27 山神がいて、ただの弾丸旅行で済むわけがない
イチキシマヒメとは、航海守護の神として名高い、かの宗像三女神の一柱であろう。
ならば、このあとの二神はタギリヒメとタギツヒメだ。その証に、目鼻立ちの整った面差しがよく似て、ぬけるような白い肌と艶めく黒い髪がひときわ目を引いた。
神は総じて造形が美しい。湊も見慣れてきたとはいえ、三柱もそろうと圧倒された。
たとえその身が小さかろうともだ。
三女神も舟に収まる小人サイズであった。おそらく舟に合わせて自身の大きさを変えているのだろう。
イチキシマヒメが小首をかしげた。
「あら、そうなんですの? ああ、だから船柱が少しグラついておりましたのね」
湊は反射で頭を下げた。
「誠に申し訳ありませんでした!!」
「よろしいのよ。ととさまがちょちょいと直してくださいましたから」
父神はどなた様だったか、と湊が思い出すよりも早く「スサノオぞ」と山神が教えてくれた。
宗像三女神は、スサノオとアマテラスの誓約なるモノで産み出された神々である。
湊も様々な神と知り合ったため、あらためて神話を学び直したから知っていた。
とはいえ神話は史実ではない。すべてを鵜呑みにすることはできない。山神も神話をさらりと読んで、鼻で嗤っていた。
そんなことを思い出しているうちにも舟は進む。
三女神の乗った応龍丸も、帆が大きく膨らみ、加速した。
「それではごきげんよう」
「またいつかお会いしましょうね」
「よい船旅を〜」
にこやかに手を振る三女神が小さくなっていくのを、眼だけで送った山神が振り返った。
「さて、そろそろ櫓の扱いは慣れたろう」
「まあ、だいたい? とりあえずまっすぐ進めるようにはなったかな」
「ならば、本番といこうぞ」
「――どういうこと?」
ただの試乗運転ではすまなそうだ。
湊が身構えると、やおら山神は立ち上がった。
「この川を選んだのは、おぬしの腕を慣らすためだったにすぎぬ。ここは流れが遅い、遅すぎる。これではつまらぬ」
やる気だ。
山神は難易度の高い場所へいこうとしている。
「鈍行の旅、大いに結構! 俺は最高だと思うけど!」
必死に言うも、山神は首を振る。
「ならぬ。かようにちんたらした道行きなぞあくびが出るわ」
「それは、いつものことでは!」
「ならぬ! このままでは寝てしまうわ。そのうえ、舟の性能を試すのならば、いかなる状況でも問題ないことを確認すべきぞ」
「そうかなあ!?」
「むろん。よもや忘れたのであるまいな、この舟を所望したのが誰であるかを。――神ぞ」
最後のひと言がひどく重く感じられ、反射で肩がはねた。
やけに真剣な眼をした山神は、地を這うような低音で脅してくる。
「もし神に不良品なんぞ渡そうものなら、おぬしの命は即刻なきものとなろうよ」
「マジか……!」
スクナヒコナは、大変朗らかで優しそうだったのだけれども。
荒ぶった姿を想像……しがたく、湊は首をひねった。
同時、手の中から、櫓の感触が消える。
ぎょっとする間にも、山神の鋭い指示が飛んでくる。
「座っておれ」
反射的に膝を折ると、周囲の景色がゆがんだ。
突如、舟のスピードが上がり、後方へ倒れかけた湊は、舟のヘリをつかんだ。
瞬時に移動した先は、山間の急流であった。
遠くから聞こえてくるのびやかな鳥の声。それにのんきに耳をすませる心の余裕など、むろんない。
舟は驀進する。
時折左右に現れる切り立つ岩をすれすれで避けつつ、山神の高笑いの尾を引きながら。
「なかなかよき! これぞ、川下りである!」
全身に叩きつけてくる暴風は、神速で振られる尻尾のせいもあるのだろうか。
思う湊は声も出せず、まともに目も開けていられない。
ゆえに、唐突に川が終わることに、気づけなかった。
突如、身体ならびに内臓が浮き上がる感覚に、湊は血の気が引いた。
「ま、まさか、飛んだぁー!?」
