しかし悩ましいな。湊は、物は喜ばんだろう』
『ああ、そうだろうな。あげた物を迷惑がられたくはないからな』
鳳凰が虚空を見つめながらつぶやくと、麒麟は得意げにいった。
『たしかにそうなんですが、いかに無欲な湊殿といえども人間ですから、日用品は欠かせません。消え物なら喜んでくれると思うんですよ。洗剤の詰め合わせはいかかでしょう?』
『さすがにそれはない』
酒を舐めながら霊亀が、頭部を引いた応龍が、半眼になった鳳凰が同時に言った。
麒麟は足踏みして憤る。
『なぜです! 貴殿方は知らないでしょうけど、人間の生活に洗剤は必要不可欠なんですよ。自身を洗うのだって頭と身体は別物ですし、食器や掃除、洗濯用はまた別なんです! とにかく種類が多いんですよ! それらを全部まとめてあげたらよき贈り物になるでしょう!?』
「お〜い、なにを騒いどるんだ~?」
突如、戸を開けて顔を出したのは、布袋であった。
七福神として知られており、その名の通り布袋腹をもつ。柔和な顔立ちはさも幸運を振りまきそうな容貌なのだが、面白がりである。
面倒なモノが来たぞと、霊亀、応龍、麒麟は半眼になった。
『なんでもありません。貴殿には関係のないことです。どうぞお引き取りください』
辛辣に言い放った麒麟の真横に、布袋はどかりと腰を下ろす。その手のひょうたんを振った。
「まあまあ、そうツンケンしなさんな。なにか悩んでるみたいじゃあないか。その悩み事を打ち明けてみるがいい、この布袋様と愉快な仲間たちに!」
と高らかに宣言するや、ぞろぞろと三体が入室してきた。
長頭に顎ヒゲを蓄えた福禄寿、同じく長い顎ヒゲに、巻物のついた杖を持つ寿老人、そして甲冑に身を包んだ毘沙門天である。みなそれぞれ杯や徳利を持っている。
槍を担ぐ毘沙門天を一瞥し、霊亀はぼそりとこぼす。
『相変わらずひとりだけ浮いとるぞい』
「ああ、儂も常々そう思っとる」
豪快に笑う毘沙門天が、手持ちの徳利を呷った。
「それで、な~にを悩んどるのかな~?」
赤い顔の布袋が酒臭い息を吐きつつ、再度問うてきた。
そう、酔っ払いだ。他の面子も同様に。
とてもではないが、相談相手なぞ務まるまい。しかも布袋は他者の悩みなど聞いたところで、茶化して終わるだけだ。いうだけ無駄である。
と思う霊亀、応龍、麒麟はむっつりと口をつぐんだが、鳳凰は違った。
『実はな、命の恩人へのお礼の品をなんにしようかと話し合っていたんだ』
鳳凰は純粋である。
他者の言葉を額面通りに受け取り、疑いもしない。
顔を寄せ合った霊亀、応龍、麒麟がささやく。
『予は、鳳凰をふたたび世に放つのが心配になってきたぞい』
『然り、朕も』
『――ええ、わたくしめもです。ですが、あんな鳳凰殿だからこそ、あらゆるモノから好かれるのでしょうけど』
麒麟のいう通り、布袋はひょうたんを床へ置き、居住まいを正した。
「そりゃあ、大いなる悩み事であるな」
まともに考えてくれるようだ。
顎をさすり、若干思案したのち口を開く。
「しっかし恩人というなら、相手は人間だろう? おたくたちお得意の加護を与えれば済む話ではないのか」
『もう与えている』
鳳凰の発言に、麒麟が補足を入れる。
『ええ。しかも、わたくしめたち全員です』
布袋と顔を見合わせた毘沙門天が眉を寄せた。
「それは与えすぎではないのか」
「その通りでしょうな。もしそれをひっぺがすような神がいようものなら、その恩人とやらは反動で、様々な不運に見舞われることになりましょう」
福禄寿に不吉な予言じみたことを言われようと、麒麟は不遜に顎を上げた。
『ご心配には及びません。決してはがされないよう念入りに与え直しましたから』
七福神たちは、視線を交わし合うと、納得したようだ。
「あんさんがそこまでいうのなら、問題ないんだろうさ。ああ、その者へのお礼の品だったな。――あれだ! ここで手に入る玉手箱がよいのではないか?」
布袋の思いつきに、福禄寿も朗らかに同意する。
「おお、大変よろしいのではございませんか。かの箱は、それ自体美しいですからの」
「開けた瞬間、一気に老けるがな」
毘沙門天が横槍を入れるも、霊亀は首を振る。
『違うぞい、毘沙門。老けるのは、ここでその時間分だけ過ごした場合のみぞい』
「なんだと。あれはそうだったのか」
驚く毘沙門天の傍らで、今まで沈黙していた寿老人が膝を打った。
「あれじゃ、神宝にするとよろしかろう」
お仲間たちが色めき立つ。
「おお、たしかに! 神宝なら申し分あるまい」
「ああ、極めて珍しいかの品なら、恩人に贈るのに相応しいだろう」
「ようございましたな、決まりましたぞ!」
一斉に光輝く笑顔を向けられ、四霊は微妙な顔をした。
顔をしかめた麒麟が不満げに言う。
『勝手に決められるのは、釈然としないのですが……』
『然り。しかし、悪い案でもあるまい』
珍しく応龍はすんなり受け入れ、鳳凰も不満はないようだ。
『そうだな、いいかもしれない。それで寿老人、神宝はどこにあるんだ?』
神宝とは、さる神がつくりし極めて珍しい品である。
神界にしか存在せず、神々でもおいそれと手に入れられないため、宝扱いされている。
四霊は誰も眼にしたことすらなく、在り処も知らなかった。
くいっとおちょこの酒を吞み干した寿老人は、鳳凰を見た。
「神宝はな、神界の外れの氷河にありますわい」




