19 新入りさんようこそ
昼前に管理人業務を終えた湊は、ダイニングにいた。
相変わらずダイニングテーブルのみで殺風景極まりないが、今そこには大きなダンボールが鎮座ましましている。
差出人は、母。
今しがた宅配業者から受け取ったばかりである。
「今回はなにが入っているのかな」
いつものように、地元産の品々が詰め込まれていることだろう。定期的に届くこれは、表札やキーホルダーの木彫りの報酬も含んでいる。
おかげで湊は、こちらに居を移してから一度も米や油をはじめ、味噌やしょう油などの調味料も購入したことはない。
なお、宿で販売するようになったキーホルダーの売り上げは、湊が存在すら知らない湊専用の口座に振り込まれている。
ヤのつく職業の常連からいまなおお礼と称し、客室の床の間にひっそり置かれる紙幣も、その口座に入れられていた。
湊がそれを知り、受け取る日がいつになるのかは、神にも予期できないことである。
さておき湊は、ダンボールに手を掛けつつ、中身に思いをめぐらせた。
「今回は結構軽いから、お米は入っていなさそうだけど」
なにせ、田神からもらった米俵はまだ残っている。そのため、当分米はいらぬと伝えてあった。
わかっていても、毎回開けるのは心が躍るものだ。にこやかにガムテープをはがした。
「いざ、御開帳〜」
パカリと開いたダンボール内には、瓶入りの調味料が詰まっていた。乾物が隙間を埋めている。
次々に取り出し、しょう油瓶を持ち上げた時、すみっこに小ぶりな巾着袋が見えた。
「お、あった」
つい顔がほころんでしまったのは、これを入れた主が、母の目を盗み、こっそり入れる光景が容易に想像できたからだ。
それは、座敷わらしである。
かの楠木家の護り神というべき妖怪は、湊への贈り物を毎回そうやって入れている。
むろん母も承知しているため、あえてダンボールの隅をあけて、席を立つようにしているという。
湊も実家への贈り物――大半は四霊の加護でふいに手に入る物を送る際、毎回必ず座敷わらし宛ての物を入れている。
「今回は、石かな?」
いや、妙にやわらかいから違うだろう。
座敷わらしの贈り物は素朴な物である。木の実や珍しい形の石、時には原石の時もあった。
湊は巾着袋の口を解いて、驚いた。
中から出てきたのは、黄色いラバーダックであった。
「アヒル大将……! お久しぶりです」
赤いくちばしに、ビシバシのまつ毛。市販されている物と造形は同じだが、ちょいと違う部分がある。
頭にクスノキの葉を乗せ、木桶を背負っているのだ。
そう、〝くすのきの宿〟オリジナルラバーダックであった。
家族全員がアヒル大将と呼ぶそれは、客室の座卓で宿泊客をお出迎えし、一緒に風呂にも浸かり、さらにお持ち帰りもできる素敵なグッズである。
湊はアヒル大将を手にのせ、つぶらな瞳と向き合った。
「とうとう、ここにも来ちゃいましたか。ようこそ、アヒル大将」
アヒルは何も応えてくれない。
付喪神という存在を知ったがゆえに少し期待してしまった。
「まあ、いかにも真新しい色合いだし、ゴム臭いし。新品だから付喪神なわけないか」
「残念であったな」
山神の声が室内に響いた直後、ドカッとスリッパのかかとに硬い物が当たってきた。
掃除機ロボットである。
その上に座す小さな狼は、むろん山神だ。
「山神さん、乗り心地はいかがですか」
「うむ、そこそこよき」
乗り物を好む山神は時折、掃除ロボットに騎乗して遊んでいる。スピード狂のきらいのある神なのだが、これだけはのんびり乗っていても楽しいらしい。
床に振れた尻尾が激しく動きながら、キッチンの方へ向かっていく。しかしカウンターテーブルでターンを決めたあと、難しい顔になって戻ってきた。
「ぬぅ……」
なにかお悩みのようだ。
湊はアヒルと一緒に窓の向こうに広がる空を仰ぎ見た。
いわし雲が覆っている。上空は秋模様だが、下界はいまだ夏の暑さが冷めやらず、実感はない。
しかし季節を先取りするのが好きな山神も、早くも秋らしく物憂げなのだろうか。
ともかく、のんびり空を泳いでいるように見える雲は本当に魚の群れのようだ。
たしか地域によってはサバ雲と呼ばれることもあったはずである。
食べたくなってきた。
「今日も魚にしようかな」
先日釣った魚を大量に食べたばかりであるが、魚はいいものだ。
「やはり秋らしいサンマかな」
焼けた身から滴る脂を思い出し、口のうるおいが増した時、「ぬぅ~」とまたも山神が唸った。
「山神さん、なにを悩んでるの?」
ついーっとすべらかに横切っていきながら、山神は重々しく宣った。
「なに、秋に相応しき庭はいかようにすべきかと思って、な」
ザワリ。
庭の空気がゆれた。
存在感に満ちたクスノキ、その枝に乗ったカエンと真下の風鈴。大池にせり出す岩に寝転んでいた霊亀、応龍、家の屋根にいた鳳凰と麒麟が、一斉に動揺をあらわにしたからだ。
ぶるりと麒麟が身を震わせる。
『ま、また、改装をおやりになると?』
なぜおののいているのかというと、改装するとき、庭は神界と現世が曖昧になるからだ。
最中にうっかり庭にいようものなら、神界あるいは現世のいずこかにふっ飛ばされる恐れがあるという。
『――余は、まだこの景観を見慣れていないのだが』
『然り。朕もようやく池に慣れてきたところだ』
鳳凰が戸惑い、応龍もしぶい表情で、まだ改装せんでよかろうと暗に止めている。
一方、霊亀は普段通り半眼のまま黙していた。
口には出しても、行動は起こさない四霊とは異なり、激しく抗議するモノがいた。
クスノキである。
まるで髪の毛を振り乱すように樹冠を振り、不満を訴えていた。
また己を動かそうと目論んでいるのか!? と。
前回の改装時、山神がクスノキに立ち退きを迫ったせいである。
クスノキは、この庭の主木としての矜持が高い。庭の中心から移動するのは、断じて認められないのだ。
クスノキが烈火のごとく憤る様に合わせ、風鈴の音がかき鳴らされ続ける。
「よう動くのじゃ!」
と枝につかまるカエンは楽しげなのだが、幹があらゆる方向へしなるため、湊は気が気ではない。
「クスノキが折れる……! 山神さんっ、またクスノキを動かしたいの!?」
何度も視線を往復させつつ問うと、山神が顎を上げる。胸を張り、意気込みを示した。
「むろん。季節は変わろうとしておる、いま変えずしていかにする」
誰が何を言おうと、この傍若無人な山の神の意志を変えられはしないだろう。
当然ながら、クスノキは抵抗する。
歌舞伎の毛ぶりのごとく樹冠を回転させるのが視界に入り、湊は掃除機ロボットから小さな狼を持ち上げた。
目線を合わせて、真剣に頼み込む。
「山神さん、クスノキの位置はそのままでお願いします! 絶対に!」
「――ぬぅ、致し方あるまい」
たらりと垂れた四肢と尻尾は、だいぶ不満そうであった。




