17 鳥遣いさんウォッチング|裏島姉弟
警官たちにしょっぴかれた若人、中年男性と多くの動物が去り、ほどなくしてリスザル付きの楠木だけが残された。
その横には、自転車がある。
「鳥遣いさ〜ん」
岳が呼びながら近づくと、こちらへ首を向けた楠木は苦笑した。
あえてのあだ名呼びであった。
まだあたりには人が多い。こちらに意識を向けているのは明らかだったからだ。
楠木が『鳥遣い』の名で親しまれているのは、家族に聞いていた。しかしこれほどのものとは思わなかった。
今しがたまで、居合わせただけの何人もの人たちに声をかけられていたのだ。
「ちょっとすみません。いまの寸劇は、いったいなんだったんでしょうか?」
リポーターよろしく架空のマイクを向けると、楠木はきりっと表情を引き締め、端的に答えてくれた。
「動物たちの力を借りて自転車泥棒を捕まえました。現場からは以上です」
「――なんつーか、すげぇね。それしか言葉が出てこないわ」
「みんな賢くて、団結力があるからね」
誇らしそうである。
そんなモノたちを従えている自身がすごいという感覚はないらしい。ともかく他にも気になったことがあったから訊いてみた。
「あのすんげぇかっこいいじーさまは?」
「越前亭のご主人だよ」
「ああ、あの春だけ桜餅を売ってる店の?」
「そう、そこそこ」
「あの店、昔からあるらしいんだよな。前々から疑問だったんだけど、季節限定、しかも桜餅オンリーでなんで潰れないんだ?」
「桜餅屋さんはあくまで副業で、本業があるからね。ここから近い所に、〝トラットリアEchizen〟っていうイタリア料理のお店があるんだけど、越前さんはそこのオーナー兼シェフだよ」
「なんだと……! いまからその店に姉ちゃんといくところだったんだよ」
「そうなんだ。あ、さっき割引券もらったんだけど、いる?」
「ください」
間髪入れずそろえた両手を出すと、笑いながら手のひらに紙片を載せてくれた。
「ところで、そのおさるさんは?」
楠木の肩に座したリスザルを見やると、さっと楠木の耳の後ろに頭を突っ込んでしまった。人に慣れていると思いきや、そうでもないらしい。
先ほど、真っ先に窃盗犯に嚙みついていた、あの勇ましさはどこにいったのやら。
楠木はリスザルの背をなでつつ、首をかしげた。
「あれ、この有名なサル吉さんを知らないの?」
ひねりのないネーミングに微妙な顔をしつつ、答える。
「知らない。俺さ、あんまり商店街にこないんだよ」
「まあ、車があるなら、ショッピングモールの方にいくよね」
「そ、あっちが便利だし」
わりと近場に大型商業施設があるため、そちらを利用する者の方が圧倒的に多い。しかしながら、商店街はおいしいと評判の飲食店、とりわけ和菓子屋が多く、地元民以外にも根強い人気がある。
楠木はリスザルの長い尻尾を指に絡めつつ、言った。
「サル吉さんは、三河金物店のご主人のお付きのコだよ」
「三河金物……?」
名はおろか店の位置すら記憶になく、首をひねると、楠木が声を落とした。
「商店街の端にあるお店なんだけど、三河さんは商店街のドン、いや、商店街振興組合連合会の会長さんだよ」
「知らんかった。覚えとく」
人相は知らぬが、リスザルが目印になるだろう。
ともあれ、楠木の言い方なら、このリスザルはいつでもご主人と一緒なのではないだろうか。
いまはどう見ても、楠木の飼いサルにしか見えない。
「よそんちのコなのに、すごい懐かれてるんだな」
「――うん、まあ、ね……」
頬を掻く楠木の目が泳いだ。
なんの理由もなく、ここまで数多の動物に好かれ、かつ従えることなどありえない。
その身を取り巻く異質な気配のおかげだろう。
わかってはいるが、岳にはその正体を見極める眼力はない。
ゆえに、他者と同じようにただひたすら感心しているように振舞う。
とはいえ、たとえ異質な力の恩恵であっても問題はないだろう。楠木がその力を他者を害することに遣わなければ。
どころか、今しがたのように人を助けるために遣っているのだ。
幾人かの見物人が去り際に、笑顔で『今回もすごかったぞ』と楠木の肩や背中を叩いていた。日常的に行われているからこそ、町の人々にも受け入れられているのだろう。
楠木は困ったように、サルに関することを教えてくれた。
「いつも三河さんの店の前を通ると、サル吉さんが立ちはだかって足止めしてくるんだよね。今日みたいになかなか離してくれなかった時は、三河さんに散歩を頼まれるんだ」
「マジか」
「うん。それで帰る時、バイト代っていってお金くれようとするから、断るのが毎回大変なんだよね」
遠い目をする楠木は、いやに哀愁が漂っている。
「なんか、大変そうだな?」
労いともいえないそんなことを口にした時、「岳!」と名を呼ばれた。