直下は、落差何メートルあるのか想像もつかない直瀑である。
「左様。そして次なるは、落下ぞ」
うきうきとした山神の実況は、場違いなことこの上ない。
「ぎゃああああー!」
湊の悲鳴とともに、舟は放物線を描いて飛ぶ。
その最中、ぞわりと悪寒を感じ、湊は口をつぐんだ。
周囲の空気が一変した。
空気が重く、淀んでいる。
なぜと斜め下を見れば、林冠から閃光混じりの黒紫色の煙が立ち昇っていた。
禍々しさしか感じられない。
「あれは、もしかして瘴気?」
「いや、ちと違うが似たようなモノである。それを放つろくでもないやつがおるわ」
「どうして……。ここは神様の世界じゃないの?」
半眼になった山神が、つまらなさそうに言った。
「神の領域であろうが関係ない。いずこにでも、悪さをする輩はおるものぞ」
甲高い金属同士がぶつかり合う音が響き、湊は眉をひそめた。
「誰か戦ってるのかな……」
バチバチと閃光が弾ける煙の中心を見つめつつ、山神は言った。
「うむ。おぬしも知っておるやつが励んでおるわ」
もやのかかった樹冠から飛び出し、その姿が見えた。
まあるいその身は桃色。頭の先っぽがやや尖っている。
「桃神さま……!」
いつぞや神の庭に流れてきた、オオカムヅミであった。
あの時は、ただ川の流れに身を任せるだけだったのだが、いまは違う。
その身の下部に生えた葉の先がくるりと丸まり、細長い形状のブツを持っていた。
「あれは剣!? ――いや、枝かな?」
先端が二つに分かれ、一枚の葉がついた枝で応戦しているようだ。
山神が重々しく頷いた。
「左様、桃ゆえ。己が身ひとつで戦っておるわ」
「桃神様の木の枝ってすごそう」
なにせただでさえ、邪気払いに定評がある。
その通りだったようで、オオカムヅミの枝は刀剣並みの威力を誇っている。
それと火花を散らし、しのぎを削るのは、金棒だ。
それを振り回すのは、丸太のごとき腕をもつ、ムッキムキの巨漢。
粗末な腰布しかまとっておらず、頭部には二本のツノが生えている。
「鬼だ……!」
「うむ、タチの悪いあの世の輩よ」
「あの世の……」
「あやつが放つ瘴気じみたモノは鬼気である。時折、あやつらは神界に攻めてきおる。ゆえに、いち早く察知した神が立ち向かうのよ」
そういった山神は斜め下を見やった。
「しかし今回はちと数が多いわ。多勢に無勢であろう」
木立の間に丸い窯のようなモノが浮いていた。
蓋が半分ほど開いており、そこから同じような体軀の鬼がぞろぞろと出てきていた。手に手に金棒を持っている。
湊はつかんだヘリに力を込めた。
「あんなに多いなんて、卑怯だ……!」
「そう思うのならば、加勢してやるがよい」
舟はいまだ宙を飛んでおり、山神の長毛がなびいている。
「じゃあ、風を遣って……」
「否、このまま突っ込めばよかろう」
山神が言う通り、窯は舟の落下地点近くにある。
「信じるがよい、己が育てたクスノキを」
励ましなのかよくわからぬ声援を受け、湊は覚悟を決めた。
「じゃあ、やるよ……!」
風を後方へ放った途端、舟は加速する。
跋扈する鬼を次々と蹴散らし、窯の中央に突っ込んだ。舳先が突き刺さると、バキンと硬質な音が響いた。
窯が蓋ともども割れ、爆散した。
「ふむ、これでしばらく鬼らはこちらにこれまい。ならばあとは、残りのハエどもを始末すればよき」
くるりと山神が一回転する。
尻尾から放たれた風が周囲に山ほどいる鬼を巻き上げ、回転させるうちにその巨漢らが薄くなり、消えていった。
それが意味することは何か、湊は訊けなかった。
「これくらいでよかろう」
鬼を一掃した山神は、顎を跳ね上げた。
ふわりと舟が浮かび上がる。真上に上昇していく最中、湊は舟の下を見下ろした。
伏した鬼の背中に乗った桃神が枝を振っている。
「桃神さま〜、またいつか~!」
手を振って応えた次の瞬間、その姿もろとも景色が波打ち、また移動した。




