28 あれなるは、かのお城
ボチャンと舟底が叩いたのは、海面。
青い大海原であった。
遠目にも陸地はなく、空の蒼さと海の青さの境界が明確で、強い潮の香りが湊の鼻をくすぐった。
「ここは……?」
「ついでに、竜宮城も見せてやろうと思うてな」
「あれ、竜宮城は、隣町にあるっていってなかったっけ?」
「それは、入口ぞ」
「そうだったんだ。って、まさか次は海の中にいくとか!?」
神に常識は通用しない。
次は潜水艇顔負けの素潜りかと焦るなか、舟が旋回し、走り出した。
「否、竜宮城は島にある」
「そ、そうなんだ、あだっ!」
舌を嚙んだ。なにせ、恐ろしく速い。
舟首が浮き、激しくバウンドを繰り返すため、水しぶきがひっきりなしに襲ってくる。
「話さぬ方がよかろう。舌を嚙みちぎるぞ」
笑い混じりに言われようと、叫ばずにいられなかった。
「この速さ、モーターボート並みではっ!?」
「速い方が楽しかろう!」
「俺は! スピード狂じゃない、からっ、楽しいとはっ、思わないよ!」
無駄に声が弾む。
しかし異様な速さのおかげで、島らしきモノが見えてきた。
島とはいえ、大きい。
湾曲した入り江を護るように、三日月型の砂州があり、その向こうの海岸線に建物群が見えた。
デンと大きな城が一つだけあるのかと想像していたが、違った。何階建てなのか見当もつかない多重層の木造建築物が建ち並び、一つの町の体をなしている。
その中央に、ひときわ高い建物があった。
こちらは三階建てのようだが、やけに一階分の高さがある。他のは人間サイズで、これのみ、巨人用といったところだ。
あるいは巨獣用か。
白壁に朱色の柱が映え、屋根に宝珠が乗っている。その七色の輝きが、楠木邸の庭にある竜宮門と同一であることは疑いようもなかった。
「あれが、竜宮城……!」
と湊は驚愕の声をあげつつ願う。
どうか、玉手箱に出くわしませんようにと。
「案ずるな。今回はただの物見遊山である。寄りはせぬ」
愉快げにいった山神の眼光が光った。
舟はさらに速度を上げ、飛んだ。
弧を描いて砂州を越える間、湊はもう声もない。ただヘリにすがりつき、舟の下を見下ろすだけだ。
入り江を過ぎ、建物群の真上へ。窓という窓から神が顔をのぞかせ、建物をつなぐ階段や階ごとのベランダにも、たくさんの神がいる。人型のみならず、動物体のモノもことごとくこちらを見上げていた。
そして、竜宮城に到達。建物を取り囲む広大な庭があった。
「あれは確かに派手だ……」
池、それに架かる橋、庭木、下層を埋める花々。
いずれも形は珍しくもなく、一般的な物と変わらない。
しかし色が実に個性的であった。
ほぼ金である。
「成金のようぞ」
ふんぞり返った山神が鼻で嗤う。
「山神さん、単にこれが見たかったんだね」
少し前、応龍に楠木邸の庭を竜宮城と比較され、地味だと酷評されたのを根に持っていたのだろう。
「左様。己が眼で確かめるのが一番ゆえ」
山神も素直に認めた。
身を乗り出して観察する姿に苦笑しつつ、湊も今一度しかと目に焼き付けるべく、目を転じた。
大勢の神のなか、ぽっかりと空いた所に、見慣れた男神がいた。
「あ、スサノオさんだ」
「あやつも暇神よな。いや、嫁らのご機嫌取りか」
スサノオはひとりではなかった。
その両腕に、女神の腕が絡んでいる。二神の容姿の細かい所までは見えないが、あでやかな着物姿なのは共通していた。
「あの方々が奥方様か……」
そんな神々を見下ろすなど、大変恐縮だけれども、どうしようもない。
スサノオは呆れているような雰囲気で、無表情の女神と、もう片方の女神は、大きく手を振ってくれている。湊もそれに応えた。
「あの方は、クシナダヒメ様かな?」
「左様。ちとヌケておるが愛嬌のある小娘よ」
「――じゃあちょっと冷たい感じがする方が、カムオオイチヒメ様なんだ」
「左様。あの不愛想さでも商いはうまい小娘ぞ」
どちらも小娘扱いとは。
と空笑いしていると、唐突に自身の手がブレて見えた。
「えっ、なにこれ」
「ぬ、いかん。時間切れぞ」
山神が険しい表情を浮かべ、湊も血相を変える。
「まさか時間制限があったの!?」
「左様。人身ではこれ以上、もたぬ。さっさと帰るぞ!」
珍しく切羽詰まった声があがると、竜宮城の宝珠の真上で視界が暗転した。
一瞬にして、楠木邸の庭に帰還する。
異常のなくなった手を握りしめる湊を迎えてくれたのは、クスノキのもとの三神であった。
弁財天は琵琶を抱えたまま寝ているようだが、えびす神と大黒天は呑んだくれていた。
ビールジョッキを掲げ、えびす神が笑う。
「おかえり~、ビールいただいとるよ」
「はあ、どうぞ」
えびす神用に買っておいた、自身の絵柄のビールである。
それにしても山神といい、えびす神といい、やはり神は自由すぎると痛感した湊であった。




