23 よく似た福の神々
秋の庭に改装した数日後。
クスノキのもとで木彫りのカンナ掛けを終えた湊は、顔を上げた。
「お、イチョウが色づいてる」
渡り廊下を彩るイチョウ並木がすべて樹冠の真ん中あたりから、ほんのり黄色になっていた。
「いいね。秋がくるって感じ」
ここの気温は春の陽気のままだとしても。
世間も、いまだ夏の暑さが続いているが、そう遠からずそのあたりを歩けば、金木犀の香りもするようになるだろう。想像するだけで、顔がほころんだ。
景観の楽しさもあるが、何より、木彫りが完成したことも大きい。
「こんなものかな」
目線に掲げる木彫りは、舟。
スクナヒコナのオーダーメイド品である。
幅はやや狭くとも縦に長く、同じ体のサイズのモノなら、あとふたりは乗れるだろう。
「結構いい出来では?」
なにせ、舟もそれなりの数をつくってきたのだから。
とはいえ、船尾に櫓をつけたのは初になる。やはり不安だ。
「ちゃんと進むかな……」
口にした瞬間、はじめてつくった舟も思い出し、さらに暗澹たる気持ちになった。
「かの帆船が沈んどらんか気にしておるのか」
クスノキに寄りかかった山神が訊いてきた。
「そりゃあね。だって本当に乗る人、いや神様がいるなんて想定外だったから。あれは飾りのつもりでつくったんだよ。帆柱も適当に立てただけだった。山神さんが張ってくれた帆があるからたぶん問題はないだろうけど」
ただの丸木舟では寂しく思え、山神の助言により帆を張ったのである。
「かの二艘なら、まず転覆もせぬ。たとえしたとしてもでんぐり返って元に戻るであろうよ」
そう言った山神は、ゴロリと寝返りを打った。
「――そうだよね。なんてったって亀さんと龍さんの抜け殻を張っているんだから」
世にも珍しい帆であろう。
いまにして思えば、播磨の父と神の手に渡ったのはよかったかもしれない。
欲深い人間の目に触れる機会もないからだ。かの店には、ろくでもない人間は寄り付きもしないという話だったけれども。
思っていると突然、池の一角が七色に光った。
神の類がお出ましの合図である。
むろん見慣れた光景でいまさら驚くことはないが、一応、居住まいは正した。初対面の神がお越しになるかもしれぬゆえ。
注視していると、光の中からぬっと人型の手が出てきた。その数は四つ。
二神である。
片方の神気には覚えがあった。
「えべっさんだ」
とつぶやいたと同時、二対の手がもがき、水しぶきが立った。
湊が頭に疑問符を浮かべていると、山神は愉快げに喉を震わせた。
「あやつら、溺れておるわ」
「神様なのに!?」
「神を万能と思うでないわ。というのもあるが、ここは我の神域ぞ。よその神は思うように力を発揮できぬようになっておる」
のんびり山神が説明する間も、二神は溺れたままだ。しかも激しく喚いている。
「なんやここ! 前より、がハッ、水深が深かあなっとるやん! あががっ」
「ちょっ、足がつかん! 足がぁ~!」
「――やかましいモノらよ」
山神はさも仕方なさそうに顎を軽く上げた。
ぴゅんと二神が水面から飛び出し、渡り廊下へ。
ごろごろとそこへ転がった二神は、ぴゅーと噴水よろしく水を吐き出した。
ほどなくして、よろよろと立ち上がった。
「はァ~、びっくらこいたわ」
「ああ、とんでもない目にあったわ」
ぶつぶつ文句を垂れる二神の格好は似ている。
ふくよかな体格を狩衣で包むえびす神は、頭に烏帽子。
もう一神の頭には、平たく、横に膨れた大黒頭巾。大きな袋を担いでいることから、正体は明らかだ。
大黒天である。
えびす神が、仲間を連れてお越しになったようだ。
「お、そうだった。お前たちは、無事か」
おもむろに大黒天が袋の口をほどき、中に声を掛けた。ち゛~! と聞こえたネズミの大合唱は、やけに不満げであった。
竜宮門は動物体のモノが一緒でなければ、通れない。