振り返ると、姉が小走りで近寄ってくるところであった。
「あ、楠木君。こんにちは、元気?」
とにこやかにあいさつしている姉の滑稽な出で立ちに、岳は眉をひそめた。
「姉ちゃん、その頭のぽんぽんはなんだよ。今日の格好に全然合ってないぞ」
楠木もあいさつを返しつつ、頭頂部に釘付けになっている。
姉はシックなワンピースという、わりとフォーマルな服装に、白と黒の綿毛めいた髪飾りをつけていた。
「なんのこと? 今日はバレッタしかつけてないけど」
シニヨンヘアの姉は後ろ髪に触れつつ、いった。やや傾くと、頭頂部にひっついた二つの綿毛の毛がなびく。
「違うよ。後ろじゃなくて、頭のてっぺんにあるやつ」
指をさすと、姉が手を持っていく。
「えっ、なにこれ!?」
わしっと二つの毛玉をつかみ、目前に持っていった。岳は感心した。
「そんな簡単に取れるんだな」
「違うわよ、自分でつけてきたんじゃないの! というか、楠木君、私の髪型崩れてない!?」
「あ、はい。問題なさそうです」
楠木が生真面目に答え、姉はハッと何かに気づいたような顔になった。
「あっ! だから今日、やけに人からジロジロ見られていたのね!」
やだ、恥ずかしいと姉は顔を赤くしているが、岳はその手のぽんぽんが気になった。
姉の両手に乗るそれらは、やけに煌めいている。
そして少し近づくと、異質な気配を発していることに気づいてしまった。
「――姉ちゃん、それなに?」
「え、えっと、なんだろう?」
二人でまじまじと見つめていると、楠木が静かな声で言った。
「ケサランパサランだよ」
同じようにぽかんと口を開けた姉と同時に見ると、楠木はにこにこと笑っていた。
そういえば、最近ケサランパサランの噂を聞いたのであった。家族団らんの時に話題にもなっていた。
むろん、姉も知っているため、ふたたび視線を落とした。白と黒の毛玉はぴったりくっついている。
黒い色のケサランパサランは奇妙に思えたが、楠木が自信ありげに断言したゆえに、すんなり信じられた。
一方、姉も疑うことはないようだが、どうしていいかわからないようで、ろくに動けないでいる。
「千早さん、箱みたいな物を持っていませんか?」
楠木に問われ、姉は困惑の表情を浮かべた。
「持ってないけど……」
「あ、バッグがちょっと箱っぽい形ですね。その口を開けてみてくれませんか?」
「えっと、岳、お願い」
両手を動かせないなら致し方あるまい。
「はいよ」と、姉のショルダーバッグのファスナーを開けた。
そこに姉が手を寄せる。ころころと転がり、白黒のケサランパサランは自ら入っていった。
岳はすかさず、ファスナーを閉め直した。
「おめでとうございま~す」
「キィー!」
楠木が満面の笑みで拍手すると、サル吉も楽し気に甲高く鳴いた。
「それじゃあ、また」と告げた楠木が自転車を押しつつ、踵を返した。サドルに乗ったリスザルがなんともいい味を出している。
小さくなっていくその後ろ姿を眺めながら、姉が言った。
「また次の機会に、楠木君を誘おうか」
楠木にいまから昼食を一緒にどうかと誘うと、越前氏に『越後屋にいくなら、ついでに自転車を持って行ってほしい』と頼まれているからと断られたのだ。
自転車の持ち主たる越前氏の孫娘は、越後屋にいるらしい。
さておき、つぶやいた姉は楠木に誘いを断られても、落ち込んだ様子はない。
降ってわいたように姉が帰ってきた時、楠木と一緒だったと家族から聞いている。
うちの娘とどういう関係かと詰め寄る者は誰もおらず、二人の関係を勘ぐる者さえいなかった。いまなおいない。
楠木があの、元いわく付きの家の管理人として務めていることは、近隣の者なら誰でも知っている。その温和な立ち振る舞いも。
かの独特な空気感をもつ人物は、他者から変な勘ぐりをされることはない。
稀にいるのだ。ああいう生き仏めいた者が。
そのため、二人の間に恋愛感情など、芽生えることもないのだろう。
岳は首を傾け、姉を促した。
「姉ちゃん、とりあえず飯食いにいこう」
「うん」
「バッグは開けないように」
いちおう念を押した。
ケサランパサランは手に入れた者に幸運をもたらすという。個人の願望を叶えてくれるわけではないようだが、それでもいい。
時折、置いてけぼりを喰らったような顔をする姉に幸を届けてやってほしいと思う。
姉も思わぬ拾い物をしてしまい、しばし途方にくれていたが、いまはその幸運を嚙みしめているように見えた。
いや、未確認生物になみなみならぬ興味をもつ姉は、ケサランパサランを飼いたいと思っているのかもしれない。
姉はバッグを胸に押し抱くように抱えた。
「うん、気をつける。だから岳、今日の支払いよろしくね」
いたずらっ子のように笑った。
「おう、まっかせとけ~」
姉の目前に、楠木からちょうだいした割引券を印籠のごとく突きつけた。