そのためにお連れになったのか定かではないが、二神とも顔が真っ赤なうえ、千鳥足である。
危うい足取りで、二神はなんと縁側の方へ歩いていく。したたかに酔っているようだ。
「溺れたのは、酔っぱらっていたせいでもあったとか?」
「それもあろうよ」
小声で山神と話していると、えびす神がゆうるりとこちらを向いた。
「なんや、そっちにおったんか!」
大黒天の腕を引っ張って廊下を渡ってくる。
山神は鼻梁に皺を寄せ、二神を見た。
「ぬしら、己が服はしかと乾かさぬか」
二神は濡れネズミのままである。
「おお、忘れとったわ」
「ああ、やけに動きづらいと思ったら、濡れたままだったからか。あんさん、しっかりしなはれ」
「お前さんもなぁ~」
ワハハと笑い、背中を叩き合っている。なんとも豪快かつ、陽気である。その姿を見ているだけで、福に恵まれそうな気がするから不思議だ。
「なんか福の神様ってすごいね」
「そうさな」
そこは山神も素直に認めるようである。勝手に入り込んできたにもかかわらず、追い出すこともしない。
笑っている間にもきっちり服を乾燥させた二神は、笑顔でやってきた。
大黒天が満面の笑みで言う。
「どうも、どうも。山の神さん、ちょっとお邪魔するな」
「邪魔すんなら帰って~」
なぜかえびす神が歌うように答え、クスノキの部屋に入ってきた。
山神に「邪魔すんで」と声をかけ、糸目の片方を少しだけ開き、湊に話しかけてきた。
「久しぶりやな。元気そうやね、知っとったけど」
えびす神のお供の鯛がそれなりの頻度で遊びに来ているから、ご存じなのだろう。
「はい、お久しぶりです。海の生き物たちをありがとうございました」
先日、眷属たちの神域でのことだ。
かの広大な海とその中に含まれる生き物たちは、えびす神からの贈り物であった。
「ええよ、ええよ。うちの鯛がいつも世話になっとるからな――」
えびす神は話す途中、湊の手元の木彫りに気づくと、軽く目を見開いた。
「お、舟やん」
「おお、本当だ」
身を乗り出した二神が、かぶりつきで見やる。
気恥ずかしさを覚え、湊は無駄に木彫りを強く握った。
えびす神がナマズヒゲをさすりつつ、唸る。
「しかしこれはまた、とんでもないクスノキでできとるな」
「たしかに。ああ、これだったか? 産まれてすぐのあんさんが、乗せらせて海に流されたんは?」
大黒天に言われ、えびす神の糸目が真一文字になった。
「ちゃうわ。ワシが乗せられたんは、葦の舟や」
凍えるような神気を間近から浴びせられ、湊は震えながらも思い出した。
えびす神にまつわる伝承を。
国産みの神たるイザナギとイザナミの最初に産まれた子は、手足がなかった。ゆえに葦舟に乗せられ海へ流されてしまった。
が、死ぬことはなかった。とある海岸に漂着して親切な人々に育てられ、えびす神になったという。
伝承は真実であったらしい。
人に育てられたというくだりは、なんとも信じがたいけれども、えびす神に訊く勇気はない。おっかないゆえ。
はっと湊はさらに思い出す。えびす神がはじめてここを訪れた時のことだ。
山神の隣にいると実家にいるように落ちつくと言い、そのあと『実家なんて知らんけど』と底の見えない笑みを見せていた。あれはまさに、捨てられたことをさしていたのだろう。
さらにさらに、えびす神は三貴神の兄神だということになる。
なんということだと、湊はじんわりと指先に汗がにじみ、舟を離した。
一方、大黒天は悪びれもせず、大口を開けて笑っている。
「ああ、そういやあ、そうだったな」
笑顔でヒトのトラウマを抉っていくスタイルらしい。
とはいえ、えびす神はあっさり神気を元の穏やかなモノに戻した。
「ま、そんなんどうでもええわ。んで、この舟はジブンがつくったん?」
えびす神に問われ、湊は「あ、はい」と頷いた。




